♪ やさしい雨の祇園町
加茂の流れにうつる
あなたの姿
南こうせつの「加茂の流れに♪」 です。
葵祭のあと、見物をしていた人たちが、一斉に土手を降り、
賀茂川に据えられた飛び石を、向こう岸へと渡って行きます。
賀茂の流れにうつるあなたの姿は如何でしたか?
ところでこの場所ですが、TVのサスペンス劇場によく出てきますよね。
葵祭、本列の「近衛使代・このえつかいだい」 がヒーローならば、
その後に続く女人列の「斎王代」 はヒロインです。
5月15日までにも葵祭にまつわる様々な行事があり、
ニュースになりますが、やはり注目を浴びるのは「斎王代」
葵祭の主役は「斎王代」です。
斎王代の乗った腰輿(およよ)は、あっという間に通り過ぎてしまい、
お顔が分からなかった…残念です。
女人列は、やはり艶やかです。
この方の身のこなしは、まるで平安時代からタイムスリップしてきた女性のようです。
ま、平安時代の人に会ったことないですが (^_^;)
凛々しいです、ハンサムウーマンですね。
斎王代のための牛車、下の写真の牛はその牛のスペアです。
牛さんも、馬さんも一日大変なんです。
こうしてみると、女性で荷物持ちの役目の人はいませんね。
以前女人列もブログにしてました、よろしければ参考にして下さい。
http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/d/20110518
賀茂街道がまるで新緑の作った隧道のようです。
葵祭の列が優雅に通ります。
木漏れびがキラキラと光っていました。
「路頭の儀」
京都御所~下鴨神社~賀茂街道~上賀茂神社と
葵祭は繰り広げられます。
始まりは飛鳥時代、日本最古のお祭りです。
私は賀茂街道を行く様子を観てきました。
賀茂川と緑の木立を背景にまるで平安時代の王朝絵巻の様です。
※本列 《近衛使代列・このえづかいだいれつ》
時々こうして、列が止まります。 お馬さんがご機嫌斜めになったり…、
私達にはまたとないシャッターチャンスです!
子供たちも葵祭を立派に担っています。
御冗談を…と思いそうですが、ちゃんとした装束です。
列を華やかにするためのもの、こうして飾り付けることを
「風流」 と呼ぶそうです。
今なら、「盛ってますね~」 か?
「近衛使代・このえつかいだい」
行列中でいちばん偉い方であり、いわば葵祭のヒーローです。
「源氏物語~葵の巻」 では光源氏が近衛使代として奉仕し、
その艶姿を見ようと、妻、葵の上と元カノ?の間に車争いが起きる…、
という有名なお話がありましたよね。
ちょっと失礼して…のどが渇きますものね
以前にブログにした葵祭です、よろしければ参考に、
http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/d/20110519
本列のあとには「女人列が」 続きます。
ここは 「護王神社」 と申します。
京都御苑の蛤御門の、ほぼ前にあります。
足腰の健康保持やけが、病気の回復に格別のご利益があると、
昔から京都の人達に篤く信仰されています。
拝殿前にある狛犬ならぬ、「狛いのしし」 ?
雌雄一対の「霊猪像・れいちょぞう」 です。
ちゃんと、「あ」 「うん」 の像になっていますね。
護王神社ではなぜ狛犬でなく「狛いのしし」 なのか?
それは、ご祭神である 「和気清麻呂・わけのきよまろ」 が
都より九州の宇佐八幡宮へ向かった際、どこからともなく現れた
三百頭ものいのししが宇佐までの道中を無事に案内しました。
(奈良時代~平安時代を生きた方)
その時、不思議にも清麻呂公が悩んでいた足萎え(あしなえ)が治った…
と 歴史書「日本後記」 に記されており、この故事に因み、
猪像が建てられました。
本殿前を元気に駆け抜ける女の子、
まだまだ足腰の痛みなんてものとは無縁でしょうね、羨ましい……
さざれ石…長い年月をかけて小石のかけらの隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、1<wbr></wbr>つの大きな岩の塊に変化したもの。
学術的には「石灰質角礫岩」とよばれる。
さざれ石はあちこちの神社などで見ますが、小石が集まり、
頑強な巌(いわお)となる様を、国民も心一つに力を合わせる姿に
例えているそうです。
祭神 「和気清麻呂公命」
祭神は、もうひと方 「和気広虫姫命・わけのひろむしひめのみこと」
がおられますが、この方は清麻呂公のお姉さん。
戦乱で孤児となった子供83人を養子として育てられたり、
慈悲深い功績を残されています。
護王神社を訪ねた、あの頃は! はぁっ!
まだ桜咲くころでした。
季節外れではずかしいので、小さくアップいたしました。
せっかく咲いた桜の花ですから…
花の命は短いですもの…
あれこれの訳あって、ブログアップも遠ざかり、もうちょっとで1ヶ月ぶりになるところでした。
ここは、京都の宝が池国際会議場です。
「世界骨髄腫学会」 を、見るきっかけがあり、行ってきました。
この会合が、日本で開催されるのは今回初めてという、記念すべき時に
行くことが出来ました。
大ホールには世界各国の関係者の方がいっぱい来ておおられ、
「骨髄腫」 という難病にたくさんの方が携わり、熱心にこの病気を
研究しておられるのを知りました。
「骨髄腫は」 10万人に2~3人という珍しい病気だそうです。
もちろん、学会そのものに出席できた訳ではなくて、
大ホールの一番後ろのドアからそっと、様子を見せたもらっただけなんです。
患者さんと家族の会の集まりには出席することが出来ました。
そして患者さんとその家族の方々の、体験談と日ごろの思いを
聞かせて頂きました。
難病であるこの病気に使うお薬も、次々に出来て、
昔と違い今では患者さんに合うお薬を使い改善に向かう人も
多くなったと聞きました。
どうか、一日も早く皆が良くなる医療が可能になる様、
心から願って止みません。
学会の様子を少し写してきました。
各国のパネルによる研究発表です
骨髄腫研究に大きく貢献されている薬品メーカーのデモンストレーション
上に同じ
沢山の外国からの方のためと思われる日本らしいお茶室風のコーナー
絵日傘がライトアップされとても幻想的できれいでした。
他にも食事を提供するコーナーなどがありました。
なかなか参加することのできない会に出席できいい経験になりました。