kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時五十 最終回

2017-12-19 05:35:45 | おんな城主直虎

 

 

 

 

 

おんな城主直虎

 

 

第50回 石を継ぐ者

 

最終回、目まぐるしくいろいろなことが起こりましたね

 

光秀の

「敵は本能寺にあり」 

にやりと、したたかな光秀でした

 

信長の

「是非に非ず」 

信長死す、

のナレーションだけでおわりましたね…

 

家康は、混乱の中、伊賀越えで何とか無事に三河に帰ることができた

その後、何食わぬ顔で初めて信長の死を知ったかのように、

弔い合戦に向かったが、事は終わっていた

 

光秀が京を追われたことが伝わると、直虎は急いで井伊谷に帰ることにした

 

南蛮船で共に行かないかという龍雲丸の誘いに、直虎は餞別じゃと水筒を渡し、

 別れた

 

我より先に死ぬなよ

そっちもな 

 

目指すものがちょっと違ったふたり、やはり共に生きていくのは無理だったみたいで…

 

急ぎ、龍潭寺に帰った直虎は、遺児となってしまった自然(じねん)を逃がそうとした

 

が、万千代がやって来て徳川で預かるという

 

直虎は、万千代を諭した

 

”そなたも追っ手を逃れ逃れて生き延びれたのは、あちらこちらの寺が

かくまってくれたおかげではないか”

 

そこへ信長の家臣たちがやって来て、光秀の子を渡すようにと迫る

 

切羽詰まった直虎に、天から降りてきたような機転の利いた言葉が口を突いて出た

 

この子は、信長様の子…、と

 

その証拠もあると、以前信長から拝領したあの、天目茶碗を差し出した

 

そこに、信長の一筆が添えられていた

 

信長の家臣の追及はとりあえずここまでだった

 

が、私はどうだったのかなあと思います

信長の花押もあったその手紙を信じた上のことだったのか、

直虎たちの自然に対する心の内をおもんぱかって引いてくれたのか…

 

 

源義経が武蔵坊弁慶らと共に平泉を目指していた時、

越えなければならない安宅の関で、弁慶は偽りの勧進帳を読み、

義経を通そうとした

その時、富樫という関守が、偽の勧進帳と見抜くも、

同情して関所を通してくれた

あの歌舞伎の勧進帳といっしょ、と、思いました

 

 

その場でもうひとり、自然を徳川に渡すことを迫ったのが、家康の母さま

 

直虎は母さまに、毅然として言った

 

「井伊は子捨ての寺

守れぬ命は山のようにございます

ならばこそ、すべて守れるものは…」

 

これなんですよね、

今も、世界中に難民があふれ返っています

すべてを救うことは叶いませんが、せめて手を差し伸べることが出来る範囲で

それは、不平等ではなく、縁があったということではないかと

そう解釈をして、手助けをすればいいのではないかと思っています

 

 

家康の母は、直虎の様子を見て、

これは、引き裂くべきでないと思ったのでしょうね

 

自然は龍潭寺の南渓和尚による得度を受け、

龍潭寺で修行をすることに落ち着いた

悦岫(えっしゅう)さ~ん♪

 名前の意味は縛られることなく、自由に生きるを喜ぶ

また、かわいいお坊さまが出来ました♪

 

直虎は、南渓和尚にこんな事を言っていた

 

「表の世でうまくいかぬ者たちに対し、逃したり、生き直す場を与えたり、

世に戻るための洞穴のような役目を果たすところが要るのではないかと」

それを聞いた南渓和尚は、

「逃げ回り、画策し、家を潰しまでし、それでも命脈を保ってきた

そんな井伊じゃ、

それは井伊が負うべき役目かもしれぬのう」

 

直虎は、井伊を畳んでもいい、万千代によって徳川に天下を取ってほしい…

と、思った

 

その時はあびるほど飲もうのう、 と和尚は、答えた

 

 

直虎の体が次第に弱って来ていた

咳き込むようになった直虎の様子を見に来た和尚に

 

「見送るばかりの身の上で、いつもいつも私ばかりが生き残り…

未練などないと思っていた

いざ死ぬ時は、ほっとするのではないかと

なれど今、ひどく生きたいと思うておりまする

生きてこの先を、この目で見とうございまする」

と、直虎は告げた

 

 

直虎が亡くなった

 

 

床に臥せってしまっていたある日、

ふと目が覚めたら、笛の音が聞こえてきて、それに釣られ行ってみると

井戸端に亀の丞がいて、鶴丸もいた

なぜか二人とも子供の姿で、気づくと自分も子供の姿に戻っていた

 

 

待ちかねたぞ、おとわ様、遅れるにもほどがございまする

行きますぞという、

いったいどこに行くのかと問えば、

おとわが見たいと言っていたこの先を見に行くのだと

 

嫌じゃ、我にはまだやらねばならぬことがある!

 

大事ない、おとわが継いできたように、次は誰かがおとわの志を継いでくれる

 

その時、子供に戻った龍雲丸も現れて、俺も連れてってくれという

 

では皆さま、参りますぞ

 

いざ!

 

 

 

 

井戸端に、笑顔で眠る様に逝ってしまったおとわの姿が

その横には、直親の笛が落ちていた

  

 

 

 

 

 

 

 

せめて、あとひとり、見送ってあげてほしかった…

 

 

 

 

 

 

直虎が亡くなったと同じ頃、ある海岸に難破船と、

直虎が龍雲丸に渡していた水筒が流れ着いていた…

 

 

 

 

 

養母、直虎の死の悲しみから立ち直れない万千代であった

軍議の席でも、まったく覇気がない

 

そんなところに南渓和尚が訪ねてきた

万千代は、戦、戦で弔いにも出られなかったことを詫びる

和尚は、するすると引き出すように、万千代の想いを聞きだした

 

「井戸端の拾い子がつくった国、

殿は、よそ者には温かかった

泥にまみれるもいとわず、恐れず、

戦わずして生きていける道を探る」

 

そんな殿だと言うのだった

 

和尚は、

「殿はそれを、小さな国でやった、そなたは日の本を舞台にやるのじゃ」

そして、 

和尚は、万千代に、直虎が持っていたあの、政次の碁石を渡し、

直虎の意志を託したのでした

 

 

 

直虎の死から立ち直り、北条家との和睦の交渉の使者を願い出た

家康は、ただの和睦ではないぞと前置きし、それを許した

 

万福、六左衛門、直之らと共に甲斐、信濃、上野との交渉に赴くことになる

 

そして、この大役を見事果たした

 

万千代は潰れた家の、前髪だからこそと、

万福は、過去は水に流してくれる徳川の殿だと、謀反を立てた家の子だからこそと

六左は、木を伐るしか能のないものでも大事にしてもらってると、

直之は? 褒美をたくさんもらえるぞ、と物で釣ったのでしたっけ?

 

各々の、「だからこそ」 「…でさえ」を武器に、見事徳川への臣従を

誓わせ、起請文を取り付けたのでした

 

この功により、家康のもと、元服を許され、その日より

「兵部少輔 井伊直政」

となった

 

この直政は、南渓和尚が願い出ていたのでした

井伊の通り字 「直」

小野の通り字 「政」

 

この名に込められた深いものを、直政は理解した

そして、

 

百尺竿頭進一歩

 

大死一番絶後再蘇

 

(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ・だいしいちばんぜつごふたたびよみがえる)

 

「何事も大死あってこその蘇りにございましょう


新しき井伊はこの方々から始まったのだと


直政、この名と行ないを通して伝えていく所存にございます」

 

 

 

 

 

新しき船出じゃ、

 

万千代によって蘇った井伊家

直平、直盛、直親、政次たち、そして、直虎に

天目茶碗を盃に、喜びの酒を傾ける和尚さんの姿が

 

 

龍潭寺二代目住職 南渓瑞聞

 

井伊直虎の曽祖父の井伊直平の子

文武共に優れた人で特に仏教や兵法を学び仏門に入りのちに、

井伊家の菩提寺龍潭寺の住職となる

相談役並びに軍師的な役をもって、井伊家を支えた

 

 

1589年9月28日 示寂 (80歳くらいか)

 

お酒好きで、少々生臭坊主のようでありながら、

ここぞという時に、見事なアドバイス、尊敬できる和尚さんでしたね♪

直虎に先立たれたことは、一番の悲しみだったでしょうね…

 

 

四万石の殿となった直政、

まだまだ、戦国まっただ中

 

戦のない世になるのは、もう少し先のこと、

戦、戦の日々のなか先陣を切って奮闘

 

まだまだ若造の直政で、

 

 

 

元気な直政の姿を最後に、

「直虎が竜宮小僧になる時」 終わらせていただきとうございます

 

 

 

最終回を書いている最中に、こともあろうに、P.Cのフリーズ

ものすごく焦りました

取り敢えず、スマホで下書き保存をしてから

P.Cの電源を落とすことで何とか回避し、無事、終えることができました

正直、ほっとしております

 

このドラマを通じ、

「やってみなければ分からない」

ということを学びました

 

また、潰れた家の子、という逆境を逆手に取り事を成す、ということも

 

もう年だから、なあんて思わず、亀の甲より年の功、

やってみなけりゃ分かりませんってことで

 


あまたなる捨石重ね冬終る  koh



 

おんな城主直虎 

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十九

2017-12-16 15:02:25 | おんな城主直虎

 

第49回 本能寺が変

 

もとより、織田信長びいきの私ですので、この一連の事変がドラマの中で

どの様に描かれるのかと、勝手な想像も膨らませておりました

 

とにかく、様々な解釈があるようで、信長は本能寺を

生きて脱出したとする学者さんも有ったりして…

 

諸説聞いたところで、実際に見た人ではないのですし…

 

でも、古文書は頼りになると思います!が、

 

忖度

 

加わっているでしょうね、結局

それぞれ、味方、身内の損になるような事は書かない

武勇伝にしたい

 

そんな中で、信長のことは、

信長の旧臣の太田牛一の書いた「信長公記」

イエズス会のルイス・フロイスの書いた「日本史」

この二つが信ぴょう性が高いと言われてるそうです

 

いつも、ドラマには信長が光秀を足蹴にするシーンがありますが

どうなんやろと思いましたが、本当のことらしいです

 

光秀の、かしずくのを見ていて痛々しくて… あの時の信長は嫌いです

日頃は落ち着いた人だけど、今で言う、キレるタイプ?

でも、とても優れた才能の持ち主のようですね

 

天下を統一することだけでなく、文化にも深い関心があったそうです

曲舞、幸若舞の「敦盛」

”人生五十年下天の内を較ぶれば夢幻の如く也”

 

扇を持って舞う姿は、ドラマでよく見ます

 

碁、相撲、

南蛮文化も、時計、地球儀、地図と、文化でもあり戦にも役に立つし

火縄銃、

薬草も、宣教師から3000種も取り寄せ、伊吹山に薬草園をつくったとか

元々、伊吹山が、薬草に適した場所で、自生していたものも多く

選んだそうです

伊吹もぐさは、有名ですよね

信長は、鉄砲を使えば、怪我が多くなる

そんな事からも薬草に関心をもったのでした

もちろん、服薬も

 

宣教師が、ヨーロッパの壮大な城と肩を並べるほどの見事な城と讃えた安土城

天守ではなく天主

自分が神である、と言ってるんですね

 

築城からわずかの間に、亡くなったんですね、享年49歳

人生五十年、と、よく舞っていた信長としては、まさに、

 

是非に非ず、 だったのでしょうか

人生の計画通りだったのでしょうか

 

天下布武、天下統一

 

市川海老蔵さんが演じられた織田信長そのままに、

聡明で、多才で、行動力があり、

怖そうで、優しそうで、淋しそうで…

 

尾張のうつけと言われながらも、家督争いで勝ち、それからは戦、戦の日々、

着実に目指す位置へと登って来てたのに…

謀反を起こした光秀は重用されていたけど、蹴られていた

もし、たくさんの猛者の前で、蹴るなんてことしなければ、

安土城の天主に君臨し続けていたかもしれない

なんて、薄っぺらい考えかな?

 

信長は、ドラマ「おんな城主直虎」の画面から去りました

 

万千代や万福、今ならまだまだ少年時代

思春期の心はとても刺激の強い経験に揺さぶられたんだ思います

 

家康にすれば、

アレッ、いち抜けたか?

てな気分かなって思います

 

本能寺の出来事も秀吉の助っ人も置いといて、

すたこらサッサと三河へ逃げ帰った

そんな感じ受けるんですよね~家康らしく…

 

この時家康、天下を取るなんてことは思っていなかったかもしれない

豊臣秀吉は虎視眈々、天下人狙いだったでしょうね

 

直虎は万千代を通じ、家康に戦のない世をつくる、日の本一の殿にと

改めて、願ったのですね

 

 

さて大きな問題が、まずは光秀の息子、自然のことをどうするか

 

万千代の目覚ましい出世はまだ続くのか?

 

いよいよ最終回ですね

 

どのような展開になるのかと思うと同時に、終わるのが寂しいなと

 

あしたは、録画でなく、必ずリアルタイムで見届けたいものです

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十八

2017-12-10 17:01:56 | おんな城主直虎

 

 第48回 信長、浜松来たいってよ

 

 

 

 

 

駿河をもらって、盛り上がってる宴会の最中、

お酒に弱そうな万千代は、我を失って大口叩いてましたが

 

信長、浜松来たいってよ!

 

そりゃあ皆、酔いもいっぺんに醒めたでしょうね

 

「我々はいささかの粗相もなく、織田様をおもてなしせねばならぬという事じゃ」

 

の、殿の言葉におもてなし大プロジェクトが始まりました

 

驚いたのは、川をせき止めるため、大男が川に入り込み関となった

六左も川に座り込んでいましたが、どれだけの人が要ったことか!

こんなこと出来たのでしょうかね~

 

道を広げもしました

 

宿舎とした富士本宮浅間大社は金銀で飾りつけ、

葡萄酒も、最高のお料理も用意され、

もっぱら椅子を使う信長のため、椅子も用意された

 

 

 

相撲の好きな信長のため、美丈夫が集められたという、

美丈夫とは、美しく立派な男

その中に中野直之も、おりました(*_*;

 

この祝の席には、信長曰く、

祝いの席にぴったりの男ではないか

そのぴったりは今川氏真、いますね、赤い装束で↑

 

 

戦国時代の天覧相撲

 

 

 

そなたの真心いたみいった、弟よ、これからも頼むぞ

 

そんな言葉を残して信長はご機嫌で帰ったし、米八千俵を賜った

と、ここまでは良かった

 

まずはやれやれと胸をなでおろすも束の間、

お礼に、安土へ家康と側近の者を招待したいとの知らせが入った

 

結局、浜松へ来たいと行った時から、徳川をなきものにする算段が

信長の頭の中に出来上がっていた、ということなのですね

 

万千代が言うように八千俵の米をもらっても、五千貫文の費用を使うようでは

さらに、この策略

 

家康は、考えました

そして、思い浮かんだのが瀬名の言葉

 

「出る時には出なければ、好機はつかめませぬ」

 

家康の心は決まり、皆に告げようとした時、

酒井忠次が、口火を切りましたね

 

本多忠勝も、榊原康政も、石川数正も、異論を唱えるものなどありません

 

殿の気持ちを忖度した、そんなものよりもっと熱い心でした

 

したる面々、命がけで安土城へ行くとひとつ返事で承諾です

 

 

この間に、もうひとつ、動き出した策略、

明智光秀は、

 

あの血も涙もない織田信長を殺す!

 

 

陰で、光秀は今川氏真を引き込んでいたとは

 

光秀の息子、自然君

小さな子にこんな努め、

訳もわからないままに、どれだけ心細く辛いことだったでしょうね

おとわの言葉に、緊張もほぐれ泣きだした、自然君

 

 

胸に飛び込んできた自然君におとわも、よう耐えたのうと

 

おとわは、覚悟を決めたことがありました

「これは定め、直親も虎松もよその寺に守ってもらった

こたびは私たちが」

と、井伊谷に迷い込んできたこの子を見守ったのでした

また、梅さんの観察力がすごかったですね、この子は相当な武士の子と読みました

 

この子の父、明智光秀の行く末は、もうドラマとはいえ変わらないでしょう

あの本能寺の出来事のあと、

この子はどうなるのか、

ただただ生きながらえてくれることを願うばかりです

 

***************************

織田信長の肖像画

 

イエズス会宣教師ジョバンニ・ニコラオ画、それを写真に撮ったもの 

 

怖いと言えば怖い顔かな

 

この石碑は京都市中京区に立っています

現在本能寺のある寺町三条辺りから、ずっと西の方角です

もとは、ここに本能寺があり、本能寺の変が起きた所です

現在寺のある場所へは豊臣秀吉が移築しました 

 

この漢字で「能」ですが、

 

 

当時、何度も火災でお寺が焼けたもので、それは「能」の中に「ヒ」の文字が二つもあるのが

いけないんだ、火が去る様に、ということで変えたそうです

漢字字典に出て来ます?

今は、ほとんどの表示が「能」ですね

でもこのあまり見ない字の方が当時はポピュラーだったそうです

 

さて、今日の放送は、”本能寺が変”

 

確かにこのドラマ、何が起きるやもしれません

今まで知ってる本能寺の変とは、ちょっと変な具合になるかも

 

市川海老蔵さんの信長、いいですね♪

 

怖そうで、優しそうで、淋しそうで…

 

 

是非に非ず


 

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井伊谷のパワースポット、巨岩遺跡

2017-12-08 15:48:08 | おんな城主直虎

 

 

初夏の頃、ひとり旅で浜松に行ったのは、

ドラマおんな城主直虎の舞台となる所を見たかったからです 

 

龍潭寺から歩いてほぼ30分、ここは井伊谷にある「渭伊神社」

井伊家の氏神として信仰されました

 

 

ここの裏手の小高い丘に「天白磐座遺跡」 (てんぱくいわくらいせき)があります

 

古代より神聖なパワースポットとして崇められてきた所です

 

 

古墳時代から平安時代中期まで、

この巨岩を神として祭祀が行われていました

 

 天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)

  

 

シーンと静まり返った巨岩の丘はほんとに、霊気を感じてもおかしくない所でした

でも、私には何も降りて来なかった…

 

おとわ、鶴丸、亀之丞と呼ばれていた頃、

三人はよく連れ立って遊んでいましたがそんな時、

大きな岩場が出て来ていましたね

ここかな?

 

また、最近のドラマの回でも、井伊谷のそばに巨岩が見受けられます

井伊谷は、巨岩が多かったのかもしれませんね

 

タモリさんに聞いてみたい♪

 

宗良親王(むねよし・むねなが)の墓から井伊谷宮へも行きました

 

 

龍潭寺のお墓から少し歩いたところに宗良親王のお墓があります

 

この方は、南北朝時代の後醍醐天皇の皇子で、

歌人としても知られた南朝方の武将

井伊氏に迎えられ戦いましたが、北朝方に敗れています

一度は衰退しましたが、井伊直平の代に勢力を盛り返しました

 

井伊直平・なおひら」 この方おとわのおじじさまですよね

前田吟さん演ずるところのおとわの曽祖父ですね

 

おじじさま、優れた方だったのですね、

井伊家の隠れ里、川名を思い出します

川名では、おとわにも色々なことが起こりました

 

宗良親王の墓は京都の方を向いています 

この宗良親王を祭神として祀るのが、お墓の横に鎮座する

井伊谷宮です

明治5年(1872) 最後の彦根藩主、井伊直憲(なおのり)が

明治天皇の勅命を受け造営しました

この辺りはすべて、龍潭寺の敷地です

 

井伊谷宮

 

井伊谷宮・本殿

 

井伊社:井伊道政とその子、髙顕(たかあき)を祀る

 

井の国 水みくじ

ひいてみるなんて、めったにないことです、私には

水につけますと、文字が浮かぶ、に魅かれました(^_^;)

 

末吉?分かりにく~(ーー゛)

 何が出たかと読めば、更にわかりにくい

 

 

叶うのかあ~い、叶わへんのかあ~い

 

自力なのね…

 

この辺りは木々が生い茂り、おとわ、鶴、亀ちゃん達には恰好の遊び場だったでしょうね

 

そんな幼なじみにひとり残されたおとわ、

竜宮小僧になって支えてあげようと思った人すでになく、

これからの良き相談相手、碁の相手も、

心のよりどころだったろうに…

かしらの、龍雲丸も離れて行った…寂しいね

 

今日放送だったあさイチ、政次処刑の場面を見てまた

でした

最終回がおもいやられる…

 

 

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井伊家始祖ゆかりの井戸(浜松)

2017-12-08 12:54:44 | おんな城主直虎

 

 

浜松市気賀で見学した、ドラマ館 ↕

 

井伊の井戸のある森に佇む小野政次

 

大河ドラマおんな城主直虎、

言うまでもなく 「井伊家」 のお話ですが、

この井伊という名前はいつごろからあったのかと思いました

 

 

さあ、日本人のおなまえッ!とでも

 

 先ずは単漢字の持つ意味を、

 

渭(い):ゆく、流れゆく。 渭水という名前の川が中国にある(黄河の支流)

京都の賀茂川も渭水の別名あり

 

井: 井戸のこと、人の集まるところ


伊: 杖を持ち、神を呼び寄せる人、すなわち聖職者を意味する

ゆえに、

☆ 水のある所にリーダーがいて、人々が集まってきた

というようなことになりますか

 

そして、井伊家ですが、

 

奈良時代  713年(和銅6) 

 

昔は「渭郷」という名前で出ています(^^♪

それを「渭伊郷」と改めたそうです

渭伊を→井伊と書く様になりました

 

この頃から井伊の名が歴史に刻まれているようです 

 

平安時代  1010(寛弘5)

 

井伊氏祖共保公が、八幡宮の御手洗井の中より出生した

と、あります

この伝説の赤ちゃんが井伊共保公で、井伊家の元祖登場です


1032(万寿9)


井伊共保、井伊谷城を築城 遠江を治める


今、井伊谷城跡は城山公園として整備されているそうですが…


今年の春、浜松市地域遺産センターの方が、”上まで登るの、きついかな~”

とおっしゃったので、時間も押してるし、登るのをやめました

今思うに、無理してでも登っといたらよかったわ~

でもほんとに急勾配の山道みたいです


この地域遺産センターの後方の山の頂に、「井伊谷城跡」があるのだと思います



1093(寛治7)

井伊共保、84歳で没、八幡山地蔵寺(今の龍潭寺)に葬る



井伊の井戸から生まれた、或いは井戸の側で泣いていた赤ん坊

そんな伝説の残る、その井戸の今の姿は、

 


 

龍潭寺前の車道を渡り、細い脇道を入ると田畑がばあっと広がっていました

この田畑の真ん中に井戸は有りました


立派な白壁の塀、門構え

二本の松の木


門の奥のこんもりした木は井伊家の家紋にもある 「橘」


古りた石の囲いが過ぎた時間を物語っているようで…



まだ水は涸れてはいないような

一部新しく補修されていますが、底の方は昔の石垣のままか…


 

現在は静岡県浜松市北区引佐(イナサ)町井伊谷、

ここの皆さんに、代々大切に守られてきたのがよく分かります


井伊共保出生の井戸

ふりかえれば、なにか迷うことあれば、


ご先祖様はここから~?


迷っている、ではなく酩酊ですか、南渓和尚(^_^;)


直虎は、何度もここに来て亡くなった者のために観音経をあげてましたね

うっぷん晴らしも多かったけど

あ、般若湯も飲んでた…



 

この右の橘の木、直親の象徴でしたね

政次はたしか、直親に何かを報告していました

なんでしたっけ?

直虎が気賀の城主になったことかな?

この時は珍しく、笑顔でした♪

 

万千代、万福は、あなたの教えをしかと携え、

井伊をつないでいってくれてますよ、政次さん

  


皆、手を合わせ拝んだり、何やらブツブツとつぶやいたり、

大声で怒鳴ったり、それぞれの心のよりどころになっていましたね


そして、最近では



万千代も身なりを整え殊勝な顔して、いつでしたっけ?

一万石を殿より賜った時でしたか

ま、あとでおとわと口げんかしてましたけどね


その後、二万石を賜るという知らせが、井伊谷、龍潭寺にも届きました


織田信長とも対峙した万千代、万福

大きな刺激を受けたことと思います 

戦国の世を生き抜くすべの、またひとつの形を見たことでしょう

 

今に伝わる歴史に、はっきりと印されている

徳川四天王のひとり、井伊直政となっていきます

 

直虎は、ある時は前に出て、万千代を促し、

またある時は、そっと傍から見つめる

いずれ、子供は親を越えて行きます

関われる時も、あとわずか…

 

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」


果して、どんな風に、どこまで描かれるのか、

想像が付きません、だからこそとても興味深いです♪

 

あと、10日と17日の、2回

 

楽しみに待ちます

 

追伸:井伊谷の井戸には井伊直弼の和歌を刻んだ歌碑がありました

浜松へ来た折に詠んだ歌だとか

 

 

王き以徒る岩井の水能そこ清しくもり那き世乃影そ見えつゝ

(わきいつるいわいのみずのそこきよしくもりなきよのかげそみえつつ)

(間違っていたらごめんなさい)

 

この頃は徳川の世の安泰が続いていたのでしょうね

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十七

2017-12-03 17:49:08 | おんな城主直虎

 

 

第47回 決戦は高天神

 

 

戦国の世の無常に散った信康と瀬名、

徳川の歴史の大きな悲劇となりました

 

瀬名と信康を助けることが出来なかった家康は、碁盤を前に魂が抜けたようでした

 

その碁盤の上の石をばあっと手で払い、

万千代、あれはお説教ですか?

 

井伊の先代は、負け戦になったらそもそもどこで間違ったか、

次に勝つためにはどうするか、

負けた意味は次に勝つためにあると

 

そうそう、虎松だった頃、政次に碁を習っていましたね、亥之助もいっしょに

なので二人が打ち合うとなかなか勝負がつかない、

それは政次が負けそうになったらなぜそうなったのか引き返して考える、

そんな政次と同じ碁を二人が打つものだから

なかなか勝負がつかない

 

井伊谷の皆がそんな二人の詰め寄る様子を

いつまでも見ていたことがありましたね

 

万千代に、政次の心が見えました

 

おとわが言っていた、生き残った者に出来るのは、その志を宿すことだけ

知らぬ間に万千代の心の中にも…

 

ともすれば、自分の出世のことしか考えなかった万千代も、

徳川のこの先を考えるように変わってきた、

家康に仕え、戦の無い世を作り上げる

殿を日の本一の殿にする!

 

そんな事を力強く言い放つ万千代を見て、おとわは目頭を熱くしていました

子供がどんどん大人になっていく、

こんな時は頼もしくもあるが、年老いていくわが身を感じ、

ふと寂しさも胸をよぎる瞬間ではなかったでしょうか

 

万千代のスピード出世を六左、直之も間近に見て取りました

いや、ほんとに万千代はどんどん頭角を現わしてきてますね

 

直之が、徳川の中に武田の間者を見つけ出し、

万千代がその者から武田の水源である井戸の位置を聞きだすという

見事な連係プレイもやってのけました

 

家康から万千代には二万石が与えられ、

傍で働いてほしいと六左、直之は誘われるという、評価は龍潭寺もビックリ!

 

一度は拒んだ直之もまたもや、おとわに口説き落とされました

 

 

敵を監視する砦のための材木を調達中の直之、万千代、万福

 

 中野直之が、井伊谷の先祖ゆかりの井戸で、但馬を想い話してましたね

井伊の番人である自分までもが、井伊を離れる訳にはいかないと

 

そこへ来たおとわ、

戦をせぬ戦をするのが、但馬や死んでいった者への弔い合戦、

万千代がそう出来る様、力を貸してやってほしいと、

再び頼むのでした

 

ずっとそばでおとわを見てきた直之、

おとわのことは、すべて分かっているということでしょうね

この方、独身?

ちょっと分からないけど、おとわのこと、想っていたかもしれないなあ~

幾度も、直之を頼ってくるのを断れなかったしなあ~

 

さて、徳川の武田への作戦、上手くいき降伏を言ってきました

ところが、信長はそうではなく叩き潰せとおっしゃる、なんと!

 

そう、うまくはいかぬものじゃな…

 

家康は敵をまる抱えし、死者は一人たりとも出さぬと考えていたものの、

高天神城の堀は何千人という死者で埋まった程と、

後の世に伝わるような悲惨な戦となったのでした

 

信長と家康の大きな違いを見た気がします

 

ほととぎすの川柳が思い出されます、さもあらん

 

おとわにとっても、井伊の惨死した者たちへの弔い合戦は

実らなかった…

 

あの、虎松の身代わりとなって死んでいった幼子は未だ名も分からずに…

 

その後、武田勝頼の自刃で、あの武勇で名を馳せた武田家は滅びました

 

家康は信長から高く評価され、駿河を与えられ、

三河、遠江と合わせ三か国の大名へと、のし上がったのです

 

あの、瀬名さんの望んだ駿河を約束通り家康は手に入れましたが

もう、瀬名さんも信康もこの世にはいません

 

戦国の犠牲がおさまるにはまだ遠く…

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十六

2017-12-03 01:50:46 | おんな城主直虎

 

 

第46回 悪女について


悪女?

いったい誰のこと?

瀬名さん?

 

家康の言葉に、そういうことなのか…と思いました

『とにかくおとなしく岡崎に座っていたなら首を討たれることもなかったろうに…』

というのが家康の本当の気持ちだったとは


今までにたくさんの時代劇に徳川家康は登場したが、

そのように、この方の心情を説明したドラマはなかったのではないかと思います


おとわが、最後に瀬名にあった時、交わした言葉が印象的でした 

 

瀬名は、自分は一度は死んだも同然の命ゆえに、

その命を殿と、殿の愛する息子のために使いたいと

井伊谷に隠れることを拒みましたが、その時おとわは、


『死んでいく奴は皆、さようなことを言う

残される者のことを考えた事はあるか!

助けられなんだ者の無念を考えたことがあるか!』


瀬名と同じことをした政次のことが思い出され、

、信康の身代わりになろうとする瀬名をどれだけ止めたかったことでしょうか


瀬名の決心は揺るぎませんでしたね…

いつも使っていた、紅入れを置いて去って行きました

 

 

瀬名のような女性を悪女というならば、この時代、悪女はたくさん居たようですね

お城の奥に、じっと座っている奥様では、おれなかった人達

 

この行動、江戸時代の「武家諸法度」で禁止されてしまったとか


領地を治めた女城主

夫の留守を預かった臨時女城主、

甲冑を身にまとい戦場で采配をふるった指導者的女性

領地の政務を陰で操った黒幕の女性

 

この戦国の女性たちも理不尽な最期だったかもしれない


改めて、戦国時代の人の命を命ともしない掟がまかり通っていたことを感じる、

第46回 「悪女について」 でした


さて、我らがヒロイン井伊のおんな城主はこの先、

どのように戦国の世を生き抜いていくのでしょうか?

 

ドラマもあと、数回を残すのみとなりました



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直虎が竜宮小僧になる時四十五

2017-11-19 17:45:38 | おんな城主直虎

 

 

第45回 魔王のいけにえ

 

 

家康を襲った近藤武助という者は、武田の間者という事が分かった

 

 

 万千代は、殿を救った褒美として、一万石を賜る

 

もう、立派な領主ですね

これは、スピード出世だったと思うのですが…

 

でもそんな万千代に直虎は家督を譲る気持ちがない

直虎が、井伊谷の民の平穏な暮らしを乱してほしくないとの考えからだ

 

直虎との仲違いはあっても、万千代は順調に殿の命をこなしている

 

そんな万千代に、告げられた役目が、辛すぎる(T_T)

岡崎へ殿の子の誕生を伝えることだった

家康の側室の子のことを、正室の瀬名とその子の信康に伝えるとは

万千代もこまっていた

 

案の定、信康、瀬名の顔色が変わった

それに対する策が、信康に側室を設け、後継ぎを生んでほしいというもの

 

信康の正室、徳姫は織田信長の娘です

そりゃあ、徳姫も側室の話を聞けば、心中穏やかではないですわね~

手紙が、父信長の元に届いた

 

これをもとに、信長は信康の首を切る

 

さて、このことは徳川家の一番悲しい出来事ではないかと思います

 

TVドラマに描かれたのは、ご覧のとおりですが、

史実に残る説はどんなだったのでしょうか?

案の定、諸説入り乱れているようです

 

その中のひとつを「三河物語」にはとても詳しく書かれているそうです

 

信康の正室、徳姫は織田信長の娘です

この方、今川の血を引く瀬名さま(築山殿)と折り合いが悪かったらしく、

また、信康との中も不和になってきていたのです

 

天正7年(1579) 父信長に徳姫は手紙を書きました

それは、なんと12箇条に上り、信康のこと、義母のことが連綿と書かれていたそうな

その手紙は、徳川の古参の酒井忠次に託されました

酒井は、殿である家康の嫡男をかばう言葉を信長に掛けなかったという

なんという事でしょう

 

 

これにより、信長は信康の切腹を家康の命じるのです

先日のドラマ同様に、平沼親吉(チカヨシ)が自らの首を差し出すからと

懇願しますが、家康は、それくらいの小細工では

信長の怒りは収まらぬとはねのけました

信康は家臣の信頼もあり、処断反対派が信長との同盟を破棄してでも

救おうと提案しますが、家康は受け入れませんでした

 

信康は幽閉されます

 

 

直虎とは、幼なじみだった築山殿(瀬名)

 

 

天正7年、築山殿が護送中に、徳川家臣により殺害され、

数日あとには、二俣城にて信康が切腹をします

介錯を命ぜられた服部正成は、涙のあまり打ちきれなく

検死役の者が介錯にあたったと

 

あれこれ見てみますと、信康は勇猛果敢で、家来にも信頼されていたと

思われます

やはり、徳姫の手紙の内容は、信長のでっち上げだったのか

大きくなり過ぎた徳川を、この期に潰そうとの考えだったのか

 

筆跡鑑定も、現場検証もできない戦国の世

何がほんとで、何が嘘か、なんてのは…

 

死と隣り合わせの日々

どんな謀略、策略もまかり通る世に、

正しいことってないのかなあ~

間違ったこともないのかなあ~

チバニアンだってあるんですから、

戦国時代の大どんでん返しも無、ではないし

 

 

この先の万千代に、直虎に、迫る大どんでん返しは?

 

ではまた

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十四

2017-11-19 17:35:11 | おんな城主直虎

 

 第44回 井伊谷のばら

 

 

直虎の母、祐椿尼さんにもいよいよの時が 

 

これまで、何人もの大切な人を送ってきた直虎

母の死はあまりにも大きな悲しみになったはず

 

直虎は今まで何の親孝行も出来なかったことを悔やんだ

しの、なつ、直之、六左、方久とあやめ夫婦たちに、

会いに来てやってほしいと頼んだ

いつも誰かが母のそばにいることがせめてもの親孝行と思った

 

方久夫婦が、珍しい花の株を持ってきた

 聞けばその花は 「長春」 と呼ぶと言う

 

これは、今の「ばら」だとか

 

オープニングに見るあの花は、椿と思ったが、ばらかもしれない

 

そして、直虎の母は秋の一日、静かに息を引きとった

 

 

祐椿尼の亡くなったその同じ年、万千代は18歳になった

「甲冑の着初め式」

万千代は赤い甲冑を、万福は黒い甲冑を付けて式に臨んだ

立ち会ったのは、家康

 

更に初陣の時が来た

目指すは、武田軍が遠江攻略の拠点としていた田中城

 

万千代は、戦いで、功を成すのだと気合充分だった

しかし、戦いにも軍議にも出してもらえない

殿の大事な色小姓を傷つけたら大事と、からかい半分に周りの者が言う

殿も、日の本一の寝所の番人をとお決まりの言葉だ

 

一本気というか、それなら日の本一の番人にと意気込み、

それを見ている万福は、相変わらずの若、万千代に呆れ顔だが、

仕方がない、寝所の番にあたった

 

いつもの様に寝所の番をしていた時、万千代はあやしい人影を感じた

更に、薬箱のひもの括り方が、自分の括り方と違うのに

気付いた

 

その夜、万千代が眠り込んで殿が起こしても起きなかった

殿が薬を飲めないので、万福は、

薬の分かる人物を連れ来て、薬を準備させた

薬湯をその代理の者が殿に差し出した瞬間

 

熟睡していたはずの万千代がガバッと起き上がり

「そなた、毒見をしてみよ!」

 

 

 

 

追い込まれた曲者は、小刀を振り上げ殿を切りつけようとした

 

 

  その時万千代は、殿をかばい背中に傷を負った

 

 

 

  

 

 

色小姓なんのと、一万石に難癖つける周りの者、更に殿のいる前で

片肌脱いで、殿を救ったことを証明して見せました

 

この傷をみれば、いらぬ噂も静まる…かな?

 

 

でも、なんと言っても大きな手柄でしたね

初めての大きな武功に家康一層の信頼を得て、これを出世の糸口に万千代は、

「井伊直政」へと昇進して行くのですね

 

 

ドラマではまだ先のことですが小牧長久手の戦いや関ヶ原の戦い、

大きな合戦で功を成しとげて行ったのはたいしたもんだと思います♪

まだまだ、若いんでしょう?

 

 

さて万千代が一万石を賜ったことは、近藤氏や龍潭寺などに伝わる

しかし、直虎の耳には届いてなかった

 

 

直虎と、万千代は、反抗期の息子とそれを抱える母の様です

 

案の定、出会った二人は、井伊谷の領地のことで、けんかです(>_<)

二人とも意地の張り合いの様で、分かり合う日は

もう少し先かな(^_^;)

 

でも、言いたいことを、隠さずぶつけて、好ましい親子関係に見えますよ♪

どれだけ言い合っても、崩れないものがあるから大丈夫ですね♪

 

まだまだ、若くて知らないことの多い万千代ですが、

その事に当たる、熱い心は素晴らしい!

 

行く手には、意地悪ばばあもいれば、魔王もいます

 

 

負けないで、万千代、万福

 

 

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彦根博物館へ行って思わぬ体験を

2017-11-13 02:45:54 | おんな城主直虎

 

 

 彦根吟行を終えて、まだ時間があるのでもう少しブラブラしたいなと思い、

彦根城博物館に行きました

今回初めて訪れましたが、りっぱな御殿のような入口です

 

”直虎から直政へ”

 

という言葉が、玄関にどお~んと、大河ドラマの関連の催事もありそうです

 

 

博物館は、展示品と再現された表御殿の中を見ることが出来ました 

 

 

 

お庭の端の方は改修中でした

 

 

いくつもの館が連なっています、この風情好きです

 

展示品は、撮影禁止 

 

展示を見てる最中でしたが、突然、

 

「J-ALERTの試験をします」

 

と館内放送が流れ、エッ!どうしたらええのん?

 

と思いながらも、展示を見続けていました

 

少しだけ間をおいて、警報音が大きな音で鳴りました

 

金管楽器が不協和音を放っているような、

 

その粘っこい音が低い音から高い音になって行く

 

弾道ミサイルの警報だったかな?

 

気持ちのいいものではないですね、危機感を受けました

 

≪ J-ALERTとは、「全国瞬時警報システム」 の通称で、

通信衛星と市町村の同報系防災行政無線や有線放送電話を利用し、

緊急情報を住民へ瞬時に伝達する日本のシステムである ≫

 

という事を調べて初めて知りました

 

ちょっとキョロキョロしてたので、動揺してるように見えたであろう私に

 

博物館の警備員さんが寄ってきて、さりげなく

 

展示物の事を話して下さいました

 

私は、警報のことがよく分からないのでどれくらいの範囲でなったのかと聞くと、

 

彦根全体だとおっしゃったと思います

 

その辺の記憶がもう曖昧なのですが…

 

あまり気持ちのいいものではないですね、と少し話しました

 

展示物に関して確かな知識をお持ちで色々聞けました

 

しばらくして警備員さんは、自分の警備担当の位置に戻られ、

 

私は先に進みました

 

観覧者も少なく、ゆっくり見れました

 

井伊家の皆さんがロビーにお揃いです(^_^;)

 

 

 

次郎法師、この出で立ちが一番好きです♪

よく似合ってますよね

 

 

直親、早くに居なくなってしまいました…

 

 

政次、あの最期のシーンは衝撃的で、悲しくて、見事で

いまだ、政次ロスです 

 

 

龍雲丸、生き残った手下が戦場から戻ってきて、

また気賀が賑やかになるかと思っていたのに、龍雲丸までいなくなって… 

 

 

ただ今、万千代パワー、全開です

まだまだ何が起きるか楽しみであり、心配であり

孫を見る目になってます、私

 

 

まだ若き頃の直虎の衣、あでやかです

徐々に地味な着物を着るようになってますね

仕草も変わり、あゝ年を重ねたなあ~と最近思います…

 

 

 

 

最後におみやげ品を見ました

 

井伊家の調度品に使われている裂地に使われている文様を柄にした

風呂敷や帛紗、財布、かなりのお値段で…(>_<)

同じくパターン化してプリントされた帆布地のトートバッグなら

手が届くので、買ってその場から使ってみました♪

 

 

館内のそれぞれの係員さんが親切で、説明もして下さり

充実した見学になりました

徳川四天王と呼ばれた井伊家だけあって、やっぱり

豊かだなあとも思いました

 

聞くところによると、足軽に至るまで、藩からとても重用されていたとか

明治になって藩が無くなっても、援助されたとか

うん、井伊はいい藩\(^o^)\(ーー゛)ツマラン

 

 

さあ、ドラマの方も進んでます、思い返してみなくては♪

 

 

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