今、試合中の 『北照 対 大垣』 ですが、
「北照」の応援団が、松山千春さんの
『大空と大地の中で』 を演奏してます。
千春ファンとしては、燃えます!!
北照、がんばってね~\(^o^)/
今、試合中の 『北照 対 大垣』 ですが、
「北照」の応援団が、松山千春さんの
『大空と大地の中で』 を演奏してます。
千春ファンとしては、燃えます!!
北照、がんばってね~\(^o^)/
今月は、私の残り少ない人生のラッキーを
使い果たしてしまったのではないかと思うくらいのビックリがありました。
先日、歌舞伎への急なお誘いがありましたが、他に、
キャンペーン応募では「妻籠宿への日帰りバス旅行」 が当たりました。
ラッキー過ぎて、コワイ… (ーー;)
と言いながらも、やって来ました、南木曽温泉「ホテル木曽路」
ここでの、和洋中40種以上のバイキングが昼食でした。
その場で焼いて頂く木曽牛のステーキは柔らかくておいしかったです。
でも…、
山の間を雲がたなびき…、やっぱり私は雨女…。
バイキングもそこそこに温泉に行く人もあれば、私の様に
バイキングにじっくり時間を費やするものもあり様々です。
ここの滞在時間、2時間はあっという間に過ぎ、バスはホテルを後にしました。
ホテルから数分の所にあるおみやげ館で、
「世界一の大どんぶり」 とかいうのが飾ってありました。
確かに大きい、千八百人分入る「そばどんぶり」だそうです。
蕎麦打ちのジオラマが可愛かったです。
地元伊那食品の「かんてんぱぱ」シリーズの寒天商品がとても沢山並んでいました。
こんなにあるんですかあ~\(◎o◎)/!
今は寒天の需要も供給も安定していますが、数年前のあの、
寒天ダイエットの大ブレークの時には、数か月位、店頭から
寒天という寒天が消えてなくなりました。スゴかったあ~((+_+))
次は「妻籠宿」 へGO~!!です。 つづく
二条陣屋、神泉苑 と見てきた後、二条城の横を北へと歩きました。
ランニングで疲れてきた時、このまっすぐに伸びる道を見ると、
ここは地獄の三丁目か?…と思いますよ (^_^;)
一周ならまだしも、『もう、一周~!!』 と言われた時には
このまま家に逃げて帰ろうかと思ったこともありました。ハア~((+_+))
しばらくすると見えてきたのは、
こんにちは~ (^o^)丿
「バンクーバーオリンピック」ではお世話になりました。
「龍馬伝」 「ウェルかめ」 「ブラタモリ」 その他色々見てますよ~
受信料も払ってますよ~ (*^^)v
手前の公園には昔、プールがありまして、私は20円持ってよく行きました。
ほんとにプール行くの好きでした。他にも2カ所あって、今日はここ、
明日はあそこ、という風に「プール荒らし」 いえいえプール遊びに
ハマっていました。 多分、色黒なのは、この時の太陽のせい (^_^;)
更に北へ、丸太町通(まるたまちどおり)を渡り、東へ、何かいい匂いが
して来ました。目的地到着です。
いい匂いはここから漂ってきています。
「佐々木酒造株式会社」
俳優の佐々木蔵之介さんのご実家です。
昔ながらの醸造方法を守ってこられた、地域に根付いた酒造のお店です。
新酒が出来た事を教える「杉玉」 がもう茶色くなって軒下に吊るされています。
よく見ますと、硝子戸の向うに「ハンチョウ」 と書かれたポスターが、
応援されているのですね。おうちの方も (^^♪
お店に一歩入ると、お酒造りの場所がすぐそこにありました。
ご近所のおじさんらしい方が、一升瓶をぶら下げて
お酒を量り売りしてもらっておられました。まさに、ご近所と密着ですね。
私は残念ながら一升瓶の空いたのを持っていなかったので、
これを買ってようやく帰路に着きました (^_^;)
「神泉苑」 は私には切っても切れない思いの所なんです。
私が生まれて育った所は「神泉苑」 から歩いて5分位の所です。
子供の頃、私はしょっちゅう友達とここへ来て遊んでいました。
「神泉苑」 は太古の昔、京都盆地が湖だった頃のなごりの池を残しています。
平安時代は大内裏のすぐ南にあって面積は12万㎡、
「禁苑」 として天皇の園遊の地とされていました。
桓武天皇は好んで訪れたらしく、水は豊かで木々が生い茂り、
色々な鳥が群れ遊ぶ楽園だったのです。
「放生池・ほうしょういけ」 といいます。
この池が、平安時代の禁苑のお池でした。今はグッと小さくなっています。
中島がありそこには「善女竜王」 が祀られています。
「善女竜王」 に関して以前ブログに書いた事があります。
平安京最古の史跡 という題で書いていました。
また、京都三大祭りのひとつ「祇園祭」の起源となったのが
ここでの疫病退散の儀式です。これも前のブログで書いていました。
鷺やアヒルや色んな鳥が池にいます。
神泉苑には「五位鷺・ごいさぎ」 という名のついた言い伝えが
ありますが、この鷺は…?五位鷺でなくアオサギですか?
神泉苑の「歳徳神・としとくしん」 です。
日本唯一の「恵方社」 で毎年向きが変わります。
今年平成22年の恵方は「西南西」 歳徳神に向かって拝むと
恵方に向かって拝めるのです。
確かに前と向きが違います。多分祠だけ動かすのでしょうね。
鳥にパンをちぎって与えておられる親子連れと居合わせ、ラッキーでした。
鷺のエサを取りに飛んでくる様子を見る事が出来ました。
それと「すずめが鳩やサギに会ったが鳩やサギに勝った」
の図です。小さな子供も声をあげて、驚いています(^^♪
ここは何度来ても懐かしく子供の頃の思い出が浮かびます。
今と違いその頃は、建物も荒れて、もっとシ~ンとしていたのですが、
それが私の中の 「神泉苑」 です。
「二条陣屋」 です。
ここは、元は寛文十年(1670)に小川家の住宅として建てられたもので、
一見すると、町屋の様ですが中はまるで、「「からくり屋敷」 です。
京都には本陣がなく、二条城や京都所司代に仕える中小の大名の
陣屋としても、また京都奉行所の公事宿(くじやど)としても利用されたので、
「吊り階段」 「隠し階段」 「武者隠し」 などの特殊な構造、設備が施され
更に、類焼防止の工夫も多く見られます。
数寄屋式、陣屋敷、防火の建築物として重要文化財に指定されています。
残念ながら、今回は修復中とのことで中には入れませんでした。
ちょっと門から中を覗きましたが、以前はこんなにきれいではなく、
家の中も薄暗い「忍者屋敷」 という表情を見せていました。
「今、ここに居たのにこんな処に出てきた!」 なんて驚くような仕掛けも
あって興味深い所でした。
また、町民のうわさですがここから二条城に抜ける地下通路があった
などと言っていた事があります。本当かどうか定かではありませんが…、
もう一度以前のままの姿を見ておきたかったです。
残念です (ToT)/~~~
尚、「二条陣屋」 は昭和19年には国宝に指定されていたのですが、
昭和25年には重要文化財と変わっています。
振り向いたら、道のどん突きに二条城の石垣が見えます。
「こんなに目と鼻の先にあった二条陣屋やし~、
秘密の地下の抜け道があったとしても、ちっともおかしない。」
なんて、遠い江戸時代に思いを馳せています。
さて、次は更に時をさかのぼり、平安時代の遺構へ、行こう~! (^_^;)
二条城の周囲は約2Km、京都御所の周囲は約4Km
数字通り、京都御所を見て回るよりは、二条城は時間がかかりません。
高校時代のクラブの練習では、特に、二条城の周囲はよくランニングしました。
これは二条城外堀にある 「南西の櫓・やぐら」 です。
元々、櫓は外堀の四隅にありましたが、度重なる大火にて焼失し、
現在は南西櫓と、南東櫓のみが残っています。
以前はこの前にある垣根はなかったと思います。
家に残ってる中学校卒業の日に友達と写した写真は松の木の真下に居ますから、
多分、堀のそばまで行って覗き込む事も出来たんだと思います。危な~(^_^;)
ここから道を挟んである学校が私の通った中学校です。
そして、今まで無かったこんな石碑が立っていて、今まで知らなかったこんな事を
知りました。
中学校のグラウンド
中学校のグラウンドの南東角に…、
よろしければ拡大出来ますので写真…
へえ~、知らなかったなあ~(@_@。
さて今度は二条城の南の方へ行ってみます。
「妖怪珈琲」 と 「世界の畑の野菜と果実」
どちらも頂き物です。2日続けて1本ずつ頂きました。
鳥取のおみやげと信州のおみやげです。
「妖怪珈琲」 は言わずと知れた、「ゲゲゲの鬼太郎」 のキャラクターの
書かれた缶コーヒーです。
「鬼太郎」と「目玉おやじ」 と後は…?誰かな?作者の「水木しげる」さんかな?
ところで、以前からどうして 「ゲゲゲ」 なのかなあ?と思っていたのですが、
この機会にちょっと捜して見ましたら…、
”水木しげるさんは幼少の頃、自分の名前をちゃんと発声出来なくて
「しげる」を「げげる」 と言っていたそうです。
その「ゲゲ」 があだ名となり後に漫画 「ゲゲゲの鬼太郎」 の
タイトルの原点となった” そうです。
なるほど!
そう言えば、3月29日(月)朝8時から始まる、NHK朝の連続TV小説は
「ゲゲゲの女房」 ですね。
今の 「ウェルかめ」 も楽しく見ました。お名残り惜しいです。
勝手なもので、いつも
「あ~、今の終わったら淋しいなあ~、もっと続けてえ~?」
なあんて思いながら、次の週にはもう新番組にハマってるんです(^_^;)
今度も例にたがわず、だと思います。 ハイッ
さて、もう一方の 「世界の畑の野菜と果実」
こちらもアニメのキャラクターが描いてあります。
NHK教育TV 「やさいのようせい」 という子供向けのアニメです。
”舞台はニューヨークのとあるキッチン。
満月のあかりがキッチンに差し込む夜、野菜の妖精たちが
次々と目覚めます。
芽キャベツ、レタス、ガーリック、白ナス、ジャガイモ、プチトマト、
サニーおばさん、とうがらし、ピーナッツ隊、きのこ、ニンジン。
月の魔法のかかったキッチンで、妖精たちの無邪気な冒険が
始まります”
このジュースは「ナガノトマト」 という会社の製品ですが、
この会社は「トマトジュース」 がとてもおいしいです。
無添加で果汁或いは野菜汁100%で作られています。
特に私は「無塩トマトジュース」 が好きで飲むほか、
「トマト味煮込み料理」 にも使っています。とても手軽です。
これから暖かくなると更においしくなります。(冬は冷たいのでもっぱら料理用で)
そんな会社の「野菜汁・果汁100%…果汁分が40%」 のジュース。
原材料はトマト、人参、セロリ、パセリ、クレソン、ほうれん草、レタス、
ビーツ、オレンジ、りんご、レモン。
今日はちょっと寒いのでまた暖かい日に飲む事にします (^_^;)
きょうは、熱~い、緑茶をすすりながらTVでも見ることに…
徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として建立した二条城、
二条城は、京都へ来れば 「清水寺」 「平安神宮」 「金閣寺」 「西本願寺」
と共にまず皆さん訪れる所で、よくご存知の所と思います。
二の丸御殿は国宝で、「鴬張りの廊下」 「武者隠し」 「狩野派の襖絵」
などがあることも、
二の丸庭園(書院造庭園)は小堀遠州も手掛けた名園という事も、
よ~くご存知と思います。
他に城内には
内堀に囲まれて、「本丸御殿」があります。
創建当時は五層の天守閣を有し、二の丸御殿に匹敵する規模を
誇っていましたが、落雷や大火によって何度か焼失し、
現在の本丸御殿は明治年間に京都御所にあった旧桂宮邸の御殿を
移築したものです。
この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、皇女和宮さんが十四代将軍
徳川慶喜に嫁がれる前にしばらく住まわれた建物で、また孝明天皇の仮皇居にも
なった事があります。
↑ 内堀に囲まれていた「天守閣」 は今、石垣が残るのみですが、
上に上がりますと、
↑本丸御殿のむこうに東山連峰の大文字山が見えます。(三角の山肌の見える部分)
写真では見えませんが、大文字山方向のほぼライン上に京都御所があります。
東山連峰の最北、霊峰比叡 848mと東山連峰一の高さ
もしも、天守閣が残っていたなら、もっと高くから違った風景が
見れたでしょうね…。
天守跡から下に降りて…、
↓ 内堀の西側にはお米などの食料を貯蔵した土蔵が残っています。
城内、北側に「清流園」 があります。
この園は昭和40年に完成した、歴史的にはごく浅いものです。
池泉廻遊式庭園で高瀬川一之船入(龍馬点⑩にて) の所にあった300年の歴史を持つ
角倉了以(龍馬点⑩にて) の屋敷の一部とその名庭園の石800個を元に、
更に全国から集めた名石300個を加えて造られました。↓
芝生を敷きつめた処では茶会なども行われます。
クダクダと長くなりました。
お城の外側や周囲の事、また次のブログに書きたいと思いますm(__)m
京都には 「三大念仏狂言」 があり
「壬生大念仏狂言」 「嵯峨大念仏狂言」 「千本ゑんま堂大念仏狂言」
が、そうですがこの「嵯峨大念仏狂言」 は3月15日に
「嵯峨清凉寺」(さがせいりょうじ)でありました「釈尊涅槃会お松明式」
(しゃくそんねはんえおたいまつしき) の時にも上演されます。
6時30分からお松明に火がともる前に、「土蜘蛛」 が上演されました。
土蜘蛛が、蜘蛛の糸をパア~ッと投げつけるのが見所です。
この狂言のあらすじは、
家来たちと酒宴をしていた「頼光」 が酔いつぶれて寝てしまった所に
土蜘蛛が現れます。
頼光と土蜘蛛の大刀廻りとなり、土蜘蛛は逃げます。
蜘蛛退治を命ぜられた家来の「綱」 と 「保昌」 は激しく土蜘蛛と
戦いとうとう首を取るというお話です。
京都には「三大念仏狂言」 の他に「神泉苑大念仏狂言」があります。
これは二条城の南側にある史跡 「神泉苑」 であります。
私は子供の頃、「神泉苑」 の狂言をよく見ていました。
あの鐘と太鼓と篠笛のシンプルなリズムが何とも言えず、心に沁み入ります。
この念仏狂言というのは、仏の教えを大勢の人に伝えるため、
声が届かないほど遠くから見ても、身振り手振りで理解出来るようにと
無言劇で分かりやすく伝えたのが始まりです。
今は伝統芸能として後世に残していくことに努力が払われていますが、
どこも後継者不足が悩みの種となっているようです。
狂言を演じる事が出来るのは男性だけというのも、原因の一つかもしれません。