松島の サーヨー
瑞巌寺ほどの
寺もない トーエー
アレワエー エントソーリャー
大漁だ エー
おなじみの宮城県民謡 「 斎太郎節~さいたらぶし 」
さいたらぶし
またの名を「大漁唄い込み」
子供の頃、エンヤートット エンヤートット と歌いながら
櫓を漕ぐ仕草をして遊んだものです
皆さんもされましたよね?
え、私だけ?
さて、松島湾より先に訪れた瑞巌寺
民謡にも唄われている有名なお寺
平安時代の初め天長五年(828)、慈覚大師により開創
天台宗延福寺と称す
鎌倉時代中期、執権北条時頼が法身性西和尚を開山とし
建長寺派の圓福禅寺と改称する
その後、盛衰を越え、
江戸時代初期、伊達政宗によって現在の大伽藍となった
奥の細道に松尾芭蕉はこう書いています
” 十一日、瑞巌寺に参詣した。
この寺の三十二代目にあたる昔、真壁平四郎という人が出家して唐に渡り、
帰国後、再興して禅寺を開いた。
その後、雲居禅師の徳によって人を善に導く努力により、
七つの堂の建物が立派に改築され、金色の壁や仏前の飾りが光り輝き、
仏の住む世界をこの世に実現する大寺院となったのである。
かの見仏上人の寺はどこにあるのだろうと、慕わしい心持ちになった。 ”
『松島の瑞巌寺ほどの寺もない…』
大漁唄い込みの唄い出しをこうして書いてみると、
なるほど、大伽藍を見た人たちの絶賛が思い浮かびます
そんな大伽藍の瑞巌寺、残念ながら本堂は修復中で拝観出来ず…
でも庫裡と大書院(仮本堂)のなかは入ることが出来ました
庫裡
庫裡~くり (庫裏) 国宝
庫裡は禅宗寺院の台所で、大屋根の上に煙出しの小さな屋根が乗ってます
渡り廊下で大書院(仮本堂)へ
ご本尊の聖観世音菩薩
本堂が修理中なので、こちらに仮住まいの観音さん
愛姫(めごひめ)御霊屋(おたまや)のある瑞巌寺境内の高台まで行きました
これは岩を削って造ってあります
よう落ちひんもんや
修行道場
お坊さん一人たりとも合わず…
上り坂
陽徳院御霊屋(ようとくいんおたまや)~寶華殿(ほうげでん)
ここは伊達政宗の正室愛姫の墓堂
平成18年に創建当時の姿に復元されました
扉の装飾に女性らしさを感じます
創建したのは愛姫の孫にあたる綱宗です
ずうっと向こうに松島湾があります
津波はどの辺まで来てたのでしょう
陽徳院田村氏愛姫は、才色兼備、眉目秀麗と称賛された方だそうです
愛姫(めごひめ)が愛称だったということからも美しい人だったんだと思います
京都聚楽第の伊達屋敷にいた時には、京都の情勢を政宗に伝える、
外交官的な役目をして、まだまだ不穏な中、覚悟をしていると
手紙にも記していた、そんな女性だったとか…
常に匕首(ひしゅ・あいくち)を懐に 、いざという時には自ら命を絶つ、
そんな時代に生まれていたら、私はどんな覚悟が出来ただろうか
瑞巌寺が修復で、ほとんど見れないなんて小さい事言うてる私に何が…
……
瑞巌寺の境内には、沢山の洞窟がありました
円通院よりもずっと沢山の洞窟に石碑、仏像がありました
気になったのが、京都、滋賀などの西国三十三所のお寺からの
石像がずらっと並んでいました
こちらを拝めば、参拝して来たことになるそうです
出張所かな?
長命寺、 穴太寺、革堂、六角堂、六波羅密寺、清水寺、三井寺、
石山寺、興福寺南円堂、など、最近行って来たお寺の名前も
鰻塚
瑞巌寺と鰻塚の関係が分からなかった
どうやら、松島湾で天然鰻が昭和の中ごろまでよく捕れていて
その供養にと地元の方が建てられたそうです
成仏して下さい
瑞巌寺洞窟群は、そもそも納骨、供養のための施設で
鎌倉から江戸時代まで続きました
洞窟のことが少し分かりました
芭蕉さんや大漁節を唄った方ほどの感動が無かったのは
修復でほとんどが隠れていたからですが、残念でした
お寺の修復は、平成30年3月頃までの予定だそうです