豊臣秀吉、亡きあと
新しい政治の形は合議制で進められた
石田三成は、秀吉の遺言を守ること、と
意気込み充分です
【五奉行】
石田三成
徳善院玄以
浅野長政
増田長盛
長束正家
【五大老】
徳川家康
前田利家
毛利輝元
上杉景勝
宇喜田秀家
この方々、十人衆が常に合議をして秀頼を支える
これが太閤秀吉の遺言
前田利家は一目置かれてるようですが
実力総合的には家康が一番でしょうか
家康は頑張るようにと三成に声をかけ
かけられた三成は意気揚々とした顔
一方
上杉景勝は三成にこっそり言いました
「徳川殿は狸と心得ておくがよい」
三成、まさかの言葉に心が揺れたようですが
ここは家康を信じることにしました
朝鮮から筑前博多に武将や兵が戻る
これで、朝鮮戦争は終焉を迎えたことになるのかな?
加藤清正、黒田長政らに
三成は労をねぎらったつもりだったのだろうが
選んだ言葉が悪かった
「戦のしくじり」 という
戦地で生死のはざまをくぐって来た者は
「奉行たちの無策」 という
どちらも引きません
三成は石部健吉さんかな?
三成がその場を下がって、寧々がため息をついた
「治部がうまく出来なければ
力ある者にやってもらうほかないと、思うておる」
暗黙のうちに家康が、と言っているようだ
狸
この頃すでに家康はそう言われていたのですね、私も
そう思います、やっぱり
五奉行五大老と、話し合っている時も
(重臣の家族と勝手に婚姻を結んだことについて)
家康「言うことを聞かんやつが…
わしも手を焼いておるのじゃ」
なんて、白々しいと思いましたよ、家康のこと
座るのも、斜に構え、笑いをかみ殺すような
まことしやかに、困ったふりして
知らないことが多いのですが、本多正信は
常時家康のそばにいて、あれこれアドバイスをする
そういう位置づけだったのですね
追放された時もあったけれど
地位を獲得のため頑張られたのですね
その正信のアドバイスが、やっぱり狸です
この辺りの心理作戦は
家康 & 正信 の共同作業だった?
ついに、三成は家康を見限るというか、
もう信じなくなりましたね
**家康は勝手に加藤、黒田、福島と縁組をした**
三成の言い分
「太閤殿下の遺言に反するので、謹慎を」
家康の言い分
「ほんの行き違い、そなたの味方である、誤解を解きたい
一時、政務を預かりたい」
そうそう、御大、前田利家の鶴の一声も効きましたものね
その言葉に家康は助けられてました
三成
「天下、さん奪の野心あり
とみてようございますな!
私の味方と言うのなら
不埒な諸将を取り潰してくだされば!
殿下に任じられた務めを全うするのみ」
もう、戻りませんね…
加藤ら奉行たちが三成の館を攻めてきた
話し合うだけとは言っているが
三成は家康に覚悟を示した
「すべての所領から身を引き
我が所領,佐和山へ隠居いたします
私は間違ったことはしておりません
殿下のご遺命に誰よりも忠実であったと
自負しております
私と家康殿とは、違う星を見ていた様で
ございます
もうお会いすることもございますまい」
すでに、家康には天下を取る覚悟が
出来ていたはず
寧々、家臣達の後押しもあり
機は熟した
薬研を動かす家康は、ほんの少し侘しさを感じさせましたね
乱世の中で義を貫いた一本気の三成
合いませんかね…