ハリーポッター と 死の秘宝 part2
ハリーポッターシリーズは、
2001年の「ハリーポッターと賢者の石」から数えて、10年。
今回の 「ハリーポッターと死の秘宝 part2」 で
そのシリーズを終えるとのこと。
最終章は、フィナーレに相応しく、例えるならば、
花火大会のフィナーレのように、様々なシーンが
ドンドン、ドンドン飛び出して…、
最後は静かに笑顔で見ました。
小さな子だったハリーポッターも、ロン・ウィーズリーも、
ハ―マイオニー・グレンジャーも、10年経って、
すてきな若者になりました。
更に、月日は流れ…、
おっと、これは言ってはいけないな。
あとは、映画館でお早くね (*^^)v
松山千春のファンクラブ 「千春を見守る会」
このネーミング、好きです ?
今年もバースデーカードが届きました。
うちの家族はだれも何も言ってきませんから、
唯一無二の Birthday Present です (^^♪
メンバー統一のプリントのカードでしょうけれど、
毎年喜んでいる、ファン馬鹿の私です。
ちなみに、昨年のカード、そのブログは、こちらです。
→ http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/d/20100823
あれま、なんと同じ日にちに同じこと、
書いてました (ーー;)
ここは京都御苑、堺町御門をくぐると、ずーっと遠くに
京都御所の紫宸殿の大屋根が見えました。
玉砂利の上には自転車のわだちが交錯しています。
今年は、京都御苑内から大文字の送り火を見てきました。
ここからだと、東山の「右大文字」だけが見えます。
無事、大の字は点りました。
(左右の四角い白い光は、山のずっと手前のマンションの
灯りです)
8時に点り始め、しばらくすると、何なのか?
大文字山の頂きにも火が点いた様に、赤くなってきて、
次第に丸く大きくなっていきました。
お月さんがのぼって来たのでした。
大文字の真うしろにお月さんが出るなんて、
生まれて初めて見ました。
8時30分頃、大の字もほとんど消えた頃、
お月さんは暗闇の中、高くのぼって行きました。
暦を見ますと、16日は、
月の出 19:42
月齢 16.3
だったようです。
『これこれ、どうしたんや。』
と、お月さんは言いに来はったんやろうか?
少し、お月さんに救われた様な…
今年の送り火は、本当に感慨深く…、
一生忘れません。
8月には色々なことが集中している気がします。
しかも、重いことが…
6日の広島原爆記念日、8日の長崎原爆記念日。
そして、8月15日の終戦記念日。
8月に入るとテレビでは、連日戦争をテーマにした
映画やドラマ、ドキュメント番組が放送されます。
見れば、とにかく暗くて重いテーマなので辛いですが、
戦争の事をもっと知ろうと、勧んで見るようにします。
すると、去年は知らなかった事がまた出てきます。
今まで隠しに隠してきた事が、次第に白日のもとに
さらされる様になってきたのでしょうね。
日本も敵国も、とにかく勝つためにはと、
多くの国民の犠牲を何とも思わずに戦争を続けた…
むごくて、かなしくて、くやしくて。
心の中で戦争はまだ終わっていない…、
またしてもまたしてもそんな思いの募る8月に
私は生まれました。
決して裕福ではなかったけれど、
家で仕事をしている父母だったので、私が、
学校や会社から帰ったら、 『おかえり~』
と、笑顔で迎えてくれた。
そんなおかげで、自分で言うのもなんですが、
ひまわりのように?明るい元気な子に育ちました。
色が黒くて細くてまるでゴボウの様な子だったけれど(^_^;)
こんな風に生んで育ててくれた両親、また、
そんなDNAを繋いでくれた先祖にも、ありがとうの気持です。
私にとって8月は、『生命』 を強く思う時かもしれません。
戦争によって失われたたくさんの生命。
ひょっこり出てきた私の生命。
いつか、死する日が来るまで命を大切に、
一生懸命 『生計』 を立てていこうと思います。
今日16日は、送り火を焚いて御先祖様をあの世に
無事帰れるよう祈る日。
京都では心苦しい出来事がありましたが、
真心込めて祈らなくては…。
どうも、気が重いです。
それはやはり、五山の送り火のこと。
小さい時から、大文字山に近い祖母の家で、
畳の部屋に寝転がって、見たり、
小学校の屋上へ行って見たり、
大人になっても、家の前で見たり…、
赤々と燃える大文字を見ながら、
御先祖さんに思いを馳せ、みんなの一年の無事を
感謝し、手を合わせました。
今年は、ちょっと気持が暗くなります。
東北の皆さんの心を傷つけました。
本当に申し訳ないことでした。
今、滋賀にいますから、京都まで行かないと
拝む事はできません。
やはり、ぜひ行って、お詫びの気持ちや、
皆さんに、一日も早く元の様な健やかな毎日が
訪れますようにと、祈ってこようと思います。
そして、そんな私達が、今当たり前のように
普通の生活を送らせて頂けることへの感謝の気持ちも。