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第19回 果たせぬ凱旋
”互いを認めつつ 信じられない兄弟がいる
政治の頼朝 戦の義経
ふたりの天才が 手を取り合うことを
後白河法皇は 許さない”
語り 長澤まさみさん
安徳天皇と三種の神器の刀は深い海に消え、現れることはなかった
まだ海の中を探している者もいるという
鎌倉殿の側近たちは、何とか義経を鎌倉へ戻したいと策を練っていた
大江広元が思い付いたのが
義経を「受領」にしてもらうよう後白河法皇に願い出る、ということ
受領になれば検非違使と兼任できないので検非違使から外れ
鎌倉に帰って来れる
上手くいった!
と、思いきや法皇は検非違使&受領を兼任させる
そう来ましたか
法皇は何としても義経を京都に置いておきたいようです
なんで、そんなに?
朝廷のことに詳しい三善康信が鎌倉に来ていて
それを聞き、こんな裏話をしました
『法皇様は大きな力が生まれると、それにあらがう力を作ろうとなさる
鎌倉殿と九郎殿の仲が上手くいかないことを望んでおられる節があります』
さすが法皇のそばにいる人でないと言えない事です
法皇は死んだふりしてまで、義経引き留め作戦に出るし
源行家が出なくてもいいのにまた出て来て
不安をあおることばっかり言うし
これでは、義経も頼朝も惑わされますよ~毎週TVを見てるこちらも~((+_+))
気持ちが行ったり来たり、何を信じていいのやら予測不能です
法皇が 【頼朝追討】 の宣旨を出した
それを聞いた頼朝は、全軍で京を攻めると決断した
で、またここで思わぬことが
義経が失踪した、兵が集まらなかったからだ
で、次は法皇が 【義経追討】 の宣旨
裏返って裏返って裏返って
なんとまあ
畿内、西国諸国を頼朝が統治することを法皇に認めさせた
また義時は法皇にきっぱりと言った
『されど我が主は疑うております
法皇様は日本一の大天狗、お言葉を信じていいものかと』
すごい勇気の義時 でも首が飛ばなくてよかったです
義時と父時政が義経を探すために来ていた京の宿に
失踪していた義経が突如現れた
鎧兜も着けていない、薄汚れた蓑をまとった姿だった
『兄上とのことは、今から何とかならぬか』
問いかけられた義時は、法皇から義経追討の宣旨がなされたと告げる
義経は、もう何もかも終わったと思ったようだ
呆然としていた
『私の何がいけなかったのか』
義時が、義経に言った
『人をお信じになり過ぎるのです』
父時政は
『経験もないのに自信も無かったら何も出来んと、あなたは仰った
自信をつけるには何がいるか
経験でござる、まだまだこれからじゃ』
と励ますように言ったが…
『私は御台所の膝の温かさを忘れない』
『さらばじゃ』
こんな寂しいそうな顔…
この場面は辛くなります、泣きそう
奥州に行けば火種が生ずると義時に言われても奥州に行くのですよね
そばに家族のいない寂しい少年時代を平泉で過ごしたけれど、
藤原秀衡は可愛がってくれたのだと思います
頼朝軍を敵に回し勝ち目はあるのか、と義経を気に掛ける藤原秀衡
『早まったな…、九郎』
義経はいい思い出があるから戻りたいと思ったのでしょうね、平泉へ
歴史を変えることが出来るなら
誰も知らないところに行って、戦を知らない戦は出来ない若者になって
無邪気に暮らしてほしい
恐らく近々、義経の最期を見なければならない…
子供の頃、鞍馬ではどの様に暮らしていたのだろう
厳しかったでしょうね
京都の貴船から鞍馬へ抜ける道がありまして
貴船から鞍馬へ、或いはその逆を取り、歩いたことがあります
2~3回、或いはもう何度か行った気がします
太い木の根のむき出しの道を行くのですが
牛若丸はこの木の根を飛び越えたり、高い枝を飛び移ったりしてたのか…
天狗さんに習ったというが、誰やったんかなあ~
などと思いつつ登ったり下ったりしました
静かな山道ですから、淋しい道です
若い時に行ってるので、しんどかったという思いは残ってないのですが
今ならとてもとても、無理です
途中に、与謝野晶子さんの庵があったと思います
木造平屋の簡素なものだったと覚えていますが、今もあるでしょうか
与謝野晶子さんは、あの庵で義経を思われたこともあるでしょうね
貴船はシャガの花が沢山咲きますが、もうその時期は終わったかも
義経の場面を見て、なんだかうら悲しくなりました