kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

祇園祭と神功皇后

2017-07-27 16:36:16 | 歴史

 

 

祇園祭の後祭りも終わりましたが

 

行事は、7月28日の神輿洗や、31日の夏越の祓など、あと少し続きます

 

夏越の祓は町内の代表が八坂神社にお参りし茅輪くぐりを行ない、これで、

 

今年の祇園祭行事は終了します

 

 

 

ところで、山や鉾にはご神体が祀られているのですが、

 

その中で三基、神功皇后を祀っているものがあります

 

それは船鉾、大船鉾、占出山です

 

そしてこれがストーリーになっていて、

 

 

 

 

 

 

≪占出山≫

神功皇后が三韓征伐のため新羅に向かうのに先立ち

肥前国松浦郡玉島川で釣りをして吉兆を占ったところ鮎が釣れました

これは戦勝の兆しを示すものとされます

この「日本書紀」の話を題材にしています 

 

 

 

 

 

≪船鉾≫

 

そして船はいざ出陣ですが、

その時のことを題材にしたのが船鉾です

外征の時、皇后は妊娠中でした

それが所以で安産の神とされ、おなかには岩田帯(腹帯)を巻きます

それも、たくさん巻いてあり、それは後に、安産のお守りとして

妊婦さんに授けられるそうです

 

何故こんなにまでして、神功皇后は出陣したのでしょうね~

それは、

夫の仲哀(チュウアイ)天皇が熊襲(クマソ)征伐の最中、急死し、そこで皇后は

三韓征伐に武内宿禰を従え出陣したのです

どうやら、天皇は三韓征伐は反対だったようで、急死は祟りのせいという説も

 

 

≪大船鉾≫

(後祭りは行かなかったもので写真がないのです)

 

祇園祭の後祭りで最後を行く大船鉾、巡行の大トリです

これが、神功皇后の凱旋の様子を表しています

 

前祭の船鉾の出陣船鉾と、大船鉾の凱旋船鉾

特徴ある鉾の姿は、いいなと思います

 

女性天皇や天照大御神(岩戸山)をご神体にした山鉾もあるのですが、

鉾の世界は、未だに男世界、男尊女卑なところがあります

どちらかといえば、大昔のほうが平等だったかもしれません

ひょっとして、士農工商の階級が出来た頃から女性が下に見られるように

なったのかなあ?

 

全国のお祭りで男子の後継者が少なくて、

女性も参加するようになってきていますが、祇園祭もそういうところが

あるようです

長刀鉾のお稚児さんと禿は絶対男の子ですし、

お稚児さんに決まった男の子のお母さんは、お祭りの間

子供の世話も、子供に触れることも出来ません

 

こういったしきたりは、当然のこととして守られ、

反対する空気がなかったのかもしれませんね

 

さて、これから先はどうなるか分かりませんが、

千年以上続いてきたお祭りですし、更に守られてほしいです

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十七

2017-07-24 17:12:47 | おんな城主直虎

 

第29回  女たちの挽歌

 

挽歌、元は中国で葬送の時、柩を挽く者が歌った歌。

転じて、悲しみを歌った詩・歌・楽曲のこと

 

万葉集では人の死を悲しみ悼む歌

古今和歌集以後の哀傷歌

 

とありました

 

私は、挽歌というといちばんに、「石狩挽歌」を思います

 

” …あれから鰊はどこへ行ったやら

おんぼろろ おんぼろぼろろ… ” 

 

さて、戦国の女たちの挽歌は、如何に歌われたのでしょうか

 

 

直虎は戦をせずに済むようにと手段を講じ、

徳川に書状を出しました

 

『戦をここでとどめるというお考えはないか、

例えば、御家が上杉家と結ぶなどして…』

 

ところが、情勢は刻々と代わり、この書状は功を奏すどころか、

三河がもめる引き金となったというのです

 

こんな時に今川は大切な人をなくしてしまった

 

寿桂尼がみまかられたとの知らせが入り、

畏怖の念もあれば、敬愛の人でもある、

直虎にとってすべてだった人の死に、経を捧げるのでした

 

徳川に出入りしている山伏の松下常慶が龍潭寺にやって来て、

井伊は今川か徳川かどちらにつくかと迫られます

 

「人間万事塞翁が馬

禍福は糾える縄の如し

沈む瀬あれば浮かぶ瀬もあり」

 

すみません、しつこかったですね(^_^;)

 

事の発端は、直虎が徳川に出した書状だというのです

直虎が半ば仕方なく徳川につくと答えると、

常慶は、虎松の母しのを人質にと伝え、去って行きました

 

庭の暗がりの中でこれを聞いていた政次は

 

『勇み足になってしまいましたな』

 

しのに自分から伝えようかと言った政次に、直虎は自ら告げると

 

覚悟をしていた直虎に、しののののしりは覆いかぶさって来ましたね

 

『要するに殿が大それたことをおやりになったせいで、

私を人質にという話になってしまったということにございますか』

 

『何ゆえ、かような小さな国衆が戦の勝敗を動かせるなどと思うのですか

思い上がりにも程がございましょう

気賀が手に入り、図にのられたのではございませんか』

 

しのさん、言うよネ~

 

でも、覚悟はしてくれたようで、受けてくれました

 

が、それを聞いた虎松は、そうはいきませんでした

 

母は行きたくないと言っているから、取り消してほしいと、

子供ながらにも、たいしたもので、あの手この手を考えだし

母の人質となることを阻止しようと努力します

 

すごいですよね、賢いのですね、

私でも、私の息子でも、あんな知恵はとうてい浮かびません!

 

母しのも、この出来事をもう一つの大切なことのため、利用していました

それは、いずれ頭首となる虎松のため、

大切な人を人質に出さねばならぬということを考えるための機会だと、

そのため敢えて行きたくないと虎松に言ったのだと

 

転んでもただでは起きないしのさん、

直親、直虎、しの

この三角関係の時も、この方は直虎よりも強烈でしたものね

母となってもそれは衰え知らずです

 

一方、母の愛は揺るぎないものと伝えておきたくて、

虎松に心のよりどころをしっかり残して、人質として旅立ちました

 

そりゃあ、もう二度と会えないという事も考えなければならない世ですものね

 

ここにもまた、戦国の理不尽が…

 

しのを送る代わりにひとつ望みがあるとし、

徳川が攻め入った折り、城は明け渡す

その先、兵を出さない

井伊と気賀以上の安堵は望まない

 

目指すのは、喜びに満ちた日、

民百姓、ひとりたりとも殺さぬこと

 

 そう、直虎は常慶にしっかというのでした

 

 

こうして、しのは松下家へと旅立ちました

 

虎松はこれからは、直虎と同じ館で暮らすことになりました

直虎は、虎松の父として

 

 

 (於:龍潭寺)

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十六

2017-07-24 17:12:11 | おんな城主直虎

 

 

第28回  死の帳面

 

例の如く、この題名は何かのパロディやないか? と

 

黒皮の手帖? ドラマが始まると、

 

「デスノート」

 

そのまんまでした

 

そして、その死の帳面の持ち主は、寿桂尼

 

 

今回は、今川尽くしでした

 

寿桂尼さま、心の臓を患いながらも、今川家のため、

死の帳面をしたため始めたのですね

 

和綴じの、黒と銀鼠色がきれいに配色された上に金片を散らしたような

渋い帳面でした

この帳面の表紙、ほんとカッコいいですね♪

 

 

 

名前が書きこまれていましたが、そのひとつが

「×尾張国・知多~水野弥平大夫」

その名前の上に、真っ赤なバツ印

 

この人は別名水野忠勝、今川義元、氏真の2代に従った、戦国武将

また於代の方(徳川家康の母)は義兄

 

直接話をした寿桂尼は、今川に対する寝返りの兆候が見えたらしく

その場で、バッサリ、命を奪いました

 

 また、直虎の名前もありました

「×遠江・井伊谷~井伊次郎直虎」

   

井伊谷の城主であること

父は直盛、目付に小野但馬、

徳政令を無いことにしてほしいとの申し出を聞き入れたとのこと

みたいなことが書かれてあるのかな?

 

寿桂尼は、直虎を駿府に呼び、過去にあった直親の暗殺のことを

どう思っているか問うた

 

『家を守るということは、きれいごとだけでは達せられませぬ

大方様のなさったことを責められる者がおりましょうか』

 

『狂うてでもおらねば、手を汚すことが愉快な者などおりますまい

汚さざるをえなかった者の闇はどれほどのものかと』

 

この率直な言葉が、寿桂尼にどう響くか、心配なところです

 

その場では、寿桂尼は、直虎に過去を謝り、

これから先も今川を見捨てないでほしいと涙ながらに訴えていました

 

直虎も後見を許してもらったことや、

寿桂尼の書いた「仮名目録」が励みになったことを感謝した

 

のですが、やはり、表向きと本心は違っていました

 

直虎が娘だったらどれだけよかったか、と寿桂尼が思う分だけ、

直虎を敵にまわせば今川にとって良いことなどないと思うことなど

容易に想像つきます、私でも…

 

死の帳面に記されたことは筋書き通りに運ぶことに変わりはなかったのです

 

すごいな、戦国の世を生きる女性は…

 

井伊谷に戻った直虎は、

『それでも我らは寝返るのじゃの、すべての恩を忘れ…』

 

これが、井伊の判断でした

 

今川、武田、上杉、織田、徳川、北条

戦国ほぼオールスターキャストではないですか

 

この間を井伊はどう渡るか、南渓和尚、政次と直虎と、

話はもつれて行き、井伊は絶対戦を避けるはずが、

戦の真ん中へ引きずり込まれる可能性が濃くなって行きました

 

直虎、戦のこととなるとちょっと優しさが邪魔してるような…

 

政次、南渓和尚、全面的バックアップお願いしますよ!

 

 

 

 

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暑中お見舞い申し上げます

2017-07-23 16:52:46 | つぶやき

 

 

 

 

梅雨は開けたというのに、何とも湿度の高い毎日です

 

「不快指数」 という言葉は最近TVであまり使われなくなってるようですが

もう使わないのかな?

  

それでですね、この不快感のせいか、年のせいか、両方か、

 

とにかく、事がスムーズに運びません

 

特に、ブログが\(-o-)/ オテアゲ

 

一応主婦ですので、あの用事をして、この用事をして、

そしたらブログをしよう~♪

 

と思いながら、なんとか片付いたな、という頃には、

もう、まぶたが、閉店ガラガラ~~

 

そんな繰り返しです(T_T)

 

改善しなくてはね

 

ただ、なんとか体が動いてくれているのは、嬉しいことです♪

 

あちこち出かけたい所もあるし、体調管理していかなくては

 

おいしいビールも頂きたいし プハア~

 

気まぐれなブログアップですが、どうぞよろしくお願い致します

 

 

 

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祇園祭山鉾巡行・前祭(2017)

2017-07-21 01:07:10 | 行事

 

 

7月17日、山鉾巡行、見て来ました

 

カンカン照りでもなく、それに御池通のケヤキ並木の木陰にいましたので

祇園祭の割には、涼しくて楽でした♪

 

巡行されてる方々も、心なしか例年より元気そうに見えましたよ

雨の中とか、カンカン照りの中とかが多い祇園祭ですので、

毎年大変だと思います

 

 長刀鉾

 

今年は、雨除けのビニールで覆われた山鉾も2~3基だけで、

見ごたえがありました

 

 

長刀鉾 

 

くじ取らずの長刀鉾といわれ、毎年先頭を行きます

 

ちょうど、お稚児さんが身を乗り出していますが、「稚児舞・ちごまい」により

道を祓いながら進みます

稚児舞は「太平の舞」 と言い、四条通での注連縄切りの時や巡行中、

町名が変わった時に舞います

 

鉾の名前でもある「長刀・なぎなた」は、伝・三条小鍛冶宗近作で

疫病邪悪を祓いながら進みます

巡行中、刃が八坂神社と御所の方に向かないようにしています

 

 今年の前祭巡行の順番は

 

長刀鉾→占出山→孟宗山→霰天神山→函谷鉾→伯牙山→四条傘鉾→

 

→芦刈山→月鉾→山伏山→油天神山→太子山→鶏鉾→木賊山→綾傘鉾→

 

→蟷螂山→菊水鉾→白楽天山→郭巨山→保昌山→放下鉾→岩戸山→船鉾

 

の23基です

 

祇園祭は、

平安時代、京の都に疫病が流行したくさんの人が亡くなったのですが、

神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り厄災の除去を祈ったことに

由来します

 

平安時代の中頃からは規模も大きくなり、

空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。

 

室町時代になると町々の山鉾が特色あるものになってきました

 

応仁の乱(1467)で、祇園祭も中絶しました

この時と、第二次世界大戦の時の二回、祇園祭は中断しましたが、

それを除けば、千年以上続いているお祭りです

 

応仁の乱のあと、お祭りが再開した時から、

山鉾巡行の順位をくじで決めるようになりました

それまでは、順番について争いがよくあったそうです

 

毎年、くじ取式は7月2日に行われ、くじ取らずの9基の山鉾以外の順番が決まります

 

今年の前祭の「山一番」は「占出山」が、引きました

 

占出山がくじ順が早いと、その年の出産は安産になる、

といわれています♪

 

占出山

 

御神体は神功皇后

安産祈願のさらし木綿の腹帯を巻いての巡行です

また、右手には釣竿、左手にも魚らしきものが…

 

神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って、

戦勝の兆しとしたという故事が元となっています

 

それは、日本書紀(720年)・肥前(佐賀県)風土記によりますと、

 

 神功皇后が4月上旬に松浦・玉島の里の小河で食事をし

その後 「西の方、財(タカラ)の国を求む(新羅征伐の意味)」

と釣り占いをしたところ

「希見(めずら)しき物、細鱗魚(アユ)が釣れた。

針を曲げて鉤(ハリ)をつくり飯粒を餌とし裳の糸を抜き取り釣りをした」

 


「鮎」 魚で占うことがあったので、それにアユが関係したので「鮎」となった?

 

 

身重であった皇后は凱旋後に無事出産しました

その縁で安産のお守りと腹帯授与があります。

 

宵山の日、会所(鉾町の家)では


” 安産のお守りはこれよりでます 

ご信心のおん方様は 受けてお帰りなされましょ

 ろうそく1丁献じられましょう ”


と、子供たちが浴衣姿で唄います


わらべ歌のような雰囲気の歌ですが、ひょっとしたら、

CMソングのはしり?

 

また唄にある「ろうそく」ですが、

自分が献灯したロウソクを、短くなるまで待ってから持ち帰り、

いざ陣痛という時に、神棚にそなえて残りを灯すと、

燃えきるまでに子供を授かるといった言い伝えも…

 

 

懸装品は水引が「三十六歌仙図」

前懸「厳島之図」

左右の胴懸「天の橋立」 「松島之図」

 

前懸、左右の胴懸は

天保2(1831)年に構想されたもので、日本三景を綴織で表現しています。

 

 

 

 

 山一番のくじを引いたのは、やっぱりラッキーです、

占出山さん

今年はいいことありますように、お願いします

あ、私は安産は関係ないですけどね

 

前祭の全部で23基のうちの2基でした<m(__)m>

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十五

2017-07-16 18:32:36 | おんな城主直虎

 

 

第27回  気賀を我が手に

 

 

『おとわが、気賀をとったぞ…』

 

 

 

政次は井伊家の始祖の誕生した井戸に、お神酒を供え、

井戸のそばにある橘の木に向かって静かに話しかけていました

 

おとわが、気賀をとったぞ、

この言葉は、誰に向けて言っていたのでしょうか?

 

きっと、亀の丞(井伊直親)だと思います

 

幼なじみの三人のひとり、井伊直親は今川から元康(徳川家康)と

内通しているのではないか?

という疑いをかけられ、今川のもとへ申し開きにいく途中、

今川の手の者に、不意を突かれて亡くなっている

それは、直虎がまだ、次郎法師として龍潭寺にいた頃のことでした

 

 

 

 

 辛いことばかりだったおとわ(直虎)に、ようやく明るい出来事がおとずれ、

難しい立場ながら、影から直虎を助けてきた鶴丸(政次)は、

幼かった頃の三人の絆を思いだし、亀に伝えたのでしょうね

 

 

 

そんな三人の様子をずっと見てきた南渓和尚も、

鶴は一番つらい立場のまま、

ここまで来たことを労をねぎらうようにそっと見やっているのです

…と私は思います

 

こうして、「堀川城」の城主となった直虎ですが、

ここに来るまでには、井伊の者たち、気賀の者たちの働きがありました

 

宗久が、城主となることを提案すると、時を同じくして

中村屋さんはじめ、気賀の商人たちも、お願いに来ていました

 

そもそも新しい城は、大沢基胤が兼任することになっていたのですが、

そこを、首をすげ替えようと、井伊家は考え、

方久は大沢を、政次は今川氏真を、説得に駆け回ったのです

 

大沢は、たくさんの城を兼任しているから楽をしたいらしい

氏真は妹の夫、武田義信が自害したことを聞き、自暴自棄になっている

こんなこと言うのは、ひんしゅくを買うかもしれませんが、

おかげで井伊に気賀を任せることは簡単に決まったのです♪

 

 

龍雲党は、城の普請をぜひやりたいと中村屋に申し出ていたので、

建築業者もすんなり、龍雲党に、 

 

ガッツポーズ!

 

 

 

堀川城

 

龍雲丸の考えた城は、ひとくちに行って、逃げるのに都合のいい城

元々盗賊ですから…ですって(^_^;)

 

満潮にならないと、城には近づけない

 

万が一、攻めて来れば、隠してある船で、裏から逃げる

 

そんな、水上の城郭でした 

 

 

直虎が、政次に感想を聞くと、

Good!

よかったですね♪

 

 

この堀川城は、都田川の現在のみをつくし橋の下流

浜名湖河口近くにあったのですが今は、ありません

 

 

みをつくし橋

 

この橋よりもう少し向こうだったと思います

 

 

気賀と関わりの深い、井伊家と気賀の商人たちは、これで、

今川の家臣に惑わされず、気賀に繁栄をもたらすことだろうと思います♪

 

さて、これで気賀はまずは落ち着きましたが、

武田義信の自害により、今川と武田の関係はどうなるのでしょうか?

 

時は戦国時代、

刻々と、世の中が変わって行きます

いつ命を落としても不思議でないのはすべての戦国武士です

 

ドラマも、中盤ですがこのあと、どう動いていくのか

 

今日、私は夜8時に見ます

 

ひと足はやく、BSをご覧の方、どんなですか?

 

ではまた

 

 

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月一のシニアクラブ

2017-07-14 11:58:16 | 行事

 

 

月に一度の、シニアのためのカルチャークラブ「寛裕塾」 

 

7月はおくどさん体験でした

 

行き先は、滋賀県高島市の安曇川泰山寺地区 

「ソラノネ」

 

 

私達はマイクロバスで行ったのですが、県道から脇道に入り、

細くくねった道を行きますが、両側は木や草ばかり

こんなに山の中を、いったいどこへ連れて行くの?

 

と誰もが思う道でしたが、突然、ぱあ~っと視界が開け、草原と小屋が見えました

 

 

イチョウの大木

シンボルツリーですか?と尋ねるとはいッと♪

樹齢は聞けませんでした

 

 

 

ちょっと北海道の雰囲気ありませんか?

 

 

 

ジャガイモ畑? 

 

 

 

 モンシロチョウが飛び交ってました

想像もつかない飛び方、右へ左へ、上、下、\(◎o◎)/

 

  

ここは、山の中ですが、比較的平地です

元は荒野で、戦後開拓者たちによって作物を育てるまでなりましたが

今では耕す家が減ってるようです

 

その土地に「ソラノネ」というエリアが創られました

 

比良山系からの湧水、肥えた土壌、竃(カマド)の火、

これらから、自然と人との関わりを感じる、

そんなことを、伝えようとしている

 

土はほんとに黒々して、歩くとふわふわがよく分かりました(イイツチ♪)

 

でも、私みたいな凡人は、竃で炊いたごはん

まずは、味わいたい

 

 

自分たちで薪を割り、お米をかし、竃に掛け、

炊きあげます

お米をかす段階から湧水を使います

水加減、これが~~~(ーー;)

1杯、2杯、3杯…

14杯入れるのですが、アレッ?

15杯入ったん違う?疑惑が!

 

火加減は初めから強火、グツグツという音を聞き取り、火を弱める

ビチビチ…と言い出したら出来上がり

 

 

さて、炊き上がりは、

大丈夫でした~ ホッ

 

 

おこげもちょっぴり♪

 

 

 

 この竃は、薪をくべる口は、右だけ

竃の中は右から左へ火の抜ける空間があります

お米を炊くほどの火力はないですが、保温、お湯を沸かす、

じっくり火にかけておく調理に向いてます

余熱利用の、省エネ♪

 

久々に、けむたい

この感覚ひさしぶり

 

 

 

おかずは、どこまでが自給自足かは分かりませんでしたが、

お店が用意されます

 

かまどごはんは、みんな、おいしいおいしいとおかわりして、

残った分は、おにぎりにして持って帰りました

 

お釜洗いは、しなかったけど…?

 

しばらくの自由時間、

 

 この広い野原いっぱい♪

 

私は歩き回りました

朝のうち雨が降ったので足元が濡れましたが

それでも土がふわふわで、気持ちよかったです

 

 

 

ポニーがいました

 

シロツメグサが、好きだそうですよ♪

ムシャムシャ食べてました

手綱を引いてる方に、人参とどちらが好きですか?と聞いたら、

『人参、甘いからな♪』 と答えが返って来ました 

 

 

 

ブルーベリーの木を何本か見ました

 

完熟にはまだ少し時間が必要ですね

 

7月終わり頃から8月、摘み取り体験できるそうですよ

 

 

19世紀から20世紀になるとヒトの世界が自然の世界を圧倒し始める

ソラノネの方は竃を使う事で、その事を考えてほしいと

思っておられます

 

近畿の水瓶、琵琶湖を持つなど、

滋賀県は率先して地球環境を考える立場かもしれません

 

もちろん、滋賀県だけでは何もできませんが、常に、念頭に置くべきかと

 

あ~家では出来ない羽釜ごはん

ごちそうさまでした

 

 

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夏のSL北びわこ号

2017-07-12 19:10:33 | つぶやき

 

 

今年の夏のSL北びわこ号の、例の梅小路車庫へお帰りの姿を見ました♪

 

いつものように、バックでディーゼルに引かれて梅小路へ帰ります

 

 

雨が降ってましたので、蒸気がどんな風に見えるのか?

 

すると、いつもよりたくさん白い蒸気が出てるような、

汽笛も、大サービスで、嬉しいですね~♪

 

 

北陸線、米原~木之本駅間(22.4km) を走ります

 

途中停車駅が、

長浜駅、虎姫駅、河毛駅、高月駅

終着の木之本駅ではイベントもあるようです

 

 

普段は京都鉄道博物館で展示されているC56形160号機

愛称が「ポニー」

が、そのお役目を担っています

 

客車:12系客車5両、定員424名(全席指定席)


 

7月はあと16日だけですが、日に午前と午後の計2回の走行があります

(次は9月にあります)


どうして、汽笛の音って、ワクワクするんでしょう

心なしか、ジーンとしてきて


このポニーの家、京都鉄道博物館は、開館が2016.4.29でした


実は、昨年末見学に行ったのですが、カメラの調子がおかしくなり、

スマホで撮ってたので、アップしなかったのですが

 


正面玄関を入ると、この光景が目に飛び込んできます



これ、日本を走ってたのですか?



新幹線N500系      月光       雷鳥

それぞれの時代を駆け抜けた、特急ですね

 

転車台と扇形車庫

車庫には、蒸気機関車がズラリと並んで、お召列車もありました

 


 

実際に回転させて見せて下さいます♪

これは、「つばめ」でした


この施設は、前身の「梅小路機関車館」の時からのものです

SLスチーム号

毎日、乗客を乗せて鉄道館から、少し走ってくれます

観覧位置から近いので、汽笛の音の大きいのなんのって(>_<)



1Fには、車両のあゆみや、車両のしくみ、鉄道の施設(指令室など)を

紹介しています

 

国鉄が終わり、

 

JRとなった

旅立ちとありますが、この頃「いい日旅立ち」を百恵ちゃんが歌ったのかな?

 

 

話には聞いても、乗ることはなかった列車の名前が並んでいました

 

 

トワイライト・エクスプレス

こちらも、乗りたい乗りたいと思いながら結局乗れなかった…

 

昔は北海道に行くことからして、夢でした

 

 

 

 

 

車体が頑丈でひと回り大きく思えました

 

 

今年から、トワイライト・エキスプレス「瑞風」デビューとか

乗るのなんて無理ですけどね…

 

京都鉄道博物館は、カメラが不調で気合が入らなかったので、

ここも、リベンジしたいです

ああ~リベンジばかり~(;一_一)

 

 

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エキスポシティ

2017-07-09 18:05:47 | 散策

 

 

エキスポシティは、 

万博公園あとの大型複合施設です

少しブラブラしました

 

レストランに、ショップ、映画、水族館、観覧車、キャラクター館、

英語を学べるところまで、いっぱいありますが、

 

とりあえず、水族館らしきところへ

 

「NIFREL・ニフレル」

 

魚、鳥、動物が居まして、それらにふれることが出来ます

 

…にふれる…からの、ニフレルのようです

 

手の届く所にいるので、動物嫌いな方にはちょっと…

 

 

クラゲ、本物ですよ

 

 

カクレクマノミ

 

 

ナンヨウハギ

 

 

 

アカシマシラヒゲエビ

 

鉄砲魚

一昔前、よくテレビや雑誌で見ました

 

 

シマフグ?

 

 

 裏返ってるカブトガニ

 

 

ダイオウグソクムシ

 

ダイオウグソクムシと機動戦士ガンダムの「ザク」は顔が似てるような…

 

エキスポで、「ガンダム&ザク」がニフレルの近くに立っていました

 

 

4mくらいあるのかな?

 

「機動戦士ガンダム」は2019.4.9で、第1作の放送開始から40周年を迎えます

右下にある電光掲示板はそれをカウントダウンしています

 

 

オウムガイ

睨んでる…

 

ポルカドット・スティングレイ

 

アマゾン川にいるそうで、 尻尾には毒のトゲを持ち、これで身を守ります

しばらく水槽に向かうように動いていたのですが、突然、

横になってじっとしてしまいました。

すねたのか、疲れたのか、甘えだしたのか?

可笑しかった♪

何してんでしょうね(^^♪ 

   

 

これは?カサゴの仲間だったと思うのですが…ボロカサゴ?

大の字になって立ちはだかってます

怒ってますねきっと

タヒチアンダンスしてるようにも見える?

 

 

 ハナミノカサゴ

 

へコアユ (頭が下です)

敵に襲われると、横になって普通に泳いで逃げます

 

 

 

水族館だけ? と思っていると、

 

 

 ホワイトタイガー

 

飼育員さんが、上の方でえさを準備し始めています、見てますね~

 

 

 頭上の梯子をゆっくり歩いてえさに近よっていきます

 

 

飼育員さんは、わざと食べにくい様に餌を仕掛けてました

ロープに引っ掛けて、吊るして、ブラ~ンブラ~ンと 

運動不足にならないようにということもあるようです

 

 

しばらくうろうろして、ようやくお肉に飛びつき捕獲しました

 

一瞬で食べてしまいましたけどね(^_^;)

 

さすがに、ホワイトタイガーには直接触れることは出来ません

 

ギニアエボシドリ

 

 

 

扇バト

この鳥は、鳩の仲間ですって! 

 

ペリカン

大きいんですよ、向かって来ないか心配でした(・。・; 

 

大型の鳥が、けっこう怖かったです

 

1970年の大阪万国博覧会は、関西人としては

人生の中でも大きなイベントでした

3回行きました(^_^;)

 

済んでしまえば、取り壊されるということが寂しいなと思いました

 

当時のままなのは、太陽の塔と、日本庭園くらいでしょうか

 

千里ニュータウン、という大きな住宅地が同時に出来てましたね

あの頃、だだっ広い土地に、どんどん団地が出来て行く様子が

テレビでよく報道されていましたが、すごかったなあ~

 

あれもこれも、遠い青春の一コマですね…

 

 

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万博公園の日本庭園

2017-07-09 14:17:22 | 散策

 

先日行きました、万博公園内の日本庭園です

 

ここは、万博跡地でその当時のままに残っている所です

 

時間がないけれど、菖蒲園だけは見たいと、その場所に急ぎました

 

 

4つの時代の池が有るらしいのですが、見れたのはこれだけ

 一番、現代に近い様式の庭です

 

 

 

下の段が右にずれてますが、これが、アンバランスの美、

だそうです

 

菖蒲のいい時期に来れたようです♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大輪の菖蒲が咲いてました

 

花の名前やその系統が書いてあったのですが、記録できなくて

 

 

思いがけず、見れたのが、蓮や水蓮です

 

太古の蓮の種の化石から発芽したあの、≪大賀蓮≫があるとか、

 

架け橋からは遠く、なんとか写りますようにと、ズーム

 

大賀蓮

 

葉まで瑞々しい感じです

 

他にも

 

 

 

 

  

 

 全体的に少し時期が早かったようです

 

 

 

園内は広いので、こんな乗り物も走っていました

 

機関車みたいなバスです

 

乗りたいなとも思ったのですが、今頃乗っても中途半端ですし、

 

歩いてみんなと落ち合う場所に急ぎました

 

もうちょっと時間があったら、日本庭園の案内もしっかり聞いたりしたのですけどね~

 

残念

 

 

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