この方は佐野藤右衛門さん、京都市嵯峨野の庭師さんです。
「桜守・さくらもり」 として有名な方で、京都だけでなく全国の桜を見て回って守っておられます。
↓ 震災、津波で大きな被害を受けた所にこの桜を植えられ、見事に咲いています。
見事に花を咲かせたのを愛おしそうに見ておられました。
桜守の仕事は春夏秋冬ずっと続きます。
” 桜守 きょうもどこかへ 往診に ”
この方は佐野藤右衛門さん、京都市嵯峨野の庭師さんです。
「桜守・さくらもり」 として有名な方で、京都だけでなく全国の桜を見て回って守っておられます。
↓ 震災、津波で大きな被害を受けた所にこの桜を植えられ、見事に咲いています。
見事に花を咲かせたのを愛おしそうに見ておられました。
桜守の仕事は春夏秋冬ずっと続きます。
” 桜守 きょうもどこかへ 往診に ”
俳句入門講座が終わってから1か月余りが過ぎ、ようやく第一回の句会がありました。
入門講座を受けた25人中の10人が句会に入り、まず初めに句会の運営について
いろいろ話し合いました。
代表と副代表と会計を決め、句会の場所や費用の事など、それと
句会の名前を決めました。
「 花の雲 」 になりました。
そのあと、入門講座から引き続き講師をして下さる先生(俳人です)に
宿題だった自由題の2句を提出し、みんなで鑑賞しました。
おかげさまで、2句共、高得点を頂きました。
まず、
” ハイウエイ 前方注意 花吹雪 ”
先生曰く、 『警察が喜んで使ってくれそうな句ですな。』
もうひとつ、
” 香りふわぁ そっと刻んだ 春キャベツ ”
先生曰く、 『春キャベツといえば柔らかいことが簡単に想像できるので、
あとは柔らかさを表すことばは少なくした方がいいですよ。』
何度もたった17文字しかないから、同じ意味を持つ言葉を繰り返さないよう、
大切に使ってください。
と、教えられていたのに…まだまだです。
あきらめず、いい句が出来るよう、勉強します。
思うのですが、よく芸人さんがネタ帳って言われますが、私も
小さなノートを持って思いついた言葉をピースの状態でかき集めておこうと。
そんなこんなで、日本語は情緒があり、きれいだと気付くこの頃です。
女岩
氷見漁港の「ひみ番屋街」で昼食を取り、おみやげを買って帰る途中「雨晴海岸・あまはらしかいがん」沿いを通りました。
この辺りは能登半島国定公園で「日本の渚百選」に数えられています。
この日はちょっと霞んではいますが 、富山湾越しに立山連峰を見ることが出来ました。
雨晴海岸には「義経伝説」 が残っています。
” 1187年、頼朝に追われ義経一行が奥州平泉に向かう途中、にわか雨が降り出したため、弁慶が岩を持ち上げその陰で雨宿りをしたという ”
「雨晴」という地名はこの伝説に由来するそうです。
義経岩、義経神社、義経の腰掛跡、弁慶の足跡などが残っています。
雨晴海岸から離れた所(高岡市内)からも立山連峰が見えました。
立山が毎日見れたなら、いいだろうなあ~
富山のおみやげにと、買ってきました
「だいてやる」 ??
富山の方言で「おごってやる」 を意味するそうです。その他に、
きときと : 生き生き
きのどくな : ありがとう
また、こられ : また、いらっしゃい
だら : ばか
いとしい : かわいそう
うしなかす : 紛失する
こんな方言番付表を向こうで見ましたよ♪
北陸新幹線開通を記念するこんなのもありましたよ♪
北陸新幹線の通る三県、石川、富山、長野の三種類あります。
万葉の里高岡市と、お魚きときと氷見市と、あ~また行きたい。
富山県氷見市にも少しだけ行って来ました。
氷見といえば 「寒鰤」 私の大、大好物です。
旬は過ぎましたが、
氷見市のゆるきゃら、「 ひみぼうずくん 」
藤子スタジオ(安孫子素雄)の制作です。
なるほど。
” 氷見の海からやって来た海坊主のこども。
いつも釣竿を持ち、ぶりを抱えている。
頭をなでると幸せがやってくる ”
関西には” せんとくん ” というゆるきゃらがいますが、雰囲気が…
この日はちょっと霞んでいたのですが氷見の漁港から、立山連峰が見えました。
雄大な立山と海、ほっとしたというか、そんなゆったりした気持ちになりました。
富山県には各地で獅子舞の伝統が継承されています。
そしてその数は、1200はあると言われています。
春は豊作を願い、秋には五穀豊穣を祝う行事として獅子舞があります。
舞の形はそれぞれで、激しく踊る地域もあれば、気高い品性を感じるものも。
私の見てきた獅子舞は、獅子が悪、天狗がヒーローで、最後には獅子をやっつける…
簡単に言うとそんなストーリーでした。
お囃子は、笛、太鼓、鉦で昔は男性だけで務めたのですが
今は、人手不足で女の子(小中学生)が笛を吹いているみたいです。
舞いの方は見たところ幼稚園くらいから大人まで年齢層が広いです。
さて、この日本の獅子舞のルーツですが、約1400年前にさかのぼります。
古代インドでは遊牧民がライオンを神秘的な力を持つ動物として崇めていて
それが仮面舞踊のかたちとなり、7世紀始めに中国~朝鮮半島~日本へと
伝わりました。
江戸初期には「伊勢大神楽師」という芸能集団の獅子舞が全国を巡り、
この頃には神としてというよりは芸能要素を強く打ち出していました。
古来日本の熊、猪、鹿などの動物を大自然の神様として敬う風習と相まって
獅子舞も郷土色豊かな独自の民族芸能として広まって行き、
今の様な形となったのです。
しかし、少子化などで継承していく人が少なくなり、獅子舞の存続が
危ぶまれている地域もあります。
『獅子魂・ししこん』 というサポートグループも出来たりしています。
北陸新幹線の新高岡駅も出来、観光人口の増加も期待されています。
ぜひ、この伝統ある、獅子舞をずっと存続していってほしいと思います。
ドラえもんの作家は、藤子F不二雄さん。
高岡市出身です。
JR高岡駅前にドラえもんのこんなモニュメントがありました。
元々は「藤子不二雄」 という名で今の藤子不二雄A(安孫子素雄)さんと
ふたりでひとりだったんですね~、ちょっとややこしい。
このお二人は共に富山出身、高岡市の小学校にAさんが転校して来て
漫画を描くことで仲良くなり、中学校時代、手塚治虫氏に強く影響を受け、
紙芝居的なもので近所の子供たちに見せたり、雑誌投稿をしたりしていました。
その頃から2人ひと組の活動がずっと続きました。
高校も富山、卒業後就職も富山でしたが、1954年に上京しています。
そして、あの有名なトキワ荘の元、手塚治虫氏の使っていた部屋に住むことに
なったのです。
その後、すべて順風満帆とまではいかないものの、私たちの知る漫画家さんと
なられました。 と、以上ネット検索して調べた情報です。
今は、藤子F不二雄さんは亡くなられていますが、ドラえもんはまだまだ
活躍し続けるでしょうね。
同じくJR高岡駅前、「大伴家持」 の像です。
奈良時代の貴族、歌人(三十六歌仙のひとり)
日本最古で最大の歌集、万葉集の代表的な歌人で、編さんにも関わり
4516首の中、自分自身473首の歌を詠んでいます。
” もののふの 八十をとめらが くみまがふ 寺井の上の かたかごの花 ”
(たくさんの乙女が入り乱れて水を汲む。寺の井戸のほとりに咲くカタクリの花よ)
像と一緒に、この歌の銘板がありました。
家持は天平18年(746)に越中の守に任ぜられ、5年間高岡市伏木古国府
(ふしきふるこくふ)に在住していました。
住居はなだらかな山を背に、川を臨む高台にあり、立山連峰をも望める所にありました
家持はこの越中の四季折々の風物に触発されて、独自の歌風を育んで行きました。
都が恋しい時もあったでしょうが、充実した青春時代をこの地で過ごしたと思われます。
百人一首では「中納言家持」 の名でこの歌↓を詠んでいます。
” かささぎの 渡せる橋におく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける”
(鵲~かささぎ: カラス科の鳥で肩と腹部だけ白く、あとは真っ黒)
百人一首といえばお正月にはかるた取りをしたものですね。
実家に昔から古びたかるたがありまして、私は気に入ってまだ持っています。
破れて繋いだり、みすぼらしいのですが、大伴家持の絵札、無事です。
高岡市内の桜は、満開でした。
草津より少し遅いだけでした。
満開で、風が吹きますとはらはらと花びらが…
この時から4日経ち、新緑が輝き始めたことと思います。
不思議ですね、行って帰って来ると行く前より更に行きたい行きたいと思いす。
あ、それからもひとつ、
家持の歌ですけどね、たくさんの乙女が水を汲んでいるそばに
カタクリの花が咲いてる… 文字通りである一方
都から離れて遠くに来た家持が都の乙女を恋しく思う気持ちも読み取れる…
そうでして、青春してますね~
その気持ちを汲んでか汲まずか、家持さんの像のそばには乙女がふたり。
お好みのタイプか否か、分かりませんが。
いいね
さくら夙川という名の駅がありました。
行って分かったのですが、この辺りのさくらの名所で、この日も大変な人出でした。
川沿いの両側にソメイヨシノがズラーッとあり、そこここでビニールシート宴会が
繰り広げられてはいましたが、騒々しさ、雑多な感じはそうもなくて、
皆さん和やかに花の宴でした。
しだれ桜が一本ありました。
この川沿いに2.8kmあるそうで、途中でUターンしました。
この日、お天気がもひとつ良くなさそうで、屋外の昼食は中止になり
レストランでランチだったのですが、予想に反してこの位の晴れとなり、
残念な思いでした。
前夜、これにお願いしてたのが、効果出たんですね。
今度も使おう。
カルチャーサロン…私には不似合いな言葉ですが、着いていきました。
西宮神社から「西宮郷」へ、 ここは灘五郷のひとつです。
六甲山地の①伏流水、②摂播米(特に優れたのが山田錦)、③六甲おろしという
冷たく乾いた北風、こうした良い条件が整って灘は酒造りのメッカとなりました。
白鹿、白鷹、日本盛など有名どころがズラッ~と並ぶ酒蔵通りを通り
「白鹿記念酒造博物館」 に行きました。 二館から成り立っています。
① 酒蔵館 : 昔の酒造りが分かります
玄関を入りますと、
「黒松白鹿」 の酒樽がありました。後ろは黒松が植えてあるのかな
酒蔵の前に、「撥ね釣瓶・はねつるべ」
柱で支えた横木の一端に石を付け、他端に取り付けた釣瓶を石の重みではね上げ、井戸水を汲み上げるもの。 始めて見ました。
相当広い場所が必要ですよね、 それに操作が難しそう…
このあと滑車を使ったつるべが出来たのかな~
美しい樽が…樽美酒…(^_^;)
大八車
NHK朝ドラ「マッサン」も酒蔵が何度も写りましたが、やはり目立ったのが、「樽」
醸造に樽はほんとに大切な物なんだなと思いました。
その大切な樽から何から多くを失った時がありました。
阪神淡路大震災から来年は20年です。
震災を決して忘れないようにと、酒蔵の中に壊れた酒造り用具が展示されています。
(明治の酒蔵は倒壊を免れています)
道路をはさんで 『記念館』 がありました。
なかなかシックな建物です。
版木は酒蔵館に展示されてました。菰樽(こもだる)の印刷に使ったのかな、
版木は私の実家にもたくさんあったので、懐かしく見ていました。
記念館は撮影禁止だったので、写真はないのですが、
桜にまつわるコレクションが沢山ありまして、桜を描いた掛け軸、器、
蒔絵を施した物、桜に関する本や資料などなど相当数のコレクションでした。
これらは笹部新太郎という方がコレクションされたもので、西宮市に寄贈され、
その後、白鹿の記念館にすべてを委託され(5000点位)、こうして春には
「笹部さくら展」 を催し公開されているそうです。
それはそれは、桜を様々に表現され、本当の花より素晴らしい
と思えるほどでした。
この後行った夙川のさくらの育成にも携わっておられたようです。
あの時は夙川の両岸のさくらが満開でした。
またまた、市の広報でサークルを見つけました。
肩書は「 シニアのカルチャーサロン 」
毎月どこかに行っておられるようですが、初めて見つけて
参加させて頂きました。
今回の活動は ≪ 夙川公園と周辺社寺・教会・酒蔵めぐり ≫
盛りだくさんです。
草津駅からJRでさくら夙川駅へ
まず、西宮神社
西宮神社は、兵庫県西宮市にあります。
福の神である「えびすさま」をお祭りしてある神社の総本社です。
古くは漁業の神でしたが、この地は西国街道の宿場町としても開けるうちに
市(いち)の神、やがて商売繁盛の神として崇敬されてきました。
拝殿 あ、空の雲はブルーインパルスではないのですよ、あれは姫路城でした。
拝殿のうしろに本殿の屋根が少し見えます。
神池にかかる石橋
表大門(赤門)
門から本殿へ石畳の参道、きょうは静かなたたずまいですが、ここが!
毎年1月10日の走り参りである 「十日戎開門神事福男選び」 は
大変な熱気につつまれます。
https://youtu.be/OiXC93rO2KI
↑ ここに走り参りの動画あります
ちょっと古いポスターですが、境内にありましたので写してきました。
赤門から本殿まで、よ~いどん!
関西では、毎年テレビのニュースになりますが、それはそれは激しい戦いになるんです。
足に自身の男子諸君が命かけて…かどうかは分かりませんが、
それほどの修羅場です。
えべっさんも、怪我のないようにと薬師如来さんにお願いされてるかも…
このあと、酒蔵通りへと移ります。