15回 「おごれる者たち」
道長は兄の道兼に言いました
「兄上は変われます、変わって生き抜いて下さい」
「この道長がお支えいたします」
「もう父上は」おられないのですから」
父に裏切られ見放され自暴自棄の道兼
公任邸で五日間酔いつぶれっぱなし
その道兼を道長が迎えに行った
そのあとの二人の会話がこれ⤴でした
道兼はその後、政に励み
兄道隆から内大臣の地位をもらった
よかった、やっと道兼にも平穏な日がきたのですよね?
ききょうは中宮・藤原定子の話し相手となる
名前をもらった
「清少納言」
このドラマで初めて知ってびっくりしました
*せいしょうなごん
ではなく
*せい・しょうなごん
と読むのだそうで、私は半世紀以上間違ってました
あの向こう意気の強い、せい・しょうなごんが
理屈抜きで中宮・藤原定子様にお仕えいたします
の様子をみせてます
一条天皇に入内したばかりの時の定子は
まるで子供のお守りをしているようでした
帝と仲良くしていけばいいと思っていた
ところが、母の高階貴子に
「後宮の周りの女官たちの長として
輝いていなければなりません」
と釘を刺されたのです
柔和な定子さん、気が重くなったでしょうね
藤原為時家には朗報が
大学寮の文章生 惟規(のぶのり) 難関試験突破!
官職に就けたのですね
擬文章生(ぎもんじょうしょう)合格
これは
平安時代、大学寮で詩文や歴史を学び
「寮試」に及第した者
「擬」のつかない「文章生」になるには、また試験
式部省の「省試」に合格することで、
惟規くん、まだまだがんばってください
摂政・藤原道隆
相変わらず、民のことは考えず
身内を昇格させるのに夢中です
さらに妹の藤原詮子(吉田羊さん)を内裏の外に
実質追い出したのだ
詮子さん、あの方も怖いですからね~
父、兼家にいちばん似てると思います
弟二人より厄介なのかもです
さて、まひろ
なにかと周りにはいい話が生まれてますが
まひろはそうも行かず、意気消沈気味は否めないです
そんな時さわちゃんが「石山詣でに行こう!」
さわも父や義母と上手くいかないようで
一緒に憂さ晴らしに行こうと
乙丸も一緒に来ましたよ、かわいい♪
さわの側人も来まして四人での旅になりました
お堂で読経の最中
予想もしないことが起こります
道綱の母(藤原寧子)も石山参りに来ていた
「蜻蛉日記」ベストセラー作家の藤原寧子
読経している時、顔が合った
寧子の話は終始して殿(兼家)のことだったようだ
結婚へのアドバイスをしてくれた
「殿との日々が、一生のすべて
ものを書くことで妾の痛みを癒した
兼家はその日記が世に広まることを望んだ」
「妾は辛うございますから、
出来れば嫡妻になられませ
高望みせず、心優しき殿ごを」
”紫式部は石山寺で月を見ながら源氏物語の着想を得た”
と伝わっているようですが
こういう状況がね~ 納得しました私
とにかく何かと辛いことの多いまひろのことです
寧子の
「書くことで己の悲しみを救った」
これが、石山詣でのまひろへの
ご利益さんだったのかもしれませんね
帰り道、まひろたち四人は川沿いなのか
水際にたくさんの人が無残にも死んでいるのを見、
愕然とした
都では疫病が流行り出していた…
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
紀行
石山詣のアクセス
平安時代
都ー徒歩⇒逢坂の関ー徒歩⇒琵琶湖の打出浜~舟~石山寺
(早朝に京を出ても石山寺には夕方到着)
打出浜には今
びわ湖ホール、公共施設、公園、大津港等あります
アクセスは
JR京都駅⇒石山駅…石山駅前バス⇒石山寺前
(約40分)
水上交通はすたれましたが、観光船やヨットがあります
ゆったりと琵琶湖を楽しんでくださいね