kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

ドラマ「らんまん」最終回

2023-09-30 18:54:34 | NHK大河&朝ドラ

 

 

らんまん終わりましたね

 

仲の良いご夫婦が、花を追っかけて

追っかけているうちにもっと仲良くなって

 

妻のすえこさんは

「やり切りました」と言きりました

驚きのバックアップ、内助の功、縁の下の力持ち

私が知ってる位の言葉では言い表せません

万ちゃんのためにあの広い野原いっぱい、買いました

なんて

 

 

たくさんの花を見せてくれたこのドラマ

小さくて可憐な花が多かった

毎回ドラマの終わりに花が紹介された

 

一週間に5種(月火水木金)

出演者のスケッチなんかも添えられたりして

なかなか楽しみなコーナーでした

その花の名、控えておいたんです、はい

2023年4月3日から始まりましたね

 

 

4月3日~ 「バイカオウレン」の週

ヤマトグサ (初めて命名した花)

ユキモチソウ (雪のように白く柔か)

ワカキノサクラ (宇宙ステーション「きぼう」に乗った)

オオバコ (別名ゲーロッパ)

バイカオウレン

 

 

 

4月10日~ 「キンセイラン」

ネジバナ (欄の仲間、撒き方色々)

フジツツジ (3~5月各地に咲く)

ヘビイチゴ (薬草解熱)

ナンバンキセル (寄生植物)

キンセイラン

 

 

 

 

4月17日~  「ジョウロウホトトギス」

ジョウロウホトトギス

スイフヨウ (朝は白 夕方は紅)

ソメイヨシノ (上野公園に色々な桜を植えた)

ギンバイソウ (アジサイ種だが梅に似るので)

ヤブツバキ

 

 

 

4月24日~  「ササユリ」

24日 牧野氏の誕生日 花出ず

タイトゴメ (緑色の米の様 多肉的)

ササユリ

ヒゴスミレ (牧野氏命名)

ヒメアジサイ (自宅で育てていた)

 

 

 

 

5月1日~  「キツネノカミソリ」

キヅタ (冬も葉が緑・別名フユヅタ)

シナノアキギリ (牧野氏の友人が長野で発見)

キツネノカミソリ

ヨコグラツクバネ (高知横倉山で発見)

ヒマワリ (千以上の花の集合体)

 

 

 

 

5月8日~  「ドクダミ」

キンチャクサボテン (巾着に似ている)

ゴヨウアケビ (牧野氏箱根で発見)

ドクダミ

センリョウ (正月の縁起物)

ヤマモモ (牧野氏ふるさとの味)

 

 

 

 

5月15日  「ボタン」

カントウタンポポ (タンポポは400種)

ハマダイコン (日本各地の海岸に)

ビロードムラサキ (牧野氏高知五台山にて発見)

ヒメコウホネ (池、川の浅瀬に群生)

ボタン

 

 

 

 

5月22日~  「シロツメクサ」

セントウソウ (別名オウレンダマシ)

ミル (牧野氏食べたことあり)

シロツメクサ

シハイスミレ (紫背と書く葉の裏も紫)

オニフスベ (きのこ)

 

 

 

 

5月29日~  「ヒルムシロ」

キイレツチトリモチ (キノコではない)

ヒトツバタゴ (別名ナンジャモンジャ)

ヒロハコンロンカ (白い葉のようなガクあり)

ナニワイバラ (江戸時代日本に来た野生バラ)

ヒルムシロ

 

 

 

 

6月5日~ 「ノアザミ」

キバナノセツコク (牧野氏命名)

サカワサイシン (高知佐川にて)

カンラン (寒い時期に咲く)

マタタビ (キウイと同科)

ノアザミ 

 

 

 

6月12日~  「ユウガオ」

ヒルガオ (昼に咲く)

キュウリ (花は黄色)

サンシュユ (別名ハルコガネバナ牧野氏命名)

オオボウシバナ (学名牧野氏付ける)

ユウガオ

 

ヒルガオ?

 

 

 

6月19日~  「マルバマンネングサ」

カカオノキ  (チョコやココアの原料)

マキノゴケ  (千葉清澄山で牧野氏発見

ユキワリイチゲ  (白、紫、ピンク)

ユズ  (白く小さな花)

マルバマンネングサ

 

 

 

6月26日~  「ヤマザクラ」

トサシモツケ  (手毬状の花)

ヨコグラノキ  (高知横倉山で牧野氏見つける)

オンツツジ  (高知の誇と牧野氏の弁)

ヒメノボタン  (夏見頃)

ヤマザクラ

 

 

 

7月3日~  「ホウライシダ」

オリーブ

ホウライシダ

シクラメン (和名カガリビバナ牧野氏命名)

カタバミ (暗くなると花、葉閉じる)

シラガサボテン (白髪サボテン)

 

 

 

7月10日~ 「ヤマトグサ」

ツユクサ  染料になる

ヤマコンニャク  学名牧野氏付ける

マメヅタラン  マメヅタという植物に似る

ユズリハ  正月の縁起物鏡餅に

ヤマトグサ

 

 

 

 

 

7月17日~  「コオロギラン」

トガクシソウ  長野戸隠山で発見

トマト  牧野氏の好物

ナズナ  別名ペンペングサ

タマアジサイ  植物学者野田基善氏(田辺誠一)の絵出る

コオロギラン

 

 

 

 

 

7月24日~  「ムジナモ」

チョウチンホコリ  アメーバの様

ガマズミ

ヤナギイノコヅチ  高知五台山にて牧野氏発見

タマムラサキ  ハマラッキョウ

ムジナモ

 

 

 

 

7月31日~  「ヒメスミレ」

キンモクセイ  牧野氏命名

ツノゴケモドキ  胞子を作る袋が角状

カニサボテン  冬開花

シコクチャルメルソウ  キノコバエ類が花粉運ぶ

ヒメスミレ  濃紫の小さな花、道で見る

 

 

 

 

 

8月7日~  「ヤッコソウ」

コウメ  牧野氏命名

チトセカヅラ  岡山で牧野氏の友人が発見

テバコマンテバ  高知手箱山頂で発見

ヨコワサルオガセ  木の幹につき垂れ下がる

ヤッコソウ

 

 

 

8月14日~  「キレンゲショウマ」

ヒメフタバラン  別名紫フタバラン

スイカ  アフリカ原産

ヤマジオウ  地下茎

ヒナシャジン  石灰岩地に

キレンゲショウマ

 

 

 

8月21日~  「ノジギク」

カンツワブキ  牧野氏屋久島で発見

ハマアザミ  牧野氏学名付ける

カコマハグマ  カシワバハグマとコウヤボウキの雑種

タイキンギク  蔓状に伸びる菊(叔母の茶屋での菊くらべに出す)

ノジギク

 

☟はまべみなみさん絵

 

 

 

 

8月28日~  「オーギョーチ」

イチョウ  春に花咲く

ヒモサボテン  1867年パリから日本に来た

レンゲショウマ  花が下向きに咲く

ススキ  秋の七草

オーギョーチ  台湾で地元民がこれで解熱してくれた

 

 

 

 

9月4日~  「ヤマモモ」

ミソハギ  祭事に使われることも

アオモジホコリ  朽木に発生

アズマイチゲ  牧野氏渋谷で見たという

アッケシソウ  別名シーアスパラガス

ヤマモモ  すえちゃんのお店の前に植えられてましたね

 

 

 

9月11日~  「ツチトリモチ」

ミヤマオグルマ  北海道の高山に咲く

オリヅルラン  新株が折り鶴のよう

ハチク  近年日本各地で開花が報告

オオキツネノカミソリ  

ツチトリモチ

 

 

 

9月18日~  「ムラサキカタバミ」

ナンブトラノオ  虎の尻尾に似ている

サクユリ

エノコログサ  猫じゃらし

ムラサキカタバミ

ヘラノキ  牧野氏庭で育てていた

 

 

 

9月25日(最終週) 「スエコザサ」

ニリンソウ  春の訪れを告げる

ランタナ  花の色が変化していく

ヒメハマナデシコ  牧野氏学名命名

ワカメ  著書に記している

スエコザサ  仙台にて発見 

 

          学名ササ・スエコ・アナ・マキノ

 

 

それと、

 ぜひ加えたい新種の命名 

 

「輝峰・きほう」  駿州沼津嶺屋の新酒 

すっきりさわやか、下戸でも飲める

 

 命名 槇野(井上)竹雄、綾

 

どこかにあるのならか教えて下さい

 

綾さんも、ほんとによく頑張られました

 

 

「らんまん」の6か月を通して、今、覚えている

万太郎のことば

 

大学の因習に振り回され、万太郎は決心した

戦う相手は、人間の欲望じゃ

 

 

震災の時、

猛り狂うように火の手が上がり

植物標本を持って走るのをお巡りさんに制止された時

 

この先の世に残すもんじゃ

と走り続けた

 

確かにあの震災では市民が背負っている荷物に火が付き

多くの人が助からなかったと聞きます

お巡りさんも正当な支持なのですけどね

 

 

そして、最後にまたもや何かを

見つけた万太郎

 

 

おまん、新種じゃないかえ

 

横倉山には第二第三の万ちゃんを待ってるお花が

 

今もらんまんに

 

 

 

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どうする家康 第35回欲望の怪物

2023-09-24 11:35:23 | どうする家康

 

 

秀吉のかか様の仲、人質として家康のところへ来ました

 

要らぬ飾り気のない優しそうな方です

 

人質という辛い毎日の中、見つけましたよ

心の安らぎを(^^♪

 

井伊直政

イケメンぶりに一目ぼれ

それから、娘の旭もそばに居てくれる

 

でも人質ですし…

 

井伊直政、顔では笑って仲のお相手をしてはいますが

今、関白殿下秀吉のところへ挨拶に行っている殿を案じ

相当な準備をしています

 

仲の部屋の前庭にどかっと薪

寒いといけませんからという建前

殿になにか起きれば、すぐさま薪に火を付け

ばあさんを焼いてやる!  という本音

 

可愛い顔してあの子

相当やるもんだね~

家康家臣は感心しておりました

 

頼もしいような、空恐ろしい様な

 

 

さて、秀吉の弟の秀長の屋敷に家康は通され

いよいよ関白豊臣秀吉との対面です

 

家康が、殿下にはもう陣羽織は着けさせません

との言葉を受けて

秀吉は諸国の家臣の前で一芝居打つことになった

 

家康「殿下の陣羽織を頂戴いたしたく…」

と、うやうやしく言います

すると、秀吉は激怒  のふりをする

 

家康「殿下には陣羽織を着させません

戦なき世をつくります」

 

それを聞いた秀吉はその家康の忠心に喜び

陣羽織を、自ら家康の肩に掛ける

 

という、猿芝居の一幕

 

その後、大坂城の廊下で、たまたま

石田三成と家康は会いました

三成は夜空の星の並び方を見ていた様で

家康に、その興味深い見方、星をつないで線を想像すること

教えてくれました

いつになく家康は楽しそうでしたね

 

 

江戸時代の家康は、様々な道具を手に入れたそうで

時計、鉛筆は聞いたことがありますが

他にもいろいろ集めたのでしょうね

一番実用的なのは漢方薬でしょうか

「薬研」

すでに築山殿といっしょに薬研をひいていた姿が

ドラマの中にありましたね、私もあれ、

一度体験してみたいです

 

話が反れました

 

石田三成が、家康に教えていた「ひしゃく型の星の並び」

「その横の星、外国では大きな熊に見立てている」

 

「北斗七星」

おおくま座の腰からしっぽと見立てる七つ星

 

    

              

 

家臣酒井忠次が

「殿は戦の話よりああいう話がしたかったのじゃろ」

 

石川数正と共に永らく仕えた重臣酒井忠次だけに

こころのうちはよお~く分かっておられるということですね

やっぱり、家康はよい家臣を持っていたんですね

 

 

   さて、差しあたっての難題は秀吉から命ぜられた

真田昌幸との談合

 

「沼田の地を北条に明け渡して頂けますか」 

 

俄然、真田は抗った

で、この方も一芝居してましたね

昌幸とその息子信之(信幸)の二人による

題して「壺は誰のもの」 勝手に付けました(^-^;

 

酒井忠次、本多正信らとの、すったもんだが有りまして

 

正信が「関白殿下の指図でもある」

といえば

昌幸は「たやすく殿下のお名前にすがらぬほうが

よろしいですぞ、格が落ちますぞ」

 

この言葉に徳川の面々、殺気立ちました

そこで家康は一歩引き、他の取引を提案すれば

 

昌幸「有り体に言えば、我らは徳川殿を信用できぬ」

 

そして、示した要求が

「德川の姫を息子に頂きたい」

「無理となれば、家臣殿の娘を…」

 

 

大河ドラマ「真田丸」で真田のお父さんは

なかなかの策略家と聞いていましたが

 

手強そうな相手ですね

 

さあ、どうする家康

 

 

 

秀吉のかか様は心の温かい方みたいですね

 

家康の母、於大の方は欲望の大きい方

 

信長の母の土田御前は、信長、市、その他の武将の生母

有り体に言えば、長男信長には手こずった母なのでは?

でも優しい母だったのでしょうね

晩年は、子や孫と暮らしたようです

 

余談なのですが、秀吉の関白に任命のことから

気になったことがあり

Wikipedia、お借りしました、下記のとおりです

 

天正7年(1579年)

 

信長がそれまで就任していた右大臣兼右近衛大将の官職を辞任したことで

朝廷は困惑した


天下統一を間近に控えた信長に官位を与えないということは、

朝廷の権威を損なうことになりかねない出来事だからである

そこで朝廷は天正10年(1582年)5月

信長に「征夷大将軍」「関白」「太政大臣」のうち

いずれか好きな官職を与えるとした


しかし、その翌月に信長は「本能寺の変」で亡くなってしまう

 

 

 

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長~い夏

2023-09-17 19:38:32 | 四季折々に

 

まだまだ暑い!

 

夏のような毎日

 

 

アップしそびれた写真もあったりして

あれもこれもまとめて

 

 

くちなしとききょう咲きました

 

 

 

 

 

7月17日、祇園祭の前の祭の鉾巡行

暑い日でした

 

 

 

ぱか~ん、と割れば夏が飛び出した!

 

 

 

 

 

琵琶湖のほとりの会館で俳句の会

あいにくの雨で見晴らしはいまひとつでした

 

 

 

 

第105回全国高校野球選手権大会 開会式

感動します、毎年

 

 

雲はわき 光あふれて

天たかく 純白の球きょうぞ飛ぶ

若人よ いざ

まなじりは 歓呼にこたえ

いさぎよし ほほえむ希望

ああ 栄冠は 君に輝く

 

 

 

 

あさがお、ひとつの苗だけです

昨年の種が落ちていたらしく、ここまで育ちました,

 

お盆を過ぎた辺りからは

毎日、10輪以上咲き続けました

 

たいした手入れもせず小さな花ですが

 

一番に実った種です

孫が植えたいと言ってますので、保管中

 

 

 

お盆のお膳

祖母や母は13日から16日までお供えの膳は毎日でしたが

15日だけしかお膳はお供えしなかった私はばちあたりです

 

お漬物は、必ず奈良漬けでした

家に漬ける者がいませんので、お漬物屋さんで

子供の頃は、店頭に大きな樽を置き

その中に漬け粕にのせたまま売ってました

量り売りでした

今、量り売りで買う物…、ないですね~

 

花麩は煮物とおすましに使います

日によって、あらめとお揚げのたいたんもしますが、私は

あらめが好きでなく、今も代わりにひじきを使います

 

色々、お盆の決めごとがありますが

年々手抜きです

ご先祖さん、すみません

 

 

 

この夏は暑いだけでなく、天候がずいぶん荒れました

 

 

集中豪雨だったのか

最近は線状降水帯、という言葉をよく聞きますが

 

 

 

 

7月末、富山在住の次男家族の招待で北陸に行きました

 

 

和倉温泉に一泊

 

食後、卓球をしました

私は旅館で卓球するのは生まれて初めて

 

露天風呂に行って部屋に戻ってお布団に横になったら

寝てしまった様でした

息子達は、夜更けまで飲んでいたそうな

 

広い部屋に5人並んで寝ました

 

翌朝、皆で日の出を見ようと

 

4時50分ころ、まだかなまだかな~

 

 

5時12分 日の出

 

2日目は能登半島をドライブ

午後4時前に、JRにて帰路につきました

 

列車の中で、小声で

 

夏から秋への~~~

能登半島~~~~♬

 

 

 

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裏切り者~豊臣の花嫁(33回~34回)

2023-09-08 12:57:09 | どうする家康

 

 

石川数正は裏切り者?

 

石川数正

石川家の松平の家臣として記録があるのは

祖父 忠成

父 康成

そして数正

石川家三代続いた松平~徳川の家臣だったのですね

 

数正は子供の頃から家康と共に過ごしていた

今川氏の駿府での人質時代から幼き主従のふたり

 

数正は頭脳派で交渉事など外交担当

数正は家康の命を受け、ひとりで出向くことが度々あった

家康の信頼を得ていますよね

 

 

印象深いのが信長と清州同盟を結んだあと

三河の今川氏真が

瀬名と子供二人、それに

瀬名の父母である関口氏純と巴を人質に取った時

数正はひとりで吉田城の今川本陣に向かった

 

 

赤ん坊(亀姫)を背負った瀬名と

数正に抱えられた竹千代(のちの信康)

川を渡り切って、家康の元に戻ることが出来た

じーんと来る場面でした

 

 

瀬名奪還までは困難だらけでドラマは三回にわたり

色んな人が登場しました

 

この頃木下藤吉郎が、初お目見えでごぜえやす

 

 

本能寺の変のあと

主君信長の仇をとったと

息巻いている豊臣秀吉との交渉に苦心した

その頃から、あれ、あれ?

若い家臣との意見の食い違いが増えてきた

 

 

 

秀吉の攻撃に負け、織田信雄は秀吉と和睦

もう、家康には秀吉と戦をする理由がない

 

それでも家康は数正の助言を受け止めない

昔の家康からは想像つかない攻撃な殿になったか

 

 

 

数正は折れた、殿に従おう

殿を天下人にすることこそわが夢

もうひと暴れしてして見せよう

 

そう誓った日が家康の家臣としての最後だった

 

天正13年(1585)数正出奔、秀吉の元へ

 

数正はもうここらが引き際と思っていたのでしょうか

 

こんな文を置いて徳川から去った

 

本心なのか、どうなのか分かりません私には

 

德川にとっては、思いもよらぬ一大事

 

数正とは気心の知れた酒井左衛門尉忠次にも分からない

 

若手家臣団は、数正を恨むばかり

本多正信は

「数正が秀吉方に行けばこちらのことを何もかも知られたも同じ」

皆のいらだち倍増しそうなことを

 

 

勝てる!と思ったのかどうか知りませんが

家康は「天下を取る、安寧な世をつくる」と宣言

 

秀吉と戦う、これが英雄の選択でした

 

ところが

人生登り坂あり下り坂あり そして「まさか」があった

 

夜半、巨大地震がおきる

 

 

(天正大地震)

安土桃山時代 天正13年(1586)11月29日

M7.8 (諸説あり)

震度 7

津波 有り

被害は甚大だったが、三河よりも

秀吉のおひざ元、畿内一帯は更に被害が大きかった

 

秀吉

「つくづく運のええ男だわなあ~家康って奴は~」

 

天災の後、秀吉は戦を避ける作戦を突きつける

上洛を求めるが家康は拒んでいる

妹の旭を家康の正室にと送り出した

 

 

既婚の旭を離縁をさせての輿入れというから、ビックリ😲

 

それでもだめならと

秀吉は大政所である母親を送るという、ビックリ😲😲

 

これでダメなら天下の兵を集めて攻め入るですと

 

 

皆、数正の行動についてもう一度、語り合った

 

直政「正論ばかりでうっとうしく好きではないが

敬っていた…

本多忠勝、榊原康政、右に同じ

 

皆それぞれに人を慈しみ、戦なき世を描いていた

 

心打つ言葉が、いっぱい出て来ましたね

 

*於愛の方 「お方様の目指した戦なき世は

他の方が作ってはいけないのですか」

 

 

 

 

*本多忠勝 「秀吉に膝まづいたら、お方様に顔向けできん

この想いを捨ててまで生きようとはせん」

 

*酒井忠次 「出奔すれば戦をしたくてももう出来ん

数正はそれが徳川を守ることだと思ったのだろう」

 

*本多正信 「だから誰も巻き込むことなく自分ひとりで

罪を背負った」

 

*酒井忠次 「殿 お心を縛り付けていた鎖を

そろそろ解いてもよろしいのでは

己を苦しめなさるな」

 

家康 「わしは天下を取ることを諦めてもよいか

秀吉に膝まづいてもよいか」

涙ながらに言った

 

雨降って地固まる、皆の絆が深まったのではないですかあ~

 

 

 

さて、当の石川数正は

 

 

奥様の鍋さん 「のんびり出来て嬉しゅうございます

このような職にあうと分かっていながら

まことに殿がお好きでございますな」

 

 

数正 「しーーーっ  あほたあけ

 

一線を退いた夫が、家でのんびり、妻ものんびり~~

 

 

追記

ところで、家康のかつての側室お万の方が

人知れず?育てている家康との子

「於義丸・おぎまる」が登場しました

お万はいつか殿のお役に立つよう育てます

と言ってましたね、その時が来ました

 

それは秀吉が家康の息子を人質として差し出すよう命じた時で

 

於愛との息子は幼過ぎた

そこで、お万の子の名が上がった訳で

お万もその子も武士として死も覚悟の上だった

なんとけなげな

 

於義丸の側にと石川数正は我が子

「勝千代」を伴わせた

 

このふたりは、秀吉側に行きました

さて、この子たちの未来はどうだったのでしょうか

今まで数多くのドラマの上で聞いたことがないのです

なんとか、この戦ばかりの世を生き抜いてくださいね

 

 

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9月の俳誌が来ました

2023-09-06 12:24:04 | 俳句・和歌

 

 

焼け切った舗装道路のタイヤ痕

 

夏半夜バイクの音のかまびすし

 

雷雲や掛け声揃う建設現場

 

 

プールの建設現場です

この時は、屋根の工事が行われていました

何度も、屋根の端から端へ

右へならえ! をして屋根の片方へ歩いて行かれます

傾斜のきつい所を、すたすたと!

しばらく見ていました

 

遠雷が聞こえました

ああ、早く下に降りないと危ないなあ~

なんて思いました

 

お盆は工事も長く休みのようでしたが

今はまた残暑の中、工事が続いています

インターハイに使用されるとか

 

建築予想図

    

 

立派なプール!

一般ピーポーは使えないでしょうね

 

あの、東京パラリンピックでバタフライ金メダルの選手

木村敬一選手(滋賀県栗東市出身)

来ないかな、観戦したいな♬

 

 

 

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