光秀の前に現れた影は…麒…
麒麟がくる
最終回 本能寺の変
麒麟がくる、終わってしまいました
何ともびっくりな終わり方でした
丹波の福知山市には、私も6年ほど暮らしたことがありますが
光秀が山崎の合戦を生き延びて、
麒麟を呼び寄せることを願いながら
丹波で暮らしていたとは、聞いたことがありません
ほんとに市川海老蔵さんのナレーションがとんとん進み
光秀の終焉をいとも簡単に縮めてしまいました
そして、現れた字幕が
本能寺の変から三年後
戦さのまだ続くなかの束の間の平穏と見ていいのか
駒ちゃんが活気ある市の中で十兵衛様の姿を見、
声をかけ、追いかけました
辻を曲がった所は人も市の賑わいもなく
十兵衛の姿もなかった
実はですね、私の通った高校は元の本能寺とほぼ背中合わせ
学校の北側の道には
よく紹介される「本能寺跡」の石碑もありました
細い四角柱に本能寺跡の文字
決して立派な石碑とは言えません
ドラマの中の白壁に似てるような、多分現代の建造物を背にして
ぽつんと立っていた
建物の壁か空き地を囲った塀か分かりません
調べようとも思っていなかった
歴史にさほど興味のない高校生でした
今は少し東南の方向に行った所に
解説文も刻まれた立派な石碑があります
話が逸れましたが、
織田信長は明智十兵衛光秀が死ぬ間際まで
大好きだったのだと思う
何度も十兵衛は手討ちにされるのではとハラハラすることがあった
それでも信長は殺しはしなかった
かなり虐待していたけど
「僕の考えを分かってよ」
と信長は訴えていたような
十兵衛は、賢くて優しくて実直な人柄
今の信長の野望には同意できなかった
信長が自分が変わったのは十兵衛のせいだと言った時
十兵衛は心にグサッと来たのでしょうね
その頃もう、家康も分っていたのですね、十兵衛の心を
家康の使いで来た菊丸は十兵衛に着くと願い出たが
「この戦は所詮、己ひとりのものと思うておる」
と十兵衛は、一人で担おうとする姿勢を見せた
信長と十兵衛の連帯責任、運命共同体?
麒麟がくるの中の本能寺の変
丁寧に描かれていましたね
謀反人が十兵衛と分かった時
”十兵衛 そなたが…
そうか…
十兵衛か…
であれば 是非もなし”
矢が刺さったままの傷からにじみ出た血をなめる
鬼気迫った信長でした
そして矢を放ち、或いは槍を持ち敵に向かって行った
塀の外から、幾本もの矢が飛んでくる
鉄砲の音が耳をつんざく
だけじゃない
弾が吸い込まれるように自分に飛んでくる
塀の内にはもう大勢の兵が槍や刀を振り回し
どう見ても多勢に無勢
見事な槍さばきの信長
その槍が相手の兜を叩きつけた時
折れた
刀に持ち替え敵に向かうも傷だらけの体
最期を悟ったのだろう
蘭丸を呼び奥の書院へと入っていった
”わしはここで死ぬ
蘭丸、ここに火をつけよ
わしの首はだれにも渡さぬ
火をつけよ わしを焼き尽くせ”
現代もなお、信長の遺体に係るものは見つかっていない
完璧ですね
麒麟がくるで、光秀の本当とされるところを知れたと思う
ところが麒麟がくるで、結局
信長がかっこいい!
あの場で討たれるなら、信長に討たれて果てたいと思った
信長はどう脚本しても、かっこよくなる
そんな思いが残ってしまいました
”ときは今あめが下しる五月哉”
光秀の詠んだ連歌の発句とか
決起して信長を討ったものの、
残念ながら13日後には秀吉に追い詰められてしまう
三日天下
そうだとしても、立派な戦国武将でした
とにかく最終回を無事迎えることが出来て
視聴者としてうれしいです
作られる方々も大変だったと思います
こうしてみれば、大河ドラマに出演するということは
演技力だけではない、体力や精神力などなどを
兼ね備えた人でないと
ほんと、お疲れさまでしたと言いたいです
私は結婚後、何度かの転居がありましたが
京都から亀岡~福知山~京都~滋賀
知らぬ間に、光秀ゆかりの地を辿ってました
更に主人は美濃(岐阜県大垣市)の出身です
何なんでしょうか 不思議です
昨年は色々な理由で、
ゆかりの地を周ることは出来ませんでしたが
今年、世の中が平穏になることを、首を長~くして
待ちたいと思います
そして、叶えられたらひとつひとつ丁寧に
訪れてみたいと思います
どこかで麒麟に会えるかも…