ほんとに、鎌倉は戦が何度も起きて乱れに乱れ
向かって左から、義経、範頼、阿野全成、北条義時、源頼朝
義時以外の源氏の面々(義兄弟)は、誰一人いない
信濃源氏の木曽義仲も亡くなったし
その義仲の子、源義高も
二代鎌倉殿 源頼家(頼朝の嫡男)も
一幡(頼家の長男)
こんなに幼いのに、殺されてしまった
今、源実朝(頼朝の次男、幼名・千幡)と
公暁(頼家の次男、幼名・善哉)が鎌倉に居るが
公暁は実朝の甥っ子
園城寺(三井寺)での修行を終え鎌倉に戻って来た
頭も切れ、剣の腕も天下無双といわれ
次の鎌倉殿になってみせると自信満々だが
周囲の動きに、紛々たる時を過ごしている様
実朝は今、心情穏やかで後継を都から招こうと生き生きとしている
その実、鎌倉殿の座を後継に譲り大御所となり後見を務める意思を表した
同時に、公暁には鎌倉別当となり新鎌倉殿の相談役にとのこと
母、尼御前のアドバイスがあったのだろう
そして、京に政子と北条時房が赴いた
政子は藤原兼子に、時房は上皇に上手く取り入り
後鳥羽上皇は上機嫌で
頼仁親王が次期鎌倉殿になることが早々と決まった
実朝は親王の後見として、左大臣に
政子は”棚からぼたもち” なんてやっかみを言う資格も私にはないけれど
見事な肩書が並びました
でも、
北条義時と三浦善村
このふたりが、どういう策を打って出るのか
一代鎌倉殿の時のように強力な鎌倉殿の13人はもう居なくて
今、力のあるのは義時と三浦善村と、大江広元でしょうか
大江広元、目を病んでしまった
広元は争いは好まないようだが、政治的手腕は突出している
ただ、政子寄りですね、私情も挟んで
向かうところ、敵は幾万ありとても
難関は後鳥羽上皇と源仲章、そして義時には三浦という
白黒つかない厄介な親友が、ある
今月、皆既月食もあり、ドラマも満ちて参りました
満月や実朝の夢信長の夢
「義時に惑わされるな、くせ者よ」
「この世を北条から源氏の手に取り戻す」
ピンッと鼻先を上皇にはじかれ、実朝は目が覚めた
”山はさけ海はあせなむ世なりとも
君にふた心わがあらめやも”
前面服従ですね
この歌を後鳥羽上皇におくったのも、この頃なのでしょうか
実朝は、武士の猛々しさよりも、京の雅を好みました
和歌など文化的なもので、西の方々との交流を深めたのですね
上皇に従い源氏の頭領として鎌倉を統べると固く決心したきっかけは
この夢見だったのでしょうか
そんな純粋な実朝を利用した
源仲章が連れて来たのは、宋から来た僧だそうで名はチンナケイ
まあびっくり!松山千春が出てきたのか?と思いました
仕掛け人は、後鳥羽上皇と源仲章と想像できますが
あとで泰時のした推測は正しいと思う
少し前には仲章は泉親衡と名乗り素性は明かさず
鎌倉を罠にはめた
結果、和田義盛が犠牲になり合戦に討ち死にした…
鎌倉御所に入り込んだ仲章が
実朝の「ゆめ日記」をこっそり見たに違いない
これが、泰時が推理したことでしたね
またもや、罠が仕掛けられた
「ゆめ日記」に書かれた話を利用し、
すっかり実朝を信じさせてしまったチンナケイ
仲章が調子に乗って勧めるもので実朝の心ははやり、
船を造ることを命じた
進水式の前夜、時房とトウが船底に何やら仕掛けていた
これは、義時の命令だろう
実朝の船は、海に浮かぶ前に砂浜で壊れてしまった
義時は心がちっちゃいのと違いますか
船で宋へと使者を送り交易のチャンスを掴もう、とか
異文化を吸収して鎌倉の発展に役立てよう、とか
そういう考えはないのかなあ~
朝ドラの「舞いあがれ」の舞ちゃんを見てください、義時さん
旅客機のパイロットになりたいと打ち明けました
五島に住むおばあちゃんなら、きっと賛成してくれます
夢を叶えてほしいな
義時さん、顔つきも悪い
もうブレーキが利かなくなったのですか
昔の小四郎はどこ行った
鎌倉殿の13人、今残っている方は
三善康信
二階堂行政
八田知家
大江広元
北条時政
(時政は伊豆に隠居ですからもう違うかな)
三浦善村は、父がそうだったから、
父亡きあと、善村が継いだと思っていましたが、
違うのですか?
でも、とても大切な立ち位置にいますよね、充分メンバー
さて、造船の計画が失敗し、落ち込んでいる実朝を奮起させたのは
母、政子さん
実朝は、家督を譲り「大御所」となる
外から養子を取り相続させる
朝廷とつながる高貴なお方を選ぶという
またまた、義時の目が吊り上がりました
どう出るのか、義時
それなら、誰の罪?
候補
後鳥羽上皇
藤原兼子
慈円
泉親衡(実は源仲章)
北条義時
三浦善村
和田胤長
和田義盛(一旦、挙げます)
或いは、
三谷幸喜
思いつくままに、言うならば…
♯後鳥羽上皇
閑院内裏の修復を鎌倉にやらせる
これは、気に入らない義時を困らせるに充分な沙汰ですよね
兼子さん、慈円さんは同じ穴のムジナだと思います
♯泉親衡(源仲章)
鎌倉御家人たちは、修復工事を突きつけられて大憤慨の中
付け入ってきたのがこの人
北条を討とうと皆をあおる
和田義盛は、皆から先導者にまつり上げられてしまった
ところが、泉は混ぜ返すだけ混ぜ返して、姿を消した
大江広元は、この不可解な事件を鑑みて
これには、京の香りがしてくる
都が放った人物だろうとにらんだ
♯和田義盛の息子や一族
甥の胤長は、泉親衡に翻弄されてしまったのが悪かった
和田一族は北条を敵とする気持ちは、かつてより持っていたのだろう
義盛さん、まったく罪は無いとは言い切れない…
下手したかな
♯三浦善村
周りの御家人もこの人は風見鶏的な人と見ているようだし
まして幼なじみの義時さえ、分かっていながら手の内を明かすことも多々あった
そういうところを、善村もしれっとすごす
どちらも、上手に利用するかにかかってる気がする
今回も、和田方と北条方間を、ひらひら飛び交う善村ですね
どちらが自分にとって得なのか!ここなんですね善村さん
滅私奉公はしません
義時
和田義盛を警戒しだしていた
倒してしまいたい、だから戦する大義名分がほしい、頼朝のやり方だ
義時は鎌倉のトップとなりすべてを牛耳たいが
近頃とみに実朝の内に秘めた強さを見、まずい、邪魔だと感じている
息子泰時のような優しい、無垢な心は今は、ないです
「和田合戦」としても伝わるこの戦は
鎌倉で起きた中で一番激しい戦いだったという
あの、さわやかな若宮大路
一度だけ行きましたが途中までしか歩かなかった
もっと歩いていたら、海にたどり着いてたとは、残念です
で、誰の罪?
今回、びっくりして感動して見直したのが
大江広元
持ち前の京文化を鎧に、情報の多さを武器に理詰めで政に参加した
鎌倉殿の13人のひとりと思っていましたが
今回逃げ回る中、実朝が御所に忘れてきたという源氏の頭領の証の
髑髏
すでに和田勢が攻め入って来た中を、大江広元は鶴岡八幡宮へ取って返した
広元は、兵とかち合った
ああ~ここで広元さんは、最期なんや~と思いました
刀を持って太刀打ちするところ、見たことないですし
そう思っていました
それが、なんと!
なんと美しい立ち回り (;´∀`)
あっさり、やっつけましたね~
そうか~京に居る時から文武両道、極められたのですね~
ええもん、見せて頂きました
義盛は、由比ヶ浜で負けた
巴御前はその後、どうされたのだろう…
和田合戦を勝ちとった義時ですが、心は穏やかではない
実朝がどんどん冴えてきましたから
義時は怖いのでしょうか、追い詰められている
確かに小四郎、気の弱そうな青年でした
鎌倉の不穏に追い打ちをかけるよう大地震が起きたようですが
誰の罪?
三谷さんは、もう少し泳いで頂こう(^-^;
罠と罠
どういうこと、と悩む副題です
三谷幸喜さんは笑わせること、悩ませること、驚かせることがお好きなようで
まずは、この企みですか?
後鳥羽上皇の思い立った、火事で焼けた閑院内裏の建て直し
普請は鎌倉にやらせる
これを義時へのお灸と上皇は言う
大きな負担を鎌倉にかけ、力を付けてきた義時を困らせる魂胆のようだ
結局いつの時代もそうですね
坂東武士たちは、猛反対
鎌倉が、乱れるに充分の出来事のようです
そんな時、「泉親衡」という信濃の武士が御家人を集め
北条を倒そうと持ちかけているらしい
泉親衡ですが、おや?見たことある顔ですね
この人、疾風のように現れて、武士たちが乗って来たら消えてしまった
大江広元は、京の香りを感じる、と
北条の躍進が気に入らない上皇に絡んでると推測した
これが、大当たりなんですね
泉親衡 は 源仲章 だったんですね
その罠に引き込まれた和田義盛の身内、三人も居たなんて
泉親衡は、義盛の甥っ子の和田胤長に声をかけている
まるで、詐欺電話みたいに引っかかってしまったのでしょうか
内裏の修復で御家人の北条への反感が増幅してたタイミングに
悪魔が入り込んだようなものかも
この騒動、子供や甥を必死で擁護する和田義盛
「戦をせずに鎌倉を栄えさせてみよ!」と久々に弟義時を叱った政子
「北条と和田、手を取り合ってこその鎌倉
私に免じて、こたびは矛を収めてくれないか」
と義時に嘆願し一心に平和を望む実朝
”世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱でかなしも”
実朝(小倉百人一首93)
義時は和田を許すような口ぶりでしたが、
和田は滅ぼさなければと思っているようですね
こんな場面がありました
大江広元と話し合っている
「最も頼りになる者が最も恐ろしい…消えてもら…」
これは、初代鎌倉殿の頼朝が
味方にしておきながら上総介広常を殺したことを思い出していた
坂東制圧に力を見せた広常だからこそ、早いうちに亡き者にする
という
頼朝のやり方をすべて、自分のやり方にしていっている
今の義時になった原点は頼朝なのか
義時が、息子の泰時みたいに素朴で優しい青年から
冷徹なトップに成り変わった訳、これなんですね
人の良い和田義盛さん、「和田合戦」へと足を踏み入れました
だれがどうなるのでしょうか…
wana wana wanaに落ちそう~♪
(い) 今朝みれば山もかすみて久かたの天の原より春は来にけり
or
(ろ) ひさかたの山もかすみてけさみれば天原より春はきにけり
どちらがお好きです?
(い)は実朝の初めに詠んだ歌
(ろ)は三善康信が逆にした方がと手直しした歌
源仲章が藤原定家からの文を意気揚々と持って来た
内容は、実朝の和歌への添削だった
↑上の歌のことではなかったですが、それも
三善康信が逆にした方が…と直してたようで
三善さん、また出禁になってしまいました
実朝さんは優しいですね
でも、ここぞという時強くなる
本当に強い人は、優しいと昔から言いますね
それから驚いたのが、実朝の歌唱力
朗々と歌い上げましたね♪
つぎは、この歌
春霞たつたの山の櫻花おぼつかなきを知る人のなさ
仲章さん曰く、これは恋の歌
差し出した実朝、渡された泰時
史実は知りませんが、三谷幸喜さん歴史書をこう読み取られたのですね
in today's world
昔の方が、今よりもっと自由だったような
実朝さんのせつなさが、優れた詠み人へといざなったのでしょうか
”大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも”
泰時に以前に詠んでいた歌と取り換えましたが
さらに切なさ募ります~
利発な泰時ですから、充分理解したでしょうね
紀行コーナーでは、この句も紹介されました
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
大地震があった時、後鳥羽上皇に向けて詠んだ歌だとか
ダイナミックに詠んだと思えば、消え入りそうなくらい寂しげだったり
見事ですね
とはいうものの和歌のこと知らないのです、関西人のあれです(^-^;
知らんけど
一方、鎌倉は穏やかな一日と言えるでしょうか
あちらもこちらも、虎視眈々
義時の「悪」が凄みを増して来ました
うっかりこぼした言葉が命取りになります
ドラマを見る以前は、北条にはちょっと違和感がありました
このドラマで初めの頃、好感度が⤴だったけれど、今⇄
なんとか、爽やかな鎌倉にならないでしょうか、三谷幸喜さん
今は、歴史を感じ、おしゃれな町を感じ、とてもいい所ですものね、鎌倉
ドラマ、残すところも少なくなってきましたが…
実朝の和歌、さっとうわべを見ただけですがいいなと思ったのを
何しろ百人一首での歌、そう言えばあったなあ程度でして
・もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ
(あはれなるかなや”の最後の「や」が面白いですね
俳句なら切れ字の2連結)
・時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ
・身につもる罪やいかなるつみならん今日降る雪とともに消ななむ
ほんと、気付く罪も気付かぬ罪も、雪みたいに消えておいてほしいです