菅原道真をお祀りする「長岡天満宮」のある辺りは
菅公が在原業平らと遊んで、詩歌、管弦を楽しまれた場所でした。
その後、大宰府に左遷される時、この地に立ち寄られ、
『我が魂長くこの地にとどまるべし』
と名残りを惜しまれました。
その所以で没後、ここにお祀りされる事になったといいます。
天神さんと言えば、「牛」 やはりこちらにも鎮座していました。
また学問の神様でもあり書道上達を祈願し、1月1~3日には「奉納書初」があります。
このたびは 幣もとりあへず 手向山
紅葉のにしき 神の間にまに
(百人一首)
境内の紅葉庭園 「錦景園」 にありました。
菅原の道真の歌といえば、
東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
歌からも菅公の、左遷に対する悔しさが伝わりますが、
亡くなったあと、京の都では次々と災いが起きて、菅公の祟りでは…、と恐れられ
そこから「天神信仰」 が始まったといいます。
長岡天満宮の東にある池を、「八条ヶ池」 といいますが、
この池を造られた「八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)」に因んで、名付けられています。
この池は、江戸時代 寛永15年(1638) 当地一帯を領した親王が池を開き、
農業用のため池として今日まで利用されて来ました。
中堤にある参道を挟んで「きりしまつつじ」が、今、燃えるような赤色に咲き見事でした。