kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

青天を衝け~abacus

2021-10-31 12:58:45 | 青天を衝け


第32回 栄一、銀行を作る

「 徳川を倒してまで
作りたかった新しい世とは
いったい何だったんだ 」

by家康


今日10月31日は、衆議院議員選挙の日ですね

自由民主党を倒したとして、

国民の望む日本にしてくれる党はあるのだろうか…



明治維新から150年余り経った今も、同じです

ま、明治維新後の改革は、大きな大きな改革ではありました


税を集める
租税の改正貨幣をまとめる
諸藩の測量
駅逓(郵便のこと)
戸籍
電信
鉄道など

今と比べれば、すべて一からですものね

すごいと思っています



理想の新政府を作ると、がんばった栄一でしたが

あっさり新政府に辞表提出

「官から民へ」

それにしても、なんと変わり身の早い栄一でしょう!

イタリアから帰国の喜作も新政府にいないことに

びっくり

その喜作はイタリアで絹をしっかり学んできたようで

横浜で絹に関わる仕事をすると決めていた

喜作も新政府から退いた


ところで、

西の五代、東の渋沢

と言われているとか

五代友厚は、朝ドラ「マッサン」で耳にし

渋沢栄一は、ただ今「青天を衝け」にて学習中です

だから、知識はとんとありません、私(^-^;

五代さん、栄一にこんなこと言ってましたね


” 政府は厄介な獣の集まりじゃったが、
商いの方は正に化け物、
魑魅魍魎がばっこしておる ”


” 大阪を基盤に、鉱山を商いするカンパニーを
起こしもした ”


栄一は、日本初の銀行「第一国立銀行」を起こし

総監となっている(三井と小野の頭取がまとまらないので

総監着任だそうですが)

国立銀行の紙幣発行の権利は持っていても、民間銀行なのですね

ま、「民」になった渋沢栄一が起こしたのですから

ややこしい名前です

だから今の日本銀行の元の銀行ではない、のですよね?


栄一は銀行に指導者として外人さんを招き入れている

大福帳から簿記へ、売掛買掛、昔やりましたね~

ここからスタートだったんですね

画面に映った算盤が上の段に二つ玉があった

下段は、五つか六つか分かりませんでしたが

どうやって繰り上げするんだろう



栄一のお母さんが、だいぶ弱って来られた

そんなお母さんの枕もとで栄一は

自分の銀行で発行したお札を見せていた

お母さんには、それよりも栄一の世の渡り方のほうが心配

近くにいるものを大切に

自分ひとりでなく、みんながうれしいのが大事

幼い頃から何にも変わらないお母さんの言葉に

ぐっときました

そしてしばらくして、お母さんは亡くなられた



その頃の新政府の中心人物は、大久保利通、岩倉具視

佐賀の乱が起きたり、岩倉具視が襲われたり

新政府、なかなか落ち着きませんね

江戸時代から武士は商人を利用していた

財布代わりと言ってもいい

そのやり方も次第に三井や小野が思うように動かなくなっていた

そこで、大久保は新しく白羽の矢を立てた商人が

三菱商会創立者 岩崎弥太郎

五代さんが商人は、魑魅魍魎

と言っていましたが…



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青天を衝け~metamorphose

2021-10-23 20:18:47 | 青天を衝け

第31回  最後の変身

あ~あ、栄一

そんな一面もあったのですか~

千代さんは、ぐっとこらえてあの優しい言葉

いい奥さまですが、ひとつ屋根の下で

暮らすのですか? 

まあ、堂々と打ち明けた栄一も正直と言えばそうなのかも



話替えます

2年半ぶりに成一郎(喜作)が牢より釈放され

栄一の屋敷に来ました

ふたりは真の友達という関係は崩れなかった

でも、命からがら逃げたものの牢に入れられ

辛酸を舐め尽した喜作です

栄一のおかげで牢より出られたけれども、

悔しい承服しきれない思いがあって当たり前だと思います


それでも、喜作も大蔵省で働けてよかった

そして、富岡製糸場に出向くこととなり

尊敬する惇忠に会えた

それは、

昔の「尊王攘夷」に対するわだかまりも捨て

製糸場の運営に力を注いでいる

師と仰ぎ続けた惇忠の姿だった


喜作に向上心が湧いて来てイタリアに勉強に行くことになった

良かったです♪

やっぱり、人間は生きててなんぼ。



さて、栄一は、新政府改善を目指し

大蔵省で様々な計画を打ち出していった

イギリスで経験した「バンク」

合本を軸につくった

「国立銀行」という名前も出来た


だが、商人と渡り合うその折に、気付いた

これでは、昔のお侍に栄一達、農業や商業に携わる者が

武士階級より押さえつけられていたことの繰り返しだと

自分の目指す、自分一人でなく皆がよくなることにはなってないと


「官」から「民」へ

移ろうと思った

千代さんに「大蔵省をやめようと思う」 と打ち明けると

千代さんは、いつも栄一にすっと従う優しい人ですね

長女、次女、そのあとに長男を出産されてよかったです

[過ちを改めざる これを過ちという]

栄一は、仕事のことだけでなくプライベートの来し方にも

気持ちを及ばせて千代さんに、そう話したのかな



さて、驚いたのが西郷さんの渋沢邸訪問でした

そうかあ~西郷さんは下駄ばきが常だったのですね

栄一とお酒を酌み交わしていました

お酒のあてには何が用意されていたのかなあ

以前、豚鍋を食べていたのは、何処でしたやろ?


栄一、緊張もなさそうに懐かしい話をしていました

平岡円四郎のこと、徳川慶喜のこと

「昔はよかった…自分が良い国に出来ると思ってた」 

と西郷さんは、何となく寂し気で、弱気な様子でした

「慶喜は、化け物だ」

西郷さんは、慶喜を高く買っておられたのですね

正直、江戸幕府を終えたとか、

戦のさ中にひとり江戸へ逃げ帰った

そんな将軍さんで、あかんたれみたいな評価しか私は

持っていなかったのですが、これは誤解ですね

栄一も

「新しい日本をつくるんだと思っていたが

今は、高い所からもの言うだけだ」

と今の自分の評価は反省だった


こうして、栄一は最後の変身を遂げるのでしょうか

それとも、まだまだ繭の中なのか

最後の脱皮がやって来るのでしょうか

いずれにしても、今までの真っ直ぐ、正直者、頑固

それだけではない、寄り道も迷い道もあったのが

渋沢栄一

だそうです、知りませんが(/ω\)


おかえりモネ、青天を衝け、共に終わりに近づいて来て

淋しいです

しっかり見届けなくては。



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斎藤佑樹投手、おつかれさまでした

2021-10-17 22:50:34 | スポーツ

本日最終日だったと知ったのが遅かったので

せめてニュースだけでも見たいなと

NHKのサンデースポーツをかけてみたら、

ちょうどそのニュースでした

もうひと花咲かせてくださいと、思ってきたのですが

華々しい活躍は残念ながら…



高校野球は見てました

大活躍でハンカチ王子とも言われ人気は最高潮で

もう、スターでしたね

すぐにプロ選手か? と思いましたが

大学へ

そして満を持してのプロ野球だったのだと思います

きっと、いつもスポットライトを浴びる

華やかなプロ野球人生をまっしぐら、と思っていました

ところが、怪我が多かったらしく…

ご本人、耐えることの多かったプロ生活だったのか

いえ、他人が決めることではありませんね


きっと、その時々にご本人に出来ることに

力を尽くしてこられたと思います

涙顔も映りましたが素敵な笑顔も映りました


何かメッセージを投げてくれた

そんな思いがします

本当にお疲れさまでした、ありがとう

このあとの人生の選択は何だろうか




ここしばらく忙しくてくたびれて、
俳句にもブログにも手が出なくて
またまた日にちがあいてしまいました
”青天を衝け”も見れなかったりして
感想文も書けてない
でも、斎藤選手のことは書きたかった

この間、本棚整理して、小学校の卒業文集の
お決まりのアンケート欄に、
未来の夢は?の答えを見つけた

「高校野球の選手になりたい」
と書いていました、覚えてなかった

きっと今よりもずっと、
高校野球やプロ野球が大好きだったのだなあ~
と思いました(^-^;



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カラスの会話

2021-10-04 12:31:19 | つぶやき


かあかあかあかあかあ

カアカアカアカアカア

かあかあかあかあかあ

カアカアカアカアカアカア


かあかあかあかあ


かあかあかあかあ

カアカアカアカア

かあかあかあかあ

カアカアカアカア

少し離れた所のからすとカラスが会話しています

正午でした

何と言っていたのでしょうか?

かあ~~~とか、かっとかでなく

ずっと同じトーンの「かあ」の呼びかけに

ほんの少し高い声で答える「カア」

親子?夫婦?恋人たち?

分かりません

どっか行ってしまったのか、静かになりました

結論出ましたかあ~~~



       カラスと思うのですが 2020年11月に撮りました

今年は、公道の柿はどうなのかな?


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青天を衝け~8man

2021-10-03 18:01:33 | 青天を衝け


第28回 篤太夫と八百万の神

「八」


”八百万の神のひと柱であ~る”





栄一は、この言葉にやられてしまいました




あの栄一を言い負かしたのは誰かと思えば

大隈重信

名前はよく聞きます

元佐賀藩士で、新政府では長崎に赴任から始まったようです

その後大蔵省の次官として

新橋・横浜間の鉄道開通を進める

電信(電報)の仕組みを整備する

と、日本の近代化を進めたのが大隈重信




1881年、イギリスの議院内閣制を進めようとして

岩倉具視や伊藤博文らと対立し官僚辞職しますが、

翌年、イギリスの議会をモデルに立憲改進党を作ります

1898年に総理大臣となり、日本初の政党内閣を誕生

人材を育てるための東京専門学校もつくる(後の早稲田大学)


栄一と同じで弁の立つ人だったようで

栄一は初対面で言い負けたとがっかりした顔で家に帰って来て


「今までお蚕様のように何度も脱皮して、
よく生き残って下さいました」

優しい千代さん、まるでお蚕様を包む真っ白な繭のようですね

千代さんに慰められるという、結果でした



ま、負けたと言っても、新政府で改革に参加するのですし

負けたとも言えないですけど


ところで「八」

この数字は、よくことわざや熟語に使われています

形が、末広がりで縁起のいい文字と聞いたことはあります

例えば

口八丁手八丁
八方ふさがり
八面六臂
一か八か
七転び八起き
八方美人
やけのやん八
四苦八苦

もっともっとありそうですが、破れかぶれ的な感じも…(^-^;

あ、大隈重信の幼名、「八太郎」 だそうですよ♪

大隈重信さんってどんな方だったのか

分り易いのがありました♪

大隈五訓




一、怒るな

ニ、愚痴をこぼすな

三、過去を頼るな

四、望を将来に置け

五、人のために善を為せ

ポジティブだったのですね~

今回は、他にも注目したい人がありました



「川村恵十郎」



以前から、目つき鋭く強面、と気になっていましたが

結論として、大変優秀な積極的な人だった


1836年 武蔵国の小仏関所番・川村正朝の長男 として生まれる

20歳の頃、父のあとを継ぎ小仏関所番見習いと なる

28歳の頃、平岡円四郎に引き合わされる

幕府と朝廷の関係について慶喜に宛てた建白書を平岡に手渡した 

公武合体の策のための発言権、イコール各藩の軍事力である

農民の中から見込みのある者を家臣として登用し兵力を増すこと 


川村が唱えたこの事を川村が指揮すること となった

江戸で出会って渋沢栄一と喜作は選ばれた
 


一橋慶喜と諸藩主たちによって開かれた参預会議で、

諸藩主たちは攘夷の決行は無理と主張

慶喜は 断固として鎖港すると主張


これに不満を持った水戸藩士は平岡円四郎と川村恵十郎を襲い、

平岡は殺される

川村は、何とか討ち返したが眉間の傷は一生残った

明治になり、川村が禄を受け取る列に並んでいる姿は

何ともやるせないものでしたね…


戊辰戦争から静岡に謹慎になるまで、慶喜に仕えた

明治以降、新政府に出仕

静岡藩の屋敷では、栄一から仕事を習い、

栄一が東京の皇城に移ることに決まった時は

もう、我々のコンパニーだ、栄一が居なくなっても

何を困ることがあるものか



と、仲間の意気を上げた

栄一も嬉しそうでしたね


1873年出仕~1893年辞任するまでには

大蔵卿の大久保利通に仕えその後宮内省や内閣の役人に

その後亡くなるまで、東照宮の禰宜として務め

旧幕府への忠誠心を示したようでした

歴史ドラマにも、教科書にも出てこない川村でしたが

見事な一生を送られたのですね

一橋慶喜が、平岡円四郎を見つけ

平岡円四郎が、川村恵十郎を見つけ

川村恵十郎が栄一と喜作を見つけ

青天を衝く栄一が生まれた



「東京へ行ったらどうだ

これが最後の命だ

渋沢、この先は日本のために尽くせ

大儀であった 息災を祈る」

栄一は、慶喜の側を離れることとなった



さて、この後栄一や喜作は

どの様に自分の片腕となってくれる人を見つけ、

育てていくのでしょうか

渋沢栄一の一生は知らないことばかりで

期待が膨らみます






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