『これからおまんは、堂々とマリア様を拝める国に
行けるがやきに』
『坂本さん、坂本さんの志ば、成し遂げて、
日本が生まれ変わった国になったら、
戻って来てもよかですか?』
『当たり前じゃ、その時は、わしが、
みんなが笑って暮らせる国に、しちゃるき』
NHK大河「龍馬伝」
お元ちゃんがキリシタンであることが、長崎奉行所に発覚してしまいました。
龍馬はイギリス領事館に行き、命がけでお元を救う手だての約束を取り付けました。
お元を浜で小舟に乗せ、沖の外国船に向かわせます。
『坂本さん、日本をみんなが笑って暮らせる国にして下さい。』
と言い残し、笑顔で龍馬に別れを告げて、旅立ちました。
誰にはばかることもなく、マリア様に祈りを奉げることのできる国へ…。
長崎奉行所に追われ、イギリス領事館にも疑われ
もう、一日一日が龍馬にとって命がけの緊迫の日々
でも、龍馬にはもう決心が出来ていた…、
『命を狙われるぐらいのことをせんと、日本は変わらんぜよ』 と
現代では自動車による陸運、それに加えて空輸が主流ですが、
でも幕末の日本では、「水運」 が大きな役割を果たしていたのですよね。
龍馬も、船とは切っても切れない縁です。 「龍馬伝」でも
一番初めに土佐から江戸へ剣術修行に行く時も、
土佐の桂浜からまず、小さな和船に乗って旅立っていきました。
それから、外国に行きたくて黒船で密航しようとした吉田松陰の乗ってた
船も、
目指す、黒船は
龍馬の目が外国に向くきっかけとなった時でしょうか。
神戸海軍操練所で、仲間たちと喜々として航海術などを学んでいました。
咸臨丸に乗った時の喜びようは、みんな子供の様でしたね。
でも、それも束の間のことで脱藩浪人が多く居るという事で
操練所は閉鎖されてしまい、また夢は遠のいたのでした。
この咸臨丸は、NHK大河「」龍馬伝」 で使われたものですが、
実はこれは実際に長崎で使われている観光船「観光丸」 に許可を得て
黒く塗り直し、うんと沢山のロープを張り巡らせたものだそうです。
素敵ですよね。
本当の咸臨丸は、よく見かける絵では
また、各藩の藩邸のたくさん集まっていた、木屋町の高瀬川沿いから、
こちらも薩摩藩邸がそばにあった伏見港辺りの船宿「寺田屋」
ここを繋ぐのは、高瀬川を行く、高瀬舟でした。
木屋町辺りの材木問屋「酢屋」の2階に海援隊の京都事務所を置いていたのは、
高瀬川の水運を利用し集まる要人から様々な情報を得て、
商いに役立てていたと伝わります。
川底の浅い高瀬川を行くため、平らで浅い「高瀬舟」 が行き交いました。
今「龍馬伝」 では、龍馬は薩摩と長州をなんとか手を結ばせようとしています。
正に東奔西走の龍馬ですが、益々荒波にもまれ、悩める龍馬は…、
TV視聴率ランキング 5月17日~23日 (関西地区) です。
1位: サザエさん 23.9%
2位: 探偵!ナイトスクープ 22.9%
3位: 龍馬伝 21.1%
ここんところ、上位をキープしていて、いい感じです (^^♪
さて、「おりょうさん」 が出てきましたね。
左: 若いころのおりょうさんと言われている方、粋(すい)な人やなあ~。
右: おりょうを演じておられる真木よう子さん、べっぴんさんやなあ~。
龍馬が姉の乙女さんに出した手紙には、
「まことにおもしろき女二て」
「誠にみような女」
という言葉で、おりょうさん、楢崎龍を紹介しています。
医者の父が亡くなった後は、母、妹ふたり、弟ふたりを抱え、
京に集まる志士達の世話を仕事にしながら、一家を支えていました。
性格は大変気丈な女性だったとか、
ドラマ初登場でも、騙され、遊女として売り飛ばされた妹を、刃物を持って
取り返しに行こうとしていました。
この時が、龍馬との出会いの場となるんですね。
「初めて新婚旅行ということをしたふたり」と言い伝えられていますが、
「まことにおもしろき…」 ふたりだったのでしょうね。
こんなすてきな女性を残して、龍馬は…、
どれ程思い残すことの多い一生だったことか。
悔しい、悔しい、悔しい。
TV視聴率ランキング 5月10日~16日 (関西地区)
NHK大河「龍馬伝」 の順位は…、
3位(20.2%) でした。 (同率3位に木村拓哉社長の「月の恋人」が入ってます)
さて、龍馬点⑱でも少し、書いたのですが、
「山内容堂」役の「近藤正臣」さん、この方勤王の志士や土佐藩と
関係のある方だったんですね~(@_@)
「近藤正慎・しょうしん」 という方は勤王の志士の一人です。
西郷隆盛と通じていた清水寺・成就院の住持「月照」 の逃亡を助けた、
という事で捕えられ拷問を受けますが決して語らず、
寝言ででも言ってしまってはと、自害します。
その様子は壮絶なもので、2月頃NHKのトーク番組に出られた、
ひ孫にあたる「近藤正臣」さんは…、
『拷問に苦しみ抜いて舌を噛んで死のうとしたが、噛んだだけでは、
簡単に死ねるものではなく、そこで牢獄内の柱に頭を思いっきりぶち当てて、
噛み切り自害した。』 『私は、その血を継いでいる。』
と、感慨深げに話されていました。
今、「近藤正慎」さんは、東山区の「青龍寺」のお墓に眠っておられます。
また、近藤正臣さんは、京都市の「立誠小学校」の出身だったそうで、
学生の時、学び、遊び、走り回っていた所が、
江戸時代、「土佐藩邸」 の置かれていた所で、『今、大河ドラマ「龍馬伝」で
なんと土佐藩主の「山内容堂」 を演じることになるとは…、』
と、感慨深げでした。
土佐藩邸跡、高瀬川の西側に建つ「元立誠小学校」
この学校出身の人達と私、高校で一緒になりましたが、
みんな、とにかく元気で明るく、時代を先取りする青年でした。
まるで、龍馬の様に…。
母校の『自由な校風』は、その性格に拍車をかけていたかもしれません (^_^;)
「近藤正慎」 や他の勤王の志士達が、捕えられ投獄された、「安政の大獄」。
この時、「楢崎将作」 という医師も同じ「六角獄舎」 に捕えられていますが、
この医師、龍馬の奥さん 「楢崎龍」 の父なんですよね。
さあ、NHK大河「龍馬伝」 いよいよ次回、「お龍さん」 の登場ですね (^^♪
4月23日以来の「龍馬点」 を書きました (^_^;)
今日も始めに 「TV視聴率ランキング」(関西地区)を。
4月19日~25日
1位: 探偵!ナイトスクープ 22.4%
2位: 龍馬伝 21.1%
3位: 報道ステーション(21日) 20.3%
4月25日~5月2日
1位: 秘密のケンミンショー 21.0%
「龍馬伝」 は残念ながら、16位 18.7% でした (T_T)
5月3日~9日
1位: 探偵!ナイトスクープ 23.1%
「龍馬伝」 は 7位 18.7% でした。
さて、今回は「土佐藩主」 について、ほんの少し。
土佐藩初代当主といえば「山内一豊」
NHK大河ドラマ「功名が辻」 で描かれ、また昔から「内助の功」
という言葉を生んだ事で有名ですが。
この時は、「山内さん御夫婦は良い人」 の印象でしたよね。
(三年ほど前に高知に行った時の、「土佐山内家宝物資料館」の入館券が残ってました。
かなりの点数の宝物が展示されていました。
さすが、いい物使ってたなあ~って言ったりして。
また近くにあった、↑この建物は、「山内容堂」の 下屋敷跡に残る本格的な武家長屋。
下層武士のために建てられたもので、二階建で南北に長い入母屋造りの建物
国の重要文化財。
自由に入れて見てきましたが、幾つかの小部屋がズラッと並んでいました。
部屋の中まで入れ二階にも上がって来ましたが、暗かったです。
隣の方に「三翠園」 という立派な旅館がありまして、その関係者らしき方が、
武家長屋に入るのを躊躇している私に、『どうぞ、どうぞ!』 と言って下さいました(^^♪
山内家と関係あるのかなと思ったら、旅館の敷地も下屋敷跡でした。
土佐藩は、戦国時代末期、長宗我部氏が藩主でした。
慶長五年(1600) 関ヶ原の合戦のあと、それまで遠江掛川城主であった、
「山内一豊」が徳川家康より、土佐藩九万八千石を与えられ藩主となります。
(長宗我部氏は、改易されています)
関ヶ原の合戦以来、土佐では山内家の侍は「上士」 それ以外は「下士」と呼び、
侍の中でも厳しい身分制度をつくり差別が、まかり通っていたのです。
長宗我部家の侍は在郷武士であり、「郷士」 と呼ばれ、これは
「下士の中の上位」 にあたります。
こうした、差別階級の不公平、不合理が土佐藩の中で沸々と湧きあがり、
幕末の「土佐勤王党」 を生むなどの原動力となったのでしょうか。
「龍馬伝」 に登場する「第15代土佐藩主・山内容堂(豊信・とよしげ)」
近藤正臣さんが演じておられますが…、
まあ、なんて嫌な奴。 という感じにしてありますが…。
傲慢な感じで、昼間っからお酒ばかり飲んで、(無類のお酒好きだったとか)
でも、詩を読む文化人でもあり自らを「鯨海酔侯」 といい、強烈な個性の持ち主だったようです。
「山内容堂」 はペリー来航を機に頭角を現しました。
それはこの時、老中阿部正弘が、アメリカ大統領親書の内容を、
全国の諸大名に公開するという前代未聞の挙に出たのですが、
これがみんなの心に火を付け、日本の行く末を論じ始めるきっかけとなりました。
容堂は海防、流通、軍備などに関する藩政改革を推進したのです。
しかし幕府には保守派と改革派の対立が激しくなり、将軍継嗣問題にも
波及することになり容堂も関わってきます。
容堂は「井伊直弼」 の 「安政の大獄」 で隠居謹慎を命じられ
名を「豊信」から「容堂」としました。
のちに容堂のお気に入りだった配下「吉田東洋」の暗殺に関わったとして
「土佐勤王党」の武市半平太らを弾圧します。
「龍馬伝」 では今、平井収二郎は切腹、武市半平太もどうなることやら
大変な事になっていますよね。
徳川最後の将軍「慶喜」 就任後も尊攘派の動きは激しくなる一方で
「龍馬」と「後藤象二郎」 の建議を受け入れ、「大政奉還」を「慶喜」に
建白し、徳川幕府の保護に努めました。
明治維新後、「内国事務総裁」に就任しますが、相変わらずの豪快な行動で、
積年の飲酒が元で46歳で亡くなっています。
時折、桂浜にヌタリヌタリとやって来る鯨、
ひょっとしたら「土佐恋し…」と容堂公が、黄泉の国からお里帰りかも…、
桂浜では、遥かニューヨークを見やる龍馬さんと月見酒でも酌み交わしながら、
話してるかも…、
『今の日本も もう一度 せんたくしやーせんといかんちやね』
NHK大河「龍馬伝」 TV視聴率ランキング(4月12~18日)関西地区
先週の9位からグッと上がって、1位(22.4%) でした。
ちなみに、
2位: 探偵!ナイトスクープ 20.4%
3位: Qさま!!SP 19.3%
関西は「探偵!ナイトスクープ」がずっと強いです。
司会の岡部まりさん、行かないで~(T_T)
さて、「龍馬伝」 に 「勝麟太郎」 が登場でした。
演じるのは、龍馬大好きの、武田鉄矢さん。 『なんばしとっと!』
「勝麟太郎(海舟)」
旗本の家の長男として江戸に生まれる。
剣術を極め、蘭学を学び黒船来航の時に「海防意見書」 を
幕府に提出する。
これをきっかけに、幕府の海軍伝習生として、長崎で航海術などを学ぶ。
江戸に帰ると、「軍艦操練所教授方頭取」 に推される。
万延元年(1860)1月、幕臣の勝海舟は外国奉行始め、幕府の遣米使節団
(米国海軍ボーハタン号で渡米)の護衛艦「咸臨丸」 で太平洋を横断し、
アメリカを目の当たりのする。
尚、咸臨丸最上位は、軍艦奉行の木村摂津守で、提督(アドミラル)、
勝海舟は、艦長(キャプテン) と呼ばれていたらしい。
なんだか、「パイレーツ・オブ・カリビアン」 を思い出しました (^_^;)
この時は「日米修好通商条約」 の批准書交換のためであった。
使節団は世界を一周して帰るが、咸臨丸は太平洋を往復して航海術を学んだ。
勝海舟
帰国後、「講武所砲術師範役」 「軍艦操練所頭取」 などを経て、
「軍艦奉行並」 となる。
先日の「龍馬伝」 によりますと龍馬が勝海舟と合ったのはこの頃のようですね。
武田鉄矢さんは、こうおっしゃってます。
『幕臣でありながら幕府に寄らず、幕府の海軍ではなく日本の海軍をつくると
主張した勝海舟。孤高の生き方はそっくり龍馬の生き方に重なります。
ふたりの結びつきを示すキーワードは「化学」 だと思うんです。』
『思想より具体を求めた龍馬にとって、得体の知れない外国の技術を
解き明かしてくれる化学との遭遇は大きな出来事だったと思います。』
『また、勝はこんな事を言っています。 「俺の得意はそうさ、経済さね。」 』
『「化学」 と 「経済」 が勝と龍馬を結び、”化学変化”が起きて歴史が動いた。
ドラマでもふたりのそんな関係を伝えられたらと思います。』
以上、武田鉄矢さんの言葉です。
実際に咸臨丸でアメリカを見てきた勝海舟の考え方に大きな衝撃を受けて、
開国論者となった龍馬は、この後、亀山社中~海援隊をつくり、
商業活動とともに政治にも大きく関わり、
明治維新をグンと進める中心となっていくのですね。
「龍馬伝」 のこの先の展開が楽しみです (^^♪