kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

二月の終わりに

2016-02-29 11:48:19 | つぶやき

 

 

”  やりくりや手も尽き果つる二月尽  ”

 

” やりくりやてもつきはつるにがつじん ”

 

 

しゃあないので、気持ちだけでも

 

ご破算で願いまして~は~

 

 

  

今年はうるう年で、オリンピックのある年

 

今日、2月29日ですが、お誕生日の方はいろいろ悩みもあれば

 

ラッキーということもあるのでは?

 

それから、仕事をされてる皆さま、二月はいかがでしたか、景気

 

二八(にっぱち)

 

という俗語がありますが、

 

2月と8月は景気が悪くなる

 

原因は寒すぎるからとか、暑すぎるからとか、

お正月とお盆に関係あるとかいいますが、これはもう時代遅れでは?

もしかして死語かもしれませんね

 

バレンタイン景気もあれば、夏休みのレジャーや帰省もあるし、

デパートでパートしてた時、バレンタインデー前は

売り上げアップしてたんやないかなと思うんです

 

暑い季節は暑く、寒い季節は寒く

このほうが儲かります~

とも聞きます

 

どっちにしても、

みんな潤いたい!

 

国会中継してますが、仕事に着けない人も多いし…

 

ほんと、景気なんとか

 

 

シャープさん、あなたもですか…

 

残念です…

 

 

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北野天満宮

2016-02-26 12:41:39 | 京都

 

2月21日、マラソンが終わってから北野天満宮を参拝しました

 

この日は参道に露店が2つくらいしか出ていませんでした

 

なるほど、21日は東寺の弘法さんの日でした

 

参拝者もお店もそちらに行ってるのでしょうね

 

25日は天神さんの日、縁日が立ちます

 

2月25日は菅原道真の亡くなられた日で、

梅花祭と野点大茶の湯が行われます

 

 

まずは、一の鳥居 をくぐって

 

 

本殿(国宝)  

右近の梅                左近の松

 

 

紅和魂梅 (べにわこんばい)  樹齢三百年とか

 

本殿前の右近の梅ですが、ご神木で 

  菅原道真を慕って太宰府に飛んで行った「飛梅」と同じ種と伝わる梅です

 

去年初夏、太宰府天満宮に行ったのですが、その時の写真 ↓

  

飛梅      (2015.6.24)

 

 

飛梅        (2015.6.24)

 

太宰府天満宮 本殿      (2015.6.24)

 

本殿前、向かって右が飛梅です

 

 

”  忘れたのかい   飛梅~♪  ”

 

忘れてません  

 

北野天満宮は 右近の梅、 左近の松

 

太宰府天満宮は左右ともに、梅でした

 右近は皇后の梅、左近が飛梅でした

 御所の紫宸殿は、右近の橘、左近の桜で

 

いろいろあるのですね

 

さて、ここでクエスチョン!

「飛梅」 の立札を見てください

何かが隠れています

 

探してくださいね~

(皆さん、ご存じですよね)

 

さて、天神さんと言えば、「牛」 も忘れてはならないので

 

 

 

 

 

 

 

 べこの子 牛の子 まだらの子~♪

ではなくて黒光りした子牛さんでした

 

”  天神の牛も見上げる梅日和  ”

 

まだ満開ではなかったですが、紅梅白梅きれいでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝物殿

 

 時間がなくて入ることが出来ませんでした

 

柱にどなたか立っておられました、誰??

 

アニメかゲームのキャラクターでしょうか?

 

 

 

”  東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ  ”

菅原道真

 

春が来て梅の花も忘れることなく咲きました

 

でも、まだまださむい

 

 

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姉妹

2016-02-25 10:55:27 | つぶやき

 

「あさが来た」 のワンシーン

 

 

思い出してしまいました

 

妹のこと

 

難病に勝てず、三年前に亡くなりました

 

時々、思います

 

あ~こんな話は妹とするのが一番やろな~

 

でも、出来なくてそのまま飲み込んでおくだけ

 

年を取るにつれ、顔、声、歩き方似てきてたらしい

 

テレビを見てて、笑うところが一緒らしい

 

母も父も亡くなり、妹も…

 

なぜ、私は生かされてるのか…

 

 

 

あ、私たち姉妹ははつさん、あささんみたいな美人ではありませんけどね(^_^;)

 

仲が良かったのはいっしょです♪

 

 

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俳句の会

2016-02-25 10:23:26 | 俳句・和歌

 

今朝7時ごろ、月齢は16.5

 

十六夜(16)と、立待月(17)の間?

 

日の出は6:17で空はもう明るかったです

 

 

 

 

 

きのうは月に一度の俳句の会でした

 

宿題は 「朧月」

 

難しかったです

 

これ、いい訳かな?

 

まだ寒くて朧月を鑑賞する気分ではないのです

 

冬の「月冴ゆ・つきさゆ」

 

の気分なんですよね~

 

初心者だから出来ないんですけどね、ほんとはね(^_^;)

 

句会、他に自由句を二句出しました

 

が、

 

点数が入りません

 

一年前はビギナーズラックでした

 

来月の兼題は 「 花の雲 」

 

また四苦八苦します

 

まだまだ頑張ります

 

 

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真田丸船賃六文波枕  六

2016-02-23 13:46:18 | 真田丸

 

真田丸 第七回 「奪回」

 

真田信繫(幸村)のおばあちゃんの

 

「おとりさん」

 

が気の毒です

 

 

滝川一益の人質としてお城を転々とします

 

織田信長が本能寺の変で倒れたあと、沼田城へ

 

羽柴秀吉が明智光秀を山崎の合戦で討ち取った頃、箕輪城へ

 

上野(こうずけ)の地で北条の前に総崩れとなった一益は

 

自分の領土の伊勢に返る道のりで信濃を出るまではと

 

「とり」 を連れて、小諸城へ

 

 

なんと、昌幸は真田の村へさっさと帰り、残された信繫は

 

とりの奪回へと小諸城へ忍びこむが、信繫も捕らわれてしまった

 

移動は簡単な駕籠に乗せられ

 

沼田城箕輪城小諸城

 

「おとりさん」はこんな事になってさぞやと思うのとは裏腹に

 

武家の女性だからか、覚悟が出来てます

 

囮になっても、おとりさん

 

『 思い通りに行かぬのがこの世、望みを捨てなければなんとかなる 』

 

と逆に、信繫らを励ましました

 

現代でも、

思い通りにならない日は~あしたがんばろう~♪

と、朝が来たら教えてもらってます(^^♪

 

 

おとりさん、お風呂とか着替えとかどうしてたんだろう…

 

昔の人はすごいですね

 

 

ここに出てくる、小諸城

 

    

 

 

 

 小諸なる 古城のほとり


雲白く 遊子(ゆうし)悲しむ 


緑なすはこべは 萌えず


若草も 籍(し)くによしなし


しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)


日に溶けて 淡雪流る

 

小諸城天守台跡

 

 

ここはかつて武田が守っていた

 

その時、城の縄張り(建物の配置決め)をしていたのが、あの「山本勘助」

 

NHK大河 「風林火山」 

 

疾(はや)きことの如く

徐(しず)かなることの如し

侵掠(しんりゃく)すること火の如く

動かざること山の如し


 

もう何年前になりますか

 

ずっと見てました

 

ガラケー持ってた頃でしたが、着メロは風林火山のテーマ曲を

 

長い間使ってました…

 

 

 

小諸城の懐古神社のそばに、


山本勘助が築城の時に研磨したと伝えられている


鏡石があります。



勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられています

 

 

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京都マラソン2016

2016-02-22 12:25:39 | スポーツ

 

京都マラソン、応援に行ってきました

 

一か所しか行けませんでしたが、声援を送ることが出来ました

 

やっぱり皆さんの力走を見て、私も元気にやっていかないとあかんな

と思いました

 

 

トップランナーが来る前、スタッフの中の主任さんが

観戦の注意点を、あれやこれや言い置かれました

はい、ちゃんと守りましたよ

 

主任さん

 

先導の白バイ、優秀おまわりさん

 

 

京都マラソンは、大阪ほど被り物、仮装の方少ないのですが

トップからさほど離れてない方です、一番目立ちましたキラキラモール

 

 

 

この辺の走者は3時間前後でゴールされてます

 

 

 

 

両方義足の方、力走でした

 

走者の速い位置で疲れも見せず、すごかった

 

今回は山中伸也教授を見つけることが出来ませんでした

 

一緒に落語を見に行く彼女、残念がってました

 

また来年、応援します

 

ところで折り返し地点を示す、大型コーンですが、

実は折り返し方向を示すはずの矢印が反対になってました

 

この向きのUターンの矢印でないとあかんのに、

反対向きになってました

 

ランナー、間違えたらどうするん?

このくらいでは、誰一人間違えませんけどね

 

ふたりの関係者が不敵にも、コース内に入ってコーンの横で

記念写真撮ってましたが、撮ったのなら会社でこの宣伝付きの

コーンを見せて、反省しといてくださいね、よろしく

 

危うく、ハッピーターンがハッピーでなくなるところでしたよ(*^^)v

 

 

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真田丸船賃六文波枕  五

2016-02-20 18:42:10 | 真田丸

 

「真田丸」で忍者(間者)が度々出てくるようになりました

 

猿飛佐助

服部半蔵

出浦昌相(いでうらまさすけ)

 

 

猿飛佐助は、私が子供の頃、漫画を通じて知った人物です

 

 

 

猿飛佐助 (真田丸では藤井隆が演じる) は

真田家の間者として仕えた家臣です

真田十勇士の第一人者です

 

佐助は甲賀流の忍術を仙人、戸澤白雲斎から山中で学んでいる時に

真田氏に見いだされ間者として重用されました

  

 

でも、実在人物ではない

 

講談に出てくる架空の人物で、

大正3年(1914) 立川文庫が子供向けに出した本の中に

登場したのが始まりです

 

 

文庫本は比較的安く、賃金の少ない丁稚小僧さんにたちまち広がり

ベストセラーとなりました

その後も、榎本健一の演ずる喜劇として、また

織田作之助の小説にもなりました

 

 

 

鎌倉、安土桃山、江戸時代

 

全国の大名は必ず忍者を召し抱えていました

戦国時代、武家では野武士や野盗であった者を

忍者、間者として取り立てていました

 

忍者

 

密かに行動し情報を収集し、仕える主人に報告する

 

ということが役目でした

秘密諜報員ということ?

 

時代劇で、飴売りとか、何とか売りとか、

くノ一はお代官様の屋敷に女中となって入り込んだりして

身分は隠しても姿は隠さず忍び活動をする場面もよく見かけます

 

足が速い、武術に長けている、動物や植物の知識も高く、

化学的なこと、技術的なことも心得て、戦術に応用したり、

サバイバルにも役立てた、スーパーマンか、007か

とにかく身体能力が高いですよね

ライザックもへっちゃらでしょうね(^_^;)

 

天下人もこの人達の活躍なしには存在しなかったかもしれません。

 

 

忍者は時代、地方、仕える人により呼び名が様々でした

 

さかのぼること

奈良時代   伺見(うかがみ)

 

平安時代   隠忍(いんにん)

鞍馬山の天狗さんがお師匠さんだった、源義経

ご本人も隠忍だったらしい

それで、鬼の弁慶謝った~♪ のね~

 

鎌倉時代、楠正成に仕えた 奪口(だっこう)

口を奪う…情報を制する

 ではありませぬ

 

戦国時代東北  早道之者(はやみちのもの)

足が速かった

 

同じく、伊達家  黒はばき

黒い脚絆(きゃはん)をつけていたので

伊達さんのわりにはヒネリが足りませんね~

 

同じく関東

 

武田家  三ツ者(みつもの)

これはどういう意味なのか分かりません…

 

後北条  風魔

 

  草(くさ)

土地に根付き子、孫と続いて定住したから

 

 

同じく、中部

 

織田信長  饗談(きょうだん)

宴会などして、忍者を集めたスカウトみたいな

以外にも暴力的でないような

 

 

近畿  伊賀地方、甲賀地方は忍者のメッカ

伊賀忍、甲賀忍

そのものズバリですね

 

また、

 

加賀、前田家  ねずみ

百万石ですからね、

俵はゴロゴロ お米はざっくりこ ♪

ちゅうちゅうねずみさんも沢山いたことでしょうね

 

 

肥後の加藤清正  関やぶり

さすが、猛者です

 

薩摩の島津家  やまくぐり

 

ほんとに様々ですね

 

 

江戸時代になると

幕府の公設機関としての職業忍者が誕生します

「公儀隠密(こうぎおんみつ)」 全国を見回ったとされています

八代将軍・吉宗の頃に創設されたのが「御庭番(おにわばん)」です

将軍の直命を受けて隠密活動に従事した者たちです

しっかりと地位を確保していたのですね

 

関東には「〇〇破」 というのがいくつもあります

 

素破(すっぱ)  居合抜きの達人

 今の「すっぱ抜く」の語源です

 

透破(すっぱ)  変装の名人

水破(すっぱ)  水に強い忍者

 

乱破(らっぱ)  暴れん坊の忍者

 

突破(とっぱ)  見張りの目をかい潜って屋敷などへ侵入する

敵陣突破~って言いますね

 

出抜(だしぬき)  他人を欺くのが上手

今の「出し抜く」という言葉に変身したのですね

 

 

 

佐助は甲賀流の忍術を仙人、戸澤白雲斎から山中で学んでいる時に

真田氏に重用され、間者として

関ヶ原の合戦、大阪冬の陣、夏の陣とを徳川方と戦い

夏の陣で茶臼山にて死す

とされています

 

 

小学館の学習雑誌に載っていた「さるとび佐助」が大好きで

毎月楽しみにしていました

でも、漫画作家が誰だったか、覚えてないんですよね…

 

残念なり~ニンニン

 

 

 

 

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頂きました

2016-02-18 12:15:10 | スポーツ

 

 2月21日(日) は京都マラソン2016です

 

実はこの日、ほかの用事で京都に行くのですが…

 

交通規制

 

これがあるんですよね~

 

でも、地下鉄という強い見方がある

 

これで、ほぼ解消

 

おまけに

 

 

    

 

頂きました、市バス無料乗車券

 

京都市営地下鉄の車両の吊革に一枚ずつぶら下がってたらしいです

 

一枚ひとり一乗車ですが、ラッキー!

 

実はこれはマイカーの乗り入れを減らすための対策ですが、

 

よろしいでしょうか?使っても…

 

それから

 

 

頂きましたお年玉切手シート

 

お年玉年賀はがきの三等景品です

 

 

昨年は二等が当たってたなあ~

 

ま、当たらないよりいいですしね 

 

    

 

ところで、左のお猿さんが担いでるのは郵便袋

 

 

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真田丸船賃六文波枕 四

2016-02-15 18:54:48 | 真田丸

 

第六回 真田丸   「迷走」

 

真田家の当主、真田昌幸はどの主君の元につこうかと未だに迷っています

 

自分自身が、天下を執ろうとは思ってなかったのでしょうか? 

 

この戦国の世をどう生き残るか

 

サバイバル

 

これだったのですね

 

真田幸隆(真田信繫の祖父)が武田氏の重臣となり、幸隆死後

 

真田昌幸(信繫の父)が後を継ぎ

 

武田家滅亡のあと、迷走が始まります

 

真田昌幸は、

 

織田信長→滝川一益(織田方)→上杉景勝→北条氏政→徳川家康→上杉景勝

 

わずかな間にこれだけ揺らいでいたとは

 

忍びの猿飛佐助を使い、相手の動向を探りながら

 

身の振り方を探していたのですね

 

『朝令暮改・ちょうれいぼかい』 なる昌幸

  

(朝に出した命令を夕方にはもう改める

命令や方針が一貫せず、すぐ変わること)

 

堅物の長男の信幸や信濃の国衆の中は

こんな昌幸に怒りを覚えたことと思います

 

何度も父とぶつかる信幸(大泉洋)

家族会議もしょっちゅう

 

でも、戦国の世では相手を欺いたり、油断させることも

ひとつの兵法だったのですね

 

機を見て仕える大将を変えていくことが

真田家のサバイバル戦術だったのです

 

一方、浜松城にいた徳川家康は協力するとは口だけで、

のらりくらりとかわしながら、生き残る道を探っていた

家康のサバイバル術はこれだったのです

 

狸おやじだわ~

 

この間、信長の人質となっていた信繫の姉の「松」を

佐助が救い出す途中

追い詰められ松は

崖から琵琶湖に身を投げ行方不明となります

 

また、祖母のとりは滝川一益の人質として沼田城へ送られます

 

万策尽きて、呆然としていた昌幸ですが信繫からこんな事を告げられます

 

『 たとえ領主が変わっても信濃の景色が変わるわけではない

いつも静かに山々はそこにある

まるで、人間のいさかいを笑っているように… 

この景色が好きです

 

信濃は日本国の真ん中ですから

 

信濃に生まれたことを誇りに思います 』

 

この言葉を聞いた昌幸は、

 

『 もう、どの大名にも就かない

信濃が有れば我々は強力な大名と対等に渡り合うことが出来る 』

 

そう言って、岩櫃(いわびつ)城と沼田城を取り返し、

信濃を守り抜くことを誓うのでした

 

先日、沼田の城下町を「ブラタモリ」で見ました

 

「河岸段丘」という地の利、

 

この沼田城を奪い返せば、真田家は地位を盤石なものと出来そうです

 

来週、題は「 奪回 」

 

取り返すことは出来るのでしょうか!

 

ところで、これはチンパンジー 

 

先日天王寺動物園で写しました

 

そして、猿飛佐助 (藤井隆)

 

 

似てる?

 

佐助の出番が増えてきました

 

忍者は素破(すっぱ)、間者、忍びのこと

地域や大名によっては特殊な呼び方を使ったようです

 

素破

 

すっぱ抜かれて困ることは、みなさん、

 

ありませんよね~

 

 

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バレンタインデー

2016-02-14 08:18:24 | つぶやき

 

 

今日一日だけ、身のほど知らずなテンプレートをお許しくださいませ

 

バレンタインデー

 

 

どなたもいろんな思い出があるでしょうし、もちろん

 

現在進行形の方も

 

 

 

”  バレンタイン義理と打算とほんとうと  ”

 

 

昨今、チョコレートもこだわりあるものになりました

 

有名なパティシエの新作~

 

なんてのが持てはやされていますね

 

そのお高いこと、ビックリポンです

 

”  バレンタインパティシエ渾身褐色ダイヤ ” 

 

”  バレンタイン世界のチョコのコンクール  ” 

 

 

恋の歌は、クラシック、ジャズ、ポップ、ロック、演歌…

 

あらゆるジャンルにいっぱいありますが、

 

フォークソング、あります

 

リアルタイムで知らなかったけれど、おばさんになって知った、

 

 

「織江(おりえ)の歌」

 

作詞  五木寛之 / 作曲  山崎ハコ

歌  山崎ハコ

 

遠賀川(おんががわ) 土手の向こうにボタ山の

三つ並んで見えとらす

信ちゃん 信介しゃん

うちはあんたに逢いとうて

カラス峠ば 越えて来た

そやけん

逢うてくれんね 信介しゃん

すぐに田川に 帰るけん

織江も大人に なりました

 

月見草 いいえそげんな花じゃなか

あれはセイタカアワダチ草

信ちゃん 信介しゃん

うちは一人になりました

明日は小倉の 夜の蝶

そやけん

抱いてくれんね 信介しゃん

どうせ汚れて しまうけん

織江も大人に なりました

 

香春岳(かわらだけ) バスの窓から中学の

屋根も涙でぼやけとる

信ちゃん 信介しゃん

うちはあんたが好きやった

ばってんお金にゃ 勝てんもん

そやけん

手紙くれんね 信介しゃん

いつかどこかで 逢えるけん

織江も大人に なりました

 

 

五木寛之の「青春の門」の登場人物、牧織江をイメージして作られた歌だそうです

 

詩も五木寛之さんです

 

 

”  バレンタインとけて消えにし 片便り  ”

 

これからの若い女性の皆さんのが実りますように

 

 

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