埋木舎(うもれぎのや)
ここは、井伊直弼が青春時代を過ごした館です
大河ドラマは今、井伊万千代(のちの直政)の時代ですが
彦根藩井伊家の初代藩主が、井伊直政で江戸幕府が開かれる直前に活躍
13代藩主の井伊直弼、こちらは江戸幕府の終わり頃に大老となった人
直弼は父直中の14男として生まれ、次の代を継ぐことはないと
誰もが思いますよね
本人はどうだったのか、 こんな歌を詠んでいます
世の中をよそに見つつも埋れ木の埋もれておらむ心なき身は
そんな青春時代を埋木舎で過ごします
一体、どの様に過ごしていたのか…それは、
茶の湯、和歌、能楽(鼓も)に親しみ、のちには一流の人になります
付いたあだ名が、 「茶・歌・ポン」
茶の湯と和歌と能楽(鼓をポン!)で、ちゃかぽん、だったそうです♪
昔の人も、ニックネーム付けるの上手ですね
おまけにそれだけには留まらず、
武術、馬術、などにも長けていて、まさに文武両道に励んでいたのです
この頃は、いわゆる捨て扶持の身分で、300俵の扶持米を与えられていました
悔しい気持ちもあったでしょうね
しかし直弼は、好きなことの道で才覚を表していってます
ところが、その人生が一変します
藩主である兄、直亮の世子である直元が亡くなり直亮の養子となり江戸へ
12代藩主の直亮も亡くなり直弼が13代彦根藩主となりました
人の世って分からないものですね…
埋木舎は今は代々大久保家が当主となっています
大久保家の祖先は、井伊万千代(直政)を養育したり
家康の命により井伊家の重臣として仕えてきたりし、
井伊直弼が桜田門外で暗殺された後も明治時代になっても
彦根藩を一心に守りました
これらの功績により、井伊家より大久保家に寄贈されたのです
ところで、この大久保さんの御親戚、古くは時代劇で有名な
天下のご意見番大久保彦左衛門
小田原城主大久保忠世、この方はドラマおんな城主直虎で
織田信長が材木三千本の調達を命じていることをノブを通して
万千代が聞きだした相手ですよね
その頃から現在まで、受け継ぎ今のご当主は
第15代大久保治男さんです
埋木舎の修復など、今も大切に守っておられます
そんな話やらなんやらを、快く説明して下さった方が
この方、お名前忘れました
この門を潜り入ると、
むっとしてもどれば庭に柳かな 井伊直弼
この句の札が柳の木に付けてありました
また、お座敷には直弼の詠んだ和歌が案内文と共に掲示してあります
茶の湯とてなにか求めんいさぎよさ心の水をともにこそ汲め
埋木舎で心身を磨いた青春時代があってこそ、
彦根藩主となり、江戸幕府の大老となり、迫り来る外国から国を護り
開国の礎を創ることが出来たのかもしれませんね
親が有名でお金持ちの二世三世に多いのが
考えが甘い、ちゃらい、自立してない、結局自業自得の急降下
ゼロから頑張ってみるべきですよね
ま、元々何もなくて最後まで何も成さない者もいますけどね、ここに(>_<)
石蕗が庭のあちこちに咲いていました
山茶花がひとつ咲いていました
茶歌ポンと埋木舎に秋の声 koh