( 悲しむ前に)
頼朝が亡くなりましたね
安倍晋三氏も、、、
このお二人が、かぶってしまいます
それぞれの世界で頂点に立った方
頼朝についていたのはあの時は安達盛長ひとり
安倍氏の後方の防備が見えなかったが
八百年以上の時が流れても…
悲しむ前に
近しい者が亡くなれば、ほんとに悲しむ間もなく
すべきことが押し寄せます
どなたも経験されていることかと
そして、少し落ち着いた頃に感情があふれてきます
時が変わっても、人の心は同じのような
頼朝の落馬をその場で見た安達盛長さんの憔悴しきった面持ちに、
ああ、この方は主君頼朝に心から尽くされた、
と、思いました
そんな心とは裏腹に、御家人達、
後継のことで頭がいっぱい
派閥を持つ方々も、これが脳裏に浮かぶ…
葬儀も粗かた済んだ頃、
義時の危惧していたことがほんとになり
比企能員と北条時政の対立が露わになった
それぞれ源頼家、 阿野全成を鎌倉殿の座にと簡単には引かない
そこで義時は
「あとは御台所のお裁きに委ねるしかない」
と御家人達の前で言った
そして政子に、言った
「これからは姉上のご沙汰で
事が動くことも多々ありましょう
そういうお立場になられたのです」
これが、後の尼将軍北条政子へと歩み出した瞬間だったのか
もちろん、今までに
あ~、尼将軍光線が出てる!
やっぱり女帝やわ~
と、何度も思いました
母、政子の願いを聞いた頼家は
二代目鎌倉殿になる決意を固め
御所にて宣言した
「我らは偉大なる前の右近衛大将、
征夷大将軍の死を乗り越え前へ進むのだ!」
火葬も終わった頃、寂しげな父義時に
嫡男の頼時が言った
頼朝は落馬する前に馬上で気を失ったと、
肩の傷から推測出来ると
義時は少しほっとした顔になった
武士が簡単に落馬するということはとても不名誉なこととされていたのですね
義時はこの言葉で決断したのか
鎌倉を去り、
伊豆に退くことを決めた
政子は強く引き留めたが…
最近は富みに「死」を思います
近しい者の死は、ほんとに悲しい…
(パソコンのインターネットが繋がらず、スマホで書きましたが、全貌が分かりにくく、常以上にへんてこりんになっていると思います
乱文、乱れ打ち、お許しください)