十一月三日三日月
十一月三日三日月
光る君へ(途絶えぬ絆)
藤原惟規(のぶのり)が亡くなりましたね
惟規はお気楽で為時一家の異色人物
あまり勉強は好きでないらしい
でも人間をよ~く分かっている
母の顔も知らずに育ってますよね、でも
乳母のいとがそれはそれは大切に育ててくれた
家族思いのいい子で皆に可愛がられて育ちました
優等生のお姉ちゃんは口うるさかった?
どっぷり甘えさせてくれて可愛がる人
何かにつけてひと言いう人
その家族を包むように広い心で見守る人
こんな三人の中でのびのび育ったんでしょうね
何度かのチャレンジで大学寮の文章生となる
次第に力を付け官職を得て
従五位の下まで昇りました
こう見えて惟規は
「少内記」として「詔勅」「宣命」など作る
記録官になったほどの能筆家、優等生です
*「少内記」
律令制で
大内記・中内記・少内記が各二名いて
文も字も上手な儒者を選んで任命した
「内記」は、「うちのしるすつかさ」とも言う
また、和歌も上手で歌集も残っているそうです
(後世の人がまとめている)
「藤原惟規集」
人しれず思ひを身こそ岩代の
野やくけぶりのむすぼほれつつ
浮き沈み波にやつるる海人舟の
やすげもなきはわが身なりけり
山がくれ咲かぬ桜は思ふらむ
我だにをそき春のひかりと
逢坂の関うちこゆるほどもなく
今朝は都の人ぞこひしき
そして、辞世のうた
都にも恋ひしき人の多かれば
なほこのたびはいかむとぞ思ふ
(恋人にふられた後だったようですが
それより惟規は姉やいとを想った気持ちから
この和歌を詠んだと思いました)
だいたい父為時と同じ道を進みました
文系家族ですね
出世が遅かったのは
貴族のお坊ちゃまのようには行かないのが
世の常か
身分が影響したらしいです
「光る君へ 39回とだえぬ絆」の
番組最後の紀行のコーナーで私の通った
中学校近辺が写りました
残念ながら建物でなく校庭の周りの木々しか
映りませんでしたが木々の隙間にグランドがちらりと
学校の入り口近くにJR二条駅と京都地下鉄二条があります
東には二条城の櫓がありそれをバックに卒業式の日
級友6人位で写真を撮りました
あの頃はお堀の傍まで行けたんですよね
今はきっちり立ち入り禁止です
歴史ある建造物はどんどん遠ざけられます
お城の南に「神泉苑(平安貴族の庭園)
があり子供の頃の遊び場でした
今は立ち入れなくなった部分があります
「大学寮」の石碑とその横のお地蔵さんの祠が映りました
その横から「光る君へ」の紀行カメラマンさんは
北に向きお城や学校方向を撮っておられたのと思います
惟規が従五位の下になってすぐ
父、為時の越後赴任について行くことになりました
道中
馬上で急変しましたね(何の病だったのか?)
いとさん、乳母として惟規を慈しみ育て
立派になった矢先の訃報に
どれだけ悲しくて、悔しくて…
想像するに余りあります
赤の束帯を随分早くから揃え
着る時を今か今かと待っておられたんですね
泣ける場面でした
ドラマの予告で弟が父よりもまひろよりも
早く亡くなる事を知りましたが…
逆縁はつらい
大切な息子を亡くしたまま
越後での務め
高齢の為時の心身が心配です
まひろの悲しみもそれはそれは深かった
娘賢子の胸に顔をうずめて泣き続けるまひろ
この母の姿に賢子は母への想いに変化があったような
まひろって紫式部って
千年以上のベストセラー作家
目の前で母が殺された
父の出世は遠かった
思う人とは添えなかった
娘が自分に心を開かない
こんなつらい人生はまひろのこころを
打ちのめし、また起こし、かき乱し、或いは撫でた
回想し、変化し、拡大し、まひろは筆をとった
「源氏物語」は学校でもさわりだけは習い
アレンジされた本に少しは触れてきましたが
このドラマには今、入り込んでます
家事に趣味に町内のお役目にと
わりと忙しい毎日なんです、信じられません?
更にパソコンもスマホもご機嫌斜めなもので
ご機嫌を伺いながら動かしています
高卒の知識浅き者にて旨く語れませんが
なんとか最終回までぶつぶつ言うていたいです♪
寛弘五年(1008)
周りの人達がきっと待ち望んで待ち望んでいた
中宮彰子のご懐妊
でも12歳で入内して出産が20歳前後
現代とは年齢が全然違って、どうなんでしょうか
いずれにしても、道長の政の切り札ですね
この方ジョーカー引きませんからね
中宮彰子が
「今まで導いてくれて礼を言います」
藤式部をとても慕っていて
藤式部になら言えることがあるんでしょうね
出産のため内裏から土御門邸に退出する時
まひろ(藤式部)もいっしょに行きましたね
いよいよの日
祈祷をする僧侶たち、いったい何人来てもらったのか
たくさんの蔵人たちも祈っています
公任、行成、道綱などなど
上司の娘の出産日に部下たちが駆け付け祈る
ほお~~
祈祷師の中には巫女がいて
狂ったように叫び、すごいこと暴れています
それを抑える者数人
「道長あ~~~~!」 と巫女が叫び
はて
この「道長~~」はどんな気持ちが込められてるのか?
「お静まり下さいませ」 との道長のことばで
巫女は絶叫して気を失った
はて
なんか笑っていいのか?どうなのか?
思案に暮れました
確かに藤原兼家も伊周も呪詛だのなんだのと
木や紙でできた人型を切り付けて呪いをかける
凄いシーンもありましたが
出産の時も似たようなことするんですね~
そして産声が
皇子でした
道長は持ってるなあ~~ だいたい叶ってます
百舌彦ウルウル、うれし泣きでした
道長には、百舌彦
まひろには、乙丸
身を粉にして仕える、いい人
絶大の信頼をよせられてるお二人
大事な存在ですよね♪
長生きしてねーー!
産後の雰囲気も落ち着いたようで
まひろは誰もいない所で
おそらくまひろが住まわせてもらってる所
ひとり歌を詠んでいた
「めずらしきひかりさしそうさかずきは
もちながらこそちよもめぐらめ」
即興詩人です
道長がやってきて
「その歌のこころ きかせてくれ」
まひろ
「中宮という美しい光に
皇子様という新しい光が加わった盃は
今宵の望月のすばらしさそのままに
千代もめぐり続けるでありましょう」と
まひろはこの時に
道長の世を「望月」に例えていたんですね
あっという間に
「五十日の儀・いかのぎ」
なんとも彩り良いご馳走盛りだくさん
見事なお膳が設えてありました
道長「無礼講である
皆々 楽しんでやってくれ
いっくらでもやってくれ」
道長、早々に出来上がってる?
酔ったみたいな口調で、あらごきげんさん♪
道綱、実資、あろうことか公任までが
もう、べろんべろん
祝賀の席に流れるBGMは、ジャズ ♩♫ ♫♩…
道長が立ち上がり、緊張が走った
道長 「藤式部 なんぞ歌を詠め」
まひろ、あっという間に整いました
「いかにいかがかぞえやるべきやちとせの
あまりひさしききみがみよをば」
道長の返歌も早い!
「あしたづのよわいしあればきみがよも(の)?
ちとせのかずもかぞえとりてむ」
テレビに流れるふたりの歌が聞き取れなくて困りました
多分いくつか間違っていると思うのですが<m(__)m>
あれですね、声を聴くだけでなく
声を出している人の口元を見るのも大切ですね
思い出しました、私の父は耳が遠かったので
話しかける時は
大きな口開けて、大きな声で
くちびるを一文字ずつその形にして声を発っする
たまには、話すのが面倒やなあと思えた時も
あかん娘です、私
親孝行したい時には親は無し
宴のあとなのか
赤染衛門
「左大臣様とあなたはどういうご関係なの」
さあ歌のようにキレッキレで返すのだろうかまひろは