西郷隆盛は、如何にして出世していったのかと思っていたのですが、
持前の正義感、誠実さ、裏表のなさ、優しくて熱い心
そんなところを斉彬さんが気に入って、お庭方にされたのが、
始まりだった…違うかな?
お庭方?
斉彬のごく近くに居るとはいえ、来る日も来る日も庭掃除と履物を揃えること
どないなん?と最初は思いましたが、
お庭方という役目は、社長付秘書みたいな重要な役目なのですね
裏切らないし、期待以上の努力で結果を出してきた西郷
斉彬も誠実なお殿さまだからこそ、認めてくださったのでしょうね
そんな斉彬が西郷をお庭方から外してしまった
何故?
次期将軍を慶喜とすることが実現すると思った矢先、
徳川家定が倒れてしまった
それを利用し直弼は、慶福を将軍にするとの承諾を得たかのように
周りの者に振る舞ったし、大老に就任し幕府の最高権力を握った
日米修好通商条約も調印しようとする
これらのことを、薩摩にいる斉彬に伝えるべく、
西郷は、薩摩へ急ぎ、殿に会った
事態を察して斉彬はもう自分の夢は潰えた…と考え、お庭方を解いた
西郷は家に帰ると大久保正助がやって来た
その意気消沈した西郷に正助は、怒りと期待をぶつけた
正助の言葉に、また西郷は立ち上がり、
再び斉彬の元へ行き、血を流さず戦う策を申し出た
何もかも諦めていた斉彬だったが、西郷の言葉に挙兵を決めた
そして、
”西郷、今からおまえはわしになるのだ”
その頃、篤姫に看取られることもなく家定は亡くなり
斉彬も出陣のあと、亡くなった
西郷どんは、大切な大切な斉彬様から言われた、
”今からおまえはわしになるのだ”
この言葉が、遺言のようになってしまいました
じゃっどん、西郷どん
井伊直弼相手に西郷どんは、まだまだ斉彬公ほどの力を示せるとは
思えないのですけど…
大丈夫ですか
篤姫様も家定公を失い、大奥でどれだけの地位が残されているのやら…
西郷どん、
どうすっつもりと!?
さて、これらの出来事はすべて、安政五年(1858)に起きました
いえいえ更に、大きな出来事が起きるんですね
井伊直政から十五代目の直弼、
若い頃は、埋木舎に住み、”お堀端のちゃかぽん様”と揶揄されるような
人物だったとか
高い地位というのは、今も昔も
パワハラ