kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

昨夜の月、今夜の月

2023-08-28 23:56:43 | 四季折々に

 

 

                  2023.8.28

お盆を過ぎた頃から、月の出ている日が何日もありました

 

昼間、暑い暑いと言っている頃です

 

 

 

☟今夜28日 「十二夜」

 

 

☟こちら昨夜、「十日余りの月」(月齢10.7)

 

比べても大差はないですが

 

ああ、少し太って来たな

そろそろ満月だなあと調べましたら

 

2023年8月31日 スーパームーン

更に

「スタージェンムーン」

 

この名は(チョウザメ月)という意味で

アメリカの農事歴で8月の満月のことだそうです

8月は五大湖などでチョウザメの漁獲シーズンをむかえることから

付けられたとか

 

なんだかチョウザメなら三日月を連想しますが…

ところ変われば品代わる

 

 

今日は風がずいぶん涼しいです

ようやく待ちわびた秋の訪れ

そう思うと、少し寂しい気持ちになったりして

どないなん?

と自分に言うてます

 

 

8月26日

 

古川聡さんの乗ったCrew-7(クルードラゴン宇宙船運用7号機)

打ち上げ成功

 

8月28日

ISS(国際宇宙ステーション)に入室、長期滞在開始

 

宇宙でお仕事はじめました、のですね~

 

 

 

 

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どうする家康 第32回小牧長久手の激闘

2023-08-27 17:11:04 | どうする家康

 

 

小牧長久手の戦い

 

天正12年(1584)3月~

 

徳川家康と織田信雄連合軍  VS  豊臣秀吉連合軍

 

それもこれも織田信長の死が発端となった

 

秀吉はこの流れを読んでいたというか、待っていたように思えます

 

織田信雄が秀吉討伐の協力を求めてきた

 

軍の拠点は

家康と信雄軍が小牧山城

秀吉軍はそこから一里半離れた楽田城

にらみ合いが数日続く

 

この戦い、両軍の兵の数の差が大変大きい

 

両軍動きが無く数日経っている

 

そこで、本多正信の提案

悪口作戦を仕掛ける

 

秀吉の悪口を書いた立札を市中のあちこちに立てた

 

今ならSNSで、拡散させるんでしょうね

速い、広がりが大きいなど効率がいいです

 

 

秀吉側の重臣が、小牧山城の動きを見て取った

それは、どうやら堀を彫っている様子だという

 

秀吉はまだ攻め込む気はない様だが

 

重臣が自信があると策を出してくる

それは、信長も良く実行した

「中入り」

という兵法

これは、一部の兵を使い敵の虚をつく

奇襲に驚いている間に相手を倒す

 

結局、秀吉は三万の兵にて岡崎城を落とす命を下した

秀吉にとって三万の兵は三分の一弱の数でしかないんですよね

すべてで十万!

 

ところが堀を掘ってるだけと思っていた

家康軍の兵が、目の前に構えている状態

 

秀吉軍にすれば、なぜ、いつの間にここまで来ている⁈

 

これが、家康軍の秘策であった

提案者:徳川家康

具体的設計者:榊原康政

 

堀を拡張していると見せかけ

城からの逃げ道、出口を突貫工事で仕上げていたのだ

 

大成功でした

これが長久手でのこと

 

重臣の森長司や池田恒興が討ち死にし

秀吉は退却した

 

家康も兵を引き、小牧山城に勝どきが上がった

 

ただ、石川数正ですが

 

 

元から、秀吉とは戦わず和議をと言っていた人ですよね

秀吉の小分けの軍を落としただけのことと

この先の秀吉の出方を案じています

これで戦いが終わる訳はない、と

秀吉の手強さに不安を感じているようです

 

小牧長久手の戦いで

「徳川四天王」としてクローズアップされた家臣

皆若手?ほぼ若手です

勢いがあって、戦いましょう派

 

* 本多忠勝

 

幾つもの戦に出るも、「かすり傷ひとつ受けたことはない!」

が、決まり文句

戦いも強いし、気も強い

殿によく食って掛かってますが

殿をとっても好きで信頼しているのです

あなたのためならどこまでも、です

 

 

* 榊原康政

 

本多忠勝に憧れ、家康家臣になったはず

その頃は軽くて生意気で令和に居てもフツーな感じ

事が起きるたび、次第に賢く誠実になって来ました

忠勝の武力には勝てないと、方針転換

家康家臣団に頭脳派で出ています、売れてます♪

 

 

* 井伊直政

 

つい最近まで万千代君だったのに

TV番組「歴史探偵」では

「家臣団のZ世代みたいな…」と仰ってましたよ

井伊の赤鬼と呼ばれ、赤備えの兵を牽くまでになりました

速い出世ですね

この俳優さん、青天を衝けでは徳川昭武役でしたね

「プリンス・トクガワ」と呼ばれていたそうですが

ほんとに、歩き方などとても上品さを感じました

 

 

最後のひとりは

Z世代まとめ役

 

*  酒井忠次

今は(さえもんのじょう)と殿から呼ばれてますね

 

四天王の中でZ世代ではないものの

「安定感」は抜群

この方なくしては、成り立たないかも

ここぞ、というところにはピシッと居ます

 

「えびすくい」

(Z世代にはおじさん芸と思われるかな)

柔、剛揃えて信頼できる方です

家康も格別の信頼を置いていると思います

先生のような父のような

 

殿に信頼され、Z世代には慕われ

最強の德川家臣

四天王の手綱をにぎって

 

さえもんのじょうさんはどこまでも、救いの神です!

いつまでも、えびすくってくださいね♬

 

あなたは、扇の要です

 

 

 

 

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どうする家康 第31回史上最大の決戦

2023-08-20 19:22:23 | どうする家康

 

 

 

 

柴田勝家を倒し、織田信雄を擁した秀吉

 

僧や侍が秀吉の所へ戦勝祝いの品を持ってあいさつに来る

 

家康も石川を名代として、挨拶に

祝いの品は(大名物)の「初花肩衝(はつはなかたつき)」という

生前信長から賜った茶器である

大名物:名のある茶道具で主に千利休の時代以前のもの

 

 

 

家康は秀吉に従う気はないが争う訳にもいかない

秀吉は、形だけかもしれないが織田家を立てている

 

 

戻って来た石川数正は秀吉と会い

得体のしれない、つかみどころのない者

と告げた

「城ができたら遊びに来てちょ~で~」

 

今までのドラマの秀吉の中で一番胡散臭い、

いや~な感じの秀吉像をムロツヨシさんが演じ切っておられる

 

 

信長の次男の織田信雄、秀吉に安土城から追い出された

憔悴し怒りも表す信雄

家康に泣きつく

「あの盗人から天下を取り戻してくれ」

 

そうなんですね、天下は今や秀吉の手中にあるのですね

 

家康は信雄の言うことを聞いていたが

「織田と徳川、何をおいても助け合う」

「並大抵のことではござらぬ、差し違える覚悟はおありでしょうや」

 

なんとも無理難題を持ち込む

駄々っ子のようでもあり

 

家康は考えた、じっくりと

 

年をまたいで天正十二年二月

秀吉攻めが動き出した

秀吉に通ずるものが居るやもしれず、調略を進めるのも

慎重を要する

 

*信雄が池田恒興を味方に付ける約束をした

*内通者三家老を信雄が殺害

*徳川軍、岡崎城に集結

 

あくまで、織田信雄さまの元の行動である!が言い分です

 

*家康側として参戦した人

佐々成政(越中)

長曾我部元親(四国)

雑賀衆(紀伊)

 

池田恒興が美濃を出て、尾張に攻め込もうとしている

*池田が信雄側を裏切った

*秀吉を包囲したはずが、秀吉の大軍(十万)がやって来た

 

*池田軍、尾張領の犬山城を攻め落とす

 

*森長司、楽田城に向かっているとは服部党の集めた情報

 

 

 

 

え~ここで家康の陣地の様子を中継

信雄さん、「なぜこんなことになったんじゃ」

と怯えている様子です

自分が取り付けた規約です

 

家康の喝が入りました

「総大将がうろたえるな、信長の息子じゃろう

しっかりせい!」

 

ベテランも若手も、自分が打って出ると言う中

酒井忠次(さえもんのじょう)が

 

「お主らの出番はまだ先じゃ」

皆にはねぎらいの言葉をかけ、戦場に向かった

池田軍を夜討ちにし足止めをする策略だ

これで、秀吉の大軍がくるまでの時間稼ぎが出来るという算段

 

 

家康軍の団結を感じます

ま、ひとり、本多正信さん、これ見よがしに膝をなで

出陣拒否です

秀吉に劣らぬ、得体のしれぬ人ですね

 

榊原康正が、殿に言った

「策を献じまする

兵を引かず秀吉を迎え討つは、小牧山城が良いかと

 

小牧山城は、古くなっていてこのままで戦はちょっと

というお城なんですね

 

 

「城に梁を巡らせ、二重の土塁と空堀を造ります」

家康「何日で出来る?」

康政「十日で…

家康「遅い、五日じゃ」

康政「は、やってごらんに見せます」

 

家康、ぱきぱきと指示を出してますね~、強くなりました

康政も間髪入れず、鮮やかな回答でした♪

 

家康軍は小牧城へと移りました

 

秀吉本軍、もう犬山城に着き、すぐに楽田城も制圧

この小高い所に陣を置くと、小牧山城が見渡せるのです

 

新しく防禦の堀などを造った小牧山城と秀吉が陣を置いた楽田城

 

その距離、一里半

 

家康 VS 秀吉

 

 

 

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どうする家康 第30回新たなる覇者

2023-08-13 15:00:55 | どうする家康

 

 

 

手前の賤ケ岳の頂上から北を見下ろすと余呉湖

反対に南を見下ろすと琵琶湖です

頂上から湖が二つ見えます

 

 

 

今回は「賤ケ岳」がドラマに出て来ました

地図で余呉町の南の端が余呉湖なんですがこれでは分かりませんね

申し訳ありません

 

 

 

信長の仇を討ったのは

羽柴秀吉だった

 

「中国大返し」と言われる驚異的な動き

毛利攻めをしていたさ中、知らせを聞いて京へ

それも毛利と和睦しておいてからの

三万の兵を連れてという、G難度級の大技

ひねってますね~

 

ん~、戦っていた相手と

そんなに簡単に和睦できるくらいの戦なら

始めからしなくてもいいのに、やっぱり領土拡大のためだったですか

 

 

信長亡き後の体制を話し合う「清須会議」が開かれた

既に、秀吉が先輩風吹かしてますけど

 

柴田勝家

羽柴秀吉

丹羽長秀

池田恒興

 

この四人の合議であって

家康は参加出来なかったのでしょうか

決定事項を承諾しただけとは何故かなあ~

家臣ではなかったのでしたっけ?

 

 

決定事項

1:亡き信忠の嫡男、三法師を当主とする

2:成長するまでは、家臣が

秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興が政を支える

 

 

なんと言っても、お市さんは立場が苦しくなったでしょうね

そして、柴田勝家と結婚

秀吉の動きに警戒してのことなのか

 

戦国時代に一番輝いた三姉妹、出て参りましたね

 

長女、浅井茶々(1569~1615)淀君とも

出身 小谷城(現長浜市にあり)

父 浅井長政 母 お市の方

 

茶々の表情から、心に闇を持ってるようです

 

父長政は伯父信長に攻められ自害

その後、あちこちで保護されのちに信長の岐阜城へ

本能寺の変の後、母は柴田勝家と再婚

越前北の庄城(現福井市)へ

義父勝家が秀吉との戦に敗れ,お市の方と勝家は自害

三姉妹、秀吉の保護下に

 

こんだけ、大人に振り回されれば、幼いこころは

絶対傷つきますよね

 

そして、三姉妹は強くなり歴史に残る三姉妹となりました

この先、「どうする家康」でも三人のことは取り上げられるでしょうね

どのように描かれるのか、そこが問題

 

 

伊賀越えのあと城に戻った家康ですが

本多忠勝が、怒っているのを家康は見て取りました

 

忠勝「出陣していれば明智の首を捕り、しいては天下もとれたはず

それをなんでもたもたしておられたか、知りたい」

 

相手が殿でもズバッといいますね、忠勝さん

 

家康「他に成すべきことがある、目下の難題は、隣国

甲斐、信濃、上野、旧武田領だ

この三国を北条より先に手に入れること

秀吉はお市様に任せてその間に

揺るぎない実力をつけよう、さすれば

天下も自ずと近づいてくる」

 

昔、窮地には必ず助けに参ります

というようなことを、お市さんに言ったその口で

お市様は秀吉に任せて徳川の実力アップに力を注ごうとは!

あかん、お市さん家康はあきません

真っ直ぐ!がありません

 

さて、本多正信も加わり、隣国を北条から奪取する話が進む

最中に、井伊直政に思いがけないことが

武田敗北の中から召し抱えた武田の兵を直政に預けると言う家康

 

直政は嬉しそうな表情、まだ幼さの残る顔

家康は、その中に光るものを見つけたんでしょうか

その兵の居る辺りは、井伊家と関わりのある所

直政に地の利があると、見込んだかもしれません

うんジモティ、地元ですから

井伊の赤備え、そのルーツは武田の赤備えだったのですね

 

関ケ原の合戦で直政率いる赤備えの兵多数

屏風図でよく見かけますが

これはもっと先に延ばしてもらって、直政の活躍を

たっぷり見せて下さいね、小沢良太さん♪

 

隣国三国、そこにはつわものがいます

上野の真田氏

相模の北条氏

 

家康は真田氏を抱え込んだ

続いて、北条氏が和睦を申し出るまでに追い詰めた

家康、強くなりました

それもこれも、信長に鍛えられた故、かな

 

しかし、そんな中、足元に火が付いた

羽柴秀吉 VS 柴田勝家

 

秀吉と織田信雄

勝家と織田信孝と三法師

このメンバーで始まった

秀吉が長浜城、さらに岐阜城を落とした

そして、決定的なのが

 

「賤ケ岳の合戦」

 

 

びわ湖八景の一つ「新雪賤ケ岳の大観」

今も冬は雪深い所です

 

 

琵琶湖の北側にある余呉湖

琵琶湖と余呉湖の間に賤ケ岳がある

そこにて柴田勝家は、能登の前田利家の裏切りを受け敗戦

越前の北の庄城へ撤退したが、秀吉に敗れた

 

勝家は、お市と共に自害、三姉妹は秀吉の元へと行きました

悲しい、三姉妹

秀吉のハラスメントがこわい

 

 

 

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8月の俳誌が来ました

2023-08-11 00:38:01 | 俳句・和歌

 

 

 

本部に投稿しない月があったり

ブログに載せるタイミングを逃したり

 

6月7月と、飛びましたがその中の句と8月のを

 

 

 

春爛漫の庭の主の三回忌

十三詣虚空蔵菩薩の匙加減

陽炎や発掘現場の欠け茶碗

 

 

光あり暗闇ありて昭和の日

源氏の間より式部の化身夏の蝶

墨色の空蝙蝠の重き飛行

ひとつくらい隠したきこと蝸牛

石山の石のまにまに風薫る

 

 

法輪寺というお寺に十三歳の時お詣りします

すると、知恵を授かると

但し、お寺からの帰り道、橋を渡る時に振り向かない

という言い伝えがあります

授かった知恵を置いて帰ることになるそうです

 

 

法輪寺では、半紙に一文字書いて納めるのですが

その字は自分で選びます、私は

「音」

と書きました

 

音楽が好きで関連することがしたかったんですね

いつも歌を口ずさむ人間になった

ここ三年程は、歌を忘れたカナリアならぬ、カラス⤵でした

最近は、ふと気づくと

なんか、もぞもぞ口ずさんでいることがあります♪

 

 

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びわ湖大花火大会2023

2023-08-09 13:58:00 | 滋賀

 

 

4年ぶりだそうです

 

会場には行きませんが、遠く遠くから見ました

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの開催で、混雑が予想されるのはどこも一緒だと思いますが

それを回避のためにと

有料席を増やし無料席は縮小

有料チケットを持っていない人は来場を控えてください

だそうです

苦情が出て当然でしょうね

有料席を設けることとは、より快適に観覧できる所を確保して

楽しんでもらう、それはそれでいいとは思いますが

その近くで無料で見るのを避けるように、そんなこと言う⁇

しかも席周囲にフェンスを立て視界を遮っている、そんなことする???

空のうえだけでなく湖面の様子も見ものですね

 

ビルの屋上

琵琶湖にかかる橋の上

周囲の山の上

よく見える所はありますが、間近に見て、花火の大きさなど

臨場感はそばに行くのが一番ですし

 

すべて、事故防止のためとは言うものの…

でも写真撮りました(^-^;

 

 

 

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どうする家康 第29回伊賀を越えろ!

2023-08-06 16:51:22 | どうする家康

 

信長が死んでしまった…

 

火に包まれた本能寺

 

信長はもうこの世にいない…

 

信長を死に追いやった明智が京を制圧した

 

次は家康を殺すと気色ばんだ顔

 

自分はえらい、強い、すごいと常軌を逸している

 

家康、逃げるしかない、三河へと

 

「伊賀を越えろ!」

 

あの~

すんません、替え歌をちょっと歌ってみました

 

♪伊賀越え

 

隠し切れない うさちゃんの香が

いつしかあなたに しみついた

誰かにモラレる くらいなら

あなたを殺して いいですか

 

逃げ出して 隠れ寺

小川城 御斎(おとぎ)峠 

舞い上がり 揺れ落ちる

山の向こうにあなた 寺が燃える

何があってももういいの

くらくら燃える火をくぐり

あなたと越えたい 伊賀越え”

 

 

家康の三大ピンチと称される「伊賀越え」を

こんな茶化していいのでしょうか

申し訳ありません

 

 

明智に家康の首と、差し出されたのは穴山梅雪のでした

 

梅雪が家康には、二手に別れ逃げましょうと告げたのは

覚悟の上のことだったのでしょうか

武田から離脱し、徳川の家臣となり

本能寺の変あとは上記のように徳川を離れ、逃げようとした

これをどうとればいいのでしょうか

 

 

≪木津川≫

 

京都から大坂湾へと流れる淀川水系の川ですが

子供の頃よく父、母、妹と水泳に行った所です

橋脚まで泳ごう!

何て言ってましたが、危なかったのではないかと今、思います ヒヤッ

 

家康一行は、木津川を渡ったんですね

他にメンバーは

服部半蔵、大鼠、本多忠勝、榊原康正、井伊直政

一行が越えようとしている峠は

伊賀と甲賀を分ける峠で、小川城辺りは、甲賀が根拠地で

非常に危ない所だった

 

石川数正は人目に付きやすい桜峠を

酒井忠次は信楽の近江路を

 

追っ手を欺こうと名乗り出たが、今生の別れを告げる者もいる

 

助っ人に多羅尾光俊という甲賀忍者の親分

家康が今までに戦の手伝いを頼んだことのある人物

でも、昔と今では家康の立場上、形勢不利なような

でも、家康は相手を信じて依頼した

ここが家康の優れたところですよね

なかなか信じられませんよね、この状況で

 

まだある

信長を恨む者がこの峠にはうようよしているという

信長の家来の家康は、果たしてどう?

 

結局、信じなかったと言える動きとなりました

朝を待たずにこそこそっと、多羅尾の陣地より抜け逃げた

 

が、OUT!

 

山中で「百地丹波」を頭領とする伊賀集団に牢に放り込まれた、あ~あ

 

憎き信長の首を捕った明智に家康の首を差し出すというのだ

 

ところが、危機一髪

家康はほんとに運の強い人だと思います

あの、三河一向一揆の時追い出した「本多正信」登場で

家康たちは助かった

 

本多正信は百地丹波のもとで、軍師として働いていたのですね、へえ~

でも、まだ眉唾もんですけど~

ま、牢から解かれたことに関してはありがたいですね♪

正信は、何か恩を感じていたのかもしれませんね

 

こうして、三手にわかれ逃亡していた家康一行は

落合地点「伊勢の白子浜」にたどり着いたのでした

そして最終目的地、岡崎城へゴール

 

 

三大ピンチ

三河一向一揆、22歳

三方ヶ原の戦い、31歳

伊賀越え、41歳

これらは、クリアしましたが

まだまだ、家康の人生ゲームは続きます

 

 

 

 

 

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