kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

秋の色

2017-09-26 10:30:12 | 四季折々に

 

 

 

彼岸の中日から一日経った、ほぼ真西の空

 

極楽浄土は真西にあるらしい…

 

橋は琵琶湖大橋でも、近江大橋でもなく、

 

先日イナズマロックのあった烏丸半島へ渡る橋です♪ 

 

 

 

25日の夜

 

まだ細くなりますか?

 

私は細くならない…

 

 

 

9月最後のSL北びわこ号 

 

いつ見てもキュートです

 

今更ですが、これはどちらが動かしてるのでしょうね?

 

蒸気機関車? 煙をはいて蒸気を吹きだしてますが

 

 ディーゼル車? 先頭はディーゼルなんですけどね?

 

どちらも?

 

ま、どちらでもこの町を通り過ぎてくれるだけで

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十六

2017-09-24 17:37:04 | おんな城主直虎

 

第37回 武田が来りて火を放つ

 

高瀬ちゃん、やっぱりでしたね…

 

武田方の隠密ということでしょうか…

 

今までも時代劇を見ていると、隠密が下男や下女の姿で

 

敵方に入り込み、城や屋敷の間取りを調べたりしながら

 

味方からの指図を待っています

 

長く居るうちに相手に重宝がられ、大事にされ

 

上手く暮らしているところへ元の仲間が接触して来るんですよね~

 

おじゃま虫ですよ

 

その時、飴売りとか、かんざし売りとか、行商の姿で現れますね

 

高瀬にも、胡散臭い行商人が近づいて来ました

  

井伊から、中野直之らとやって来た近藤康用の所で

 

近藤に尽くし、周りの者たちとも楽しく過ごしている様子

 

いつかは、武田から指令が届く事は分かっていたでしょうが、

 

いざ、世話になっている者を裏切らなければならないなんて

 

それはそれは、辛いことと思います

 

近藤の食べるはずのお粥に毒を入れ差し出しましたが

 

すんでのところで、最前線からの知らせが来て、

 

近藤が毒を口に運ぶ機会は失われました

 

高瀬は、おそらくほっとしたでしょう

 

とうとう、武田が井伊谷の城に迫って来ました

 

近藤は、徳川方として戦う立ち位置のまま自ら

 

井伊谷城に火を放ちました

 

燃え盛る城の中で、高瀬は近藤を探していたのでしょうか

 

それとも、この火の中で、自らの命を…

 

そんな時、龍雲丸とおとわが火の中へ高瀬を探しに来ました

 

さて、高瀬はこの後どう行動に出るのでしょうか

 

もう、これ以上隠密として今の殿である近藤の命を奪うなんて

 

出来るとは思えませんが、

 

死ぬことを覚悟の上で隠密の宿命を全うするのか

 

どちらにしても、高瀬の命が風前の灯となってしまいました

 

 

 

 

さて、本日の放送でどうやら、

 

成長した虎松が登場のようですね

 

井伊直政

 

井伊家の歴史上、とても大切な人

 

キレッキレの菅田将暉君が直政役

 

 

これからの、徳川家康との関わりが、どの様に描かれるのか

 

ここが、井伊直政が徳川四天王へと登って行くところですし、

 

戦の場面が増えるかもしれしれませんが…

 

 

あ、そうそう、戦と言えば「三方ケ原の戦い」

 

武田に敗れて、逃げ帰ってきた家康の場面、第37回にありましたね

 

しかみ顔   (浜松城で写す)

(徳川家康三方ヶ原戦役画像・とくがわいえやすみかたがはらせんえきがぞう)

として、残る画のこのポーズ

ドラマの中で、家康さん、煤けた顔でやってましたね~

軽妙な演技が、面白かった♪

 

 

浜松城に展示されていた、軍扇

これでないかもしれないけど、家康はこの様な軍扇を翻し、

武田軍と戦ったのでしょうね

 

 

 

さて、この家康に従いこれから進んで行く井伊家

 

耐えに耐えてきた井伊がいよいよ花開く、

 

輝かしい道のりを行くのかと思いますと

 

ワクワクします♪

 

ではまた…

 

 

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新しく出来た広場

2017-09-21 16:49:12 | 散策

 

 

朝日がまぶしい

 

朝から風もなくお天気もよさそうで、今日は朝ゆっくり出来るので

 

意を決して?、ウォーキングに出ました

 

最近できたばかりの、広場へ

 

 

旧草津川(天井川)を整地して、遊歩道、ちょっとしたトレーニングスペース、

レストラン、花畑、ステージ、草津市もがんばりましたので、

私もがんばって歩こう!

 

 

レストランは、ピザ、パスタはじめいろいろなランチが

夜もOKですよ、夜は行ったことないですが…

他にももう一軒レストランと、ホットヨガの施設が

あと、公共の集会所みたいなのが、借りれるのかな?

 

 

秋の花が、たくさん咲いていました

花壇に植えたもの、以前から河原に自生していたもの、秋ですね~

 

  

 

撫子?

 

 

もう終わりかけているのですが、斑入りの桔梗は初めてだったので

 

 

 

これは、葛の花ですか? 萩ではないですね?

 

 

 

この辺りは、旧草津宿で、本陣や脇本陣が残っています

特に本陣は、当時のままの姿です♪

 

草津宿本陣

 

 草津宿本陣は、当主の田中七左衛門が寛永12年(1635)に本陣職を拝命したとされ

明治3年(1870)に本陣が廃止となるまで、代々本陣職を勤めてきました。

 

江戸時代に泊まった大名や、天皇家の方の記録も残っていますし

当時の道具や、昔ながらの建物の状態が見学できます

 

 

 

脇本陣跡は今、ベーカリー&カフェです

昔の建物で、のんびり出来ます♪

 

 

 

三度飛脚とは江戸時代に、月三度定期的に江戸と京都・大坂との間を往来した飛脚


現在は、礎石だけが残っています

 

 

 

中山道と東海道の追分

 

 

 

 

 旧草津川をくぐるトンネル「マンポ」です

明治の文明開化が進んだ頃、人力車や馬車が通行するために

天井川に隋道が掘られ、当初はレンガ造りでアーチ型でした。

 

ここが、追分でして、

トンネルの方角が、中山道です

 

 

 みぎ 東海道 いせみち 左 中山道 美のぢ

 

ここから篤姫は東海道を、和宮は中山道を進んで江戸へ嫁ぎました。

 

 

 高札場

この後ろの石垣を登ると、旧草津川跡地広場です

 

 

土手にも、道標が残っています 

 

 

追分の写真は、以前に撮りました

 

お花を撮りながら、行きは歩いて、帰りはスロージョギングで、45分間

 

久しぶりに、気持ちよかったです

 

 

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千日回峰行、満願へ

2017-09-19 11:41:16 | 行事

 

地球一周分の、4万kmを踏破

 

 

天台宗の荒行「千日回峰行」を釜堀浩元さん(延暦寺・善住院の住職)が

達成されました

 

                              今日の比叡山 

 

延暦寺を中心に比叡山山中と京都市中を約千日間かけて巡礼する修行、

 

千日回峰行

 

中でも断食、不眠、不臥でお堂に9日間籠る、

 

「堂入り」

 

この行を、2015年10月21日未明に終え、 

残りの2年間、比叡山中と、京都市内を巡礼してこられ、 

 

2017年9月18日、「北嶺大行満大阿闍梨」 となられました

 

 

1571年の比叡山焼打ち以降の千日回峰行を達成した記録が

 残っているそうですが、

 

これ以降数えて、51人目、戦後なら14人目という、

 

大変な記録です

 

最後の一日は、

18日未明に比叡山の玉照院を出発、山内を30km歩き300カ所を巡礼し

回峰行の拠点の明王堂に帰還しました

 

あの、堂入りを終えた時の様子は、痛々しかった

それに比べ、とても力がみなぎって元気な姿でした

 

支持者に感謝し、人々のためになるお坊さんになれるよう

精進します、 とおしゃったそうです

 

あ~無事に満願となりよかったですね

 

この荒行を7年間続けるには、健全な体と心がなければ

 

私なんか、2日ほど前からなんかゾクゾクして、昨夜は微熱が…

抵抗力が落ちてるのは、怠惰な生活態度…

ことごとく、修行が足りません(ー_ー)!!

 

 

(荒堀さんが、堂入りを終えられた時に書いたブログのアドレス↓です

千日回峰行の内容を書いてました

紹介する価値も無いような内容ですが…)

↓ 

http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/e/154280528bfa7c12c7fafc861c471978

 

 

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イナズマロックと近江八景

2017-09-18 11:25:39 | 音楽

 

滋賀県野洲市出身の西川貴教さんが2009年に始めた、

 

野外音楽イベント 「イナズマロックフェス」

 

今年は、9月16日と17日の予定でした

 

台風18号が近づいていましたが、9月16日(土)は

 

予定通り開かれました

 

朝から雨、でも草津駅周辺は、若者グループが

 

リュックしょって、レインコート来て続々集まって来ていました

 

ここから、会場の烏丸半島へのシャトルバスが出るのです

 

会場は駐車できないので、この辺りまで車で来て、

 

駐車場に止めて行く人も多く、草津駅周辺の駐車場は

 

満車状態のようでした

 

駅から烏丸半島はかなり遠いんですよ、10kmくらい?

 

不便と言えば、不便な所での開催です(^_^;)

 

皆さん、こんな田舎までお運び頂きありがとうございます

 

よくぞ、お越し下さいました

 

 

 

この橋の右の森が烏丸半島で、この中で開かれます

 

琵琶湖と、比叡、比良の山々をバックに音楽、お笑いのグループが

 

演じます

 

上空からみた烏丸半島

 

ネット内からコピーさせてもらった空から見た烏丸半島

 

琵琶湖に突き出しています

 

ここは、人工島で、琵琶湖博物館、水生植物公園みずの森、

 

内湾では、淡水真珠を養殖しています

 

イナズマロックがあったのは、ここの芝生のどのエリアかな

 

 

16日(土)夜、雨は強くなりましたが、約5万人の観客が楽しんだようです

 

2日目の17日(日)は、残念ながら台風接近ということで中止でした

  

前夜9時に決定し、ネットで知らせたそうです

 

西川貴教さん、安全を選んだ英断ですね~

 

日が暮れるに従って、風がどんどん強くなってきましたから、正解ですね

 

 

ところで、15日にもここで、イナズマロックが行われていました

 

実は昨年も、雷雨の影響で2日目が途中で中止になっていたのですが、

 

その代替として開かれていたのです、観客は3万人

 

どうも、イナズマロック、雨に祟られがちですね~

 

まさか、名前の「イナズマ」が、雷雨を読んでる訳では…

 

な訳ないですよね

 

なぜ「イナズマロック」と名付けたかと言うと、

 

「滋賀」 の「滋」 

 

こんな感じのつくりがあるからだそうです、

 

どこまでも滋賀観光大使の使命を果たそうとする方ですね、西川さん

  

来年は、いいお天気に恵まれますように願っていますよ♪

 

 

さて、会場となる烏丸半島ですが、

 

この辺りが近江八景のひとつ「矢橋の帰帆・やばせのきはん」なのです

 

江戸後期、歌川広重の描いた風景画(名所絵)の中にもあります

 

 

 

関連画像

 

 

江戸時代、「矢橋」は対岸への渡し船の発着地でした

湖上交通が栄えていた頃です

1978年の帰帆島の造成着工により、

広重の絵にあるような景色はなくなりましたが、

帰帆島の奥の入り江には今も、ヨットや釣り船が行き交います

 

近江八景は

 

石山秋月(いしやまのしゅうげつ)

勢多(瀬田)夕照(せたのせきしょう)

粟津晴嵐(あわづのせいらん)

矢橋帰帆(やばせのきはん)

三井晩鐘(みいのばんしょう)

唐崎夜雨(からさきのやう)

堅田落雁(かたたのらくがん)

比良暮雪(ひらのぼせつ)

 

文字に間違いないかな?

前回、よみがなを間違えたから、なんかプレッシャーです(^_^;)

せたのせきしょう…OK?

 

 

T.M.Revolutionの西川貴教さん、

 

「矢橋のイナズマロック」を平成の近江八景に認定~♪

 

八つ揃えてみますか?

 

 

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もう彼岸花が咲いてます

2017-09-17 16:28:30 | 花・木・草

 

母がよく、彼岸花はげんが悪いから触ったらあかんえ、

と言ってましたが…

 

 

近くの河原にもう咲いてます

 

遠くから撮ったものでボケてますが、彼岸花ですよね

 

ちょっと早いのでは?

 

お彼岸の中日までまだ6日あります

 

 

 

「記録的短時間降雨」

 

最近よく聴きますね、今まで無かったのに…

 

とにかく、おかしな事が多いです

 

そのせいか、人もおかしい

 

何もないといいのですが…

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十五

2017-09-16 16:45:31 | おんな城主直虎

 

第36回  井伊家最後の日

 

政次と龍雲丸ではずい分と気性に差がありますけど、

 

 

政次もあんな風に次郎に言えてたなら…

 

 

これは碁の最中に、政次が珍しく直虎の前でぼーっとしていて

隙を見せた時

 

 

これは直虎がまた無謀な考えで動くので、走り出した直虎を止めようと

打掛の裾を踏む寸前♪

 

どちらも印象的な場面でした

表情の演技が抜群!

 

 

 

  

さて、井伊家最後の日、なんてうそでしょ?

 

と思いながら見ましたが…、ほんとでしたね

 

虎松はずいぶんと愚図ってましたが、和尚さんがなだめすかして

 松下家に行くことが決まりました

 

なつと亥之助と六左(奥山六左衛門)もいっしょに

 

 

 ゆきのじ(中野直之)は弟や中野一党そして高瀬と共に、

近藤康用に召し抱えられることになり、また井伊谷に住むことになりました

 

 

『所詮女子じゃな、その女子に一生ついて行くつもりだったんだ!』

 

 

とは言いましたが、井伊谷に住むことを願ったのですね、

ゆきのじ、ええとこああるやん♪

 

次郎は、皆を手厚く送り出したのでしょう

そして、自身は還俗し田畑を耕し暮らすという

井伊を守り抜くという大きな役目を終わりにして、

平穏な毎日を送ることになりました

 

次郎はおとわと呼ばれた頃、

人の助けになることを己の信条として次郎となることを選びました

 

この事を、南渓和尚は振り返り、ふと、思いました

 

 

 

『おとわがその道を選んだのでなく、我が選ばせたか?』

 

と、可哀そうなことをしたと考え込んでいる様子でした

 

でもまた、虎松にも松下へ行くことを虎松が選ぶよう仕向けたか?

 

『あれはのう、もう殿ではない

ならば、従わねばならぬ道理もないのじゃ』

 

『答はひとつとは限らぬ

道も一本とは限らぬ

行き止まりばかりならどうするか、

それは、

この世は諸行無常』

 

こんなことも和尚は言ってましたね

 

 

ま、和尚さんも井伊のために良かれと思ってのことですが…

 

百戦錬磨の和尚です

 

 

ところで、中野一党と共に、近藤へ自ら願って行った「高瀬」

 

この子は、井伊直親が討たれた後、信濃からやって来て、

直親の娘と名乗ったのでしたよね

 

直親の妻、しのと次郎が怒り心頭でしたね

自分たちに、甘い言葉を投げ掛けておきながら、信濃でも

他の女にも同じ事を言っていたとは、と、すけこまし、とまで言ってましたよ~

 

この不倫且つ親権問題は、高瀬が直親が笛で吹いていた歌を口ずさんだことから

次郎は、直親の娘と信じ快く受け入れました

 

高瀬はその頃からちょっと変わった様子もありましたが、

あれ以来、よく働き、気立てもいい子で問題なかったのですが…

 

そして、今、

 

 

武田がこちらへと動き出した頃、遠くの空をじっと見つめていました

 

信濃の方角なのでしょうか

 

いったい、高瀬は何をしようとしているのか、何もないのか?

 

そして、もう一人、出たきましたよ、くノ一かも、と思える女の子

 

またしても、私のゲスの勘繰りに終わるのか

 

その子は、侍女として家康のそばにやって来た、「ふさ」

 

賢く、機敏な女性に見えますが、どうなりますか…

   

ではまた

 

 

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丹波路へ

2017-09-14 18:39:14 | 食・レシピ

 

9月9日、

 

今月の遠足は、バスで丹波路を走り、ふたつの工場を見学しました♪

 

 

 

京都縦貫道や9号線を行きますと田んぼ、畑、山の景色が気持ちを穏やかにしてくれます

 

 

 

 

まず見学したのが、 「石井食品株式会社」

 

ミートボールのイシイです

 

子供が小さい頃、お弁当作りでお世話になりました

 

一通り、工場のラインを見せて頂きましたが、 

企業秘密がたくさんあるのでしょうね、撮影禁止でした

 

 

その後、教室で案内の方より説明を受けましたが、

 とても分かりやすく、興味深く聴きました

 

ちょっと学校の先生みたいな雰囲気を持った方でした

 

イシイのミートボールは2000年から無添加調理になったそうです

 

子供のお弁当に使っていたのは、それより前ですね~

 

ミートボールにはカレー風味、トマト風味、てりやき風味があります

 

 

さて、ここで問題です

 

① ミートボールはいつ頃から作っているでしょうか?

 

② 子供に人気の味は? 大人に人気の味は、

カレー?トマト?照り焼き?

 

答は、カミングス~~ン (^^♪

 

イシイはミートボールの他に、チキンハンバーグや

まぜご飯の具、お粥、ごぼうサラダ、麻婆茄子などのソースがあり、

それらを使い、非常食や介護食のセットを作っています

 

でも、やっぱり一番沢山作っているのは、ミートボールだとか

 

いくつか試食させてもらいましたが、今できたて!

だというミートボールが一番でした♪

これは、工場見学ならではの試食です(^^♪

 

昔に比べますと、生産量は減少しているそうです

 

案内係の方がおっしゃってたのですがやはり、少子化が大きな原因の様で、

また、従業員が集まらず、製造能力の低下もあり、

昔に比べ会社は厳しいそうです

赤字だと、はっきり言っておられます

 

確かに、巷ではお惣菜を販売する店も増え、

冷凍、レトルトなどの技術もよくなり、品物があふれてますから

なかなか難しいだろうなと思います

 

 

 

 

 さて、問題の答えですが、

ミートボールの生産は、昭和49年(1974)7月から

 

ナンバーワンの味付けは、子供も大人も、てりやき風味

 

へ~? です

 

今回の試食で私はトマトが一番でしたけど…(ー_ー)!!

 

ミートボールを試食して、おみやげをもらって、イシイの製品を少し購入して

 

京丹波サービスエリア 「味夢の里」 に行きました

 

 

京都府南丹市の観光大使「さくらちゃん」です

かわいい一面もあるけどしっかり者で花の栽培が得意な女の子だそうですよ♪


この日9月9日は救急の日で、消防署の方達と一緒にお仕事です(^^♪


味夢の里~あじむのさと

 

「あじむ」 というと大分県の 「安心院」 を思い出します

初めて知った時は、珍しい地名にビックリしました

 

話がそれました

 

ミートボールでおなかが少しふくれてましたが、ここの名物という

 

「黒豆うどん」 

という見た目とても太いお蕎麦のようなのを「冷」で食べました

 

味夢の里はたいへん大きな道の駅で、購買意欲を刺激しますが、

ま、そこそこにして

 

 

次に行ったのは、「丹波ワイン」工場で、すぐ近くにありました

 

 

 

 

 

 

なんと!休日で製造ラインは止まっていました

 

工場内にはワインの残り香が…

 

 

案内係りの女性は、説明もそこそこに、試飲コーナーへと

 

 

入口の花に黒揚羽?が、すごく大きかったです

 

 

 

 

 

 

 

コルクを抜いた後、この栓をすれば空気が入らないという、

優れものの栓をいろいろ紹介されましたがどれもお値段が…

 

いいワイン一本買えそう… 

  

和食に合うというワインの白と赤のハーフボトルを買いました♪

 

 

 

もう空っぽになりました

 

 

家に帰って歩数計を見てがっかり…

 

2kmも歩いてないんですよ~(ーー゛)

 

あまり運動にはならない一日でしたが、田や畑、山の緑がきれいで

 

 

葡萄畑もいい感じでした♪

 

 

道の駅「味夢の里」は、京都縦貫道のサービスエリアからと一般道からと

どちらからも入れる設備の行き届いた所でしたよ♪

ここが、一番楽しかったかな

 

さて、来月は待望の彦根です

 

井伊のお膝元です♪

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十四

2017-09-08 14:19:37 | おんな城主直虎

 

第35回  蘇えりし者たち

 

何もかも失ってしまった井伊でしたが、今回はすこし希望が見えました

 

瀕死の状態で気賀から助け出された龍雲丸も

 

次郎や南渓和尚や、昊天さんの必死の看病で蘇えりました

 

(口移しの術の本当を明かすのはまだ先みたい)

 

 

 

井伊の皆も隠れ里で、何もないところからあれこれ工夫して、

 

今までは経験のない薪割りなんかもしたりして

 

何より皆がいっしょに元気に暮らしているのが嬉しいではないですか♪

 

やはり人は、ひとりではだめですね、仲間が大切ですね

 

 

  

 

とりわけ、亥之助(小野)と直久(中野)が、小石を集めて白と黒の碁石にした

 

それで二人が碁を打っている姿が嬉しかった♪

 

 

 

 

 

”一手打っては考え、また一手打っては考え、

 

一向に勝負がつかないと

 

それもそのはず、二人とも但馬(政次)に習ったので同じ手筋で、

 

まるで、但馬が但馬と戦っているようなものだから…

 

 

 

それを見ていた皆が、悲しくて、嬉しくて泣いた…”

  

 

 そんな皆からの便りを、直之(中野)が次郎の所へ届けてくれた

 

次郎はそれを読んで、政次はまだ生きていたのだなと、

 

 

 

 

その言葉に直之は

 

『残念ながら、政次は皆の中にしぶとく生きるでしょう』

 

じーんとくる場面でした

 

 

 気賀に大沢の軍と同時に徳川の軍が攻め入り、

 

龍雲党も、攻められ皆散りぢりなりました

 

いったい皆は、逃げ延びることが出来たのだろうか

 

瀕死の状態で気を失ったまま龍潭寺に担ぎこまれた龍雲丸は

 

また、自分だけが生き残ったのかと嘆き悲しみました 

 

次郎も、政次を死に追いやったと同じ思いでいました

 

ただ、瀕死の龍雲丸を助けることだけは出来て良かった

 

と、同じ悲しみを持つ二人は、気持ちをひとつにしたのでしょうね

 

お互い支えとなるかけがえのない存在だと強く感じたでしょうね

 

 

それにしても、矢を受けてしまったゴクウやカジは?

 

モグラ、力也たちは、討死した?

 

いや、まだ分からない、と思う

 

龍雲党の皆の中に、誰か生き残っているような、そんな気がします

 

 

「井伊にて待つ」

 

あの幟を見て、誰かやって来ますよ、きっと次回辺りに…

 

私は勘が良いほうなんですけど…

 

ほら、あの方久さん、「かあん!」 ですよ

 

 

こんなどん底でもお金儲けを思いついてます

 

頭を丸めて医術、薬草の勉強を始めましたよ

 

でも、これだけははっきりさせておかないと、この方

 

”医は仁術にあらず、算術なり”

 

ですからね、お気を付けあそばせ

 

 

龍雲党の皆、蘇ってきてちょうだ~い!

 

 

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主宰交代セレモニー

2017-09-04 12:59:30 | 俳句・和歌

 

 

秋が来ました 

 

あっというまに、9月4日とは

 

体がついていきません

 

暑さが残っているとはいえ、もう夏ではないのですね…

 

 

 

と言いながら、主宰交代セレモニーに出席して半日楽しく過ごしました♪

 

我が句会の仲間は半数の6人が出席しました♪

 

ひとつの円卓で、食べて飲んで話して笑って、3時間半

 

 

 

 

 

それからそれから~

 

フラメンコダンサー

 

それから

 

 

フルートばかりの演奏

 

フルートにも様々な種類があるんですね~!

特に、向かって右の方、

ピカピカの大きなショベルみたいに見えますが、これもフルートだとか

 

 

俳句だらけのセレモニーと思っていたのに、こんな催しもあったんです♪

 

解散の後、場所を変えコーヒー飲んで、

 

今後の方針などを話し合ったりして、真面目♪

 

9月のスタートはこんな感じでした

 

 

鰯雲街道結ぶ草津宿

 

 

 

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