現在、「龍馬伝・特別展」 開催中の京都文化博物館の中にある、
「ろうじ店舗」 です。
「ろうじ」 とは 「路地」 のことで、
京都の町の碁盤の目状にはりめぐらされた表通りを更に分ける細い道のことです。
豊臣秀吉によって都市計画が行われた時に造られました。
京の町で商いをする家には、その店に相応しい格子戸が造られていました。
ここでは、江戸末期の路地の風景が復元されています。
色んな格子を見ることができました。
麩屋格子
麩、湯葉、豆腐のお店に見られる格子。
出格子、鎧張りと呼ばれる下見板張りの腰の構造になっています。
酒屋格子
頑丈な荒格子、選び抜かれた角材を用い紅柄で色付けがされます。
堺戸格子
江戸初期に泉州堺から伝わったもの、鉄砲屋格子ともいい土間床の店先に用いられ
夜は納屋戸(板戸)を閉めて防犯効果を出します。
糸屋格子
糸屋、織屋などで使われる格子、「親通し切子格子」といいます。
太さの違う親子の格子のうち子格子の上部を切り止めて、内部の採光をよくして
色糸の選別や織物に適するようにしてあります。
仕舞屋格子(しもたやこうし)
町屋の中で商いを持たない家の構えです。
「仕舞屋」とは、商家が店じまいした→「仕舞うた」 からきています。
一般にはめ込み式で、内側には紙障子があります。
祇園祭の宵山には、格子を外し大切な屏風などを通りがかる人達に見てもらうのが
昔からの習わしです。
炭屋格子
色付けした板戸で、すき間を詰めて炭塵の飛び散るのを防ぐ気遣いがしてあります。
これはもう、格子というより塀に近い気がします。
今はもう、炭屋さんはありませんよね~。
米屋格子
頑丈な荒い格子、木地のままの平格子でぬかぼこりのため塗りを施さないのが普通でした。
これは、塗ってるような…? (博物館内のは、格子戸と職種は一致していません)
内側は雨戸締まり、無双締まり(引き違いの戸を締めて板張りのようにする)
昔はみな開放的だったらしいのですが、天命の飢饉や大火、米騒動などを経て、
豪壮な荒い格子が定着しました。また重い米俵を扱うゆえでもあります。
色々なお店がありましたが、
京の若手職人工房「粋匠」 の女性の職人さんが、漆細工の仕事に
励んでおられました。
卵の殻を張り付け、漆を磨きだす細工をしておられました。
なつかしいなあ~、小学校の夏休みの宿題に卵の殻を使って
絵を描いたものです。
殻に絵具を塗り、砕いてバラバラにし、それを画用紙にタイルを張るようにして
絵にしていく…、
段々面倒臭くなって、しまいには殻をつぶす前に張るという、手抜きをしたものです。
私の夏休みの宿題はともかく、伝統工芸とは根気のいる作業ですね。