滋賀県は日本のほぼ中心にあり、琵琶湖を擁する自然豊かな所ですが、
昔は 「近江」 と呼ばれ、歴史の舞台に何度となくなりました。
特に、戦国時代には近江を中心に東西の武将が相まみえたことは、
余りにも有名です。
この「近江」 という名は「淡海・あはうみ」 が転じたものと、
広辞苑にはあります。
南北に長い琵琶湖を中心に、ぐるりと市や町のある滋賀県ですので、
湖南と、湖北では、かなり気候に差があります。
先日も、その大きな違いをまざまざと見せつけられ、「あわや!」
という状況に陥りました。
カメラ
これは、27日、米原市辺りを走っている時の写真です。
「江姫」 のふるさと、「長浜」 の隣が米原市です。
この辺りは、湖北になると思います。
…思います…なんて、すみません、もひとつちゃんと分かってなくて (^_^;)
私の住む草津市はほぼ湖南で、このすご~い吹雪の時、カラッカラッでしたものね。
「多賀」 辺りから降り始めた雪は、米原辺りで、猛吹雪となり、
見る見る、道路は真っ白になり、ほかの車も皆、20km/hまで速度を
落とさざるを得ず、当然、渋滞です。
タイヤも滑り始め、もうこれ以上進むのは無理と判断し、
何しろ、その先には「関ヶ原」 の難所が待っていますから…
そろりそろりと、インターチェンジを抜け、そこでUターン。
また、そろりそろりと逆のインターチェンジに入り、本道に辿り着き、
ちょっとは、雪の中から黒いアスファルトの見えるのを確認し、
「助かった~(@_@;)」 と安堵の胸を撫で下ろすや否や、
元気になった私は、カメラとケータイのシャッターを押していました (^_^;)
一番北に「余呉町・よごちょう」 という町があるのですが、
もう、北陸と変わらない豪雪地帯です。
余呉町には「余呉湖」 がありまして、羽衣伝説があったり、
水上勉の「湖の琴」 の舞台となったり…
「鏡湖」 とも呼ばれ、神秘的な湖です。
「江姫」 のふるさとも今は、雪の中です。
温かくなって雪が溶けたら、長浜や、余呉湖を訪ねてみたいと思います。
やはり、自分の目で足で確かめないと、何も分からない気がします。
それまでは…、やっぱり、” こたつでまるくなるぅ~ ” (^_^;) ダメダコリャ
江のふるさと近江に住んでいるのに、未だに「江」 のことが書けないでいます。
分からないなあ~と悩んでいましたら、
こんなの、見つけました(*^^)v
これなら、何も知らない私でも、OKで~す。
それは、
「江・三姉妹パン」 と 「江・三食パン」
三姉妹パンには、カスタード・クリームののったのと、イチゴジャムののったのと、チョコクリームののったパン3つがくっついています。
三食パンには、玉子、ツナ、ハムマヨの入った3つのパンがくっついています。
ふわふわパンでしたよ(^^♪
前に「ヤマト」 のパンもご紹介しましたが、あれもヤマザキパンの製品でしたね。
ヤマザキパンは、キャラクター物が好きですね(*^^)v
これは、織田信長です。
織田家ではこの顔が一番よく似ていると代々語り継がれているとのこと
まるで写真の様ですが、肖像画、しかも戦国時代に書かれました
作品名: 織田信長の肖像 作者名: ジョバンニ・ニコラオ(イエズス会画派・セミナリオ教師) 材 質: 洋紙に木炭、若しくはコンテ、銀筆等 制作年: 1583~90年 寸 法: 不詳(原画は焼失) 所在地: 天童藩・三宝寺(山形県天童市) 注文者: 織田信雄が最有力 意 味: 原本は、信長の死後まもない頃に描かれた追慕像。(織田宗家の礼拝に用いられた。) |
(上の写真は「安土城天守信長の館」に展示のものを、おととし携帯電話で写しました)
「江~湖国の姫」 を見ました。
「江」に関して何の知識もない私ですので間違っているかもしれませんが
第一回を見て思ったことは、
「すべては信長につながる」
「龍馬伝」の後遺症か「江」には、「別に~、見たいとも~」 という程度でしたが、
チャンネルを合わせてみれば、最後まで食い入るように見てしまいました。
「龍馬伝」の時のように「江」を見て感じたこと、近江のこと、
折に触れ書いてみようかなと思います。
幸い、京都に生まれ育ち、今、滋賀に住まいする身。
「江と信長」に関わる「点」には取り敢えず近い。
江姫のことは殆ど知りませんので幸か不幸か、ゼロからの出発です。
なあん~て、言ってますが…、
大丈夫かあ~?????