10月以来のいだてん噺となりました
ここ数か月録画も見れてなくて、せめて最終回だけはと
ほんとのところ、この番組の一年間、何やかやと起こりましたね
私自身にも、何やかやと起こりました
毎週きちっと見れなかったのは、時間がないだけではなくて
見ていても、上の空でした
いだてんではスポーツを日本に広めるための苦労が描かれました
そして、オリンピックに参加
更に、自国開催までこぎ着けました
今や日本はスポーツ大国で、
テレビ、ラジオで毎日いくつものスポーツが放送されていますね
嘉納治五郎という人は、「柔」というドラマで知りました
柔道のドラマで、主題歌を美空ひばりが歌った
♪勝つと思うな思えば負けよ…
大ヒットでした
昔、世間は女性がスポーツすることを良しとしない
人見絹江さん、勇気を称えたいと思います
東京五輪の名場面が次々と出てきた最終回
広島に原爆が落とされた日に広島で生まれたという
坂井義則さんの、最終聖火ラン
競技場に入ってきた瞬間、その声援
あの長い階段を疲れも見せず一気に登り切った姿
とてもよく覚えています
整然とした入場行進、真っ赤なブレザーの日本の大選手団
感動的な場面がいっぱいでした
閉会式、各国入り乱れて行進したのは、東京が初めてだったとは
知りませんでした
オリンピックが終わって、市川崑監督の映画が出来た
そのビデオテープを、くり返し見ました
実は、私、1964東京五輪」を国立競技場で見ました
このチケットがその時のもの
TOKYO 1964
陸上競技の一部を見ることが出来ました
覚えているのは、フィールド競技、小さく小さく見えていました
観客席のかなり高い所にいて、どちらかといえば
観客席や、聖火台など、きょろきょろ見ていた気がします
日付は、10月15日になってます
我が校はA班とB班に分かれ、午前または午後に見学
私の班(AかBか?)と違う方の班は、
なんと、ヘイズの出した100mの記録、9秒9を目撃できたのです
でもそれは、追い風参考記録になってしまいました
参考(男子100mアメリカのボブ・ヘイズが世界初の
10秒の壁を破る「9秒9」を出したが追い風参考記録)
見れた班の友達が羨ましかった
それから、もうひとつ、これも忘れません
競技場内での見学時間が終わり、
外で観光バスが迎えに来てくれるのを待ちました
ところが、一向に来ません
原因は、その時間帯、「競歩」が行われていて
混雑&交通規制
そんなん、ちゃんと調べといて~
ってとこですが、今残ってる感情は、
競歩が見れてよかったあ~♪
*参考:国立霞ヶ丘陸上競技場(新宿区)
マラソンと50km競歩は甲州街道折り返しコース、
20km競歩は明治神宮聖徳記念絵画館周回コースを
いずれも競技場発着として使用)
バス待ちしていたのは、競歩のコースの沿道で
帰った私たちの間で流行ったものは、
「競歩」を真似すること
当時、競歩が珍しかった?
男子も女子もやってましたね~みんな可笑しな競歩スタイルで
あんな楽しいオリンピックをじかに見れたのは幸福でした
2020東京オリンピックまであと215日
2020東京パラリンピックまで247日
東京へ見に行きたいと思っていましたが、
出来そうにありません
毎日、テレビ観戦します
オリンピックのある間は、戦争はしないんだ
以前はそんな風に思っていましたが…
ところで、なぜだか注目していた可児徳(かにいさお)氏
1964年(昭和39年)10月10日
東京オリンピックの開会式に日本体育協会創立時の委員で
唯一存命中であった可児さんが特別招待されて
この時
「嘉納先生がいたらなあ…」
と読売新聞の取材中につぶやき、
あの世に行ったら嘉納に報告すると語ったそうです
確かに最終回、競技場スタンドで感動の面持ちで見ているシーンが
ありました
東京オリンピックを見届け、2年後
1966年(昭和41年)9月8日に、脳内出血のため死去、91歳でした
最後までいだてんを追っかけたかった…
全くの失速でした
恥かしいこと、この上なしです
締める言葉もおこがましく、ただ反省あるのみです
今夜は、夜食を食べても?ブログアップだ~と
思ったものの、睡魔には勝てず、寝たり起きたり
ついに朝刊が来ました
ブログアップします
ありがとうございました