第28回 一帝二后
” よもすがら契りしことを忘れずば
恋ひむ涙の色ぞゆかしき ”
定子は命の終わりを察していたかのような悲しい歌を残して
皇后定子、亡くなりました
出産のあとすぐとは
心身共に、しんどかったでしょうね
ききょうだけが気を許せる人だったようでした
病は気から、と言いますがその通りだなあと思います
亡くなった夫ですが、治療中比較的
元気が出ていた時があったのですが
医師から良くない検査結果を告げられた途端
病状が悪くなり、気力も無くしていきました
聞いてなかったならもう少し元気でいてくれたのでは
なんて、未練ったらしいことを…
今もそんなこと思う時があります
オリンピックがやってくると
そこそこ年月の経ったテレビはためらいなく
買い替えていました
きれいな画像で見たいんですって
2021年2024年と同じテレビ、ひとり見てます私は(^-^;
生きていたら今年は絶対買い替えていたでしょうね
今はテレビではなく水回りの修理に費用が~~(/ω\)
「光る君へ」に戻ろう!
中宮定子の元気だった頃
雪の積もった日、たくさんの友人が集まり
サロンが開かれたことがありましたね
中宮定子が
「少納言、香炉峰の雪は」
とききょうにたずねるシーン
白居易(白楽天)の漢詩「草堂題東壁」の一節
(白氏文集のなかのひとつ)
白居易(772年~846年)が817年に書いたもの
「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」
こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる
日本に伝来したのは820年以降
遣唐使廃止の894年までの間あたりで
平安文学に大きな影響を与えたという
(「枕草子」「源氏物語」は1000年頃に書かれている)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「草堂題東壁」 白居易
日高睡足猶慵起
ひたかく ねむりたりて なお おくるにものうし
小閣重衾不怕寒
しょうかく きんをかさねて かんをおそれず
遺愛寺鐘欹枕聴
いあいじのかねは まくらをそばだててきき
🔵 香炉峰雪撥簾看
こうろほうのゆきは すだれをかかげてみる
匡盧便是逃名地
きょうろはすなわち これ なをのがるるの ち
司馬仍為送老官
しばはなお ろうをおくるの かんとなす
心泰身寧是帰處
こころゆたかに みやすきは これきするところ
故郷何独在長安
こきょうなんぞ ひとりちょうあんにのみ あらんや
この詩は白居易が46歳の時
江州司馬として左遷されていた時(817年)
香炉峰のもとに草堂を建て
その東の壁に書いた詩
枕草子には次のように出てくるそうです
(中宮定子が)
『香炉峰の雪いかならむ』
と仰せらるれば
(少納言は)御格子あげさせて
御簾を高くあげたれば
(中宮は)笑わせたまふ
大石静さんのオリジナルではないんですね
枕草子にも書かれた本当にあったことが
あの時のドラマのシーンになったとは、感動です
” よもすがら契りしことを忘れずば
恋ひむ涙の色ぞゆかしき ”
定子は命の終わりを察していたかのような悲しい歌を
詠んでいたことに兄の伊周は涙に暮れた
伊周はまた、左大臣道長を恨むことになる
何ごとが起きるのか
心配です
定子の死をかけて出産した姫皇子
まひろの娘、賢子
皇后となった道長の娘、彰子
一度は危篤となった道長の快復
生と死が繰り広げられました
次はなにが起きるのでしょうか
安倍晴明は裏社会のドン、怖いです