義時の人生、
最大のピンチが近づいてきた
承久元年七月
京で源頼茂が、内裏に火を放つ謀反を起こし自害した理由?
諸説あり
分かりません、私には
後鳥羽上皇は内裏の再建を
鎌倉御家人に命じた
上皇に従わない義時と御家人の間の溝が深まった
これぞ、上皇の思うつぼ
これを発端に承久の変へと動き出した、という
義時が変わった
北条義時追悼の院宣が出る
院宣は
鎌倉有力の御家人八人に
出された
これを知り義時は力尽きたのか
泰時ら、次代の者に
鎌倉の今後を託した
泰時もびっくりしたでしょうね
びっくりです、まさかやあ~
です
「鎌倉を守るため兵をあげる」
なんと、泰時が言った
父義時は
「太郎、おまえはいつも
逆の事を考えるなあ~」
義理の母ののえさんが、
言ってましたね
「あの二人はぶつかればぶつかる程、心を開くのです🤨」
なるほど、いいえて妙!
この父子は~?😵と
思っていたのがすっきりしました
「私ひとりのため、鎌倉を灰にすることはできぬ」
義時は、ひとり京へ向かう
もよう
いつもの「殺せ!」はない
そして、姉、妹に話した
「執権としての最後の役目
頼朝様より引継ぎ
何とかここまでやって来た
心残りはない
あとは執権を泰時に」
「もとはと言えば
伊豆の片田舎の小さな豪族の
次男坊
その名を上皇が口にされるとは
それどころか、この私の討伐のために、兵を差し向けようと
される
平清盛、源九郎義経、
征夷大将軍源頼朝と
私は肩を並べたのです
面白き人生でございました」
正に遺言ですね、続きます
「いささかな後悔もありません
私を憎む御家人も多い
よい頃合いではないでしょうか」
御所に御家人たちを招集し
義時が最後となるであろう、
執権としての意思表明
を始めようとした矢先、
尼将軍政子がストップをかけた
この辺は姉上風を
びゅーびゅー吹かせてます🌪️
尼将軍政子のスピーチが
始まりました
実衣が脇を固めています
まずは、義時の鎌倉を思い、
献身的精神で事に当たってきた
と強く訴えた
"頼朝様の恩は山より高く海よりも……"
あら、最後まで読まないのですか
大江広元渾身の書
急ぎで書いてもらったのに
もういらない?
広元さんが傷つきますよ~
尼将軍政子の言葉は
鎌倉殿の幾百人
あるいは幾千人の
心をとらえました
政子はスピーチ上手
押しても駄目なら引いてみな
この手で続けます
上皇に味方したい方は
そうして下さいと
優しく語りかける
それに泰時が応えた
「そのような者がここに
いる筈がございません」
ここの受け答え
北条家の連携プレー
お見事❗️
遠く振り返れば
源頼朝がことの発端
あれこれありまして
義時は執権として鎌倉をまとめています
頼朝が宿ったかと思うくらい
義時は変わっていった
頼朝が悪い
なんて思ったりもします
そんな頼朝の魂が
"もう義時を楽にしてやろう"
と義時から抜け出したのでしょうか
明日、最終回
早いなあ
随分振り回された全47回
いっそ、最終回も思いっきり
やってください
何事も一期一会
明日は目を凝らして見ます
三
谷
幸
喜
このように名前の漢字が
全て左右対称の人は
特別だそうです
飛びきり良運
Or
飛びきり悪運
だそうです
知りませんけど😅