ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(76)

2016-02-13 14:54:28 | 生き方
娘が退院して家で暮らすようになってから、早いもので1年半になる。
退院した病院は、2つ。
総合病院とリハビリテーション病院の2つだ。
今も定期的にその2つの病院に通院している。
総合病院は、月に1度。
リハビリテーション病院は、月に4回、ほぼ毎週の通院である。
幸か不幸か、娘は、どちらの病院についても、入院していた記憶がないだと言う。
記憶がないのは悲しい。
だが、家族としてみると、体じゅうが拘束されるベルトをしていた時や、ICUでののどに管が通されていた時の姿の切なさは、思い出したくもない。
それを考えると、覚えていないのも、むしろありがたいくらいである。

娘の1日は、朝7時30分近くに起床することから始まる。
それから、顔を洗って朝食となる。
行動がスローモーになっているものだから、朝食を食べ終わるのも8時を過ぎてしまう。
朝の連続テレビ小説を見て、薬を飲み、コーヒーを飲み終えると、もう9時近い。
それから、歯みがき、着替えをして、体温・血圧を測定する。
血圧の測定では、左腕で測ることになっているのだが、以前は、反対の腕を出すことが頻繁にあって、そばに付いている妻に注意されることが多かった。
その後、地元紙の「日報抄」(朝日新聞なら『天声人語』にあたるコラム)を声を出して読み、書いてある内容の概要を話す。
ただし、このコラムの内容は、娘にとって難しい。読むには読めるのだが、中身はまだよく要約できないことが多い。
その内容は、妻が一つ一つ確認して、伝えることになってしまうことが多い。
まあ、文章を読むのがもともと苦手だった娘にとって、病気になってなおさら、難しく感じているようである。
それでも、まあ、正確な意味理解までは難しくとも、漢字交じりの文章は普通に読める訳だし、以前に比べたら読みも正確になってきたかな、とは思う。
ここまでで、だいたい午前10時近くになってしまう。
通院する予約時間が9時30分となっている時などは、結構慌ただしくて大変である。
行動の遅い娘を急き立てているものだから、妻の心中は穏やかではない。
平日なら、10時頃から買い物に出かけたり、体調や天気さえ良ければ散歩したりして、午前中が過ぎていく。
出られなければ、ステッパーで足腰の運動。
200歩くらいから始めたが、今は400歩くらいを常としている。

午後は、12時半に昼食。
食後1時半過ぎから3時過ぎまで昼寝。
起きたら、おやつ。
ただし、最近は太り過ぎているので、その量は妻が少なくしている。
そこからは、だいたいテレビで刑事ものなどの再放送ドラマを見て過ごすことが多い。
途中で夕方のステッパーは必ず行う。
また、ここら辺で、「脳トレ」の雑誌があるので、それを日に1ページだけ進めるようにしたりしている。
夕方6時半に夕食。
食後は、朝も同じだが、10錠前後の薬を飲む。
あとは、テレビを見て過ごす。
途中、ナンプレをやり始めることが多い。
そして、午後9時半過ぎ就寝となる。

毎日、判で押したように同じ生活が続く。
毎日同じような「ルーティン」の繰り返し。
なのに、記憶の障害があるものだから、なかなか定着しないことが多い。
やっとできるようになったと思ったのにまた忘れてしまったりという娘に、妻は時々ガックリしてしまったり、プッツンとしてしまったりすることもあるのだ。

でも、冗談の切り返しなどは、以前に比べて鋭くできるようになっている、と私は思う。
妻が毎日見ている中で感じるものと、日中は仕事に出かけていて帰って来てから見て感じるものとでは違うものがあったりする。

ここ数日間、妻が出した脳トレ問題で、「○○」の部首が付く漢字、というものがある。
例えば、「りっしんべん」とか「さんずい」、「きへん」や「くさかんむり」などの付いた漢字をいくつ書けるか、という問題である。
これを、母娘2人でやっている。

これに、娘が結構はまっている。
勝てるはずはないのに「母に勝ちたい」と言って、一生懸命思い浮かべている。
ただ、記憶の障害だから、いくつも書いていると、また同じ漢字を書いていたりすることがある。
「△って漢字、書いたっけ?」
「それ言うの、もう3回目!」
などという会話が飛び交っていたりするのである。
している行動は何かわかっていても、少し前にしたことを忘れてしまうから、同じ漢字をまた書こうとしたりするのである。

このような言動に、娘の今があると感じている。
判断力や思考力等はだいぶ回復してきているが、記憶力はなかなか回復してこないということ。
それでも、繰り返す回数が多くなり、習慣化に近い所まで高まると、動きは速くないが、やるべきことは自分でかなり自然とやれるようになってくる。
そんな娘の今である。

今日は、そんな娘のばあちゃんの(つまり私の母の)祥月命日。
「(娘が)さらによくなるように見守ってくださいね。」
仏壇に線香をあげ、祈ったのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする