kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

南座でOSK歌劇それから八坂神社へ

2023-12-07 16:09:55 | 京都

 



OSK日本歌劇団

 

 

南座

 

 

(これは来年のポスターです)

 

 

11月に南座に行きました

 

朝ドラの「ブギウギ」に出演されてた

 

翼和希さんも出演

 

男役がかっこよかった

 

残念ながら、館内は撮影禁止でして

 

パンフレットとチラシだけなんです

 

 

(市バスがひっきりなしに通ってました)

 

年末の顔見世のまねきは

この時はまだ上がっていませんでしたが

「吉例顔見世」は12月1日から始まっていますね

 

 

母は宝塚歌劇がとても好きでした

それで小6くらいまで

毎年宝塚へ連れてもらってましたが

それ以来、全く行ってないと思います

 

南座で今回見たのは

70分強、続けさまに、怒涛のダンス、歌、お芝居

感動しました

 

翼和希さんはトップではないけど人気がありました

南座には来年の7月にまた来られるとか

また見たいなあ

 

ここまで来たんですしと、八坂神社にお詣りに行きました

 

 

八坂神社

四条通のどんつきから西向きに建つ

「西楼門」

 

西楼門をくぐり、境内へと

 

 

本殿(国宝)

 

蛭子神社

八坂神社の境内にあります

 

 

 

円山公園の枝垂れ桜

紅葉も散ってしまって

 

 

祇園祭に巡行する山と鉾が

解体してこの中に納められてます

 

 

円山公園

 

 

円山公園内

 

私が5年生の時、邦子ちゃんと言いまして

ひとつ年上でとなりの家の幼なじみと一緒に

円山公園へ、植物採集に行きました

夏休みの自由研究が切羽詰まって、行きました

 

その時、円山公園の中を多少、登ったはずなんです

そんな記憶があるんです、で、その場所を

突き止めようとしたのですが、

その入り口は分かりませんでした

 

時間ももう遅いので帰ろうと

三条通にある地下鉄のりば目指して歩きました

 

その日の歩数 9232歩

疲れましたあ⤵

 

 

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祇園祭山鉾巡行

2022-07-17 22:37:00 | 京都












長刀鉾です

祇園祭~見てきました
昨夜TVで見た宵山の人出に
これはあかん!密も密、これでは巡行も混んでるなあ
と、巡行観覧を断念していたのですが
今日になって、
やっぱり粽を返納しないと、もう3年経ってしまってる
ばたばたと用意し、やっと12時頃出ました

そしてまず粽の授与所のお旅所へ
無事受けることが出来ました

ほっとしたらせめて、
少しは見たいなと欲が出まして
四条通を西へ歩いて行きましたら、なんと
長刀鉾が新町通を曲がって四条通に出たところでした
四条烏丸の交差点で写したのがこの上の写真です
これならと、更に欲張って
新町御池の最後の辻回しの場所へ行きました
結局、半分以上の山や鉾を見ることが出来ました♪
全て帰り道を行く山や鉾でしたけど、良かった🎵

最後の船鉾は俄か雨に降られながら見たという次第です

予測不能の1日でしたm(_ _)m

以下順不同ですがあちこちで見た山と鉾です🎵

保昌山


占出山


鶏鉾

鶏鉾

菊水鉾

船鉾






厄除けの粽(八坂神社お旅所)


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広沢の池

2021-06-03 10:53:49 | 京都





この前の”俳誌が来ました”で書きました句の広沢の池です

ここはため池です

平安時代からの池でお月見の名所でもあり、

京都市右京区の北嵯峨にあります


2週間ほど前に息子が所用でこの辺に行った時、

足を延ばして撮って来たそうです

偶然にです

この辺りには、思い出が詰まっています




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南禅寺から蹴上へ

2018-04-28 18:01:29 | 京都

 

 

 

ここも、疏水の流れなのでしょうか、こんなに細い

春の鴨、残り鴨

山裾を走る疏水の水は、冷たい 

 

南禅寺の三門に着きました 

 

 

やはり大きい!

人が多かったです

 

 

 法堂 臨済宗

 

  

 

法堂の横へ

さらに、

 

 

水路閣はサスペンスにもよく出て来ますよね

東山の麓を流す、疏水分線の計画を実行する段になって、

第一疏水に比べ、規模も小さく幅も狭いものになりました

それは、この辺りは神社仏閣が多く、環境を壊さないようにとの

配慮からでした

そういう理由から南禅寺境内は、この水路閣になったそうです

昔から、この辺りに来るたびに、

お寺とこの煉瓦造りの得体の知れないものとの違和感を

抑えられなかったものです

 

今は、名所になっているのですね…

平成8年に、国の史跡に指定されるとは

 

昔と違い、手すりや、柵が付けられて

人が傍を歩くことを想定したものに変わってました

今度は、その設備に違和感(ーー゛)

 

 

水路閣の上です 

 

 

 ぞろぞろ…

 

 

 

太いパイプが見えました

 

 

 

蹴上水力発電所の一部です

 

 

 

 

 

 

 

昔は、この疏水を利用して舟が琵琶湖から荷物を運びました

 

 

水は、ここまで、あとはインクラインで舟ごと運びます

この台車は、蹴上発電所の電力で巻き上げ機を作動し、線路を上下しました 

自給自足♪

 

発電所は今回、見に行けませんでした

 

 

きれいな水色が塗ってありますが、昔は…?

 

 

子供の頃、この台車に乗ってみたかった… 

 

 

 

疏水を離れた舟がここを進んでいたのです

蹴上船溜り~南禅寺船溜りの640mです

 

舟が行き交う事もなくなり久しいのですが、

67年ぶりの平成30年、復活しました

 

「びわ湖疏水船」と銘打って、滋賀・大津~京都・蹴上の間を

遊覧船が通います♪

とにかく、川幅が狭い、川底も浅い、カーブのきつい所がある

様々な難関をクリアして復活したそうで、乗れます、船に♪

 

詳しくは、下へアクセスを↓

 

http://www.biwako-sosui.jp/ 

 

今回、心に残ったのは、水路閣から山の麓を抜け出て来た時、

発電所の大きなパイプが見えたことです

 

こんなところにこんなものがあったのか~と

京都も知らないことが多すぎるなあ~と意気消沈気味で帰りました

そこで、東山のこと知るためには?

 

今夜も、ブ・ラ・タ・モ・リ~~

 

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哲学の道

2018-04-28 14:46:35 | 京都

 

シニアのためのカルチャークラブ、しばらくは冬籠りでしたが、

今月は、そこそこ歩いてきましたよ♪

 

今年度の1回目:銀閣寺

そのあと哲学の道~若王子~南禅寺~蹴上 を歩いてきました

 

銀閣寺と言えば、前回ブラタモリも、銀閣寺でしたね

ブラタモリを先に見ていたら、もっと興味深く見れたのに…

たくさん見逃してきました(/_;)

 

今日のテーマは、「東山」ですが

さて、タモカメさんは、どんな指令を出すんでしょう

 

 

哲学の道は、

銀閣寺橋と若王子橋の間の疏水に沿って、設けられています

端から端まで歩くのは、初めてだったと思うんです

きょろきょろしながら楽しみました(^_^;)

 

 

 

この敷石は、S.53年に廃止された京都の市電の軌道の敷石の再利用です

 

染井吉野の見ごろには、1週間遅かった

毎年ならドンピシャのはずなんですけどね~

 

 

八重と枝垂桜がまだ、咲いていました♪

 

 

疏水の上流に向いて歩いています

疏水は、あちこちに分流がありよく分かりませんが、

源は、言わずと知れた「琵琶湖」でございます<m(__)m>

滋賀県人は、”滋賀のことを悪く言うたら、琵琶湖の水

止めるでえ~” と( ^^) _U~~

関西の水瓶です

 

 

紅白の花が一本の木に咲いてる?源平咲きの?桃?

 

 

これも桜だ、との声が周囲から聞こえましたが、ほんと?

 

 

 

若王子橋を渡ります

この辺りは、紅葉の名所です

 

 

 

 哲学の道の起点ですが、ひっそりとしていました

後白河法皇が禅林寺(永観堂)の守護神として建立した神社で、

和歌山県にある熊野三山を詣でる熊野めぐりの出発点です

 

 

熊野若王子神社の前を通り、奥へと行きますと、滝がありました

小さな滝ですが、そばには鳥居と祠がちゃんとあります

ここ、東山はまだまだ奥へ入ることが出来、

幾つもの神社や滝があるようです

ただ、山に入ればイノシシもいるでしょうし、

あまりに静寂すぎる所の神社やお寺は、二の足を踏みます(*_*; 

あ、冬に京都の中心部にイノシシがやって来ましたが、

きっとこの辺りから西へ西へと進んだのでしょうね

 

「東山」は三方山に囲まれた京都盆地の東側になだらかに続く山々ですが

 

蒲団着て寝たる姿や東山  服部嵐雪

 

東山三十六峰が、布団を着て寝ている姿に見える、と詠んだ句で、

これは、子供の頃から知ってました

 

一番北にある山が、比叡山で、南が稲荷山です

それぞれの山に、お寺や神社があります

ですので、東山山麓に沿って、ずらっと名所旧跡があるので、

観光も、し易いかもしれません

 

十数年前、私は長い京都暮らしを終え、東山を越えて、

滋賀に移りました

今は、東山連峰を毎日、裏側から眺めていますが、

いちばん北の比叡山を、顏と見立ててなだらかに南へ

やっぱり寝てますね♪

 

 夏の一枚

 

冬の一枚 

 

 

マイナスイオンを感じたか感じないか分からぬままに、若王子を後にして

南禅寺へ向かいました

 

 

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伏見散策

2017-04-25 19:48:11 | 京都

 

 

先日、句材を探して伏見の町を散策の時、

最後に訪れたのは、「月桂冠大倉記念館」 でした。

 

祈念館中庭

 

 

 

伏見城の外堀だった 「濠川・ほりかわ」

のほとりで、

寛永14年(1637) 初代、大倉治右衛門が、「笠置屋」 の名前で

酒造業を始めたのが、今の、「月桂冠株式会社」 始まりです。 

お酒の銘柄は、「玉の泉」から始まりました。

 

 

伏見は、秀吉の築いた伏見城の城下町として栄え、

水運が整備され港町として、また、参勤交代の宿場町として栄えていました。

 

 

 

もうすぐ400年になるんですね~

 

その間には 

慶応4年(1868) 鳥羽伏見の戦いがありましたが、

運よく、大倉家本宅や酒蔵は被災をまぬがれました。

 

近年の発掘で、その時の砲弾や 「笠置屋」の名の入った大徳利が出ています。

 

 

鳥羽伏見の戦いでの砲弾

大きいのが薩摩藩の軍(新政府軍)のもの

小さいのが旧幕府軍のもの

なんだか、これで勝敗も分かるような…

 

京都周辺の兵の数は新政府軍が5、000名で、旧幕府軍が15、000名、アレッ?

 

旧幕府軍は、指揮官が不在、狭い道を縦隊突破、

などで優勢なはずの兵力を生かせ切れてなかったんですね~

そこへ、このデッカイ砲弾ですから…

 

この後、上野戦争、会津戦争、箱館戦争へ

 

明治時代へと続いたという事なのですね。

 

明治に入ると、ハワイ、ホノルルへの輸出を始めます。

 

明治38年(1905) 「月桂冠」 が生まれます。 

 

明治の末には、酒造研究所を創設し

「防腐剤なしの瓶詰清酒」

に、成功します。

 

なんと、今までずっと大倉さんは男系で代々継いでいっておられるとか。

すごいですね。

 

 

柳と桜が、とてもマッチしてました♪

 

 

伏見が酒造りの町としてあるのは、

「伏水」

に尽きますね♪

 


あ~ほろよいの伏見散策

 

 

もう、影も形もございません

 

 

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吾唯足知

2017-03-13 16:54:26 | 京都

 

 

京都、龍安寺の 「知足の蹲踞(つくばい)」 です。 

 

 

昨年訪れた龍安寺の庭で写しました。

 

つくばいに漢字が彫られていますが、下の図のようなデザインです。 

 

 

「吾唯足知」の画像検索結果

 

 

 

龍安寺の方丈の裏の茶室「蔵六庵」に繋がる露地に置かれています。

 

つくばい(蹲踞)は、茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢です。

 

上の写真には「吾唯足知」

「われただたることをしる」

の文字が有りますが、この四文字に共通の部首、「口」が、

つくばいの真ん中の水溜めの形にしてあります。

 

ひとつで4つ分賄うんですね♪

上手くデザインしたものです。

 

ひとつ前のブログに書いたのは、このことなのです(^_^;)

 

この「吾唯足知」 は禅語でして、

 

「知足のものは貧しといえども富めり、

不知足のものは冨めりといえども貧し」

 

という意味です。

 

伝えによりますと、つくばいは、水戸藩の徳川光圀が、龍安寺に寄進したのだそうです。

 

諸国漫遊したという、黄門さまは、龍安寺も訪れているのでしょうか。

 

思わぬ言葉が禅から来ていることがよくあり、驚きます。

 

禅って深いのですね…

 

 

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いとこ会に行ってきました

2017-02-23 15:35:39 | 京都

 

 

母方のいとこが5人います。

 

年2回、いとこ会と称して集まっています。

 

夕食をするのですが、お酒好きが数人いて、まあ、呑み会とも言えます。

 

いとこは、4人が京都に住んでいるのでいつも京都でしています。

 

 

今回は先斗町でした。

 



こんな感じや



こんな感じ


道が細いことがよく知られています、ほんとに細い。


外国の方も多かったですが、


人が映るといけないなと思いながら、パシャッ

 

いとこ会、今回は病気の話が多かったあ~

 

血圧や血糖値、みんな何某かの不安を持っている様です。

 

とは言いながら、みんな飲みますね~

 

私は、ノンアルコールビールにしました…イマイチ…

 

秋の終わり頃から、かゆいかゆいが起きやすいので、お酒は控えました。

 

おかげでかゆくなりませんでした♪

 

蛸のお造り、

 

あんなに柔らかい生蛸初めてでした。

 

一番好きな鰤もおいしかった。

 

船場鍋、

 

船場汁というのは、鯖のあらで取ったお出汁で、醤油味か塩味だったかな?

 

出てきた船場鍋は、白みそ仕立てで、鯖の切り身、大根が入っていて、

 

おろし生姜と刻み葱の薬味が付いていました。

 

おつゆが、とても美味しかったです。

 

そんな感じで2時間余り居て、みんな、もう一軒行くと言いましたが、

 

私は滋賀まで帰るので、ここで帰りました。

 

 

先斗町を上がって行く途中、暗い中をスマホですが、撮った景色。

 

ピンとしない写真ですが、

 

鴨川に架かる三条大橋と明るい建物は京阪三条駅

 

橋の西詰めに、弥次さん喜多さんの銅像が、

三条大橋は長~~い東海道五十三次の最終地点で、

やれやれと思っておられるのか、さて、どこで遊ぼうかと思ってるのか…

想像より若い!

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の主人公

やっぱり、昔の人は偉かった!

 

 

銅像の上には桜の花が、もう咲いていました。

早咲きの種類なのでしょうか…

 

10時頃、地下鉄乗車、東へと

 

 

夜遅くなって駅に着いた時には何故だかコンビニに寄って、ちょっと甘いものを

 

買いたくなるのです♪

 

結局、買った物の半分くらいしか食べないですが、美味しいんですよね、太るけど…

 

次は、8月、みんな元気に集まれることを願ってるうちに

 

眠たくなりました

 

 

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祇園祭(前祭)2016

2016-07-18 01:10:47 | 京都

7月17日は、祇園祭(前祭)の山鉾巡行の日でした。

 

今にも降り出しそうなお天気でしたが、

 

何とか一日持ちました。

 

家を出るのが遅かったのですが、

 

毎年一番を行く長刀鉾が新町通の辻回しを控え御池通に止まって、

 

剛力さんがお稚児さんを肩に

 

はしごを降りて行かれるちょうどその時に到着しました。

 

                            ↑ 剛力さんとお稚児さん 

 

金の着物がお稚児さん、白い着物で足が見えてるのが剛力さんです。

 

長刀鉾だけは、人形でなくお稚児さんは小学生の男の子が務めます。

 

7月1日より祇園祭に入っているのですが、その日より

 

7月31日まで、正五位の位を授かったお稚児さんは

 

地面に足をつけることや、母親が触れることも許されず

 

神事の時の介添えや身の回りの世話はすべて男性がします。

 

 

辻回しが成功しました。 

↑ 音頭取

辻回しは、ま、強引に3回位で車輪を90度向きを変えるのですが、

 

車輪の滑りをよくするため、青竹を割ったものを車輪の下に何本も敷き、水をかけ、

 

曳手さん数十名が綱を引いて向きを変えます。

 

東西の道から向きを変えて南北の道へと入って行きます。

 

 ふたりの音頭取りさんは

 

「エーンヤーラーヤー」

 

の掛け声と共に扇子を返しながら、鉾を導きます。

 

エーン

 

ヤー

 

 ラ―

 

ヤー

 

 

 で元に戻る

 

だいたいこんな感じかな(^_^;)

 

辻回しの時、お囃子は激しくなり、鉾をまっすぐに向き終えると

 

ゆったりしたお囃子に戻り、悠々と進んで行きます。

 

が、

 

たまには何かに木の車輪が引っかかるのか、

 

ゴトゴトンと音がして、鉾が揺れてギシギシきしむこともあります。

 

一番上の鉾頭なんかは、前後左右に激しくしなることがあります。

 

危険ではありますが、そこがまた醍醐味でもあるような、

 

こうして、合計23基の山鉾が3時間位かけて、巡行します。

 

やはり長刀鉾は花形です。

 

 

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佐野藤右衛門さん

2016-05-05 00:53:19 | 京都

 

今年も 「植藤造園」16代目、桜守りの佐野藤右衛門さんはお元気そうです

 

と言ってもテレビ番組でお見かけしただけですが

 

 

今までにも何度か聞いた言葉を今回も聞くことが出来ました

 

それは、

 

『 桜は花の時だけでなく、一年を通してみてほしい。

どれか自分の好きな桜を決めて、よく通る道で見る桜でもかまわんから

葉の時、葉も散る時など見てほしい 』

 

ということです

 

この番組に、小さなお皿を持って来られました

それは素朴な感じですが、そこに焼き付けられた色は

桜の枝を燃やして出来た灰を使って作ったそうです

やわ~い、素朴な桜色でした

灰を利用して焼くとあんな色になるなんて、驚きでした

(灰をつけるのか、灰汁をつけるのか聞き漏らしました)

藤右衛門さんは桜を最後の最後まで無駄なく使いたかったので

とおっしゃってました

 

思えば、桜は、花の塩漬け、葉は桜餅を包む葉に、

また木は茶筒など木工品、桜チップ、布の染色にと

様々に使われていました

最後の灰も生きた使い道があったのですね

 

藤右衛門さんの庭が広沢の池の近くにあります

数年行ってませんが、桜の様々な種類が揃っています

 

まだ若い桜や、見事な花を付けてる大木までいっぱい!

 

桜の季節には、庭には篝火が焚かれ、お邸の横の通路に

緋毛氈の敷かれた床几が置かれ、一服することが出来ます

お邸も風情のある古民家風です

 

桜は木の傍まで行って見て、触れて鑑賞することが出来ます

 

あ、もうひとつ興味深いことを聞きました

桜は咲いているうちは虫がつかないが、咲き終わると

毛虫がつき始める…

 

そろそろ桜の木の下は注意しないと。

 

今年は一年を通して観察する「オンリーワン」を見つけようかな

 

 

 

2010年に行った時の記事3本にリンクします ↓ よろしければ

 

http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/e/578654b850bb51d017241057320a3a12

 

http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/e/d6539bd790198bf33bde9ffa67c29220

 

http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/e/ec252917d277bb3e4e2b8bf825b68704

 

 

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