kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

桜島3

2018-11-24 19:05:36 | 旅行

 

 

 

桜島ビジターセンターの中をうろうろしている時、

売店に幾冊かの本が置いてありました

ぺらぺらぺら…

ざっと見ると桜島の様々な表情の写真が続きます

最初のページに戻り、解説を読み始めました

 

「解説」この言葉は適切ではないかもしれません

詩、そんな感じを受けました

 

3ページ目の文章に

”阿蘇山にはじめて行ったのは中学校の修学旅行だった

火口のふちでクラスの記念写真を撮り、

写真屋さんから絵はがきセットを買った

そのなかの一枚に、まっ暗な夜の景色のなかで

火口だけが赤く光っている写真があった

ぼくはそれを見て、地球のなかが赤く光っていることをはじめて

 身近に感じた…

このときの絵はがきはどこかに行ってしまったが、

赤い火のことは忘れなかった”

 

大人になり、写真家になった作者は

阿蘇山で赤い火を見ることは難しいが、

桜島なら今も噴火しているから見ることが出来ると、

阿蘇山に行った時、地元の人から聞きました

こうして、桜島に何度も通い、桜島にとりつかれ、

様々な様子をカメラに収めることが出来、

その後、色々な所でその写真を掲載されるようになったそうです

 

そのひとつが、この本

「月刊たくさんのふしぎ・桜島の赤い火」

 

噴煙、火映(赤い火の正体)、火山雷、ある時は雪の積もった桜島、

それぞれを見た時の作者の感動が、少年のように綴られていました

 

私は、噴煙を上げている桜島しか見てないのですが、

それでも夕日に反映して、山肌がピンク色に見えた時は心躍る思いでした

 

この作者、お名前は宮武健仁(みやたけたけひと)さん

徳島県のカメラマン

火山や水のある風景を撮るのを生業としておられます

いつも真剣に自然と向き合っておられるから、

ずっと少年のような心なのでしょうね

 

私の見た本は、2013年1月号です

この「たくさんのふしぎ」という月刊誌の発刊はずっと続いているようです

 

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月から兎が~?

2018-11-24 18:10:42 | 生きもの

 

ピンポ~~ン

近所の奥さんが、玄関に来られました

「どなたか、兎を飼っておられる方、知りませんか?」

エッ?

心当たりはありません

話によりますと、その方のベランダに兎が1羽、

迷い込んできたそうです

10階以上にお住まいの方です

 

いったいどうやって、そんなベランダにやって来たのでしょうか?

隣家との境には、2mを越える高さの防犯パネルで隙間なく遮断されてますし、

ベランダの手すりは丸くてその上を歩くのは

兎でも無理でしょう?

不思議

 

とりあえず、今は保護してる、とおっしゃってます

 

仕方がないので管理人さんに相談したらどうでしょうか

ということになりました

さて、どうされたのか、分かりませんが…

 

思えば、

ここ2、3日、見事なお月さんで、新聞やテレビで

道長の望月から千年の時が…

と、報じています

 

この迷子の兎は、あの美しいお月さんから

抜け出てきた…

 お月さんがすっかり隠れてしまう前に、お帰りなさいよ、兎さん

 

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道長の望月

2018-11-23 00:25:33 | 四季折々に

 

2018年11月22日 23:54 満月

 

月は頭の真上に、真っ白な光を力強く放っていました

 

まぶしい!

 

長く直視は出来ません

 

早速、ほぼバカチョンカメラを構え、ズームしました

 

今朝の京都新聞の第一面に、

 

”道長の「望月」輝き千年”

の見出しで、21日の月のことが書いてありました

載っていた月は、小望月だと思いますが、

ほぼ満月です、少し雲のかかった姿でした

 

さて今日は曇りの予報なので、どうかなあと思いましたが、

すっきりと見え、白いとても強い光を放っています

 

”この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば”

 

寛仁2年(1018)

藤原道長が京の邸宅で詠んでから千年後

同じ満月を見てるわけで、

これだけの光を放っていると、

道長のこのいささか鼻高さんの歌のままに

今の世も変わらずあなたの意のままに…

なん~て、魔法にかかったみたいに、

欠けることなき望月を、見ていました

 

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桜島2

2018-11-21 23:35:34 | 旅行

 

鹿児島最後の日、やはり桜島に上陸したいという結論に至りました

前回は、句碑のことでしたが、その前に見てきた所を

 

出発は桜島桟橋、ここからフェリーに乗ります

 

車も一緒に乗って来ます

フェリーなので当たり前ですね

でも、ちょっと感動してしまって(^-^;

 

 

 

お天気も良く、船も快適でした

デッキで、桜島の近付くのを見ていましたが、わずか15分で

着岸しました

長い長いターミナルの通路を抜けて、地上に足を、

降ろした~(^O^)/

 

パンフレットを見て決めていた所へ 

「月読神社」

港の真向かいです

 

 

小高い所にあります

 

 

月読神社の歴史は約1300年と古く、和銅年間には祀られていたそうです

御祭神は、月読命

木花咲耶姫命も合祀されていまして、そのことに因んで、

桜島は「サクヤ島」と呼ばれ、それが桜島に変化したという説もあるそうです

 

”説もある…” 

ということで他の桜島の名の由来とは?


*10世紀中頃、大隅守として京都から赴任した「桜島忠信」の名前からとった


まだあるみたいですが…

眉唾物もあったりして(^-^;

さてどれなのかなあ~


 奈良時代の噴火の記録には桜島は「麑嶋(鹿児島)」と記されている、と

へえ~! 驚きました

その鹿児島が、今の鹿児島のことになった時、

桜島は、「向島」になったそうです

 

 

 社殿を後ろにして鳥居の向こうに、

錦江湾とフェリーが見えました

ここから神様が行き交う船を見守って下さる、そんな感じです

 

大正3年の大爆発により社殿共に熔岩の下に埋没しましたが

昭和15年8月に現在の地に社殿を新築遷座されました


このあとは、桜島ビジターセンターへ行きました



歩いていると、[溶岩道路」の標識がありました

思い出します、修学旅行でバスに乗って通ったのが、ここなのか…


あの時は溶岩がごつごつした間を走り、所々黄色くなっていました

硫黄のせいらしく、確かに匂いました

何だか、ついこの間のことのよう…


桜島ビジターセンター

桜島のことを、紹介しています



玄関前には、とても大きな溶岩の塊が、

おそらく、運んできたのではなく噴火によってここにあるのだと思います

大正3年(1914)に大噴火の時の溶岩がこの辺りに流れ、

この辺の溶岩を「大正溶岩」といいます



こんな感じで、大噴火の時の溶岩が分布しています


 


ビジターセンターには興味深いパネルもたくさんありました



大正の噴火↓


地層の様子↓



溶岩と軽石と腐植土壌が、かわるがわる堆積しているんですね



2018年は、去年に比べ多いなあ

春に来た時も噴煙を見たし、秋も絶え間なく出てました



各家庭にこんな袋があるそうです

春に行った仙厳園にもたくさん置いてありました

回収に来てくれるんですよね

降灰、ではなくて、克灰、 

灰を克服するぞお~という気迫!


とにかく、鹿児島、桜島、皆さん少々噴煙を上げても

へっちゃらみたいです!(^^)!



”最寄りの退避壕”

緊急事態の時、この中に入ればいいのですね

実際見てないので分かりません、何人くらい入れるのでしょうか?


なかなかゆっくりもしていられない旅で、

先を急ぎませんと

 

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じゃっどん西郷どん31

2018-11-18 11:35:29 | 西郷どん

 

 

JR鹿児島中央駅です

 

 

 

斉彬様

愛加那さんも糸さあも、よかおごじょ♪

今の西郷どん、若い時と比べて肥えましたね

俳優さんってたいへんです

きっといっぱい食べて体重増やされたんですね

誰だったか、年配の役をするため歯を抜いたと聞きました、昔ですが

なんと、無茶しますね~

芸能人は歯が命、こういう命がけも?

 

大久保一蔵(利通)さん、海外派遣から帰って来ましたが、

外国の脅威を感じて焦ってるんですね

でも皆には伝わらなくて、

 

幼なじみも失ってしまいそう

 

西郷どんと一蔵さん、もう同じ方向に進むことはないのでしょうか

 

 

鹿児島中央駅からわずかな所に甲突川という川が流れていて、

その近くに、子供の頃の西郷どんと一蔵さんが住んでいた

加治屋町 

その辺りに、維新ふるさと館があり、もう少し川沿いに行くと

大河ドラマ館が開設されているが、もう間もなく閉館ですね

行かなかったなあ…

 

電車の中から大きな銅像が見えて、気になるので

電車を降りて歩いて10分ほど、

 

 

 大久保利通さんでした

 

 

鹿児島は、市電がいっぱい走ってました

あ、電車だけでなくバスもです

バスは路線の種類が恐ろしくたくさんあって、

一体、どれに乗ったらええのやら…

一度乗り間違いました(;´∀`)

 

いろんなラッピング電車が走ってるのに、

この時はたまたま同じのがすれ違い…

 

 

線路の周りに芝生が植えてあります

どうしてかな?

道からの照り返しを防ぐため?

火山灰対策?

聞けなかった…

 

 

 

 

ここをずっと歩いて行くと、

「維新ふるさと館」や「大河ドラマ館」があるので

時間があったら行こうと思っていたのですが…

 

 

前にもブログに載せた写真ですが↓

 

1865年に英国に留学した薩摩藩の若者の像です

「若き薩摩の群像」

 

 

菊次郎はこの中にはいないんですね、欧米への留学でしたものね

 

菊次郎は奄美大島から8歳の時に、西郷どんの家に引き取られ

12歳の時に欧米に渡り、2年半の間アメリカで過ごしました

 

どんなになって帰って来たのでしょうか

この後のドラマの中で、描かれるかもしれませんね

自信に満ち溢れ、また、しゅっとした好青年になってると思いますよ

 

 

こうして鹿児島に行ったことを思い出しながら書いていますと、

また、行きたくなってしまいますが、もうだめだめ

 

ほんと、いい所です♪

 

さて今日は、西郷どん

「さらば 東京」 

そうですか、そういう事になっていくのですか…

 

 

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冬の月

2018-11-15 00:29:31 | 四季折々に

 

 

14日の9時半頃の南の空を見てました

夜はもう寒いです

 

写真ではわかりませんが、かなり傾いてきて、

地上の光を反映してるのかオレンジっぽくなってました

ゴンドラみたい♪ ちょっと太いけど…

 

いのち短し 恋せよ乙女

紅き唇 あせぬ間に

熱き血潮の冷えぬ間に

明日の月日は ないものを

 

「ゴンドラの唄」 作詞は、吉井勇

この方、京都をうたった短歌がありました

 

かにかくに祇園はこいし寐るときも枕の下をみずのながるる


そういえば今月8日に「かにかくに祭」があったんですね

歌碑の前に祇園の舞妓さんや芸妓さんが集まり、故人を偲ばれます

この歌碑の建った日にちなんで毎年11月8日に行われます

 

以前は祇園を流れる白川のほとりにたくさんのお茶屋さんがあったそうです

吉井勇さん、祇園をたのしんでおられたんですね~

 

この唄、誰が歌ってたのかなと、検索してみましたら

あら、何人かうたっておられたみたいです

ちあきなおみ

小林旭

森繁久彌

へえ~、チューブも歌ってた!?

 

よく見たら、ユーチューブと書いてありました

たいてい、アルファベット表記なのに…(^^ゞ

 

歌手といえば、

 紅白歌合戦の出場歌手の発表がありました

出場してほしいなあと思う方々は…

 

でも、私はこの番組、昔からすきでして

色々な批判を聞いても、おもしろくないところも含めて楽しみます♪

あの方も出ないけど毎年、おこたに入って見てるそうです(^^ゞ

 

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桜島に句碑がありました

2018-11-12 15:57:03 | 旅行

 

 5日、6日と桜島を見ているうちに、行ってみたくなりました

鹿児島港からフェリーに乗って15分で、行けるそうです

高校の修学旅行以来、

??年ぶりの桜島上陸をしよう!

 

パンフレットに、著名な俳人の句碑がある、と案内されています

 

ちょっと時間が気になりますが、とにかく歩こう!

と、溶岩なぎさ遊歩道というところを歩きました

右側には、青い海と緑豊かな山、中腹にまで建物が見えます

 

前日はあそこから桜島を見ていたわけですか

鹿児島市街との間が、錦江湾、コンサート会場はどれかな?

とか思いつつ…

 

10分ほど歩いたら、

 

この階段をのぼると、

 

 

熔岩色を重ねて古りて冬ざれて   高濱年尾(1900~1979)

 

この方は高濱虚子の長男さんだそうです

熔岩色(らばいろ)と読むとは、全然知りませんでした

 

ここからまた、同じくらい歩くと今度も、

 

 

また、階段の上に句碑があるのですね

 

 

黒い桜島折れた銃床海を走り  金子兜太

 

よう分からん…

と思ったのですが、家に帰って撮った写真を見ていますと、

 

 

右から錦江湾に向かって、細く陸が伸びています

茶色く見えるのは熔岩が長年、潮や風にさらされ変色してしまったのかな?

 

昭和35年に詠まれた俳句だそうですから、半世紀前

その時は黒い熔岩が勢いをもって海に突き進んでたのでしょうね

 

この辺り、大正熔岩と書いてありまして、

桜島の噴火で近年一番規模の大きな時のものだそうです(1914年の噴火)

 

 

 

なぎさ遊歩道からは、生い茂った木々の向こうに桜島が半分見えます

 

松をたくさん見かけました

薄もたくさん

 

根付いて噴火で枯れて、また育ってまた噴火して

何度も繰り返してるのですね

活火山で、いつも噴煙を上げているようです

 

地元の方は、慣れてしまっておられるのでしょうか…

 

旅行最終日、列車の時間が気になるので、早めにまたフェリーで

鹿児島港へ戻りました

 

芭蕉、一茶、蕪村、子規くらいしか知らなかったのですが、

金子兜太、高濱年尾、覚えました♪

名前だけですが(^-^; 

 

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松山千春コンサートツアー2018秋 「ことば」

2018-11-09 14:57:53 | 松山千春

 

 

11月5日、鹿児島市民文化ホールにて、

今秋はこの日を選びました

大河ドラマ「西郷どん」に合わせての選択です

春に続き鹿児島なのは、前回はコンサートは熊本だったもので

充分見れなかった鹿児島に未練がつのり、贅沢やな、と思いつつ…

これが最後の鹿児島旅行の予定で…

 

が、予定は未定(^-^;

 

 

コンサート、今回も満席でした

巷では、痩せた?体調が悪いのでは?とのうわさが飛んでいるようですが、

まずは、元気なコンサートを見せてもらったことは事実です

 

副題「ことば」 そのせいでもないのでしょうが、

いろんな話がポンポン、出るわ出るわ

ひとつの話が終わらぬうちに、パッと次の話に移ります

私は、ちゃんと付いていきましたよ(;´∀`)

 

ああやっぱり月日は移ろい、人も変わる事は否めないなと思ったのは、

千春さんのお母さんのこと

「死ぬの忘れてる?」 とか、「俺に保険を掛けてる」とか、

とても元気なお母さんのお話しか聞いたことなかったのですが、

今回は入院されてると聞いて驚きました

 

病状は詳しくおっしゃいませんが、

お母さんは2人同室で、その患者さんをSさんと仮定します

Sさんと仲良くなられたのですが、

ある日、お見舞いに行くと、Sさんがおられずひとりになっているので

理由をいろいろ千春さんは、考えたそうです

のちに分かったことは、

お母さんが真夜中でも気にせず、大きな声で歌い出すので

寝むれないSさんは仕方なく別室へと…

 

千春さんのお母さんやわあ~千春さんもそうなるんやろな(^-^;

 

98歳になられたお母さん、

千春さんは少年時代はどちらかと言えばお父さんとの時間が長かったようですが、

その分今、お母さんとの時間をとても大切にされているのが伝わってきます

 

『百歳まで生きろよ、みよちゃん』

(お母さんはみよこさん)

北海道のお母さんに呼びかけるように、おっしゃいましたよ♪

 

とにかく、松山家は家族愛にあふれています

 

皆さん、そこに愛はあるんか、信じられる愛はあるんか!

 

あ~い~が~、いちばん~♪

(千春さんの歌ではありません)

 

我が家はどうなんでしょ(^-^;

 

 

さて、トップのCDですが、

「起承転結14」

デビューの時からずっと、出しておられる「起承転結」

14枚目になりました

シングル盤を集結させて、今回は、

2014年の春、秋

2015年の春、秋

2017年の春、秋

合計、6枚のシングル曲、13曲が収録されていました

 

デビューから数年後に出た1番初めの「起承転結」には「1」という字は無く

2番目の「2」から3、4、5、6…と今に至ります、それと、

2番目は「承」が、 3番目は「転」が、

4番目は「結」が、 

この字がひとつだけ大きいのです

あれ、「結」を大きくしたあと、どうするの~??

 

疑問はばっさり!

全部同じ大きさに戻りました(ノД`)・゜・。

 

CDアルバム「起承転結」は、松山千春の結晶です

 

今回出たシングル「ことば」

が、「起承転結15」のトップを飾り、発売されるのはいつでしょうか 

とにかく、千春さんも、私も元気でいなくては

「起承転結15」

には、巡り合えません

1に健康、2に愛情…?

 

愛が~いちばん~♪ ?

 

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桜島

2018-11-07 05:58:04 | 西郷どん

 

 

5日から鹿児島市におります

5日の松山千春コンサートのためにやって来ました

 

少し暑いなと思うお天気です

雨女としては上出来です♪

2泊過ぎまして今日の夜には家に帰ります

 

 

コンサート会場の前になんと、

どーんと、桜島!

びっくりしました

 

やっぱり、錦江湾に浮かっちょる桜ん島は、

まっことよか眺めでごわす♪

 

夕陽が山肌に反映して、うっすら赤くみえました

 

海沿いの、この辺り地名が与次郎というらしいのですが、

ウォーキングコースにしてあって、それらしき人がおられました

私も桜島を見ながら歩きました、30分位?

ウォーキング中の方と少し話したりしました

桜島も西郷どんも、飽きるくらいだそうですが

噴煙には閉口しておられる様子

真っ黒になる!

 

お国訛りはあまり感じませんねえ~

 

6時になって、コンサート会場へ

6時40分、開幕のブザーが鳴りました

さあ!

 

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じゃっどん西郷どん30

2018-11-05 12:28:29 | 西郷どん

 

菊次郎をみていると、愛加那さんを思い出します

よく似てます

この子をよろしく…と、

糸さあに頼むのも勇気がいります

頼んだ方も頼まれた方もたいしたもんですね

 

その子が今で言う留学を決心して、西郷どんと糸さんに

行かせてくださいと頼むところが、

とても礼儀ただしくてけなげで、

koh おばさんは胸がきゅーんとなりましたよ😅

 

愛加那さんも可愛くて壊れてしまいそうなのに

ほんとは気丈で一本筋の通ったよかおごじょですばい

島ではそんな母に育てられ、

薩摩では、武士の奥方や多分雪ぽうさあに武士の魂を示されて

立派な武家の子になりました

 

薩摩から船に乗ってエゲレスに着いた~ら

見聞を広めてくりしゃり~😌

 

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