第十九回 信長を暗殺せよ
今回、能の場面が出てきました
「箙・えびら」
という演目だったそうで、足利義輝の気持ちを考え
演出されたとか
また、可能な限り、その当時の能の形に沿ったものだそうです
が、悲しいかな私、詳しくないので
今風なのか、戦国時代風なのか、全然分かりませんが、
何となく、ソーシャル・ディスタンス(^^ゞ
でも、緊迫感のある見ごたえある、ワンシーンでした
能の場面て、敵と味方の張りつめた空気が伝わりますね
信長に、毒入りの湧き水を差し出した、信勝
見破った信長に、信勝はもう許してもらえなかった
「お前が飲め!」
鬼の形相で言い放った信長
母である土田御前は、どこまでも信長には冷たかった
幼い頃に、母の大切なものをことごとく壊したと、攻める?
子供が「物」を壊しても、そこまで憎む?
確かに、子供と母親の相性はあるとは思いますが、そこまでは
信長は、寂しい子供時代だったんだな…
そして、その信長に、うそかまことか、
暗殺計画があるという
やはり、憎まれやすいところがあったのかなあ…
出る杭は打たれる
傾奇者
言うことに紗を掛けないから、キツイ
このうわさ、斎藤義龍(高政)だった
妹の旦那様ですよね
戦国時代、そんなの関係ない、のですよね
父道三が亡くなり、いやいや自ら討ち、
その後、美濃の国を守らなければならない
京での能を鑑賞の席が、好機と考えたのですね
この京での、足利義輝プロデュースの能の会
義輝が、落ち延びていた近江の朽木から戻って来たお祝いの席
なのですね
三好長慶と和睦が成り、京へ戻って来た
三好さんは、たくさんの献上の品を並べ、
深々とお辞儀されてますが、なかなかどうして、
京を牛耳っているのは三好長慶(*)
将軍義輝には、そんな力は復活していなかった
それが証拠に、諸大名に上洛するように命じても、
全然来ません
十兵衛の今いる越前の朝倉義景でも、
”わざわざ火中の栗を拾うことはない
面倒なことはご免じゃ
鷹を献上して、様子を見る”
と言って、十兵衛を代役に立てて、京に行かせましたもんね
それで、赴任早々の十兵衛、越前から京へ出張です
煕子さん、ややこが出来たとおっしゃってたけど、
ま、しゃあないか…
私かて、出産の日でも、主人は接待麻雀
そんなこと、ここに挙げたら晩までパソコン打ってんならんわ
たまには、愚痴のひとつも言いたい
そんな今日この頃です…
こうして、京へ来た十兵衛は、懐かしい方々に会えました
三淵藤英、細川藤孝兄弟
松永久秀
そして、足利将軍、善輝さま
十年ぶりにもかかわらず、お声までかけて頂いて、
二条館の能にまで誘ってくださった
信長も義輝に謁見しました
今川が尾張を攻めることを挙げ、これ以上の戦は叶わぬと
訴えた
それで義輝は、
「左京の大夫」それで引き下がらねば、「相伴衆・しょうばんしゅう」
これなら手は出せぬぞと、高い役職を与えた、太っ腹
信長は、それくらいで今川が尾張から手を引くとは思えない
そう、十兵衛に言った
こうしてみると、義輝は、十兵衛が一番好きかなと思います
十兵衛は、目立ちたがらないけど、
周りの人間に、好かれてますね♪
国の要の京を抑える者も居ない
あちこちで、暗殺計画、他人と言わず家族と言わず
ぶった斬ってますね
十兵衛も、先が見えない様子
現代も、先が見えない
敵の姿も見えない
(*)三好政権について
天文18年(1549年)から永禄11年(1568年)まで存在した
日本の武家政権である。
同時代における他の戦国大名の地方政権とは大きく異なる
中央政権であったと言われる
そのため、
織田政権に先立つ統一政権の先駆的な存在であると
評価されることもある