突然ですが、漢字のこと
准:地位や資格の名称
潤:水がしみこむ、しめす、うるおう
そんな意味を持っているそうで、なんかドラマにぴったりな気がして
*鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥
これほんとですか
あと二句
*鳴かぬなら鳴かせて見しょう時鳥
*鳴かぬなら殺してしまえ時鳥
三句あります、さてどれにする家康
富士遊覧で信長のご機嫌が良くなりその場で
安土城での宴に招かれることが決まりました
信長をもてなしている家康の行動に
家臣一同、違和感でいっぱいでした
本多忠勝が本当の心を知りたいと殿に聞きただしますと
「信長を殺す、天下を取る」
家臣は家康のおかしな行動の奥の心が分かりました
反対派は?
実際、安土城に向かうとなると、あれこれ心配事ばかり
それでも、天正十年五月
安土城へ出立です
重臣たちはみんなお供して行きました
見たこともない凄さの天主閣に井伊直政も仰天
他の者も驚きを隠せません
御殿ではいくつものお膳が並ぶなんとも豪華な宴です
そして、明智光秀
宴の供応の大役です
お膳が進んで行き、メインディッシュでしょうか
「淀の鯉」
淀川はまず琵琶湖➡瀬田川➡宇治川➡淀川➡大坂湾
と流れてますので、多分、瀬田川流域で獲れた鯉かと思います
光秀は、自信をもって宴席の皆に勧めました
新鮮で一番いい鯉を使ったのだと思いますが
まさかまさか、こんなことが
家康が鯉の器を持ち、しきりに匂いをかぎ首をかしげる
信長が
「匂うならやめとけ」
明智が慌てて、匂う筈はない、高貴な料理で馴染みがないからと
弁解に走ったが、その選んだ言葉が更に
信長を怒らせてしまった
出て行けと怒鳴り、蹴り付け
その後は酒宴どころではなかったでしょうね
宴席を離れ、家康と家臣が話していたことに、私は
光秀が怒られたことよりも驚きました
なんと、鯉が匂う振りをしていたとは
酒井忠次が 「目論見通り」 と言いました
明智光秀をおとしいれたんです
これで明智を遠ざけた、とも言ってます
鳴かぬなら殺してしまえ時鳥
の状態ですよ
光秀 「我が不手際により大変ご無礼を
然るべき始末をしたうえで
腹を召す所存でございます」
家康「いやいやこの陽気で悪くなっていたんでしょう
お気になさいますな」
家康、軽いやん
德川方が信長を殺すためには
側近の光秀が邪魔だから信長から引き離したい
そういうことだったとは
光秀の伝言に有ったとおり、家康と信長は話し合った
かなり長い話でしたね、どんなこと言ってたかな
信長「おい、本当に匂ったのか」
家康「きびしすぎる、明智殿のご処分はほどほどに」 よう言うよね~
信長「甘すぎる、使えぬのは切り捨てよ」
家康「先に行って京で待っております」
信長「京で待ち伏せして、俺を討つつもりか、お前には無理」
信長「腹の内を見せなくなったな」
家康「我が妻と子の死をくだらんと言うか」
信長「これからなんじゃ、大変なのは
戦なき世の政は、乱世を鎮めるよりはるかに困難
傍でおれを支えろ」
家康「私はあなたの真似をしたいとも思わん
弱ければこそ出来ることがあるんじゃ」
信長「おれは僅かな手勢を引いて京に向かう
おれの代わりをやる覚悟が本当にあるのなら
おれを討て
待っててやるぞ、やってみろ」
信長は子供の頃、尾張の那古野城で父信秀にいつも言われていた
「誰よりも強く賢くなれ
お主の周りの誰もが、敵ぞ
信じられるのは己ひとり」
信長は京に向かった
わずか百人の供の者と…
「全力でやれ」
信長が家康を鼓舞
…別の戦国を思い浮かべてしまいました
V6 と 嵐
歌にダンスに励まれた日々
幼い頃から全力でやって来て
どちらも幕を閉じ、今全力で新たな道を
…さて
家康、今その全力を求められたのは何
「えびすくい」
歌に踊りに
”上様御一行富士遊覧おもてなしの道行き~~♪” と称して
信長を招いた徳川家康
武田を滅ぼし、安土城に帰る信長一行に街道の要所要所で
富士を眺めつつ最高のお・も・て・な・しを
そんな W2= 戦乱二ヵ国首脳会議?
この時、街道は拡張され小石一つ無くし
いつでもどこでもひと休み出来るよう
各地に茶店やお休み処を設けたと言う
この施設が今もどこかに残り、賑わっているとしたら行ってみたい
まずは、毎夜毎夜の祝宴
このためですね於愛さんがエンターティーナーに呼ばれたのは
パートは笛
連日、地元の名酒、酒肴が用意されたでしょうね
信長、一体何がお好みなのか
富士山 NO
隠し湯 NO
朝、信長と家康は富士のすそ野に馬を走らせた
ようやく、お気に召したような
そして、信長の大好きな「茶」
笑顔で家康と話しながら
「家康よ、愉快であった 今度は俺がもてなす」
安土城へのもてなしを家康は受けた
その後明智光秀と話した信長は
明智「たいそう素直になりましたな」
信長「腹の内を見せなくなった 化けおったな」
家康に対するマークは、以前より強くなったような
で、W2で何を提案され、何を決議されたのか
一方的なようでもありましたが
* 家康には武田を滅ぼした恩賞として駿河国が与えられ
三河、遠江、駿河の三国を治める大名となる
* 伊賀者を根絶やしにする(銭次第で寝返るから)
* 富士遊覧のお返しとして信長は安土城に家康を招くことにした
まずは、今回のぶらり富士遊覧の旅は大成功、sirankedo
これらの、ほぼ一方的決定事項を、ふまえた上で
あの日まであと46日しかないという予告に切迫感を禁じ得ないまま
今夜の「どうする家康」を見ようではないか、と存じおります
なぞなぞ 「敵はほの字なり」
「どこかに隠れて私達だけで、ひっそり暮らしましょう」
たったひとつの夢でございました
はるかはるか、遠い夢でございましたな
武田とつながったり今川を計画に誘ったり
その夢は、あの若かった頃の家康と瀬名の
あま~い語らいの中に生まれていたんですね
佐鳴湖に来た瀬名をなんとか考え直させようと
家康も来たが、瀬名の決心は固かった
「いつか私の大切なものを守る時がくる
命をかける時が…
今がその時」
家康が涙で瀬名を説得するが聞かず
瀬名に叱咤激励された上、佐鳴湖から追い返されたかたちの家康
戻ろうとして舟のうえで暴れるが
側に居る本多、榊原らに制されるうちに
瀬名は小刀で自ら首もとを切った
横にいた鳥居は号泣し介錯も出来ない
鳥居に変わり、忍びの大鼠が瀬名を楽にした…
家康は舟から直にその様子を見た、泣きながら
遠江の二俣城、信康が最後にいた所です
母と共に
慈愛でひとつに結び付く、戦のない日本を夢みたが
儚く消え
あとは、攻めを一身に追い自害する
その思いだけでいる
母の自害を知ったのか
七之助の隙を見て七之助の小刀を抜き自刃した
七之助には介錯は出来なかった
服部半蔵がその辛い役目を担ったが
信康の表情は、悔しさと恐怖に溢れていた
こうして、瀬名(築山殿)と徳川信康は自刃
今までの説ですが、ふたりは織田信長の命で殺されたと
ドラマなどそう言っていたと思う
信長が瀬名、信康の謀反ありと知り家康を呼び寄せた時
詫びを入れている家康に対し信長は
「お前の家中のことじゃ、俺は何も指図せん
お前が決めろ」
と言ってましたね
そして、家康は必死にふたりを助けようと
自身が攻めを受けると言ったり
ふたりの身代わりを立てたりもしたが…
五徳姫も切なかったですね
信康に信長の所へ行けと言われていた
五徳の思いはどこまでも「岡崎どの」と呼ばれたい
信康を慕っていたのですね
家康も五徳もふたりを救えなかった
この口惜しさは如何ばかりだったでしょうね
そこで織田信長なんですが、やはり残虐極まりない奴
とうつりますか
なんと、たあけた事を、とお思いかもしれませんが私には
信長の、優しさの現われた言葉に思えました
この言葉です
「お前の家中のことじゃ俺は何も指図せん、お前が決めろ」
≪≫鳴かぬなら殺してしまえ不如帰≪≫
この信長がお前が決めろ?なんて不思議
責任転嫁?違うと思う
優しさを前に出す訳にもいかない信長
だけども、徳川家康を保ちたかった
「建前と本音」「表と裏」
これだけではない、今までの信長の言葉にも
そう感じるものがしばしばありました
信長は優しさを持ち合わせているのでは
よく見かける軸の信長像
こちら、ポルトガルの宣教師ルイスフロイスが画いたと言われる信長像
写真みたいですね、すごい上手♫
安土城天主信長の館にも展示されていました
(天主、この表示は信長がそう書いていたそうです)
この館に安土城の天主閣のとても立派な複製がありました
あ、信長が優しい顔かどうか見たかったんでした
どうでしょうか、正直分かりません
ならば、「どうする家康」の脚本担当の木沢良太さんの
はかりごとかあ~
娘の五徳も優しい姫になっていきましたね
女性は結婚相手次第何て言いますけど、どう?
五徳姫のこれからはドラマに描かれるのでしょうか分かりませんね
千代も武田勝頼の元を離れたようですが
神出鬼没がちな千代さんは、分かりません
分かるのは、これからの於愛さん
ぐっと安定ですよね、きっと
家康のお尻ひっぱたいてあげましょう