青天を衝け
第5回 栄一、揺れる
揺れましたね~
安政2(1855)年10月2日
指折り数えて今から…165年?前
安政江戸大地震が起きた
引用:安政2年10月2日 午前10時頃
江戸湾北部を震源とするマグニチュード7クラスの地震が発生
世にいう安政の大地震(安政江戸地震)である
江戸城や水戸邸も大きな被害だったようですね
藤田東湖さん、母上様を守って梁の下敷きになり亡くなられた…
烈公と呼ばれた斉昭の側近として仕えた方なのですね
何年位お側におられたのか、大変でしたでしょうね
江戸地震の時、命を落とした東湖を抱き締め
東湖東湖東湖…
と泣き叫ぶ斉昭を見ていると
どれだけ東湖を信頼していたかが分かりました
ある時、地震の津波でオロシヤの船が転覆して
乗組員が海に放り出されたと聞くと
斉昭はそれを喜んだという
その時東湖は
「異国人とて国には親や友がありましょう
誰しもかけがえのなき者を天災で失うは耐えがたきこと
また、今となっては、夷狄を打ち払うよりも
いかにして日の本の誇りを守るかが肝要でございます」
この言葉が遺言になってしまいましたね…
東湖さんは、水戸藩士で主君の側用人であるだけでなく
幾つかの本を書いておられる知識人だったとか
斉昭も本当に残念だったでしょうね
東湖の死で、斉昭の尊王攘夷思想は、揺れたのでしょうか
そう言えば、他にも斉昭を諭す人がいました
下田沖でオロシヤの船が大波で転覆
それを聞いた斉昭は船員を皆殺しにせよ、と
これは、この前に書いた話と重複しますが、お許しを
一方、写真の真中の人、老中首座の阿部正弘は
「天災にあるものの命を絶つなどと、道に外れたこと
我が国に悪しき評判が立ち、異国は皆日本に攻めるだろう」
ですよね、阿部さん
下田では犠牲者のオロシヤの水軍関係の方々の救助が行われました
でも
もう息絶えていた方も、ここで力尽きた方もあったでしょう
外国人を恐れている場合じゃないと言わんばかりに
救援に集まった人々がどんな立場の方だったかは知りませんが
様々な身分の方で立ち上げたボランティア活動が
あったのかもしれません
ドラマの冒頭で今回も家康さんは遥か向こうの黄泉の国から
やって来て話してくれたあの
士農工商
家康さんは、武士が長く支配せんがために
私は厳しく線を引いた
と、豪語されてました
が、その線がゆがみ始めたとも
実に率直に言ってもおられましたね
今の教科書には載っていない言葉だということまでご存じで!
載ってないとは、私知りませんでした
今では子供達に教える必要のない言葉なのですね
支配階級の「士」は全体の7%
その他の階級が支配される立場の「農・工・商」
下田の皆さん、そんなの関係ないと
一生懸命、子供までが救助に出ていたということは
快なり♪
斉昭お父さん、いい息子さんがおられます
大丈夫
日曜日には元気になっといてくださいね
そして、藤田東湖さんに、この歌を鎮魂歌として捧げたい
時代おくれ 河島英五
一日二杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら微笑んで
十八番(おはこ)をひとつ歌うだけ
妻には涙を見せないで
子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで
酒場の隅に置いてゆく
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい