第22回 篤太夫、パリへ
慶喜が将軍となり、篤太夫は、天に見放されたか…
そんな気持ちだったところへ、パリ行の話を聞かされ
寝耳に水のようなことだったでしょうね
なんかドラマみたいに出来過ぎ?
あっという間に、
横浜~上海~香港~サイゴン~シンガポールの沖を通り過ぎ~
~セイロン~アデン~スエズ~地中海~パリ
スエズ運河はこの頃、建築も大詰めに来てたんですね
そんな55日間の長旅も終点、パリに上陸しました
篤太夫は、背中に戸棚のような旅の荷物を担いだまま
凱旋門の最上階から、パリを見晴るかす♪
先にホテルに荷物を置くという選択肢はなかったんですか
他のメンバーは、軽快な感じなのに?
誠にお疲れさまでした
ホテルは、パリグランドホテル
見るもの聞くもの初めての篤太夫は、高揚しっぱなしでした
そりゃそうですよね♪
パリの150年余り前の風景は
テレビで見る今のパリとは違って、当然かな(^-^;
(なるほど、万博会場跡地にエッフェル塔が今、立っているのですか)
まずは万博会場を下見に行くことになり
正式に決まっていた通訳はフランスのカション神父なのに
イギリスのシーボルトが早々と行動しています
イギリスとフランスは仲が悪そうで…
それよりもっと厄介なことが起きていました
日本の展示場に、「LIOU-KIOU」の看板
更に、〇に十の字の幟の立つところに展示品
薩摩切子、ありましたね♪
篤太夫は、対薩摩のこの諸事情に
「日本と薩摩、というふたつの国があるみたいじゃねえか!」
と怒る
そこへ、モンブラン、という名のイギリス人が現れる
薩摩藩の家老、岩下佐次右衛門と一緒に現れた
篤太夫は日本で言われたことを思い出しました
「モンブランには気をつけろ」
それがこのイギリス人の事なのだなと思うが
ただ、睨みつけているだけでした
このパリで、ごたごたは新聞に取り上げられてしまった
日本は大君と、薩摩太守とによる二つの政府で出来ている
モンブランはイギリスの外務省と関わり、
怪しまれずに動き、日本にダメージを与えているのでした
徳川幕府を潰そうとしているのか
イギリスのそんな地下での動きを多分知らない、
徳川昭武はテュイルリー宮殿にて
ナポレオン三世と謁見の場で、
慶喜から託された挨拶文の代読を見事にこなした
諸国の名士も集まるこの場は、
徳川の権威を海外に示すまたとないチャンスでありました
昭武さん、まだまだ少年のようなのに、見事ですね
しっかり帝王学を会得されていたのでしょうね
なので、慶喜はパリには、
昭武の能力の高さを考えれば自分が行くより相応しいと
考えたのでしょうね
昭武を演じてる子役を卒業したばかり、と見える俳優さん
お顔立ちも品があり、知的でほんとお見事でした
昭武とはどういう方なのか、ドラマの先が楽しみです
日本では、慶喜はフランス公使ロッシュと話し合った
「日本の生糸を最優先でフランスに売りなさい
ナポレオンのようにやりなさい」
と、ロッシュの助言を受けた
慶喜は、兵庫の開港を決めた
また、薩摩の島津久光の政権奪取を阻止した
慶喜さん、なんかいい調子みたいですね
さて、パリの篤太夫
見るもの聞くもの興味深く、またいろいろなことを
考えついたように見えます
昭武がホテルを出てアパルトマン暮らしをしようとした時
家賃を安くするように話をつけた
昭武はその努力にお礼を言い、そこに決めた
きれいなアパルトメント
篤太夫が次に見たのは、「廃兵院」
国のため戦い傷ついた兵隊さんを看護する国営の病院
篤太夫は費用は国が賄うという事に感銘を受けたようでした
この事も、将来の渋沢栄一の業績に関わってくる
ということなのでしょうね
様々な知識をどんどん吸収していく
柔らかいスポンジみたいな頭脳と心
若いっていいですね♪
第21回は後日ゆっくり見れましたら、感想文書きます