慶長五年九月十五日(西暦1600年10月21日)
関ヶ原の戦いは東軍家康の勝利。
西軍石田三成も大谷刑部も亡くなってしまいましたね。
天下分け目の合戦、その前に家康は用意周到さを見せます。
「準備力」 これが勝利に導いたとも言われています。
家康は味方を得るために、戦う前の3か月の間に書いた手紙の数が
確認されているだけでも184通もあるそうです。
家康は筆まめな人だったんですね。
あの宴会に誘ったら沢山の大名達が集まってくれたので
『イケるかも。』
と天下統一を思い描き、ほくそ笑んだあの頃、書いてたんですね~
内容は領土は安堵するよ♪ といった具合で、ま、買収?
三成も味方を増やそうと書いてはいたのですが、文章力の問題?
いや、なんと言っても家康の豊臣政権での位は五大老。
悲しいかな三成は五奉行、下っ端です。
説得力にも差が出ますよね。
それに、見ていると三成は正論とはいえ、ガンガン相手に向かうところがあるし、
イラッとくるところがありますよね。
家康は要領よく,ヌラリクラリと時局を抜けて行きました。
ま、それも憎たらしいですけど。
各大名の布陣を示すのにこの様な地図がよく出てきますが、
これは、「シブサワ・コウ」という「信長の野望」の
生みの親である方が真田丸に出て来る3D地図の監修をされています。
「鳥瞰図」 というのですか?
大軍がドオ~っと進んで行きますもん。
ゲームはしませんが、これはおもしろい。
鳥瞰図ってどうして書くのでしょうか。
レオナルドダビンチなんかも書いているといいますから、
どうやって書いたんでしょうか。
話が反れましたが、関ヶ原の戦いで真田家に出された御沙汰は、
真田家嫡男、信幸には真田の人々との行き来断絶を言い渡され、
父昌幸の「幸」を名前に用いないようにとも。
それで「真田信之」となったんでしたか!
「ユキ」という音の響きだけはなくさないという固い意志を示したのでしたね。
その信之に母薫が久々に会って泣きすがる場面がありましたが、
ドラマ見ていて、胸に詰まるものがありました。
薫を演じる女優さんのこの頃の立場を思うと…
息子よ、どうする。
ここずっと信幸の大泉洋さん、カッコイイじゃないですか。
テキトー感、封印ですね。
砥石城で、信之と信繫が相対する時がありましたが、
信繫は敵方の家来をも切ることなく…
身代わりとなったするめとそのお皿や如何に。
こうして、砥石城は信之が陣取り、信繫はさっさと退散、
合いまみえる事を避けたのでした。
この時、信繫の家来というか親友というか、矢沢三十郎は信之に付くことなり、
信繫と悲しい別れをしなければならなかったのです。
第二次上田合戦から関ヶ原の戦いへ、目まぐるしく変わる情勢を
いち早く、正確に伝えたのは
猿飛佐助でした。
常に忠実に仕え、暗躍した忍びの者
表に出ることは出来ないが、自分のするべきことを全うしてきた
走、投、守、共に優れた正に裏のMVPです
この先も真田のために、身を尽くしていくのと思います。
佐助さんも見つめて行きたい人物です。
真田昌幸、野望の人
でも、老いては子に従えという事も…
本人はもう一つ、大博打を打ちたかったのでしょうが…
その真田にじらされ怒り心頭の徳川秀忠、まだ本多正信の手の上でコロコロか…
大谷刑部、真の武士でした
豊臣のためだけに生きてきた忠義の人、石田三成
こんなこと言うのも何なんですが、山本耕史さんは
新撰組の「土方歳三」のイメージもあるんです。
あの、『待たせたな』です…