さすがに、台風には致し方なかった大河ドラマ「西郷どん」
大河ドラマが放送中止になるなんて今までにありました?
西郷どんの舞台になった、奄美大島、徳之島、沖永良部島
毎年、台風の直撃する島ですよね
鹿児島の枕崎も
台風警報発令
枕崎南南東 風力3 965ミリバール
なんて、数字は適当ですがこんな名調子が流れていた、昭和
昭和を遡ること、約100年
西郷どんの話に移さなくては(;´∀`)
そんな、遠い島での暮らしから幾ばくかの月日が流れ、
温かい人々に助けられ命をつないだ島暮しの頃の西郷どんは
ここにはいない
大政奉還を越え
戦の鬼と化した西郷どんは、
すべての民が安心出来る世をつくる、この言葉を忘れてる…
第37回 江戸無血開城~西郷と慶喜
鳥羽伏見の戦いで、
新政府軍と旧幕府軍はぶつかり、激しい戦いとなった
そんな時に岩倉具視は偽の「錦の御旗」を掲げ
一気に新政府軍は優勢となり、慶喜は大阪城を抜け出し江戸へ逃げた
江戸へ逃げた…
慶喜とはどんなひとだったのかなあ~?
諸説ある中、心が反応したフレーズがありました
”幼少期から聡明にして文武に長け、
徳川家の期待を常に一身に背負い続けた徳川慶喜
それどもようやく3度目の正直で将軍職に就いたときには、
徳川幕府はすでに沈みかかった泥舟状態でした”
言わば、
二百五十年余り続く老舗の後継者にまつりあげられた御曹司
しかし会社はすでに経営は傾きかけ、
社員たちも、もう言うことを聞かない
と、大変な時にトップに据えられたのですね、慶喜さん
徳川は永遠に不滅!と思っていたかどうかは分かりませんが、
ずう~っと戦もなく続いた江戸幕府ですから
経験のない戦なんか、したくもないのが道理ですよね
慶喜は秀才だったんですね~
ですが、敵前逃亡する自己保身の人と、厳しい評価が残っています
「西郷どん」では、その悪評を打ち消すようなセリフがありました
慶喜はやって来た西郷どんにどう責任を取れば許されるのか、
切腹覚悟の白装束で西郷どんに会って、
『フランスのロッシュは、幕府を援助する代わり、
薩摩をよこせ、と言った
その時逃げるしかなかった
逃げなければ、戦は長引き、その時こそ日本は終わる
日本は異国の手に渡る
日本中でフランスとエゲレスが戦い、勝者が日本を乗っ取るのを防ぐため
私には逃げるしかなかった…』
西郷どんもこの言葉には、感じ入ったようで
『慶喜様でなく、あなたはひー様だったのでのでございもすな
おやっとさあでございもした』
いいシーンでした
一方、このドラマの時代考証をされている歴史家の磯田道史さんは、
こんな風に慶喜を表現されてます
『平時の慶喜、乱世の西郷、つまり、気の毒な将軍…』
なるほどね
戦のない時代なら、上手く将軍を務めただろうに、
250年も戦のない幕府の中にいた徳川のDNAは、戦に対応するような
突発事項には、とんとだめだった
ということなのですね
のんびり、ゆるりと生きたかったひー様
その点、西郷どんは何度も死にかけながらも生き永らえた人
ちぇっそ~~!
きばれえ~~!
ですもん
じゃっどん、西郷どん、それにひー様
心が通じてよかったですね♪
それにしても、「錦の御旗」を掲げたことが、
それほどに日本の歴史が大きく動いたことに係わってたとは
知らなかった…
鶴瓶さんのお手柄?
いやいや、岩倉具視さんのです(;´∀`)
「龍馬伝」だの「篤姫」だの「八重の桜」だの、
ぼぉ~~っと見てたのね~(T_T)