昨年の秋の終わりごろ、明日香村に行った時の写真です。
飛鳥寺の飛鳥大仏です。(銅造釈迦如来坐像・国宝)
あまり見かけないお顔の大仏さんですが、温かみがあり、身近に感じました。
実は、損傷が激しくて、当時のままの部分は顔の一部と指三本だけだとか。
神々の国、日本に仏教が伝えられたのは、
538年、百済の聖明王からとする説が有力です。
日本古来の神々を守ろうとする豪族の物部氏と仏教を受け入れようとする蘇我氏の間で
争いがあり、蘇我氏の勝利で仏教受け入れが整いました。
蘇我馬子は、推古天皇4年(596) 飛鳥寺を創建しました。
このお寺が日本初のお寺です。
お寺の名前には変遷があり、法興寺、元興寺、飛鳥寺(安居院)と変わっています。
創建時は金堂,講堂、回廊等を配した壮大な本格的なものでした。
このお寺の本尊として、飛鳥大仏(2,8m)がつくられたのです。
平安時代の前半と末期に火災に合い、荒廃していたのを江戸時代に再建されています。
飛鳥大仏の拝観は国宝なのに、そんな緊張感もなく手も届きそうな所におられました。
拝観者の入る床の高さと同じ高さに座っておられるのですよ!
じっくりアップで見つめる事が出来ます。
お寺側の案内の方も、近所のおじさん風で、ざっくばらんなお話です。
こういう感じで、明日香村の住人によって大切に大切に今まで
守って来られたのでしょうね。
飛鳥寺の近くに、
蘇我入鹿の首塚
蘇我馬子~蝦夷~入鹿と栄え大和朝廷の有力者入鹿が
日本で初めてのクーデターと言われる大化の改新で討たれました。
その時、入鹿の首がここまで襲ってきたと言われてるらしいですが…
先を急いでて、ピンボケボケの写真になりました 。
後方に見える小高い丘は、
甘樫の丘(あまかしのおか)
飛鳥路を歩いたこの日の最後のチャレンジでした。
頂上の展望台へと登りましたが、階段が~
でも、見事な眺めでした。
大和三山が見えると言うのですが…?
畝傍山、耳成山、香具山(うねびやま、みみなしやま、かぐやま)の三体ですが…
どれがどれやら?
飛鳥寺が見えます
どの山がどれなのか?
采女の袖ふきかへす明日香風 都を遠みいたづらに吹く
志貴皇子の歌
この歌を刻んだ歌碑は2か所で見ました。
采女の袖を吹き返した明日香風は、都が遠のいたので、今はただむなしく吹いている
犬養孝 書
(明日香村名誉村民)
独特の旋律で朗々と万葉集を歌われた声が思い出されます。
今回の散策だけではまだまだ見る所を残してしまいました。
明日香村は、山あり、田圃道あり、たまに自動車道も横切りますが、
田園風景には大らかさを感じました。
又訪れて見たい所です。