ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

歌で日本縦断(3)~中部地方・関東地方~

2016-02-20 13:39:36 | うた
関東地方の前に、わが新潟県のことは外さずに考えたい。
今、私は、新潟の地元アイドルグループNEGICCO(ねぎっこ)の3人娘が大好きなのだ。
でも、さすがに40年前、彼女らは生まれていなかった。
彼女らの「サンシャイン日本海」を考えてみたが、いざ入れてみると、昭和の歌の中には合わないなあ。
美川憲一の「新潟ブルース」や、小林幸子の「雪椿」という演歌ならヒット曲はあるのだが。
昭和50年代前半、新潟県内でレコードも発売されていなかったのに、当時のわれわれ若者に大ヒットしていた曲があった。
「お前まだ春らかや」(富所正一)である。

地名が出てきたりはしないが、曲名で分かるように新潟弁の曲なので、この歌を入れておこう。
自主制作盤のレコードから拾って、この曲を入れることにした。
富所氏は、デビュー目前だったのだが、若くして川に投身して自らの命を終えてしまったのは、本当に惜しまれる。

北関東方面の曲は、思い浮かばない。
「渡良瀬橋」は名曲なのだが…。
さいたまんぞうの「なぜか埼玉」は、一度聴いておかしかったけど、繰り返し聴きたい歌ではないなあ。
音源もないので、パス。

避けては通れない、日本の中心地、東京。
その名をそのままヒット曲にしたのは、「東京」(マイペース)だった。

「東京へはもう何度も行きましたね 君が住む美し都」と繰り返す歌詞は、田舎の若者が都会への憧れを秘めているように聴こえる。
「マイペース」は、秋田県の出身だったはずだ。
地方に住む者にとっては、東京は「美し都」と憧れを持つことも多かった。
そして、東京で過ごす4年間。
学生時代を過ごした者には、青春時代の懐かしい思い出でいっぱいだろう。

そんな学生街での生活を歌ったのが、「江古田スケッチ」(竹内緑郎と旅行かばん)という歌だった。

私自身、江古田には友達がいて、よく訪ねたものだった。
この歌には、いかにも実話のように「はまだしんじ」とか「さのきょうこ」とか名前が出てくる。
歌を聴いて、学生時代は、私の周囲にも今は行方も分からなくなっているけど、いろいろな奴がいたよなあ、と思い起こす。
いかにも昭和50年代の学生時代なので、この歌を代表にしたい。

東京の隣の大都市は、横浜。
「追いかけてヨコハマ」は、桜田淳子のヒット曲だが、作者の中島みゆきの曲の方が楽しい。
当時のインベーダーゲームのヒュンヒュン言う音も入っているからだ。

中島みゆきが他者に提供した曲ばかりを集めたアルバム「お帰りなさい」に入っていた。

神奈川県が続くが、「北鎌倉」(岡本正)は、「北鎌倉で降りて歩いてみませんか」と何度も繰り返すフレーズが心に残る。

そこまで来たら、湘南の海を避けて通れない。
当時のアイドル岡田奈々が「湘南海岸通り」を歌っていて、「エマニエル夫人にはなれないけれど」なんて部分が歌詞の中にあって、時代を感じるのだ。
これもいいのだけど、湘南といえば、やっぱりこの時代にこの曲でデビューしたサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」が外せない。

改めて聴いてみると、岡本正の「北鎌倉」が発表されてから、サザンが「勝手にシンドバッド」でデビューするまで、わずか3年しかない。
比べて聴いてみると、ずいぶん音楽的に違いがある。
このすばらしくテンポのよいリズムに日本語の歌詞を乗せられたというのは、このサザンが日本では初めてだった。
サザンのデビューで日本の音楽シーンは大きく変わったということが、改めて分かる。

中部地方なら、信州を入れておきたい。
私が好きだったのは、わさびーず。
民謡調の曲もあり、「木曽の花嫁さん」がよかった。
デビューアルバムも「木曽の花嫁さん」だった。

木曽や信濃の暮らしもわかるような素朴な歌が多くて好きだった。
「木曽の花嫁さん」よりも、アルバムの最後に入っている「どうしても信濃ゆき」という歌が、冬には合う。
SLの汽笛や汽車の動く音などが入っていて、曲の中には松本城などが出てくる。

名古屋方面等、中京方面の歌は残念ながら思いつかない。
ただ、「上野市(うえのまち)」(西岡たかし)は、聴いていてとても軽快で、気持ちのよい歌だ。

伊賀の街に行ってみたいと思わせる歌だった。
でも、初めて聴いてから現在まで私は行ったことがないので、いつか一度は訪れてみたいと思う。


コメント
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