kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

じゃっどん西郷どん35

2018-12-20 16:15:56 | 西郷どん

 

最終回 敬天愛人

 

西郷どん、すごい 気迫でした

城山で政府軍の総攻撃が始まった時、

あの大きな体を揺らし、突進していきましたが、

その顔に死相を感じました

 

鈴木亮平さんは鈴木亮平さんでなく、この時、西郷どんだったのでしょうか

死を覚悟して戦っていたのでしょうか

 

その悲愴さと、必死さに圧倒されました

 

 

大久保らに今の政府がおかしいと、正してほしいと訴えるために

西郷どんは、立ち上がったけれど、

政府軍に阻まれやむなく鹿児島へ戻らざるをえず

450㎞を歩いて鶴丸城の裏にそびえる城山に着いた

 

子供の頃、大久保はじめ、幼なじみとよく登った城山

ここからは、桜島がよく見える

 

 

大久保から戦陣の西郷どんに手紙が届く

 

”総攻撃の指令を出した、時刻は明朝4時

本日夕5時までに降伏すれば西郷は助ける”

 

西郷どんだけ助ける、という意味だったのか

 

「甘かとは、おはんじゃ、こげな情は受けられん」

 

その夜だったか、 

西郷どんは斉彬公の幻を見る

 

「めそめそするな、このやっせんぼ、

侍が重い刀を差して、えばる時代は終わるのじゃ」

 

 

明日の戦いを前に、西郷どんたちは、城山の洞窟の前で、

アコーディオンの伴奏でフランス国家を歌い、陽気な夜を過ごした

 

 

明けて、総攻撃は始まった

「もうひと暴れすっど」

西郷どんにはもう、一分の迷いもなかったのだろう

ここまで行動を共にした皆に、

 

「これでもう、戦のない国になる、侍は居なくなる

おはんらが”最後の侍”をつとめるのじゃ、日本の誇りじゃ」

 

すでに300人ほどになってしまった西郷軍が突進していく

相手の政府軍は7万人

 

西南戦争は終わった

日本最後の内乱となった

 

 

西郷どんは、こんな争いを好き好んでしたとは思えない

敵を倒す、というよりも

仲間を守り、仲間の気持ちをまっとうさせてやりたい

そんな気持ちだったのでしょうね

 

 

磯御殿の島津久光と海江田武次(有村俊斎)

西郷家の人々

 

それぞれに、砲弾の音を聞いていた

 

音がやんだ…

 

糸さあは、城山のほうに向かって

「おやっとさあでございもした」

と、頭を下げる

 

砲弾の音がやんだということの意味

 

戦場で西郷どんが逃がしていた愛犬が家に戻ってきた

糸さんは、可愛がっていた犬を夫が解き放ったことを察したに違いない

 

西郷どんは糸さんに言い遺していたことがあった

 

「子供達に伝えてほしかこつ、あっとじゃ

おいが死んだこつで、おかしい事がおかしいと言えんこつなるとは

決して、思わんでくいや

これからはおまんらが……」

 

残念ながら、ここのところのテレビの音を私は聞き取れませんでした

おそらく、子供たちに自分の果たせなかったこと、すなわち、

人々が、食べ物に困らず平穏に暮らせる世の中を作ってほしい

 

西郷どんの子供達への遺言だったのでしょうね

 

 

京都市の二代目市長にもなった、西郷菊次郎は、

「父は天を敬い人を愛した

己の身を捨てても人を愛しました」

 

 

西郷どんの死後、西郷人気が高まったそうです

一方、暗殺された大久保は、鹿児島では長く逆賊と言われていましたが

大久保は大久保なりの、国づくりに力を注いだとして、

見直されるようになってきたそうです

 

西郷どんは、薩摩ファースト

大久保は中央集権ファースト

 

そんなことも、薩摩での評価の分かれ目でしょうか

 

最後のシーン、史実に残る西郷どんの切腹はなく、

青空を見上げて少し笑みを浮かべる西郷どんの

 

「もうここらでよか」

 

で終わりましたね

 

これは、ひょっとして西郷どんはこのあとも生きていた

の暗示だったのですか?

 

林真理子さん、ありがとうございました

 

 

 

一かけ二かけ三かけて

四かけ五かけで橋を架け

橋の欄干腰おろし

はるか向こうを眺むれば

十七、八の姉さんが

片手に線香花を持ち

もしもし姉さんどこ行くの

私は九州鹿児島の

西郷隆盛娘です

明治十年?月?日

切腹なされた父上の

お墓参りに参ります

お墓の前で手を合わせ

なんまいだぶつと目に涙

……

……

そんな歌をうたいながら、せっせっせ~のよいよいよい

と手合わせで遊びました

西郷隆盛の何たるかも知らず、年端も行かない少女たちまで、

この名前を口にしていたのです

如何に、日本中の人々から、西郷どんが親しまれていたのか、

大河ドラマ「西郷どん」で、初めて知りました

 

じゃっどん西郷どん、

 

あまりにも理不尽な一生だったとは思いませんか

私は、西郷どんの生き方に、文句たらたらですよ

もう少し、自分のための人生でもよかったのでは?

最後まで、見ていて悔しい悔しいの気持ちでしたよ

西郷どんもやっぱり、そうなんじゃないですか?

 

幾度も噴火する桜ん島

私には、西郷どんの怒りに見えます

桜ん島は西郷どんそのものです

 

西郷どんは今、居るべきところに居る

 

 そんな桜ん島に、私はひどく魅せられてしまいました

きっとまた、桜ん島に行ってみます

 

黒い桜島、赤い火映を見せる桜島、噴煙に覆われる桜島

どの桜島も、まっことよか眺め

 

Forever   Sakurazima

 

まこて、あいがとさげもした 

 

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じゃっどん西郷どん34

2018-12-16 13:29:19 | 西郷どん

 

 

西郷どんが、小吉と呼ばれていた頃、

 

「やっせんぼ、強くなれ」

 

と言ってくれた斉彬に憧れ、この言葉を心に刻みました

様々な人と出会い、西郷どんは変わっていきました

  

小さく打てば 小さく響く

大きく打てば 大きく響く

 

龍馬は西郷どんに初めて会って、こう感じたと勝海舟に言いました

 

妻の糸さんにしてみれば、大きく打ちたくなかった

薩摩で毎日一緒に畑を耕していたかったでしょうね

 

「願いは一つ、だんなさまが、西郷隆盛でなかったら、どんだけよか」

 

ほんとに一生のうち、いったい何日一緒に暮らせたのですか?

民のためにと、あちらこちらに赴いていく

ほとんど、単身赴任家族でしたね

 

とうとう最終回がやって来ます

その前に、ずっと気になっていた人がありまして、今、打ち明けます

なんて、言うたりして(^-^;

そんなな気持ちとは違うのですが…

 

薩摩藩国父 島津久光さん

 

鹿児島市照国神社近くの島津久光像

 

マザーコンプレックスだった若い頃、

ま、マザーがあれなものですからね~

 

それでも、斉彬兄ちゃんに憧れ

お兄ちゃんのようになりたかったのです

 

じゃっどん、中央にはあまり出向くことなく、西郷どんが占めていました

薩摩の芋侍とか言われて、斉彬と比べられて

幕府から蔑まれて、頭に来てました

 

斉彬の死後、久光の子の島津茂久が薩摩藩主となり

久光は国父となりました

こうなると、藩を動かすのは実質、久光だったのではないでしょうか

久光は、よお~しがんばるぞ~、お兄ちゃんみたいになるぞ~!

と言ったかどうか、知らんのですけど(^-^;

 

江戸でも活躍する西郷どんに敵意がいっぱい

斉彬に憧れるふたりなのに、対立していきました

 

西郷どんが、天皇行幸に同行して鹿児島に帰って来た時、

衣冠束帯の姿の久光に会いました

廃藩置県があって間もない時、政府は大変な状況に直面している

ふたりは、そんな中、それぞれの役割で、

政府を、鹿児島を守らなくてはならない

久光は、西郷どんといつまでもいがみ合ってる場合ではないと思ったのですね

 

「このやっせんぼが!

やり抜け、最後までやり抜くんじゃ

やるだけやって倒れたら、薩摩に帰ってこい」

 

まるで、斉彬が乗り移ったような言葉でした

 

この時、ふたりの心は斉彬のもとに、ビビビッと繋がった、と思います

 

廃藩置県が成った時、久光は花火を打ち上げ続けたそうです

桜ん島も、噴火したかったでしょう

 

まだ若い茂久を支え、薩摩藩から鹿児島県へ移行の時を

久光は、しっかり背負って行ったのだと思います

立派な方だったと思います

 

久光役の青木崇高さん、面白かった

とてもいい俳優さんになられました

初めて見たのは「ちりとてちん」の落語家の草々

この朝ドラ、何年前だったかなあ?

 

 

今夜はいよいよ最終回

いかように描かれるのか?

 

じゃっどん、西郷どん生き残り説などもあるというではないですか

作家林真理子さんは、どんな西郷どんを?

 最終回、ひったまがったあ~

と言わせてくりしゃり~♪ 

 

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じゃっどん西郷どん33

2018-12-09 17:56:24 | 西郷どん

 

西郷どんは、これ以上私学校の面々が暴徒と化すのを止めようと

立ち上がりました

 

「なんごてだあ、吉之助さあ~!」

 

と言って悔しがった大久保利通です

 

机をたたいて悔しがっていましたが、

やはり、幼なじみを慕う心がまだある大久保なんやなあ

と思えました

少し、安堵しましたが、”覆水盆に返らず”

 

どのタイミングで、密偵が密書を受け取ったのか、分かりませんでしたが

 

” キンジツクラヨリ

ツツハコビダス

ボウズヲシサツセヨ ” 

 

桐野利秋(中村半次郎)らが拷問した密偵、中原尚雄が飲み込みかけた手紙に

こう書かれていました

クラは倉庫?

ツツは鉄砲?

シサツは視察なのか、刺殺なのか

 

密偵の中原も薩摩藩士なのですよね…

「もうよか…」と密偵の中原を許そうとする

とても優しい西郷どんでした

 

西郷どんは私学校で、

元薩摩藩士はじめ薩摩の若者を育て、皆が豊かに暮らせるのを

夢見ていたのに…

薩摩は違う方向に動いていきました

 

「敬天愛人」

道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす

天は我同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也

『南洲翁遺訓』より

西郷どん、ドラマの中で書いていましたね

 

 

鹿児島市の照国神社のそばの西郷隆盛像です

 

 

維新ふるさと館で見た像、西郷どんとわんちゃんのつん

右には、軍服があります、腕の金糸の刺繍がかっこいいです

 ドラマと同じですね♪

 

 

鹿児島の維新ふるさと館で見た、大久保利通像です

私には、優しく見えますけど…

瑛太さんの演じる大久保は、冷たい

大久保瑛太さん、もうよか

 

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じゃっどん西郷どん32

2018-12-02 17:21:01 | 西郷どん

 

 菊次郎が大人になって帰国しました

 

あの時代の留学なんて、大冒険ですよね

家族との和やかな暮らしは捨てたけど…

捨てたからこそ、菊次郎は世界へ羽ばたく人になれたのかもしれません

 

9歳で奄美大島から薩摩へ来て、更に12歳でアメリカへ留学

 

明治の初め、まだ武士から抜けきれない人が沢山いる中で、

海外の文化に触れてきた、菊次郎さん、

そんな日本を見て、どう思ったでしょうね

後に、政治家、外交官などになり、京都でも政治家として活躍されてます

 

京都市の有力者たちは、西郷菊次郎を市長に選出しました

それは隆盛を父に持つという、カリスマ性を見込んだそうです

京都は、明治になって都が東京に移ったことで、

衰退の色を隠せなかった…

何とか復興しなくてはと、菊次郎に託したのですね

 

息子の活躍を、父、西郷どんは見ることは出来なかった…



ドラマ「西郷どん」の第二の柱、大久保利通も外遊してきました

ところが帰ってきたら、あんな風でしょ

西郷どんが朝鮮に行くと行った時、怒ってましたよね

若い頃、お父さんが遠島になった時、大久保さんも謹慎の身となり、

ちょっと屈曲した性格が表れ、西郷どんに嫉妬心を持っていました

その後も、盟友として共に歩んできたものの、

所々、ふたりの考え方はくい違い、対立していました

 

大久保さんと西郷どん、幼なじみなのに寂しいですね

 

じゃっどん、政治から身を引いて薩摩に帰った西郷どんを、大久保さんは

なんで東京に呼び戻したのでしょうか?

西郷どんの心のうち、分かったでしょうに…

 

西郷どんに、厚い信頼を寄せていた人は沢山いました

 

そうそう特に、中村半次郎さんにお願いしたいです

覆面して、心に溜まったうっ憤を晴らすかのように、私学校へ来た時

怪傑ゾロみたいな格好して

 

 

 

そんなに刀を振り回して、

ははあん、これですね

人斬り半次郎なんていう異名をとった訳は

 

でも、ほんとに薩摩の同士を斬ってしまったのか…

 

 

よ~~く画面を見てみました

刀を見ると、どうやら峰打ちのようでした

 

リーダーとして立ち上がるのは西郷どんでないとだめなのですか?

自分たちの中から立てるのはだめなのですか?

 

奄美に流された時は、奄美に居させてあげてと思いました

東京から薩摩に下った西郷どん、そっとしてあげて、と言いたい

 

とうとう西南戦争まで来てしまいました

鹿児島の城山のふもとの西郷洞窟というのを見ましたが、

その近くで自刃されたそうですが、

そこまで描いても、ドラマはさほど長くないし…

しっかり見ておきたいですね

 

チェスト~もきばれ~も、

もう言えません

 

 

 

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じゃっどん西郷どん31

2018-11-18 11:35:29 | 西郷どん

 

 

JR鹿児島中央駅です

 

 

 

斉彬様

愛加那さんも糸さあも、よかおごじょ♪

今の西郷どん、若い時と比べて肥えましたね

俳優さんってたいへんです

きっといっぱい食べて体重増やされたんですね

誰だったか、年配の役をするため歯を抜いたと聞きました、昔ですが

なんと、無茶しますね~

芸能人は歯が命、こういう命がけも?

 

大久保一蔵(利通)さん、海外派遣から帰って来ましたが、

外国の脅威を感じて焦ってるんですね

でも皆には伝わらなくて、

 

幼なじみも失ってしまいそう

 

西郷どんと一蔵さん、もう同じ方向に進むことはないのでしょうか

 

 

鹿児島中央駅からわずかな所に甲突川という川が流れていて、

その近くに、子供の頃の西郷どんと一蔵さんが住んでいた

加治屋町 

その辺りに、維新ふるさと館があり、もう少し川沿いに行くと

大河ドラマ館が開設されているが、もう間もなく閉館ですね

行かなかったなあ…

 

電車の中から大きな銅像が見えて、気になるので

電車を降りて歩いて10分ほど、

 

 

 大久保利通さんでした

 

 

鹿児島は、市電がいっぱい走ってました

あ、電車だけでなくバスもです

バスは路線の種類が恐ろしくたくさんあって、

一体、どれに乗ったらええのやら…

一度乗り間違いました(;´∀`)

 

いろんなラッピング電車が走ってるのに、

この時はたまたま同じのがすれ違い…

 

 

線路の周りに芝生が植えてあります

どうしてかな?

道からの照り返しを防ぐため?

火山灰対策?

聞けなかった…

 

 

 

 

ここをずっと歩いて行くと、

「維新ふるさと館」や「大河ドラマ館」があるので

時間があったら行こうと思っていたのですが…

 

 

前にもブログに載せた写真ですが↓

 

1865年に英国に留学した薩摩藩の若者の像です

「若き薩摩の群像」

 

 

菊次郎はこの中にはいないんですね、欧米への留学でしたものね

 

菊次郎は奄美大島から8歳の時に、西郷どんの家に引き取られ

12歳の時に欧米に渡り、2年半の間アメリカで過ごしました

 

どんなになって帰って来たのでしょうか

この後のドラマの中で、描かれるかもしれませんね

自信に満ち溢れ、また、しゅっとした好青年になってると思いますよ

 

 

こうして鹿児島に行ったことを思い出しながら書いていますと、

また、行きたくなってしまいますが、もうだめだめ

 

ほんと、いい所です♪

 

さて今日は、西郷どん

「さらば 東京」 

そうですか、そういう事になっていくのですか…

 

 

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桜島

2018-11-07 05:58:04 | 西郷どん

 

 

5日から鹿児島市におります

5日の松山千春コンサートのためにやって来ました

 

少し暑いなと思うお天気です

雨女としては上出来です♪

2泊過ぎまして今日の夜には家に帰ります

 

 

コンサート会場の前になんと、

どーんと、桜島!

びっくりしました

 

やっぱり、錦江湾に浮かっちょる桜ん島は、

まっことよか眺めでごわす♪

 

夕陽が山肌に反映して、うっすら赤くみえました

 

海沿いの、この辺り地名が与次郎というらしいのですが、

ウォーキングコースにしてあって、それらしき人がおられました

私も桜島を見ながら歩きました、30分位?

ウォーキング中の方と少し話したりしました

桜島も西郷どんも、飽きるくらいだそうですが

噴煙には閉口しておられる様子

真っ黒になる!

 

お国訛りはあまり感じませんねえ~

 

6時になって、コンサート会場へ

6時40分、開幕のブザーが鳴りました

さあ!

 

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じゃっどん西郷どん30

2018-11-05 12:28:29 | 西郷どん

 

菊次郎をみていると、愛加那さんを思い出します

よく似てます

この子をよろしく…と、

糸さあに頼むのも勇気がいります

頼んだ方も頼まれた方もたいしたもんですね

 

その子が今で言う留学を決心して、西郷どんと糸さんに

行かせてくださいと頼むところが、

とても礼儀ただしくてけなげで、

koh おばさんは胸がきゅーんとなりましたよ😅

 

愛加那さんも可愛くて壊れてしまいそうなのに

ほんとは気丈で一本筋の通ったよかおごじょですばい

島ではそんな母に育てられ、

薩摩では、武士の奥方や多分雪ぽうさあに武士の魂を示されて

立派な武家の子になりました

 

薩摩から船に乗ってエゲレスに着いた~ら

見聞を広めてくりしゃり~😌

 

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じゃっどん西郷どん29

2018-10-20 18:51:00 | 西郷どん

第38回 傷だらけの維新

 

上野の彰義隊は、大村益次郎が予言した通り、一日で討伐しましたね

 

大村益次郎

林家正蔵さん、雰囲気ありますね♪


彰義隊にさほど手こずらなかった一因として、

佐賀藩から借りた最新式のアームストロング砲があるといいます

 

大村はこの大砲を使う機会を十分に計算し、

何があろうと砲を敵に奪われてはならぬと厳しく言っていました


戦闘が午後を過ぎても終わらず、官軍の指揮官たちは夜戦になるのを心配したが、

アームストロング砲による上野山の砲撃が開始されていました

大村は平然と、懐中時計を見ながら

「もう何時になりますから大丈夫です

夕方には必ず戦の始末もつきましょう

と平然としていたところ、

やがて江戸城の櫓から上野の山に火の手が上がるのを見て

「皆さん、片が付きました」と告げました

ほんとに戦勝を告げる伝令があった時には、感服したそうです

まるで、予言者ですね

オセロをしても、将棋を打っても、相当な成績を残すかもです(^o^)丿


 

 

でも、東北地方では幕府の諸藩がまだまだ抵抗し、

それを鎮圧せんと、官軍に参加したのが、

丹波国北桑田郡山国村の若者で結成した「山国隊」でした

 

 

京都の三大祭りのひとつ、「時代祭」では

「維新勤王隊」として、山国隊に倣った姿で参列 があります

 

維新勤王隊・鼓笛隊

カッコいいんです♪

 

錦の御旗~(月と太陽を表す)

 

鳥羽伏見の戦いで岩倉具視が、この旗印を掲げたのが、

新政府軍に大勝利をもたらした要因のひとつなんですね

 

鉄砲隊

 

 

 

 

ドラマでは幾度となく錦の御旗が、画面に出てきます

官軍の旗印であり、朝敵征伐の証でした

 

一度、御所の一般公開で見たことがあるのですが、

もちろんテレビのより古びていますが、

本物はも少し厚みのある織物で、刺繍もしてあったような、

貫禄を感じる幟でした

 

 

時代祭は、鼓笛隊の太鼓と笛の音が聞こえてくると、

行列が来たなと、もうワクワクします

 

 

あ、長くなってしまいました

吉之助の弟さんの吉二郎のこと、書きたかったのですが

今日はこれにて

なるべく早く、この後もブログアップするようにと

自分自身に懇願しております(^-^; 

 

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じゃっどん西郷どん28

2018-10-15 01:50:53 | 西郷どん

 

江戸無血開城~西郷どんと篤姫(天璋院)

 

久しぶりに、篤姫さんが西郷どんと会う場面がありました

それに、指南役の幾島殿も

もう懐かしい気がしました

 

篤姫は徳川を救ってほしい、そう西郷どんに懇願に来たのでした

それでも攻撃するという西郷どんに、

それなら、徳川の名にかけても守る

命がけの固い決心でした

 

夫、徳川家定は奇行に走る人であるものの、

その中に、篤姫は何かを見つけ、仲睦まじい夫婦になっていった

早くに亡くなった家定のためにも城を明け渡すのは許せなかった

 

江戸無血開城となった時、西郷どんに礼を述べ静かに幾島と手をつなぎ

城を後にしました

(南野陽子さんの幾島おばあさん役、見事でした♪)

 

篤姫は調度品や着物などのほとんどを、

傍付きの女中たちに分け与え、

後の世に残すのは、「城」ではなく「徳川の心」であると

言われたそうです

家定さんを本当に大事に思っておられたのでしょうね

 

江戸城を出た篤姫は、その後薩摩には一度も帰らなかったとか、

「自分は、徳川の人間」命尽きるまで強く、そう思っておられたのですね

薩摩は一時、敵でしたものね

 

 

江戸無血開城~西郷どんと勝海舟

 

江戸総攻撃を強行する直前、旧幕府軍の勝海舟からの訴えを

山岡鉄舟が持って訪ねてきました

 

「これ以上の戦いは、無駄に人の命を奪うだけ

徳川のものから見た慶喜と、薩摩のものから見た斉彬は同じ…」

 

 

勝は薩摩藩邸に来て、江戸への攻撃をやめてもらいたいと、

膝を突き合わせて…、そのくらいの気持ちで心を割ってじっくりと

 

 

龍馬が夢見た新しい国をつくってくれ

 

 

龍馬さん、早すぎた…

 

西郷どんは、色々な場面で説得され、結果それを受け入れている

優しい人なんですね 

 

無血開城、大きな節目になりました

 

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じゃっどん西郷どん27

2018-10-14 18:13:23 | 西郷どん

 

さすがに、台風には致し方なかった大河ドラマ「西郷どん」 

大河ドラマが放送中止になるなんて今までにありました?

 

西郷どんの舞台になった、奄美大島、徳之島、沖永良部島

毎年、台風の直撃する島ですよね

 

鹿児島の枕崎も

 

台風警報発令

枕崎南南東 風力3 965ミリバール

なんて、数字は適当ですがこんな名調子が流れていた、昭和

昭和を遡ること、約100年

西郷どんの話に移さなくては(;´∀`)

 

そんな、遠い島での暮らしから幾ばくかの月日が流れ、

温かい人々に助けられ命をつないだ島暮しの頃の西郷どんは

ここにはいない

大政奉還を越え

戦の鬼と化した西郷どんは、

すべての民が安心出来る世をつくる、この言葉を忘れてる…

 

 

 

第37回 江戸無血開城~西郷と慶喜

 

鳥羽伏見の戦いで、

新政府軍と旧幕府軍はぶつかり、激しい戦いとなった

そんな時に岩倉具視は偽の「錦の御旗」を掲げ

一気に新政府軍は優勢となり、慶喜は大阪城を抜け出し江戸へ逃げた

 

江戸へ逃げた…

 

慶喜とはどんなひとだったのかなあ~?

諸説ある中、心が反応したフレーズがありました

 

幼少期から聡明にして文武に長け、

徳川家の期待を常に一身に背負い続けた徳川慶喜

それどもようやく3度目の正直で将軍職に就いたときには、

徳川幕府はすでに沈みかかった泥舟状態でした”


言わば、

二百五十年余り続く老舗の後継者にまつりあげられた御曹司

しかし会社はすでに経営は傾きかけ、

社員たちも、もう言うことを聞かない


と、大変な時にトップに据えられたのですね、慶喜さん

徳川は永遠に不滅!と思っていたかどうかは分かりませんが、

ずう~っと戦もなく続いた江戸幕府ですから

経験のない戦なんか、したくもないのが道理ですよね

 

慶喜は秀才だったんですね~


ですが、敵前逃亡する自己保身の人と、厳しい評価が残っています


「西郷どん」では、その悪評を打ち消すようなセリフがありました


慶喜はやって来た西郷どんにどう責任を取れば許されるのか、

切腹覚悟の白装束で西郷どんに会って、


『フランスのロッシュは、幕府を援助する代わり、

薩摩をよこせ、と言った

その時逃げるしかなかった

逃げなければ、戦は長引き、その時こそ日本は終わる

日本は異国の手に渡る

日本中でフランスとエゲレスが戦い、勝者が日本を乗っ取るのを防ぐため

私には逃げるしかなかった…』


西郷どんもこの言葉には、感じ入ったようで


『慶喜様でなく、あなたはひー様だったのでのでございもすな

おやっとさあでございもした』


いいシーンでした


一方、このドラマの時代考証をされている歴史家の磯田道史さんは、

こんな風に慶喜を表現されてます

『平時の慶喜、乱世の西郷、つまり、気の毒な将軍…

なるほどね



戦のない時代なら、上手く将軍を務めただろうに、

250年も戦のない幕府の中にいた徳川のDNAは、戦に対応するような

突発事項には、とんとだめだった

ということなのですね

のんびり、ゆるりと生きたかったひー様


その点、西郷どんは何度も死にかけながらも生き永らえた人

ちぇっそ~~!

きばれえ~~!

ですもん


じゃっどん、西郷どん、それにひー様

心が通じてよかったですね♪


それにしても、「錦の御旗」を掲げたことが、

 それほどに日本の歴史が大きく動いたことに係わってたとは

知らなかった…

鶴瓶さんのお手柄?

いやいや、岩倉具視さんのです(;´∀`)

 

「龍馬伝」だの「篤姫」だの「八重の桜」だの、

ぼぉ~~っと見てたのね~(T_T) 

 

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