光る君へ(途絶えぬ絆)
藤原惟規(のぶのり)が亡くなりましたね
惟規はお気楽で為時一家の異色人物
あまり勉強は好きでないらしい
でも人間をよ~く分かっている
母の顔も知らずに育ってますよね、でも
乳母のいとがそれはそれは大切に育ててくれた
家族思いのいい子で皆に可愛がられて育ちました
優等生のお姉ちゃんは口うるさかった?
どっぷり甘えさせてくれて可愛がる人
何かにつけてひと言いう人
その家族を包むように広い心で見守る人
こんな三人の中でのびのび育ったんでしょうね
何度かのチャレンジで大学寮の文章生となる
次第に力を付け官職を得て
従五位の下まで昇りました
こう見えて惟規は
「少内記」として「詔勅」「宣命」など作る
記録官になったほどの能筆家、優等生です
*「少内記」
律令制で
大内記・中内記・少内記が各二名いて
文も字も上手な儒者を選んで任命した
「内記」は、「うちのしるすつかさ」とも言う
また、和歌も上手で歌集も残っているそうです
(後世の人がまとめている)
「藤原惟規集」
人しれず思ひを身こそ岩代の
野やくけぶりのむすぼほれつつ
浮き沈み波にやつるる海人舟の
やすげもなきはわが身なりけり
山がくれ咲かぬ桜は思ふらむ
我だにをそき春のひかりと
逢坂の関うちこゆるほどもなく
今朝は都の人ぞこひしき
そして、辞世のうた
都にも恋ひしき人の多かれば
なほこのたびはいかむとぞ思ふ
(恋人にふられた後だったようですが
それより惟規は姉やいとを想った気持ちから
この和歌を詠んだと思いました)
だいたい父為時と同じ道を進みました
文系家族ですね
出世が遅かったのは
貴族のお坊ちゃまのようには行かないのが
世の常か
身分が影響したらしいです
「光る君へ 39回とだえぬ絆」の
番組最後の紀行のコーナーで私の通った
中学校近辺が写りました
残念ながら建物でなく校庭の周りの木々しか
映りませんでしたが木々の隙間にグランドがちらりと
学校の入り口近くにJR二条駅と京都地下鉄二条があります
東には二条城の櫓がありそれをバックに卒業式の日
級友6人位で写真を撮りました
あの頃はお堀の傍まで行けたんですよね
今はきっちり立ち入り禁止です
歴史ある建造物はどんどん遠ざけられます
お城の南に「神泉苑(平安貴族の庭園)
があり子供の頃の遊び場でした
今は立ち入れなくなった部分があります
「大学寮」の石碑とその横のお地蔵さんの祠が映りました
その横から「光る君へ」の紀行カメラマンさんは
北に向きお城や学校方向を撮っておられたのと思います
惟規が従五位の下になってすぐ
父、為時の越後赴任について行くことになりました
道中
馬上で急変しましたね(何の病だったのか?)
いとさん、乳母として惟規を慈しみ育て
立派になった矢先の訃報に
どれだけ悲しくて、悔しくて…
想像するに余りあります
赤の束帯を随分早くから揃え
着る時を今か今かと待っておられたんですね
泣ける場面でした
ドラマの予告で弟が父よりもまひろよりも
早く亡くなる事を知りましたが…
逆縁はつらい
大切な息子を亡くしたまま
越後での務め
高齢の為時の心身が心配です
まひろの悲しみもそれはそれは深かった
娘賢子の胸に顔をうずめて泣き続けるまひろ
この母の姿に賢子は母への想いに変化があったような
まひろって紫式部って
千年以上のベストセラー作家
目の前で母が殺された
父の出世は遠かった
思う人とは添えなかった
娘が自分に心を開かない
こんなつらい人生はまひろのこころを
打ちのめし、また起こし、かき乱し、或いは撫でた
回想し、変化し、拡大し、まひろは筆をとった
「源氏物語」は学校でもさわりだけは習い
アレンジされた本に少しは触れてきましたが
このドラマには今、入り込んでます
家事に趣味に町内のお役目にと
わりと忙しい毎日なんです、信じられません?
更にパソコンもスマホもご機嫌斜めなもので
ご機嫌を伺いながら動かしています
高卒の知識浅き者にて旨く語れませんが
なんとか最終回までぶつぶつ言うていたいです♪