祇園祭の後祭りも終わりましたが
行事は、7月28日の神輿洗や、31日の夏越の祓など、あと少し続きます
夏越の祓は町内の代表が八坂神社にお参りし茅輪くぐりを行ない、これで、
今年の祇園祭行事は終了します
ところで、山や鉾にはご神体が祀られているのですが、
その中で三基、神功皇后を祀っているものがあります
それは船鉾、大船鉾、占出山です
そしてこれがストーリーになっていて、
≪占出山≫
神功皇后が三韓征伐のため新羅に向かうのに先立ち
肥前国松浦郡玉島川で釣りをして吉兆を占ったところ鮎が釣れました
これは戦勝の兆しを示すものとされます
この「日本書紀」の話を題材にしています
≪船鉾≫
そして船はいざ出陣ですが、
その時のことを題材にしたのが船鉾です
外征の時、皇后は妊娠中でした
それが所以で安産の神とされ、おなかには岩田帯(腹帯)を巻きます
それも、たくさん巻いてあり、それは後に、安産のお守りとして
妊婦さんに授けられるそうです
何故こんなにまでして、神功皇后は出陣したのでしょうね~
それは、
夫の仲哀(チュウアイ)天皇が熊襲(クマソ)征伐の最中、急死し、そこで皇后は
三韓征伐に武内宿禰を従え出陣したのです
どうやら、天皇は三韓征伐は反対だったようで、急死は祟りのせいという説も
≪大船鉾≫
(後祭りは行かなかったもので写真がないのです)
祇園祭の後祭りで最後を行く大船鉾、巡行の大トリです
これが、神功皇后の凱旋の様子を表しています
前祭の船鉾の出陣船鉾と、大船鉾の凱旋船鉾
特徴ある鉾の姿は、いいなと思います
女性天皇や天照大御神(岩戸山)をご神体にした山鉾もあるのですが、
鉾の世界は、未だに男世界、男尊女卑なところがあります
どちらかといえば、大昔のほうが平等だったかもしれません
ひょっとして、士農工商の階級が出来た頃から女性が下に見られるように
なったのかなあ?
全国のお祭りで男子の後継者が少なくて、
女性も参加するようになってきていますが、祇園祭もそういうところが
あるようです
長刀鉾のお稚児さんと禿は絶対男の子ですし、
お稚児さんに決まった男の子のお母さんは、お祭りの間
子供の世話も、子供に触れることも出来ません
こういったしきたりは、当然のこととして守られ、
反対する空気がなかったのかもしれませんね
さて、これから先はどうなるか分かりませんが、
千年以上続いてきたお祭りですし、更に守られてほしいです