kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

鎌倉殿の13人 第24回 変わらぬ人

2022-06-26 13:43:48 | 鎌倉殿の13人

 

第24回  変わらぬ人

 

誰が変わらぬ人なのか

ドラマをテレビで一回見ましたが分かりませんでした

集中してドラマの中に分け入ってみます

 

前回は巻き狩りの中、

曽我十郎五郎の「敵討ちと見せかけた頼朝への謀反」

 

頼朝への謀反を目前にした周囲の者の動きは?

 

当然ですけれども

御家人が信用できず、身内に任せたら

その身内も敵となった、と頼朝は思っている

政子の言うように、何かに怯えている

猜疑心も膨らむ一方で、義経に続き弟の「源範頼」をも討つことを命じた

 

頼朝にお詫びするために、範頼は起請文を書いた

周りから、けし掛けられたりもしたが、それは言わずに

すべて自分一人のことと言う

責任感の強い人ですね

 

それに頼朝や大江広元を前にして

可愛そうなくらい悲痛な面持ちで、優しい人だなあと思いました

頼朝を蹴落とそうとしたのじゃない

頼朝が亡くなったと聞かされ、鎌倉殿を引き継がなければと

兄の興した鎌倉殿を守るという責任感からではないですか

 

頼朝に、この人の献身的な心根も何も通じない

頼朝に腹が立ちます

 

義時や政子も懇願するが、効く耳持たない頼朝

かつての頼朝の乳母である比企尼も来て、範頼を許すように言う

それで何とか修善寺に幽閉の処分となった

しかし、それも束の間、都への対応が上手くいかなくて頼朝は

範頼が呪っている言うのだ

そんなこと、根も葉もないことでしょ

頼朝は、もう普通ではない、狂っているのか

誰も信じられず怯えて殺してしまうばかり

範頼は、梶原景時の手の者に殺害されてしまった、またも、善次だ

 

範頼が刺された時の表情が忘れられません

怒りは見えなかった、ただただ、悲しみの顔で逝ってしまった

頼朝を慕い、助けになろうとやって来た弟なのに

またもや、この仕打ちですか

 

以前、義経が畑仕事に勤しみ楽しそうにしていた

範頼も村人と修善寺で楽しそうに畑仕事をしていた

そして、この時の笑顔が最期の笑顔だった…

 

 

大姫は、木曽源氏の義高(いいなずけ)が未だ忘れられない中

やっと決心した入内も叶わず、父の怒りを買い

床に伏し、二十歳の若さで亡くなってしまった

すると頼朝はすぐに、次女の三幡を入内させるという

大姫を亡くしたばかりですよ!

政子にも成すすべは無かったのか

 

これでも、頼朝の心は変わらないのか…

 

征服、名誉、こんなもの…

 

 

コメント

鎌倉殿の13人 

2022-06-19 17:23:07 | 鎌倉殿の13人

 

鎌倉殿の13人 

(21回~23回)

 

しばらく私、鎌倉から目を反らしてしまいました

先日のブログで書きましたような事で

何かにつけ、やる気が失せています

呆けてきたのか…

気合をいれないといけません

 

近所で公共のスポーツ施設の建設に加え、新道路の敷設で

砂埃の舞う日が多く、窓や扉がざらざらです

まだしばらく続くようですが、今すでにこの辺りの道路の風景が変わりました

 

鎌倉殿の13人も、様子が変わってしまいましたね

金剛君と万寿君が大きくなって

無邪気な金剛、プレッシャーにさいなまれていそうな万寿

愛情たっぷり受けて、のびのびと育ってほしいですね

 

義時さん、辛いですね

まさか、八重さんがこんなに早く亡くなられるとは思いもよりませんでした

身寄りのない子を見ていて、相当疲れが出ていたのでしょうか

三浦善村さん、鶴丸助けながらも、

八重さんにちょっと気を向けてくれていたならと残念です

苦労苦労の生涯でしたね、八重さん

 

頼朝に受け入れられなかった

源九郎義経

簡単に、冷ややかに言うならば

義経はあの多才さや過激な行動ゆえ、兄から

”出る杭は打たれる”

結果になったのかもしれません、可哀そうに…

まっすぐに、兄のために一生懸命だったのに

義経を恋い慕った静はどこへ行ってしまったのか

 

頼朝は肉親を亡き者にまでして天下が取りたい征服欲?

 

 

 

時政は遠い親戚の曽我十郎と五郎という御家人を抱えていた

時政は親の敵討ちの相談を十郎五郎から持ち掛けられた

時政には言わなかったが、その裏にはさらに大きな企てがあった

比企能員には打ち明けた

親の敵討ちを隠れ蓑に、頼朝を討つという謀反を考えていた

頼朝の今までの仕打ちがこうさせたのか

頼朝、冷酷ですからね~

 

曽我兄弟の企ては上手くは行かなかった

義時は頼朝を守ることに必死だった

謀反が起きたと世間に知れたなら鎌倉が揺らぐ

時政も関係していたから、どんな処罰が与えられるか

この非常時を義時は見事に切り抜けた

 

「敵討ちを装った謀反ではなく

謀反を装った敵討ち」

 

そう裁き、生き残っていた五郎に死罪を命じた

 

義時、上手く切り抜け頼朝の信頼を失うことはなかったようだ

と同時に、もう一切頼朝に抗うことは出来ないと心に決めたように思う

 

義時は、やはり天が頼朝を守っていると思ったが

本人の頼朝は今までの様に、天の導きを感じなかったというのだ

わしが成すべきことは、この世に残っていないのか…

と言った

 

そう言えば、義経も似たような状態でした

平家を倒したあと、これから何をしたらよいのか…

そんな風に落胆していましたね

 

弟の源範頼もどうなるやら

源氏が次第に居なくなっていきます

 

邪馬台国か大和国かちょっと分かりませんが、

日の本の起きたときからずっとなのですね

 

曽我兄弟の謀反をきっかけに、

比企も、範頼も、実衣も誰もかれも

鎌倉殿のあとをしたたかに探っているような

 

そんな中で、梶原景時は一番怪しそうなのに、一番分かりません

 

 

コメント

白百合が咲きました

2022-06-16 12:05:10 | つぶやき

 

 

ご無沙汰しております

 

よくある話かもしれないのですが、いざ我が事となりますと

打ちひしがれてしまいました

一昨年、夫が亡くなり

昨年、夫のすぐ下の弟が亡くなり

今年、更にその下の弟が亡くなりました

 

数か月前より、状態が良くないとは聞いていました

5日にお見舞いに行って次の日亡くなり、先週はお見舞い、お通夜、お葬式でした

 

なんで、三年続けてこんなことがと、悔しくてなりません

夫の弟はふたりとも私より年下です

本人たちの悔しさは、如何ばかりかと

 

楽あれば苦あり 苦あれば楽あり

今の苦は次の楽のためのもの 今の楽は次の苦のための準備の時

そんなことをいつも思いながら暮らしていても、やりきれません

 

でも今日、皆さんのブログを見せてもらって

また元気出して頑張る気が出て来ました

 

家事、趣味、テレビ鑑賞、やりたい事はたくさんあります

幸か不幸かそれぞれに時間がかかる…、いわゆる「愚図」

ドジな私です

挫折あれば挑戦あり  挑戦あれば挫折あり

 

 

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