kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

おみやげ三つ、たこ三つ~♪

2010-06-28 15:21:04 | 京都

「龍馬伝・特別展」 ではこんなおみやげを売っていました。

     

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日本を今一度せんたくいたし申候サブレ

    

 

サブレが 「せんたく板」 の形、本物今はとんと見ませんが…、

それから容器は 「たらい」 仕様です。

さっぱりとした味でした。 おいしい (^^♪

     

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「巾着袋」 「財布」 ? どう呼ぶのかな?

昔、家にも帆布で出来たこんなのがあり、なんだか懐かしくて

買ってしまいました。 こういう古臭いものに弱いんです、私 (^_^;)

     

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「柚子の香りのお線香」  

家のお仏壇のが無くなりかけていたので、ちょうどよかった (^^♪

柚子のいい香りのお線香。

火を付けた後の香りを大いに期待していたのですが…、

煙をおさえた分、香りもおさえられてしまうのかな~?

    

なんか、三つとも婆さんらしい買い物でした (>_<)

    

”おみやげみっつ~ たこみっつ~ 

    

子どもの頃、夕方まで友達とあそんだあと、こう言って、

ポンポンポン! と肩をたたいて別れたものでした。

…?

アレッ?

    

(^.^)/~~~ ~~~ ポンポンポン! ポンポンポン!

    

歌に合わせれば、三つじゃなくて合計六つ、叩いてた…?

      

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龍馬点22

2010-06-26 18:57:31 | 京都

久しぶりに、TV視聴率ランキング(関西地区)を、

 

    

<5月24日~30日> 

1位: 「龍馬伝」 ~龍という女~         21.1%

2位: 秘密のケンミンショー                   20.7%

3位: 報道ステーション(26日)          20.2%

      

<5月31日~6月6日>

1位: 報道ステーション(2日)                     24.3%

6位: 「龍馬伝」 ~池田屋に走れ~       18.6% 

      

<6月7日~13日>

1位: 「龍馬伝」 ~愛の蛍~            21.9%

2位: 行列のできる法律相談所           21.8%

3位: 臨場                        20.2%

         

<6月14日~20日>

1位: サッカーW杯 日本xオランダ        43.5%

2位: サッカーW杯 日本xカメルーン       41.8%

3位: 「龍馬伝」 ~寺田屋の母~         22.0%

      

サッカー、凄いですね!

とある、国民的行事と言われるものより、上ですよね、たしか。

    

さて、「龍馬伝」 ですが、お昼に再放送を見ていましたが、

なんでこんなに次から次へと困難に見舞われるの!

と思ってしまいました。 

龍馬さんが可哀そうで…(T_T)

とまあ、ドラマとはいえ、そんな気分になってしまいました。

でも、こんなことを先日聞きました。

福山雅治さんからです。

当然ですが、直接聞いた訳ではないんですよ。

例の如く、TV番組から仕入れた話です (^_^;)

      

Img_8732 アップな髪形も似合って

    

福山雅治さんいわく。

『 興味がある人物は、龍馬より (岩崎弥太郎) です。

どん底から這い上がっていった人だし、龍馬は、言っても (ぼん) ですからね。

若い時、江戸に行けたのも家が裕福だったから…、 

だいたい、こんな風な話でした。意外な言葉でした。が、

…その通りではあるのですが。

それでも、こんなにも大きく歴史に名を刻んだ人には

どれほどの苦労努力があったことだろうか、…と思います。

     

それにしても福山雅治さんの演じる 「龍馬」 は、どこか可愛らしさがありますね。

           

   

はい、話は変わって…

      

” 焼けて口開く 蛤御門 ”

    

京都にはこんなフレーズがあること、他でも知られているのでしょうか ?

    

時は江戸時代、宝永五年(1708)  京の町は大火にみまわれました。

禁裏(御所)、公家の家、町民の家々など京の町の中心は、ことごとく焼けました。

    

その後、御所は修復され外回りの築地に新しい門が三つ増え新在家口の門は

”大火のあとで開いた” ということから 「焼けて口開く蛤御門」 と言われるように

なったのです。

そして、元治元年(1864)七月 

「蛤御門の変(禁門の変)」 で約三千の兵力で上京した長州軍は

この辺りで御所を守る薩摩・会津など幕府軍と激戦するも敗北に終わりました。

     

Img_3807 蛤御門

     

     

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樹齢三百年の清水谷家(しみずだにけ)の椋(むく)

      

これは京都御所の中でこの辺りは清水谷家という公家の屋敷跡であり、

この大きなムクの木は 「清水谷家の椋(むく)」 と呼ばれています。

禁門の変の時、長州藩士で遊撃隊の総督であった来島又兵衛(きじままたべえ)が

この木の付近で討ち死にしたといわれています。

この木も、蛤御門の変の舞台となったのでした。

    

蛤御門のあとも、幕府は手を緩めることなく、西郷隆盛を参謀とする

長州征討軍を出立させたのでした。

このあとはドラマもまだのことですし、いずれまた…。

     

     

     

     

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南アフリカもイギリスもグリーンの上で燃える

2010-06-25 11:23:48 | スポーツ

   

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日本中の方々がサッカーに燃え上がってる頃、

「ウインブルドン選手権」の熱戦も放送されていました。

シャラポアはいつものように、ラケットを振るたびに 

『フォッ!』 なのか 『ウッ!』 なのか?

パワフルな吐息?をコートに響かせながら…

     

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<女子シングルス2回戦>  

マリア・シャラポア(ロシア) vs イオアナラルカ・オラル(ルーマニア)

結果はシャラポアの勝利!

     

私は、天の邪鬼なのかな~? 

サッカー、あまり分からなくて…、かと言って、テニスも詳しくはないけれど… (^_^;)

      

ところで、この芝生、開会式の日には、

    

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この日のために一年間、管理され続けた芝生のこの美しさ!

それが、なんと!

激しい試合が繰り広げられ、わずか4日間ほどであんなに痛んでしまうのですね。

  

<男子シングルス1回戦>

ニコラ・マユ(仏) vs ジョンイスナ―(米)  

ではテニス史上最長、10時間の死闘! となりました。

闘い済んで…

    

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サッカーに負けず劣らず熱戦が続いています。

    

    

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ろうじてんぽ(京都文化博物館内)

2010-06-25 02:55:16 | アート・文化

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現在、「龍馬伝・特別展」 開催中の京都文化博物館の中にある、

「ろうじ店舗」 です。

「ろうじ」 とは 「路地」 のことで、

京都の町の碁盤の目状にはりめぐらされた表通りを更に分ける細い道のことです。

豊臣秀吉によって都市計画が行われた時に造られました。

   

京の町で商いをする家には、その店に相応しい格子戸が造られていました。

ここでは、江戸末期の路地の風景が復元されています。

色んな格子を見ることができました。

   

     

Img_8785 麩屋格子

麩、湯葉、豆腐のお店に見られる格子。

出格子、鎧張りと呼ばれる下見板張りの腰の構造になっています。

       

Img_8783 酒屋格子

頑丈な荒格子、選び抜かれた角材を用い紅柄で色付けがされます。

     

Img_8786 堺戸格子

江戸初期に泉州堺から伝わったもの、鉄砲屋格子ともいい土間床の店先に用いられ

夜は納屋戸(板戸)を閉めて防犯効果を出します。

      

Img_8787 糸屋格子

糸屋、織屋などで使われる格子、「親通し切子格子」といいます。

太さの違う親子の格子のうち子格子の上部を切り止めて、内部の採光をよくして

色糸の選別や織物に適するようにしてあります。

     

Img_8792 仕舞屋格子(しもたやこうし)

町屋の中で商いを持たない家の構えです。

「仕舞屋」とは、商家が店じまいした→「仕舞うた」 からきています。

一般にはめ込み式で、内側には紙障子があります。

祇園祭の宵山には、格子を外し大切な屏風などを通りがかる人達に見てもらうのが

昔からの習わしです。

     

Img_8794 炭屋格子

色付けした板戸で、すき間を詰めて炭塵の飛び散るのを防ぐ気遣いがしてあります。

これはもう、格子というより塀に近い気がします。

今はもう、炭屋さんはありませんよね~。

    

Img_8795 米屋格子

頑丈な荒い格子、木地のままの平格子でぬかぼこりのため塗りを施さないのが普通でした。

これは、塗ってるような…? (博物館内のは、格子戸と職種は一致していません)

内側は雨戸締まり、無双締まり(引き違いの戸を締めて板張りのようにする)

昔はみな開放的だったらしいのですが、天命の飢饉や大火、米騒動などを経て、

豪壮な荒い格子が定着しました。また重い米俵を扱うゆえでもあります。

    

色々なお店がありましたが、

        

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京の若手職人工房「粋匠」 の女性の職人さんが、漆細工の仕事に

励んでおられました。

     

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卵の殻を張り付け、漆を磨きだす細工をしておられました。

なつかしいなあ~、小学校の夏休みの宿題に卵の殻を使って

絵を描いたものです。

殻に絵具を塗り、砕いてバラバラにし、それを画用紙にタイルを張るようにして

絵にしていく…、

段々面倒臭くなって、しまいには殻をつぶす前に張るという、手抜きをしたものです。

   

私の夏休みの宿題はともかく、伝統工芸とは根気のいる作業ですね。

    

      

    

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鳥彌三・あざみ(京都文化博物館内)

2010-06-24 16:34:09 | 京都

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京都文化博物館で「龍馬伝・特別展」を見ているうちに、いい時間になってしまい、

ちょっと疲れも感じてきました。

    

そこで、館内にある「ろうじてんぽ」 の中の 「鳥彌三・あざみ」 で食事を、

      

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「ひとりでもいいですかあ~?」

いいそうです (^^♪

     

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梅雨時でウィーク・デイのせいか、空いてました。

     

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献立は 「龍馬特別御膳」 館内「龍馬」づくしです    

・ あぶり鰹、高知といえば、「鰹」 

・ 地鶏もも照焼き、鳥彌三は水炊きを始め鳥料理で有名なお店だそうです。

創業1788年(天明8) の老舗で、龍馬も訪れたとか、

私なんかには敷居の高いお店で、今まで行った事はありません。

今回はランチ的にお手軽なところで、済ますことができました (^_^;)

     

     

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ところで、これはお店の庭ですが、地下の状態になっています。

この地面の高さが、京都の平安末期~鎌倉初期位の時に匹敵するそうです。

京都の町は昔から、土地を積み上げ積み上げ、こんにちに至っています。

かなり、今は高くなったようですねえ~。

博物館の中らしく、こんなところにも京都の歴史を見ることが出来ました。

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龍馬伝・特別展  於:京都文化博物館

2010-06-23 18:15:04 | 京都

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「京都文化博物館」 です。

この建物は元は、明治の名建築 「日本銀行京都支店」 だったもので

1906年(明治39)から1965年(昭和40)に河原町二条に移転するまで、

まちの銀行として活躍していました。

     

1968年(昭和43)5月 平安博物館として開館
1969年(昭和44)3月 国の重要文化財に指定
1988年(昭和63)10月 博物館別館として公開
      
          
この建物は、現在別館であり、本館は、

       

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こんな感じです。現在、

   

特別展 「龍馬伝」 が開催されています。   

(6月19日~7月19日まで) (午前10時~午後6時・金曜のみ7:30まで)

   

京都市中京区三条通高倉角(かど)

京都地下鉄、烏丸線または東西線で「烏丸御池駅」下車 ⑤番出口へ、

三条通を東へ徒歩3分

   

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別館のホールでは、主にNHK「龍馬伝」 を元にしたパネルの展示。

本館の3、4階には龍馬の書簡や遺品、また龍馬に関わりの深い人物の

書簡や遺品など膨大な数の展示でした。

    

暗殺された「近江屋」 を復元したものも見ることができました。

     

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一番の感動は、「龍馬の黒の紋服」 おなじみの写真で着用の物、

あれは、よそ行き用に取ってあったのか、きれいに残っていました。

     

「龍馬の刀・吉行」 この吉行は龍馬の刀として知る人ぞ知る…とか。

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他に、武市半平太の描いた絵や、山内容堂の陣羽織など、

大変沢山の品の展示でした。

そして…、

              

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あまりにも有名な、この少し体を右に傾けた龍馬の写真。

この湿板写真、現存する唯一の龍馬の写ったガラス板写真、

これが、

6月25日、26日、27日 限定公開されるとのこと。

    

これはぜひ、” 特別展を今一度 閲覧いたし申候 ” な気分です (^_^;)

     

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百合の花

2010-06-18 17:10:10 | 庭にて

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きょうはお昼前から、絶え間なく降っています。

淋しげな雨です。

   

けど…、

     

ホースが…、

    

だらしない…(>_<)

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イカロス・クモノス?

2010-06-18 15:12:20 | 庭にて

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庭にクモの巣を発見

アレッ?

    

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金星探査機「あかつき」 と一緒に金星に向かっている、

宇宙ヨット「イカロス」 と 「くもの巣」 似てる?似てない?

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汽笛

2010-06-18 11:43:33 | つぶやき

大変、長い汽笛が聞こえてきました。

いま、SLが走った?

思わず、東側の窓に行って、駅方向を見ました。

すると、グレーの煙が流れています。

進行方向は、北です。

SLが通りすぎた様です。 

残念! 

私の家は、駅から歩いて7分です。

知っていたなら…

     

もう一度、汽笛をならし、シュッ、シュッ、という音を残して行ってしまいました。

年に何度か、聞こえてきますが…

   

汽笛の音、いいなあ~

    

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龍馬点21

2010-06-18 02:58:28 | 京都

京都三条大橋

      

京都三条大橋は江戸日本橋を振り出しに東海道五十三の宿場町を経て、

最後の地点。

それから昭和の時代に入り、

      

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この写真では、高山彦九郎の銅像がもうありますし、車も走っています。

    

        

      

徳川三百年の太平が大きく揺れ始めた幕末の頃には、

この辺りも、血なまぐさい政争の渦中にありました。

     

「池田屋騒動」 のあったのは三条大橋から少し西に行った所で、

高瀬川にかかる三条小橋のほとりにありました。

       

ペリー来航以来、尊王攘夷運動も大きくなり、この頃には、

徳川幕府に日本全国をまとめる力はもう無くなってきていました。

   

安政の大獄、桜田門外の変、様々な事件の中、長州、薩摩、土佐藩の動きも

激しくなっていきました。

    

1864年、6月5日、「池田屋騒動」 は起きます。

長州藩士はじめ20数人の志士が池田屋に集まり、蜂起の手はずを整えようと

談合をしていました。

そこへ、近藤勇以下、新選組の隊士たちが一斉に斬り込んだのでした。

池田屋の二階は壮絶な乱闘の場となり、階下へも屋根伝いの道も

封じられ、志士たちは一時間ほどの間に、次々と斬られ亡くなる者、

重傷を負う者、捕えられる者と、多くの犠牲者が出ました。

    

その報復というか、

1864年7月、長州藩は「禁門の変(蛤御門の変)」 を起こします。

      

Img_0010 禁門の変(蛤御門の変)

       

しかし、長州藩はまたもや敗北となりました。

       

その後、1864年8月、4国(英、仏、米、蘭)連合艦隊下関砲撃事件が起きます。

1863年に長州が下関の海峡で4国の船を砲撃したことへの報復でした。

     

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4国艦隊は下関に上陸し砲台を占拠、長州は壊滅的な痛手を受けました。

    

その後、幕府は1866年には第二次の長州征伐をしますが、薩摩藩は

すでに結んでいた「薩長連合」を守り出兵はしませんでした。

    

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将軍家茂が第二次長州征伐に江戸出兵の図

      

幕府軍は旧式装備、長州藩の新型小銃装備には勝てず、家茂死後、

休戦となりました。

         

その頃、龍馬は…、

1864年(元治元年)5月、神戸に「海軍操練所」 が設置され

「軍艦奉行並」の「勝海舟」の指導のもと、多くの土佐藩や諸藩の志士達と共に

訓練に励んでいました。

    

近江屋騒動の起きるまで、あとわずか3年と迫ってきていました。

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