kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

この1週間

2021-09-25 16:28:00 | つぶやき


怠け者の私としては、ちょっと攻めの7日間でした

皆さんにとっては普通のことだと思うんです(^-^;





日曜日の買い物途中のお月さん

満月はいつなのか?
 

火曜日は、生協の商品受け取り、整骨医院と買い物




今年は早くから咲いてましたね

この辺り、道路の増設や拡張工事があって、彼岸花も減ってます






水曜日は、生協さんに頼んでおいたお墓参り用の花を持って

お墓参り、近いのですけどお盆以来です

夫はよく掃除に行ってくれてましたが

もう私がしないとね

墓石の汚れをごしごし、草引き、むしりむしり

10月には一周忌をしますので、一緒にお骨納めも予定してます


午前中に、宅配物が届きました

お試しセット

ネットで見つけました

定期的な食品宅配セットのお試しですが、

量も多いしお値段もなかなかのもんですし、

これ一回だけ楽しませてもらいます


お豆腐、明太ポテトサラダ、揚げかまぼこ、卵
塩鯖、生ラーメン、チーズハンバーグ、バームクーヘン
小さい小さい南瓜を4分の1、オリジナルトートバッグ かな?

調理というほどのことはせずとも、パクッといけます♪

沢山あるので、冷凍と冷蔵に分けて



今週はガラス窓の拭き掃除、カーテンの洗濯をぼちぼち

お天気が良かった、暑いくらいでした


印刷物のポスティングが多いです

大事なのと捨てていいものと、目を通すのも手間が要ります
これ、苦手なんです…

今朝、体がだるかったのですが、ボーっとしていたら

回復しました

それから皆さんのブログを見せてもらって刺激受けました♪

ありがとうございます



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青天を衝け~Money comes and goes.

2021-09-22 22:58:45 | 青天を衝け


第27回  篤太夫、駿府で励む



明治元年(1868)

徳川の領地となった静岡に、徳川の家臣が続々と

それでも、江戸時代のことを思えば十六分の一の人数で、

多くが、フリーター状態だったと、

家康さんが仰ってました

懐事情も火の車のようで、篤太夫は徳川の重臣に

勘定奉行の役に就いてほしいと嘆願されていましたね


強く断る篤太夫でしたが、慶喜の計らいという事を聞き

水戸の昭武のところへは行かず、駿府に留まると決心しました


「勘定組頭にはならず、禄も受けない
百姓の矜持として、
百姓または商いをして穏かに駿府で過ごす」


と言った篤太夫の言葉を慶喜に伝えますと、

やはり可笑しろき奴…と、慶喜は微笑んだ

上様もあんなお顔をされるとは、と

笑顔が珍しかったようです

慶喜の日々は暗い顔ばかりの苦しい日の連続だったのですね


篤太夫は、きちんとした仕事をする人なのですね

このあと昭武に、

水戸に行けない理由とお詫びの文を書きました

昭武は、兄慶喜と篤太夫の関係を

”スぺシアル”と言っている

「自分に出来ることもございましょう、前を向かねば

パリで過ごした民にも恥じぬよう」


今なら中学生くらい? 

反抗期の子も居れば、親に頼り過ぎる子も居る




さて、篤太夫は藩の財政を何とかしなければと考えた

パリの銀行員のロッシュに教えてもらった

<キャピタル・ソシアル>

この実現に動き出しました

新政府から諸藩の財政を救うためという名目で

太政官札を渡していた

入金 五十三万両

支出 二十八万両

残高 二十五万両

家臣達が蔵にあるという残りの太政官札利用法を

集まった武士、商人に話した

「これは借金に過ぎず、貰えるお金ではないですよ

藩の別会計として、自分が残りを預かり運用する」


(商人からお金を集める + 太政官札)これを元に

(コンパニー=合本の商い)を始める

大勢から少しずつでも集めれば多額のお金となる

商いを軌道に乗せ、拝借金を返す、更に

初めに出金してくれた者に配当金を回す


簡単には理解してもらえず、説得を続けた

必ずお金は返ってきます、と言われても…

悪徳商法なのかも、と思わなくもないです

商人の物分かりの良い方がまず、協力しますと

幕臣だった川村恵十郎も理解する



篤太夫は「商法会所(銀行+商社)」をつくった

これが、一番最初に渋沢栄一が立ち上げた機関だったのでしょうか

パリで見聞きした知識の使いどころですね


太政官札を正金に替えるのに、

三井組事務所であの番頭さんに会った

番頭さんは、数回会っただけの篤太夫を警戒をしているようです

手強い商売敵になるぞと思ったのでしょう

正金に交換するにも、渋ってましたね

「食えねえ親爺だ」 なんて言ってました、篤太夫殿


日本に帰って来て、重要な人と次々会ってます

市場では、五代友厚に会いました

五代は、篤太夫に気付いてました

篤太夫は、名前を聞くまで分かりません

五代と気付くなりパリで借款が無くなったことを思い出した

あなたのせいよと追いかけたが見失ってしまって…

そうでしたね、パリの旅費が乏しくなり昭武の仮住まいも

ランクを落としたり大変でした

パリへ一緒に行った人の中に高松凌雲というお医者さんが

おられました

敵味方なく治療をしている外国の病院の人々に驚いていましたが

新政府 対 幕府の戦いの中ではその診方がなされてました



幕府軍は戦いに負けたのに、箱館はまだ戦が続いている

もう、敗戦が見えたという土方歳三は

最期を迎えるためと、戦場へ向かった

そんなに死に急ぐなんて

そのくせ成一郎には、逃げるようにと伝えていた

助かるのだろうか…

数日後、箱館の戦は終わった…



あの強面のお侍、川村恵十郎

この方の思いも深かった…

平岡円四郎の命も守れず、戦でも死にぞこない、

徳川に捧げられなかった命を持て余し、ここに来たが

ただ、禄がほしくて流れて来たのではない

徳川のために何かできぬかと…


静かにそろばんを弾く姿が何とも寂しい

成一郎の安否が分からないことについても、

忠義を貫いたのなら、本望だろうと

自分に置き換えて呟いたのかもしれない

武士という者のなくなった時代に武士だった人達の日々



コロナと隣り合わせの日常を受け入れるしかない日々




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青天を衝け~ In the heart of YOSHINOBU

2021-09-19 13:00:24 | 青天を衝け


第26回  篤太夫、再会する


そろそろ篤太夫が血洗島に帰ってくるはずですね


桑畑を、荒っぽくかき分けかき分けているのが不自然です

いったい何をしているのかと思いました

ふと視線を先の方にやると

村のシンボルツリーであるあの大きな樹の下に長七郎が居て

話しかけてきた

心を病んでいた長七郎でなく以前の快活な長七郎だった

洋行から帰って来て、仲間の動向をあちこちから聞いた篤太夫は

まるで、浦島太郎のような気持になっていたのでしょうか

長七郎が言った

「悲憤慷慨していた世は崩れたぞ
崩しっぱなしでどうする
この先がお前の励み時だぜ」



場面が変わって、一面菜の花畑で

父の市郎右衛門と娘のうたらしき女の子が自分を呼んでいる

妻の千代も立っている

迎えに出ていたのだ

渋沢家の皆とは、かれこれ6年?

会ってなかったのですよね

赤ちゃんだったうたも、利発そうな少女に育ちました

初めて会う父に、たじろぎながらも

すぐに打ち解けてくれて、よかったですね篤太夫殿


親戚の方々も、篤太夫の帰還を祝おうと集まってくれました

そんな中で、妹のていは平九郎の亡くなったことで

「兄さんが平九郎を見立て養子になんかしなければ
今までのように村で暮らしていた」

と怒りをぶっつけたが
父がそれは栄一もよく分ってると、ていをなだめてくれた

篤太夫は、皆にせがまれるまま、パリなどでのことを

面白おかしく披露した

この頃には、ていちゃんの笑顔もみれましたね、よかった♪

お祝いの席も終え、落ち着くと

妻の千代は、弟の平九郎の死んだのは自分のせいだと

泣きながら栄一に言った

すると、違う俺のせいだと栄一も心の内を話した



平九郎のお墓は、あの大きな樹の根元に立っていた

栄一と千代はお参りをした

嬉しい時も悲しい時も、この樹に話していたのでしょうね

この樹なんの木?

ロケ地深谷の田園地帯にほんとにある樹なのでしょうね?

見事な樹 何年生き続けてるんだろう

一度は、この樹に触れてみたいなあ~




まだ、戦は続いていた

成一郎の妻よしも不安な毎日を送っているはず
成一郎は箱館の五稜郭で土方歳三らと共に戦っていることを
よしに伝えた

夫が戦に行っている妻や、息子の両親は皆
もう生きてはかえって来ないだろうと覚悟をしている

第二次世界大戦の時も同じですね
未だに生死さえ分からず待っている方も…
過去の話ではない



栄一は惇忠の家に挨拶に行った

何故か顔を背け立ち去ろうとする惇忠に篤太夫は困惑したが

惇忠は、自分だけがおめおめと生きて帰って来たことで

皆に会わす顔がないと苦しんでいたのだ


『 生き残った者には成すべき定めがある 』

樹の下で長七郎の言った同じことを、栄一は惇忠に言った

栄一は、パリで分かったという

『 銃や剣を手に、戦をするのじゃない
畑を耕し、藍を売り、皆で働いて励むのが俺の戦い方だった
この恥を胸に刻み、今一度、前に進みたい
生きてる限り! 』


『悲憤慷慨していた世は崩れたぞ
崩しっぱなしでどうする
この先が、お前の励み時だぜ!』

樹の下の出来事は、どうやら夢だったようですね
長七郎の言ったことは、今、栄一が考えていること

夢ってそういうもんなんでしょうね😴 

栄一の心は整理がついたようです



「 箱館の軍に加わる気はない
フランスでの知識を持って新政府で働くことも
勧められたが断った

駿府で謹慎の先の上様に挨拶をしてから
自身の道を決める 」

それを聞き、栄一の父、市郎右衛門は喜んだ

「 道理を踏み外さず、誠を貫いてくれた
おかげで、お前の父親だと胸を張って言える 」

栄一は父に借りた百両があった
それを返すというか、おみやげというか
父に差し出した

すると父は、それを右から左へ!

千代に、6年間よくやってくれたお礼にとすべて渡した

母は、
「淋しかったんベ
不服も言わねえで、よく耐えてくれたねえ」

両親は、そうすることで、栄一の留守の間の千代のすべてを

栄一に報告しました

千代さん、ええ人♪

ご両親もええ人♪

篤太夫殿、奥様と離れたままの6年間
お分かりいただけましたでしょうか
今度こそと言った約束、守れますように


さてさて~、慶喜との再会は

水戸で謹慎をしていた慶喜ですが

静岡が徳川宗家の領地となったことで宝台院に移りますが
謹慎は続いています

かつての幕臣たちも、移ってきていました

篤太夫は、宝台院に慶喜を訪ねます
篤太夫の目には今までと比べ、何と質素な住まいと心が痛みました
現われた慶喜の着物も地味なものです

まず篤太夫は、なぜこのようなことになってしまわれたか…
と、その問いに、慶喜は

過ぎ去ったことだ
昭武のパリでの様子が聞けるから出向いた、と

維新のことは、避けました
慶喜は言いたくないことが沢山あったのですね


篤太夫は気持ちを切り替え、パリなどでの
昭武の様子を身振り手振りも可笑しく話し始めました

慶喜は、昭武の様子を想像し嬉しかったようで
柔らかい笑みが何度もこぼれていましたね

慶喜は

「渋沢よ、万里の異国にあって、さぞ狂おしく骨を折った事であろう
この度、昭武が障りなく帰国できたのも
ひとえにそなたのおかげだ、礼を申す」

丁寧にお辞儀をし、慶喜は部屋を出た

篤太夫は

「上様、何も申し上げますまい
しかし、どんなにご無念だったことでございましょう」

立ち止まり聞いていた慶喜ですが、無言で行ってしまいました


慶喜は、大政奉還から明治維新、江戸へ逃げ帰った事、謹慎処分…
様々な気持ちを心の奥に詰め込んで、口外はしないと
決心したのでしょうね


<英雄たちの選択>の番組の中だったかなあ?
後に、慶喜は取り調べを受けた時、
確信を衝くような質問の時、
「忘れた」
を何度も言ったとか

決心の固い方です

昭武のサポート役に篤太夫を選び留学させたことは
慶喜にとって、ほっと笑みを浮かべ話せる僅かな事柄の
ひとつだったと思います

渋沢栄一にとっても、昭武にとってもいい旅でしたね

こんな機会を与えてくれた慶喜に、栄一はずっと
感謝の気持ちを持っていたことでしょうね

いよいよ、新しい時代の渋沢栄一の活躍ですね、楽しみです♪
新しい生き方には、どんな人たちが関わってくるのか

栄一は、何を考え何を選択するのか、

その懐の中に、分け入ってみようかしらん



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9月の俳誌が来ました

2021-09-15 18:13:47 | 俳句・和歌
 
 
 
もう、咲き終わったと思っていたら、一輪だけですが
 
くちなしが咲きました♪
 
枯れないうちに気付いて良かったです
 
 
 
俳誌が来ました
先生や大先輩がたの句の中から好きだなと思った句が、
 
ケーブルに神官を乗せ山開き
 
 
山開きや海開きの様子見たのは、私はテレビでだけです
この方リアルタイムで見れたのならラッキーですよね
ケーブルの中でも御幣を振り、お祓いをされたのかな?
 
 
 
 
淙淙の川瀬の花藻天仰ぐ
くちなしの花の白きを見逃して
スクエアダンスくるくる回る額の花
網戸に顔押し付ける孫嬉嬉として
暮雲去り遠花火の音流れ来ぬ
 
毎回苦し紛れに詠んでおります((+_+))
 
予期せず、くちなしの句と写真を一緒にアップ出来ました(^-^;
 
 
 
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青天を衝け~return home

2021-09-11 13:40:38 | 青天を衝け



オリンピックとパラリンピックの余韻は今、如何ほどでしょうか



明日は久しぶりに「青天を衝け」の本放送ですね


オリンピック開催が  7月23日~8月8日でした

そして

☆第24回青天を衝けの放送  8月15日

☆第25回の放送  8月22日

パラリンピック開催 8月24日~9月5日ということでした



第25回は…

大丈夫です、録画してあります♪



第25回 篤太夫、帰国する

冒頭、家康さん、久しぶりの登場でした

徳川家康、徳川の行く末を心配し

出来る限りの存続を願って様々な決まり事を残されました

末裔をこよなく愛する、大々々爺ちゃんです


1868年という日本史上屈指の激動の年に

昭武や篤太夫の面々が日本に帰って来ました

日本の現状や知人の今を聞き、篤太夫は

驚き、悲しみ、腹立たしさでいっぱいだったでしょう


あの時代の船でよくぞまあ大海を漕ぎ進め無事に帰って来れた

と思いましたが、その船の映像が出た時

あれ、けっこうしっかりした船やないの!

とある意味拍子抜けしました

帆を上げ、煙突からはモクモク灰色の煙が出てます

ハイブリッド・シップ⁉

すごい!外観もとても美しいです💙

フランスの旗がハタハタと


民部公子、昭武は篤太夫に傍にいてほしいと言いましたが

まずは、洋行の収支など残務整理のため

篤太夫は横浜に残り、昭武は品川の宿へ

篤太夫は、昭武に再会を約束しつつ

「ご息災を」


篤太夫は、新政府からの身の回り検査を強いられました

残務整理にかかった日々は数か月に及びます


その頃、慶喜が江戸で篤姫と対面しましたが

ふたりはどのような会話だったのでしょうか

今人気の若い女優さんが見事に篤姫さんになっておられます

その篤姫さまのご尊顔を拝しましたところ、

なんと険しい!姫はお怒りですよ~慶喜さま

軍服にちょんまげの出で立ちで


「朝廷に逆らう気はございません」


何しろ新政府は錦の御旗を掲げています

それに敵対すれば、慶喜は朝敵とされるのですから退いたのです

篤姫は、慶喜が江戸に帰ったことを責めた

「武士の頭領なら潔くおはらをお召なされませ
徳川断絶なら、わらわも死を選ぶ」

それと静寛院宮(和宮)も徳川の人間として事に当たるとのこと

慶喜さん、これは嬉しいことではないでしょうか

徳川の将軍様は、代々モテモテだったのかな

家康さん、このところもチェック済だったのですかしらん?

慶喜の奥様の美香君の気持ちはどうだったのか?


以前の大河ドラマ「篤姫」では、薩摩の徳川に対する態度に怒り、
西郷たちの薩摩に戻るようにとの誘いに応じず
生涯、徳川の人間として生きる、と誓っておられた
確か、大奥崩壊のあとのお女中の皆さんの身の振り方も世話をし、
自分の持ち物の中から選び、お女中それぞれに持たせたと
ありました

篤姫さんの残っている写真を見ると
怖そうなお顔ですが、
心はお優しい方だったのかもしれませんね

優しさを備え持つ切れ者だったのか


慶喜は、水戸の時のようにまたもや謹慎となった

上野寛永寺に籠りました

徳川の重臣では、小栗上野介は斬首

川路聖謨は自宅でピストル自殺

それからそれから、

成一郎は、彰義隊を解散し上様の無念を果たすと

新たに「振武軍」結成したが新政府軍に敗北

その時平九郎は戦死、まさか平九郎が?

いちばん戦とは縁遠いと思っていたのですが…

惇忠と成一郎は辛うじて逃げ延びたが

手負いの体で成一郎は箱館へ向かった

その直前、成一郎は土方歳三と会っていた

土方の考え方は、凄かった

死ぬために戦う、そう取れるようでもあった

以前、京で篤太夫も土方と会っていた

意気投合したあと、また逢おうと約束していたが
もう会えなかったのでしょうね…

激戦地となった、あの五稜郭
一度行ってみたいと思います
(CDジャケットの撮影場所にもなった、あの北海道出身の方の)


周りの者は、参戦する中、

篤太夫は、はっきり言いましたね、きついほどでした

「俺は行かねえ、烏合の衆が戦っても勝てるはずがない」

ここが篤太夫の凄さなのでしょうね

参戦もこの選択も厳しいなあ~(*_*;


横浜で篤太夫が残務整理に追われている時のこと

三井組の番頭さん三野村利左衛門に会いました

篤太夫は、新政府の役人の持ってる物に目を奪われた

「太政官札」というものらしい(元祖お札だったのかな)

三野村利左衛門は、それは当てにならない代物で

”誠の戦はこれから、わしら商人の戦いだ”

と、にたりと笑ったが…



篤太夫の生まれ変わった姿での活躍が始まりそうですが

その前に、慶喜との再会

それを早く見たい

気にかかります♪



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あさがお日記

2021-09-08 11:54:41 | 花・木・草



9月6日の比叡山、山肌がしっかり見えました



今日は、山頂は灰色の雲がかかり、全体に暗いです

先程、雨がぱらっと来ましたし




今日のあさがおは


葉と蔓はしっかりしてますが、花は小さいです

でも、今日は初めて20を越えました

何だか、おしろいばなみたいです(◎_◎;)



 
アップだとあさがおです…よね(^-^;



葉は斑入りになりませんでした



種が太って来ました

夕方、肥料をまいてもうちょっと太ってもらおう

台風来てますね,14号

また強風であさがおが弱ってしまうのが心配です

少しでも風を避けれるよう、丈を低くしてあるのですが…


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最後の追い上げ

2021-09-05 14:10:32 | スポーツ








きのうから今朝にかけて、パラリンピックは

メダルラッシュですね

最後の追い上げのように、様々な種目で獲得


女子マラソン(視覚障害の部門)

道下美里選手が金メダル🥉

おめでとうございます

見ていると、とても楽しそうに走っておられて、

まるで、ガイドランナーさんとランニングデイトみたい💖

ええ感じ~♬

トラックを走っている時なんか

「もう1周走ろか(^^♪」

なんて言ってそうで

その後から、

5位 藤井由美子選手(56歳)
8位 西島美保子(66歳)

すごいですよね

刺激受けます

走りたくなります(マラソンみたらいつも思ってるけど)

私の根性では足りないけど(-_-)/~~~ピシー!



朝、6時のアラームセットして

男子の車いすマラソンから見ていましたが

東京パラリンピックに花を飾るマラソン選手の活躍

ほんとうによかった

楽しませてもらったし元気もらったし

私も頑張らないと!と

翼の折れたエンジェルは、思うのです

えっ どこがエンジェルなん?って?

さようでございますね<m(__)m>


パラリンピックをこんなに真剣に見たのは初めてです

感じることが多かった

プラスになることが多かった

オリンピック、パラリンピックの開催に

賛否両論ありますが、選手の皆さん

感謝の気持ちを告げて、喜びを爆発させて

そんな姿を見て、開催されて良かったと思います

もうすでに、次の大会を見据えておられる方も多いですし

この先、充実の日々を過ごされる事と思います

私も、元気出そう\(^o^)/



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この日が来た、おめでとうございます

2021-09-03 20:06:19 | スポーツ

木村敬一選手、おめでとうございます

目指して来たこの日

この日ってくるんですね

いいえ、あなたが手繰り寄せたのだと思います

確かに、周りの方々のサポートもありますが

ほんとにおめでとう

あと10メートルの辺りから泣けて泣けて

金メダルだったとコーチが教えてくれたのかな

富田選手は銀メダル

ゴールして、あんなに2人して喜んで

ワンツー

こんなにいい形で終えることが出来て

どちらが勝っても気まずい雰囲気は

見たくないなと思ってました

富田選手の心根のおかげかも

富田宇宙選手の、木村選手に対する思い

素晴らしいなと思いました

これでほっとしました

晩御飯おそくなったし、食べます




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パソコンの機嫌が悪いです

2021-09-02 17:38:19 | スポーツ

インターネットが繋がりにくいのです

Wi-Fiの線なんかは外れてないのですが(?_?)

繋がらない時、タスクさんに、地球儀のマークが出ます

一旦再起動すると、ほぼ治りますがそれでもダメな時もある(+o+)

何かが隠れて動いているのかも

一代前のPCが同様になった時、

修理屋さんは、裏で何かが起動しているがそれを消せないので

新しくWindows10になった時までこのまま使って


その後しばらくして新しいの買いました

それが今のものです

知識がないと、こういう時さっぱりです(@_@。


今日は、雨になったせいか、すこし涼しいです


あさがお日記




雨のせいで、昼間に葉が萎れることもなく

あ、花は萎れましたよ、随分たくさん咲いたんですよ♪

あさがおの白は、大変地味ですが咲いてうれしい(*^_^*)



あっという間に夕方です

日が短くなったのとお天気の悪いのと両方ですね

バタフライの決勝が、もうすぐです

きのうの平泳ぎの決勝、木村敬一銀メダル

1位の選手と僅差、惜しかった

本人の感想を聞いて素直で正直、ええ子やなあ~と思いました

「ほっとした」「銀メダルに満足している」

「目標は達せてないのでバタフライで金を取りに行く」



色々な競技を見ていて、

人生何とかなるわ、と思いました

…思うことにしました♪


日めくり見ますと今日は「友引」「宝くじの日」

「身に勝る宝なし」

だそうです

健康な体で、運を天に任せましょう\(^o^)/

日本ガンバレ ガンバレー❣



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