第23回 盗賊は二度仏を盗む
直虎が龍雲丸たちに井伊の家来として召し抱えたいと伝えて暫くの後、
木を伐った報酬を受け取りに、龍雲丸たちは皆で井伊谷へやって来ましたね~
心を決めて喜びいっぱいに来たみたいです
直之も六左衛門も、
つい最近、こんな風にすごんで見せておられた政次様までもが、同意を示していたのだから
当然、龍雲丸は井伊の家来になる話を受け入れるであろうと、
直虎が、皆が思っていた ワタシモモチロン
ところが、
『断りまさぁ~』
みんな驚きました、訳を言えと迫りました
『そりゃあ~空に、雲があったからでさ…』
どういうこと?
でも、龍雲丸がふと空を見上げたら
天に昇って行く龍の形をした雲を見つけたシーンがありましたよね
あの時、あ、あかん、これはやっぱり家来にはならないな
と思いました、私
龍雲丸は武家の子で、過去に何かがあった
それは何か分かりませんが、とても悲しい出来事で
龍雲丸に垣間見える心の闇の部分を形成してしまったんだなと…
あ、思い出した…
鶴丸(政次)がいつも腰に提げていた「能面」
これや…
龍雲丸も、政次も、「能面」や…
さてこの後は、また来週ということですが、
今、龍雲丸たちが、根城を構えている
「気賀」
ダウンタウンで、市場もあれば、港も宿場もある
人は多くて活気はあるし、あちこちから珍しい品物がもたらされているし、
男の人達の楽しい遊び場もありそうで、
きれぇ~なお姉ちゃんもいっぱい♪
それも飽きたら、気賀の港から船に乗って浜名湖を渡り♪
遠くは、異国の地までもパイレーツ・オブ・KIGA♪
カリブの島へでも♪
直虎が命がけで井伊家を守っていた頃からのちの、江戸時代
ここ「気賀」には、関所が置かれました
気賀関所
17世紀初め、江戸幕府が本坂通(姫街道)に設置しました
気賀関所を監理していたのは、江戸幕府の旗本の「気賀近藤氏」
直虎の時代、今川寄りだったあのモジャモジャひげの近藤康用(ヤスモチ)の子孫です
あの、近藤さんだぞ♪
関所では、「入り鉄砲に出女」を、また、浜名湖上の通行の監視もしました
気賀近藤氏は明治2年の関所廃止まで関主として支配しました
冠木(カブキ)門
関所の出入り口で、
毎日明け六つに開門し、暮れ六つに閉門しました(朝6時~夕6時)
本番所
通行の旅人や荷物を取り調べました。
本番所、中の間
取り調べの様子
本番所、上の間
家老や身分の高い人が控える間です
向番所(張番所)
足軽、中間門番が張り番をしながら休息に使用しました
内部には牢屋もあり、寒暑の厳しい時、雨雪などの時にはここで女改めを行いました
牢屋
遠見番所
遠くを見張ります
当時上階には釣鐘が掛けてあり、下の部屋には大砲が納められていました
何か事件が起きたなら、カ~ンカ~ンカ~ンと警鐘が響き渡ったのでしょうね
遠見番所の上階から写しました
町木戸門が見えます
この門を出ると、町家が続いていました
今は、おみやげやさん、食事処、産地直売所がありました
買いたくてたまらなかったのですが、まだ先の道中は長く
荷物になるものは、御法度
と、わたくし、入り女?は考えました
あゝ あの三ケ日名産の色んなおみかん、おいしそうだったなあ~
明治2年、関所廃止令が出て、気賀関所もその役目を終えました
昭和35年までは建物がほぼ現存していたのですが、次第に解体されてしまいました
大河ドラマ「おんな城主直虎」があることが分かっていたなら、
保存に力が入っていたかも(^_^;)
このエリアには、「姫様館」という資料館がありました
判監帳(このページは家康の花押)
「判鑑」 かもしれません
これは歴史民俗用語で 江戸時代,照合用として,
あらかじめ関所・番所などに届け出ておく印影の見本。
印鑑証明みたいな?
この本は、もと気賀本陣の子孫の中村家所有のものとのことで、
本陣に宿泊客の花押を照合してたのでしょうか…
徳川家康をはじめとして、大名・旗本・公家・僧侶の花押が302点あるそうです
大切なものだったのですね
気賀宿の食事
享保3年(1718) 八代将軍吉宗の生母が紀州から江戸へ向かう道中
気賀宿一泊の時のおつきの役人の朝食と夕食とみられるものを再現したもの
ヘルシーですね、中村ホテルのメニュー♪
確か、御典医の乗った駕籠とありました
救急車?
御要害堀(ゴヨウガイボリ)
関所警護のための堀で、長さ390間(約700m)ありました
舟で行き来する人も関所に入ることが出来るように、木戸が設けられていました
「舟提札・フナサゲフダ」が要ります
出入り出来る渡り場は2か所だけ
また、網打ちをはじめ殺生が禁止されてました
堀に設けられた木戸
気賀関所は、箱根関所、今切(新居)関所と共に、江戸に対する防衛の大切な関所だったのです
関所と共に、気賀宿は発展しましたが、その原点は、
直虎時代に栄えた自由な気賀の町ではないでしょうか
近藤さんも、中村与太夫さんも、瀬戸方久さんも、
気賀にとって大切な人だったのですね
「気賀」も興味深い歴史のある町です
これからもドラマの舞台になるのかな?