第17回 篤太夫、涙の帰京
水戸の徳川斉昭が亡くなってからも
その日本を愛する心は
「尊王攘夷」
として水戸の若者はじめ多くの若者の心に残り、
激しく揺さぶり静まる気配は、無く…
斉昭の一番の家臣であった藤田東湖の息子の小四郎は
攘夷実現のため天狗党の兵士の数を増やしていた
それから、まだドラマには表立って出てきませんが
「ちょっと見てみましょうか」 と言って
家康さんが教えて下さったレジェンドなおふたり
【伊藤博文・井上馨】
さあ、どう登場するのか楽しみですが
もう少し先になるのかな?
伊藤さん、オペラを披露してくれます?
長州は大挙して大阪へ行き、天子様をさらうという計画でした
この時は、慶喜は戦を避けたいと思ってましたが…
西郷さんが、慶喜に
「薩摩が先に行きもんそか?」
と問いかけていましたね
はっきりしない慶喜をあおっているようにも見えましたが
西郷さんは長州を倒せば、
薩摩が京での力を取り戻すチャンスと
考えていたのですね
2018年6月 仙厳園(鹿児島)にて
反射炉跡
あの時、噴火があり、火山灰が
とうとう長州軍が、大阪と京の境目の山崎で
桂川を渡ったという知らせが慶喜の耳に入った
〔平坦を開く〕を志としていた慶喜は
堪忍ならぬ思いのようでした
京の天子様の元へ、勅命を受けねばと電光石火の如く
そこまでではないにしろ、ブラ~ブラ~ではない
衣冠束帯をまとい粛々と孝明天皇の御前に
余談ですが
京都の平安神宮に祀られているのは、孝明天皇と桓武天皇で
桓武天皇は、平安京初代天皇で
孝明天皇も幕末のメインキャストですね
それで、勅命はどうやったの?ですが、
慶喜は、長州征伐に出ることと、相成りました
この時の禁門の変(蛤御門の変)
江戸幕府開府以来初めての京での内戦でした
また、近畿圏内でも、大坂夏の陣以来の大戦でした
御所も京の民家もいっぱ焼け、死者もたくさん出ました
薩摩藩は大砲を持ってきましたしね
被害は甚大だったのが容易に想像出来ます
そして
幕府軍の大勝利で、長州は降伏しました
その後、家茂がフランスを頼みの綱としたのですね
澁澤成一郎は、もう攘夷も終わりだ、と嘆いていましたが
篤太夫は、見る角度が違うような…
水戸にいた天狗党の小四郎は世の情勢を見るに
気が治まらなかった
筑波山で幕府軍と戦うが、兵士も、食べ物も、お金もなく
大きな犠牲を払った
小四郎に求められ武田耕雲斎が指揮を執っていた
耕雲斎たちは、一橋家なら天狗党を擁護してくれると考え
京に向かったが…
平岡円四郎が水戸の過激派に討たれてからどのぐらい経ったのか
円四郎と行動を共にした人々は
それぞれに思いを馳せていた
円四郎の言った言葉を思い出しながら慶喜は、
「自分の身代わりとなって亡くなったのだ」
「尊王攘夷という言葉も、”呪いの言葉”になり果てた…」
円四郎の最期に居合わせ、自分も斬られた川村恵十郎も
あのなんともいかつい顔に、涙を浮かべていましたね
もらい泣きしそうでした(^-^;
篤太夫は以前、血洗島の雨の中を御用金を治めに行った時の
岡部藩代官の絶対許せない態度を思い出していた
そうですよね、あの態度は許せない!
今では一橋家の家臣となった篤太夫と成一郎を
捉えようとやって来た傲慢な岡部の代官でしたが
ちょっとひょうきんにも見える家臣の猪飼勝三郎先輩は
きっぱり断って下さいました
これだけ篤太夫を大切に思ってもらえるように
なったんですね よかった
篤太夫は、はっきり決めた
「平岡様からもらった仕事が、今、自分の成すべきこと」
攘夷のなんのって迷っていた心がまっすぐに
青天を衝いた…
かな
******************
引き続き
18回 一橋の懐 を
「懐」
お給料前は懐がさびしい
あの人は懐の深い人だから
この章は、お金の問題の懐
前回今回と軍費や賠償金という言葉が出ていました
円四郎さんも生前篤太夫に軍を強くするにも
兵を集めるためのお金が必要だが、一橋にはそれがない
と言ってましたね
また、天狗党が越前で飢えと寒さで震えていたのは
それを賄う資金がないからだ
と言ったのは成一郎?
それから、こんばんは、徳川家康さんも
「江戸幕府の財政困難が露呈していた」
十四代家茂の時と仰ってましたが、もう少し前にも
懐事情が大変なことはあったようですが
この幕末期が一番大変だったのでしょうね
篤太夫はそれに気付き、また元々家業を手伝ううえで
いっぱい経験しているから
なんとかしないとと、思ったのでしょうね
そして
「おまえはおまえのまま生きよ、必ず」
という円四郎の言葉を思い浮かべました
いよいよ、真骨頂ですか!
そろばんを慶喜の前に、
歯に衣着せぬ、言葉がぽんぽん出てきました
幕府の財政を立て直したい、そのために注目すべきは
*お米の値段
(今までより利益を上げる方法として入札方式を)
*硝石
(硝酸カリウム(KNO3)を含み、火薬の原料)
*木綿
ざっと慶喜に紹介した
地場産業でしょうか
その時、言うに事変えて、
「一橋家に仕えたのは最初は腰かけ代わりだった」
だそうで、調子に乗ると何を言い出すやら篤太夫は
慶喜さんは知的な方ですし、懐事情はご存じだったと思います
そして、この方掴みどころが無いようですけれど
なかなか、懐の深いお方かもしれませんね♪
そして、釘を刺すように篤太夫に
「もはや、腰掛ではあるまいな
おぬしの腕を見せてみよ」
と
その場で【軍政御用掛】と【歩兵取立御用掛】
を命じました
一橋株式会社の社長さんのひと声でした
篤太夫、苦心惨たんでしたが
何とか備中から若者を集めることが出来ました
何しろ、篤太夫殿におかれましては
お籠にて、任地に赴かれた訳ですから
もうすでに渋沢栄一が一万円札の顔たる所以を感じます
すごいですね
平岡円四郎さんがあの世で、
「俺の見立てに狂いはないだろ」
と鼻の穴を膨らませていそうですが
もっと栄一の行く末を見ていて欲しかったです…
早すぎますよ
長くなりましたが、もひとつ気になることがありまして
和宮さんと家茂さんですが、
再び長州征伐に行くとなった時に
家茂は天璋院篤姫に、耳打ちしていました
遺言になるのではと、気になります
いったい何を告げたのか
imagine
『家茂さんはもし自分が亡くなった時は、
京へお帰りなさい
徳川に残らなくてもいいですよ』
天璋院さんが、大政奉還後も徳川の人間として残られた
確かそうだった想うのですが
それと同じく和宮さんも家茂さんを愛されてるから
そういうことかなと想像しました
だらだらと、失礼いたしました