おんな城主直虎
第50回 石を継ぐ者
最終回、目まぐるしくいろいろなことが起こりましたね
光秀の
「敵は本能寺にあり」
にやりと、したたかな光秀でした
信長の
「是非に非ず」
信長死す、
のナレーションだけでおわりましたね…
家康は、混乱の中、伊賀越えで何とか無事に三河に帰ることができた
その後、何食わぬ顔で初めて信長の死を知ったかのように、
弔い合戦に向かったが、事は終わっていた
光秀が京を追われたことが伝わると、直虎は急いで井伊谷に帰ることにした
南蛮船で共に行かないかという龍雲丸の誘いに、直虎は餞別じゃと水筒を渡し、
別れた
我より先に死ぬなよ
そっちもな
目指すものがちょっと違ったふたり、やはり共に生きていくのは無理だったみたいで…
急ぎ、龍潭寺に帰った直虎は、遺児となってしまった自然(じねん)を逃がそうとした
が、万千代がやって来て徳川で預かるという
直虎は、万千代を諭した
”そなたも追っ手を逃れ逃れて生き延びれたのは、あちらこちらの寺が
かくまってくれたおかげではないか”
そこへ信長の家臣たちがやって来て、光秀の子を渡すようにと迫る
切羽詰まった直虎に、天から降りてきたような機転の利いた言葉が口を突いて出た
この子は、信長様の子…、と
その証拠もあると、以前信長から拝領したあの、天目茶碗を差し出した
そこに、信長の一筆が添えられていた
信長の家臣の追及はとりあえずここまでだった
が、私はどうだったのかなあと思います
信長の花押もあったその手紙を信じた上のことだったのか、
直虎たちの自然に対する心の内をおもんぱかって引いてくれたのか…
源義経が武蔵坊弁慶らと共に平泉を目指していた時、
越えなければならない安宅の関で、弁慶は偽りの勧進帳を読み、
義経を通そうとした
その時、富樫という関守が、偽の勧進帳と見抜くも、
同情して関所を通してくれた
あの歌舞伎の勧進帳といっしょ、と、思いました
その場でもうひとり、自然を徳川に渡すことを迫ったのが、家康の母さま
直虎は母さまに、毅然として言った
「井伊は子捨ての寺
守れぬ命は山のようにございます
ならばこそ、すべて守れるものは…」
これなんですよね、
今も、世界中に難民があふれ返っています
すべてを救うことは叶いませんが、せめて手を差し伸べることが出来る範囲で
それは、不平等ではなく、縁があったということではないかと
そう解釈をして、手助けをすればいいのではないかと思っています
家康の母は、直虎の様子を見て、
これは、引き裂くべきでないと思ったのでしょうね
自然は龍潭寺の南渓和尚による得度を受け、
龍潭寺で修行をすることに落ち着いた
悦岫(えっしゅう)さ~ん♪
名前の意味は縛られることなく、自由に生きるを喜ぶ
また、かわいいお坊さまが出来ました♪
直虎は、南渓和尚にこんな事を言っていた
「表の世でうまくいかぬ者たちに対し、逃したり、生き直す場を与えたり、
世に戻るための洞穴のような役目を果たすところが要るのではないかと」
それを聞いた南渓和尚は、
「逃げ回り、画策し、家を潰しまでし、それでも命脈を保ってきた
そんな井伊じゃ、
それは井伊が負うべき役目かもしれぬのう」
直虎は、井伊を畳んでもいい、万千代によって徳川に天下を取ってほしい…
と、思った
その時はあびるほど飲もうのう、 と和尚は、答えた
直虎の体が次第に弱って来ていた
咳き込むようになった直虎の様子を見に来た和尚に
「見送るばかりの身の上で、いつもいつも私ばかりが生き残り…
未練などないと思っていた
いざ死ぬ時は、ほっとするのではないかと
なれど今、ひどく生きたいと思うておりまする
生きてこの先を、この目で見とうございまする」
と、直虎は告げた
直虎が亡くなった
床に臥せってしまっていたある日、
ふと目が覚めたら、笛の音が聞こえてきて、それに釣られ行ってみると
井戸端に亀の丞がいて、鶴丸もいた
なぜか二人とも子供の姿で、気づくと自分も子供の姿に戻っていた
待ちかねたぞ、おとわ様、遅れるにもほどがございまする
行きますぞという、
いったいどこに行くのかと問えば、
おとわが見たいと言っていたこの先を見に行くのだと
嫌じゃ、我にはまだやらねばならぬことがある!
大事ない、おとわが継いできたように、次は誰かがおとわの志を継いでくれる
その時、子供に戻った龍雲丸も現れて、俺も連れてってくれという
では皆さま、参りますぞ
いざ!
井戸端に、笑顔で眠る様に逝ってしまったおとわの姿が
その横には、直親の笛が落ちていた
せめて、あとひとり、見送ってあげてほしかった…
直虎が亡くなったと同じ頃、ある海岸に難破船と、
直虎が龍雲丸に渡していた水筒が流れ着いていた…
養母、直虎の死の悲しみから立ち直れない万千代であった
軍議の席でも、まったく覇気がない
そんなところに南渓和尚が訪ねてきた
万千代は、戦、戦で弔いにも出られなかったことを詫びる
和尚は、するすると引き出すように、万千代の想いを聞きだした
「井戸端の拾い子がつくった国、
殿は、よそ者には温かかった
泥にまみれるもいとわず、恐れず、
戦わずして生きていける道を探る」
そんな殿だと言うのだった
和尚は、
「殿はそれを、小さな国でやった、そなたは日の本を舞台にやるのじゃ」
そして、
和尚は、万千代に、直虎が持っていたあの、政次の碁石を渡し、
直虎の意志を託したのでした
直虎の死から立ち直り、北条家との和睦の交渉の使者を願い出た
家康は、ただの和睦ではないぞと前置きし、それを許した
万福、六左衛門、直之らと共に甲斐、信濃、上野との交渉に赴くことになる
そして、この大役を見事果たした
万千代は潰れた家の、前髪だからこそと、
万福は、過去は水に流してくれる徳川の殿だと、謀反を立てた家の子だからこそと
六左は、木を伐るしか能のないものでも大事にしてもらってると、
直之は? 褒美をたくさんもらえるぞ、と物で釣ったのでしたっけ?
各々の、「だからこそ」 「…でさえ」を武器に、見事徳川への臣従を
誓わせ、起請文を取り付けたのでした
この功により、家康のもと、元服を許され、その日より
「兵部少輔 井伊直政」
となった
この直政は、南渓和尚が願い出ていたのでした
井伊の通り字 「直」
小野の通り字 「政」
この名に込められた深いものを、直政は理解した
そして、
百尺竿頭進一歩
大死一番絶後再蘇
(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ・だいしいちばんぜつごふたたびよみがえる)
「何事も大死あってこその蘇りにございましょう
新しき井伊はこの方々から始まったのだと
直政、この名と行ないを通して伝えていく所存にございます」
新しき船出じゃ、
万千代によって蘇った井伊家
直平、直盛、直親、政次たち、そして、直虎に
天目茶碗を盃に、喜びの酒を傾ける和尚さんの姿が
龍潭寺二代目住職 南渓瑞聞
井伊直虎の曽祖父の井伊直平の子
文武共に優れた人で特に仏教や兵法を学び仏門に入りのちに、
井伊家の菩提寺龍潭寺の住職となる
相談役並びに軍師的な役をもって、井伊家を支えた
1589年9月28日 示寂 (80歳くらいか)
お酒好きで、少々生臭坊主のようでありながら、
ここぞという時に、見事なアドバイス、尊敬できる和尚さんでしたね♪
直虎に先立たれたことは、一番の悲しみだったでしょうね…
四万石の殿となった直政、
まだまだ、戦国まっただ中
戦のない世になるのは、もう少し先のこと、
戦、戦の日々のなか先陣を切って奮闘
まだまだ若造の直政で、
元気な直政の姿を最後に、
「直虎が竜宮小僧になる時」 終わらせていただきとうございます
最終回を書いている最中に、こともあろうに、P.Cのフリーズ
ものすごく焦りました
取り敢えず、スマホで下書き保存をしてから
P.Cの電源を落とすことで何とか回避し、無事、終えることができました
正直、ほっとしております
このドラマを通じ、
「やってみなければ分からない」
ということを学びました
また、潰れた家の子、という逆境を逆手に取り事を成す、ということも
もう年だから、なあんて思わず、亀の甲より年の功、
やってみなけりゃ分かりませんってことで
あまたなる捨石重ね冬終る koh
おんな城主直虎