小川の流れにゆっくりと
さて、まひろの書く物語は
帝の心にまっすぐ語りかけています
珍しいものを見れました
「羹次・あつものついで」
鍋でもてなす平安時代の宴席、だそうです
羹(とろみのあるおつゆで肉や野菜を炊く)
もうちょっと涼しくなったらいただきたいですね
串に刺したのはかしわ?他にも何かをさしてあるような…
紙に包んで紐がかけてあるのは何かな
一人ずつのお膳でなく
四人で大きなお膳一卓を囲んでますね
道長は行成、公任、斎信を誘い
自宅、土御門殿で「羹次・あつものついで」を催しました
目的は中宮となった彰子と一条天皇
どうしたら仲良くなってくれるか
皆に策をたずねようとしたのですね
「羹次」はざっくばらんなお鍋パーティというところですか
現代といっしょ、おいしそうで楽しそう
そこで出たアイデア by行成
「枕草子」を越える面白い読み物を帝のために用意する
それを聞いた公任のアイデア
公任の妻のプロデュースする
「和歌を学ぶ会」におもしろい物語を書く者がいる
その者に物語を書かせる
名前を聞けば藤原為時の娘だという
前に「打毬」の時の地味な女
道長がドキッとした顔しましたね
まひろには反応が明らかですね~道長さん♬
夫宣孝を失ったまひろ
妻定子を失った一条天皇
苦境に立ってもまひろは強い
一心に打ち込めるものを見つけていく
娘の教育も熱心ですが、娘は嫌みたい
そのうち興味持つんでしょうがまひろは急いている
持てば、理解力はすごいと思いますが
今は時期尚早
そんな時えらいことが置きました
賢子ちゃん、行動力はまひろ並み
でも、冗談と笑ってられない事が起きました
まひろが早く見つけて大事にならなかった、よかった
吉高由里子さんの娘の賢子を叱るところが凄い!
あ~なりますよね~ 怒り心頭に
あんな迫真の演技をした人見たことないと思います
ドラマの役を演じてるのでなくほんとに怒ってた
演じっぷりに金メダルあげたい
娘の賢子は母まひろの言うことが気に入らないんですね~
漢詩は興味がないけど竹取物語は
喜んで聞いてましたね
まひろ自身の子供の頃は
父の漢詩を読むのに夢中でいつの間にか
覚えてしまったし、理解もしていた
第29回の(母として)~第30回の(つながる言の葉)
平安時代の子育ての苦労が主軸の筋書きでした
子供の好きなことに気付くのも
それを十分やらせてやるのも難しい
まひろの娘賢子は何に興味を示すのかなあ
千年もこの先もずっと伝わるだろう「源氏物語」を
残された女性と比較するなんて
おこがましいことですが
息子たちは
虫取り、魚やザリガニ釣り、ファミコン、漫画
遊ぶの大好き(^^♪
そのうち、エレキギター3人ともジャカジャカやってました
三男はやんちゃでした
あまりにも勉強してる風に見えないもので
「勉強は!」
と叱りますと
「僕は好きなことは負けたくないから一生懸命する
けど
勉強は好きでもないのでしいひん、負けてもええ」
返す言葉がありませんでした
そうですか、好きなようにして下さい
反抗期が3人とも無かったのが幸いでした
たまに口げんかしますが、あとはどちらもけろっと
逆に子供から私はどんな風に見えてたのやら
そこに愛はあるんか、なんて思われてたりして(@_@。
光る君へ
中宮となった彰子さん
ほんとに悲しそうな顔して、いつも
うるんだ目でうつむいて
見ていると可哀そうになります
帝が笛を奏でている間、顔を一度も帝に向けない
帝がそう言いますと
「笛は聞くもので見るものではないのでは」
これは驚きの切り返しでした
彰子ちゃん
今まで「おおせのままに」しか言わなかった彰子が
おかげで母の倫子さん、意気消沈
亡くなった定子を忘れられない帝と
心のかたくなな中宮彰子
帝の態度は簡単にはかわりませんね
德川14代将軍家茂の正室になった
皇女和宮さん
やがて家茂と固い絆で結ばれたとか
彰子さんもそうなってほしいですね
第28回 一帝二后
” よもすがら契りしことを忘れずば
恋ひむ涙の色ぞゆかしき ”
定子は命の終わりを察していたかのような悲しい歌を残して
皇后定子、亡くなりました
出産のあとすぐとは
心身共に、しんどかったでしょうね
ききょうだけが気を許せる人だったようでした
病は気から、と言いますがその通りだなあと思います
亡くなった夫ですが、治療中比較的
元気が出ていた時があったのですが
医師から良くない検査結果を告げられた途端
病状が悪くなり、気力も無くしていきました
聞いてなかったならもう少し元気でいてくれたのでは
なんて、未練ったらしいことを…
今もそんなこと思う時があります
オリンピックがやってくると
そこそこ年月の経ったテレビはためらいなく
買い替えていました
きれいな画像で見たいんですって
2021年2024年と同じテレビ、ひとり見てます私は(^-^;
生きていたら今年は絶対買い替えていたでしょうね
今はテレビではなく水回りの修理に費用が~~(/ω\)
「光る君へ」に戻ろう!
中宮定子の元気だった頃
雪の積もった日、たくさんの友人が集まり
サロンが開かれたことがありましたね
中宮定子が
「少納言、香炉峰の雪は」
とききょうにたずねるシーン
白居易(白楽天)の漢詩「草堂題東壁」の一節
(白氏文集のなかのひとつ)
白居易(772年~846年)が817年に書いたもの
「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」
こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる
日本に伝来したのは820年以降
遣唐使廃止の894年までの間あたりで
平安文学に大きな影響を与えたという
(「枕草子」「源氏物語」は1000年頃に書かれている)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「草堂題東壁」 白居易
日高睡足猶慵起
ひたかく ねむりたりて なお おくるにものうし
小閣重衾不怕寒
しょうかく きんをかさねて かんをおそれず
遺愛寺鐘欹枕聴
いあいじのかねは まくらをそばだててきき
🔵 香炉峰雪撥簾看
こうろほうのゆきは すだれをかかげてみる
匡盧便是逃名地
きょうろはすなわち これ なをのがるるの ち
司馬仍為送老官
しばはなお ろうをおくるの かんとなす
心泰身寧是帰處
こころゆたかに みやすきは これきするところ
故郷何独在長安
こきょうなんぞ ひとりちょうあんにのみ あらんや
この詩は白居易が46歳の時
江州司馬として左遷されていた時(817年)
香炉峰のもとに草堂を建て
その東の壁に書いた詩
枕草子には次のように出てくるそうです
(中宮定子が)
『香炉峰の雪いかならむ』
と仰せらるれば
(少納言は)御格子あげさせて
御簾を高くあげたれば
(中宮は)笑わせたまふ
大石静さんのオリジナルではないんですね
枕草子にも書かれた本当にあったことが
あの時のドラマのシーンになったとは、感動です
” よもすがら契りしことを忘れずば
恋ひむ涙の色ぞゆかしき ”
定子は命の終わりを察していたかのような悲しい歌を
詠んでいたことに兄の伊周は涙に暮れた
伊周はまた、左大臣道長を恨むことになる
何ごとが起きるのか
心配です
定子の死をかけて出産した姫皇子
まひろの娘、賢子
皇后となった道長の娘、彰子
一度は危篤となった道長の快復
生と死が繰り広げられました
次はなにが起きるのでしょうか
安倍晴明は裏社会のドン、怖いです
第27回 宿縁の命
(宿縁とは前世からの因縁)
ふたりはほんとに劇的にめぐり合いますね
びっくりです
道長が誰かにまひろの動向を見させてるのか?
百舌彦に探偵役?
どうなんでしょうか
石山寺でのふたりの逢瀬は…
「お健やかに」と別れ、去って行ったはずの道長が
一目散に戻って来ました
あの時の表情は、一途な青年の顔でした
三郎の顔でした
この辺りが、柄本佑さんの役者やなあ~と
思わせるところです、上手い
「宿縁の命」
はて、誰のことなのか分かりません
辛い悲しい一条天皇と中宮定子のこと?
まひろと道長?
あるいは一条天皇の母詮子?
思いもよらぬ息子の言葉に胸を痛めます
今までずっと母のことばに従ってきたけれど
反抗期がやってきたのでしょうか
又は、道長の娘の彰子?
「おおせのままに」
としか言わない暗いイメージの女の子が入内
親の言うがままですが、そもそも
道長は入内に反対だったが安倍晴明が
「全てが上手くいく」
そう占ったのでしたね
晴明は裏で大きな力を放っています
これはしいては自分、晴明の「運⤴」なのか
中野信子さんという脳科学者さんが仰るには
「自分を大切にすれば運のいい人になれる」
へえ~
まひろは、トラブルがあってもなんか
結局いい流れにのってませんか
運のいい人かもしれない
賢い人、プライドの高い人、勉強熱心な人ですが
研さんを積んでおられる
自分の努力無くして身は立たず、ということかな
さて、もう越前のことは何もお話に上がりません
為時さまはどうしておられるのでしょうか
身の回りのことはそういうお役目の方が?
独身の為時さまも怖い娘が京へ帰り
羽を伸ばしてるかなあ~
ベビーラッシュでしたね
一条天皇と定子に皇子
まひろと宣孝に娘……そっとしておきますか
宣孝は重要な役目を仰せつかったし
仲直りも出来たし
こんなに懐の深い男性そうはいませんよね
まひろがすきなんですね~💗
道長はやはり根が人柄のいい人で
周囲の公任、行成、斎信、花山院まで
彰子入内の応援に回りました
応援とは屏風に歌を書いた色紙を貼ることで
それは道長指示を示すことになる
入内の彰子を後押しするものである
大変重要なお嫁入り道具になったと言うことでしょうか
美しい行成の文字で書かれた歌、屏風は
今も残っている?いないのでしょうね
道長の心労は如何ばかりだったのでしょうか
体調がすぐれないようですが
第26回 いけにえの姫
おそろしい傍題ですね~でも
いつものオープニングのテーマに癒されました
ピアノの音がぐっと前に出てくるところ
何度聴いても引き込まれます
素人の私が聞いても「ぽ~ん」でも「じゃ~ん」でも
心地いい
ピアノはこの辺で
道長は安倍晴明にお伺いを立てました
長徳四(998)年10月1日
日食と地震がこの日に起きた
(何百年前の記録があるんですね~
物語に出て来るものだったり
それ相応の調査によるものだったり
文字で残っていたり
前世の人達すごいですね)
その被害は甚大だった
道長は、この天変地異はまだまだ続くのかと
安倍晴明
『あめつちの乱れは帝の御心を正しきところに
直すしかない』
陰陽師はいろいろ研究しているのですね
天文学、政治、科学、心理学まで?
うさんくさい占い師でなく
れっきとした律令制にのっとった官僚なんですね
中務省に属し
「占い・天文・時・暦」の編纂担当
またの名を「うらのつかさ」
「うら」なんですね(''ω'')
「源氏物語」の中でも
災害は帝の失政のせいであると判断される
似たようなエピソードが書かれているのが
⇩
源氏物語「薄雲」の巻
⇩
この絵の解説
(山荘に明石の御方を訪れる源氏
源氏は姫君を二条の院に引き取ったあと
山荘に明石の御方を見舞い明石を思わせる
大堰の風景に時を過ごした~大堰は嵐山にある)
”その時、おほかた世の中騒がしくて
おほやけざまのもののさとししげく
のどかならで天つ空にも例に違へる
月日星の光見え
雲のたたずまひありとのみ
世の人おどろくこと多くて
道々の勘文どもたてまつれるにも
あやしく世になべてならぬことどもまじりたり
内の大臣のみなむ
御心のうちにわづらはしくおぼし知ることありける”
(帝の行動が正されない限り
天変地異はまた起きる)
ということでしょうか
天象は天子を諭している
帝や為政者は民をいつも大切に思い
良い政治を行うこと
なんだそうです
今日は東京都知事選挙投票~開票の日なのですね
なぜ今日は「光る君へ」の放送がないのかと思ったら
これだったのか
立候補者は56人❣
選挙管理委員会も大変ですねこれだけの立候補者ですと
ドラマ「光る君」は?
びっくりしました
晴明の見立てにより
道長は娘を入内させることを決めた
「仰せのままに」
表情も乏しく、消え入りそうな声で
仰せのままに…ばかりの彰子さん
でも芯はしっかりしてる気がしなくもありません
なんちゅうても
父母ともに、幼い頃はそんな感じだったが
今や、トップを走っています
現代の有名な方々
幼い頃は引っ込み思案でした、とよく聞きますもの
その方がじっくり世間を見て来ておられるかも
私なんか、道路で缶蹴って町内中を
追っかけたり追っかけられたり
真っ黒に日焼けして外で遊んでた
「女子力ゼロ」の女子でした
活発だった
これといって成したものはなかった
成さぬゆえ成らぬ人生でした(@_@。
彰子姫は一条天皇を制するのでしょうか
一条天皇を制する者は後宮を制す
(どうですかね~)
さて、いけにえには絶対ならない感じの女性を
忘れてはならない、この方はどうなるのか
まひろ
まだ宣孝とは新婚さんのうちですよね
夫婦げんか勃発です
まひろが宣孝にキレたのは
「おまえのそういうかわいげのないところに
左大臣様も嫌気がさしたのではないか
わかるなあ~」
まひろからの文を宣孝が
あちこちで見せびらかしていたことを知り
怒ったのが、もめ事の発端
どうなるのでしょうか
どうなるのかと思えば
気晴らしなのか、家中の者たちと石山寺詣でに
行った時の事
読経を終えたそこへ、道長が現れた!
そんなことがあるのですか、ほんとに
間が良すぎるのでは?或いは間が悪いのか?
まひろは団体で来てるんですし
道長は、ひとり?団体?
本日は、知事選挙結果の確認を
第25回 決意
長徳二(996)年夏~三(997)年秋
わずか一年の越前滞在でしたね
周明はどうしてるかな
周明は恩人と仕事を選んだ
まひろはなんでもなかったんでしょうね
かつてまひろは姜は嫌
自分の生まれてきた意味を探すと、道長と別れた
まひろは心が強い
恋に揺れる心より、プライドある道を行きたい
それだけの才能が自分にはある
そんなかんじでしょうか
「虎に翼」では、愛だよ!
と多岐川家庭局々長何度もおっしゃってますが
まひろは宣孝からのしつこいほどのプロポーズの手紙に
京へもどる決心をしたようでした
「私は不実な女でございます」
「わしも不実だ あいこである」
おふたり、喧嘩が絶えない気がする…
父、為時も反対してそうにないですね
越前から京へ行くように勧めたくらいですから
逆に、宣孝の世渡り上手なところを感心していた
越前の役人と、紙漉き職人の間の様々な暗黙の了解
恒例になっている収賄
こういう時
「清も濁も併せのむ事の出来る宣孝に対して
わしは世の中が見えていない」
と為時消沈
左大臣として政に追われる藤原道長
おっとりして政治に関心なさそうだった三郎時代は
もう終わりました
下の者に(周りはほぼ下ですが)
パワーを見せます
中でも 対 藤原行成
一条天皇の蔵人の頭であり道長の後輩で信頼できる側近
一条天皇と道長の橋渡しに苦戦してますが
道長は容赦なしで何度もお願いに行かせます
気弱な優しい行成、泣きそうでしたね
またもや成立ならず
とうとう道長の選択は、荒手を使う
言い目が出るか悪い目が出るか、紙一重
それは 「辞表」
鴨川の氾濫で民に大きな被害を被らせた
自分の判断の遅さだと、帝の前で平身低頭
一条天皇に三回の辞表を差し出すもすべて却下
もしかして道長は却下を見込んでの
辞表提出の策だったのでしょうか
若い時の出来事で打毬の大会のことですが
公任、斎信(ただのぶ)道長
あの時は行成が体調が悪いと来なかったので
散楽の直秀がピンチヒッターだったなあ~~
行成は、スポーツはどうなのかな
でもすごい能書家で、道長の代筆もしてましたね
そう言えば、まひろの宣孝との結婚を祝し
立派なお祝いの品の数々に添えられた手紙
まひろは「あの人の字じゃない」
と言うことは、行成の代筆でしょうね
道長が代筆を選んだ心境、私には分かる
お嫁に行ってしまう悔しさ
まひろに精一杯のあらがいをぶつけつつ
平常心を装いたかった、と
ちょっとひねくれた、いけず手法
ん~京都人は今も(いけず)と言われてます(/ω\)
道長一応、ヒット
まひろ、ちょっと悲しそうな顔しましたもの
その道長へ返事を書いて、紫の花は桔梗?
昔はあさがおと言ったとか
その花に文を結び、昔のように乙丸に託しました
どんなことが書いてあるのか、気になりますが
ここでドラマは
「つづく」
「光る君へ」は恋の物語ですねやっぱり
争いごとは、描かれても恋の話の前には
薄らいでしまいます
画面も美しいですね
雪の舞うころに通事殺人事件
為時赴任早々の地でいきなりの大事件とは
はじめは宋の長の「朱仁聡(ジュ・レンツォン)が
犯人と言われたが、それは冤罪
原因は賄賂
計画的な殺人ではなかったのですけど
国対国の争いごとですし
戦争にまで発展はぜずよかったです
あの真面目そうな通事の三国も
賄賂をむさぼる人間でした
源光雅が部下に「朱が犯人」と嘘を言わせたらしく
周明の連れて来た証人の言葉にて
為時は朱は無実とし
越前国府の官吏、源光雅を年内謹慎とした
宋にはこれで筋は通った、のかな?
遠く離れた京の都では
一条天皇の定子への想いが深いが
落飾した者が内裏に戻ることは違反であり
こちらが難問
怒り心頭の実資曰く
「前代未聞 空前絶後 世に試しなし!」
周りの者たちが、あれやこれやと手をうつものの…
道長とその姉の詮子が、こんな話を
詮子が、一条天皇の定子への想いについて
「強い思いが理解できる?」
道長
「私にも妻がふたりおりますが
心は違う女を求めております
己ではどうすることもできませぬ」
あらまあ
「心は違う女を求めている」
道長さんそんなこと言いますか
おっとり、朴訥な男子と思ってましたが
やはり、左大臣ともなれば変わるんですね~
詮子「誰かいると思っていたのよね」
道長「されど終わった話、捨てられました」
姉の詮子が道長を捨てる女がいたとはと
驚いてます
そう、確かにあの道長のだれかの問いかけに対し
「ん?」とか「そうか」とか力の抜けた
少しとぼけたような返しがいいですね~♡
藤原一家、久々の明るいくだけた会話が、いい♪
その終わった女性
今は越前で新しい体験してますよ
なかなか隅に置けません(^O^)/
周明と仲良くなりました
中国語、あっという間に覚えて驚かし
しかし
周明の
「なぜ朝廷は宋との商いを嫌がるのか」
の疑問に
「分からない、なぜあの人はそこまでかたくななのかしら」
周明はすかさず
「あの人とは誰か?」
と問い返した
まずい!
周明と気心がしれたはいいけど
その人脈は明かさないほうが…
悪い方に走らないといいのですが
さて、藤原宣孝
越前に来ました
海岸で周明と仲良さそうなまひろを見て
心中穏かでは無さそうです
宣孝はだいたい親戚の叔父さんですし
為時とは仕事の同僚でもある
まひろへの話し方が親戚のおっちゃんそのもの
調子が良く、言いたいこと言うし(; ・`д・´)
でも、おみやげいっぱい♪
そんな宣孝が
「わしの妻になれ」
命令口調で?
まひろにどう伝わるでしょうか
宣孝「あの宋人と海を渡ってみたとて
忘れえぬ人からは逃げられまい」
宣孝はだれをもって「忘れえぬ人」と言ったのでしょう
更に、押します、宣孝
「ありのままのお前を丸ごと引き受ける
忘れえぬ人のことも
それが出来るのはわしだけだ
都で待っている」
決然と言ってのけ
疾風のように去っていきました
京都の佐々木酒造の(聚楽第)(古都)は辛口のお酒
(聚楽第)は飲んだことあります
日本酒、詳しないですけど美味しかったです
藤原宣孝役の佐々木蔵之介さんは
佐々木酒造の跡取りさんだったけど
芝居の道を選ばれ今は弟さんが継いでおられるとか
妹の嫁ぎ先や私の実家と目と鼻の先でした
周明もまひろを誘いました
宋へ二人で行くために、道長に手紙を書いてほしいとか
突然抱きしめたりとか
焦ってましたね
まひろは、勘が鋭い
嫌いではないし、宋に行ってみたいけど
裏になにかを潜めてると気付いた
周明は意に反する言葉を言わざるを得なかった
両国の国交を進めて
朱に功を認めてほしい
そんな焦る気持ちがあったでしょうが
あの会話の流れでは絶対無理ですね
賢く勘の鋭いまひろには通じない
周明、可哀そうですが失敗です
「忘れえぬ人」問題はどうする
道長とは想いは深いのに行動は冷静でした
もう一歩。
が出なかった
宣孝へは思いが深くない分軽く付き合える
そうですか…
そう考えますか…
周明はそれ以来顔を見せなくなった
周明はことの顛末を朱に報告し丁重に詫びた
「まひろの心の中に入ることが出来なかった」
朱
「お前の心の中からは消え去るといいな」
優しい主人ですね朱さん
「謝々・シェシェ・ありがとう」
「再見・ザイチェン・又会いましょう」
「我愛你・ウォーアイニー・愛しています」
なんてね(^-^;
そして、内裏では一条天皇を中心に
定子のことなどで揺れ動いています
どうまとまるのでしょうか
それに気になるのが、為時
まひろが宣孝の妻になると行った時
腰がギクッときてましたが、どうなったのやら
周明は針治療に来てくれません…
旅立ちから 越前の出会いへ
まひろは何の迷いも不安もなく
新しい道を歩き出しましたね
友人のききょうは悩んでいた
生きていくことに絶望を感じている定子を
どうしてあげればいいかと
まひろは
四季の様子に思うことを書いてあげればと
提案した
そしてこれが 「枕草子」となる
「源氏物語」と同時代の清少納言の「枕草子」
残ったんですね~
と言ってはみても
私は読んだことがありません(*_*;
奇怪なこと
伊周、隆家、定子、母の高階貴子を
どん底に追いやったのは道長なのか?
これをまひろは道長直接に聞きたかったんですね
表情から 「潔白」と審判を下したけど…
思うに…、グレー?
そして、「越前に行って生まれ変わる」
まひろはそう告げて道長と別れた
十年経ったようだが、二人の気持ちは…
父為時は出立前に、道長に招かれた
お別れの盃で送り出してくれるのかと
思ったのですが
「宋人たちは国同士の商いを求めている
だが、それには朝廷は応じないこと
速やかに帰国させることこれが越前の守の役目」
と、道長は仕事きっちりですね
釘を刺された為時さん
でも為時は謹厳実直ですから
さあ、びわ湖を舟で行くぞーー
琵琶湖を、あっという間
でも、
舟三艘の湖面を行くのを空から見たシーン
大雨の中を浜に上がるシーン
晴れも雨も素晴らしい景色でした
さて、越前での出会い
予告シーンで宋の人らしき若者(松下洸平さん)
ちょこっと出てましたが
是 誰
shi shei
まひろとこの方どんなことが起きるのでしょうか
まひろは何にでも前向きですね
越前の守の娘ながらすぐれたアドバイザーです
長徳二年(996)
為時ら一行は琵琶湖の舟旅を終えると
越前への道を進みました
ネットで少し調べたのですが
”近江塩津辺りから福井県敦賀市への古道”
万葉歌人や紫式部が父に同行して越前に行くのに通った道
「深坂古道」
「旧塩津街道」
地蔵尊があり「堀止め地蔵」とも言う
伝説が残っているようですが省かせて頂きます(^-^;
(塩津山を行く人足よ
そなた達も人生の道はこの峠のように
険しいと知っているだろうに)
~紫式部集より~
人足たちが峠で愚痴っているのを聞いて詠んだそう
ですが、高飛車感あり
「塩かけ地蔵」の名も残るのはこの道が
塩、海の幸、米などを畿内へ運ぶ街道だったから
越前の国府に入る前に
宋人の滞在している敦賀の
「松原客館」(迎賓館)に立ち寄りましたね
仕事きっちり感が出てます、為時さん
早速聞こえて来たのは
宋人たちの、やいやい言っている声もめ事?
「粛静」
Sujing
為時の宋の言葉、ここで初発声です
すると宋の人たちは為時の周りに集まり
不満を訴えているようでした
その場に宋人の長らしき人
と
日本人で通訳らしき人
さあ、前途多難の雰囲気
そんな様子を距離をおいて見ている若者
予告シーンで見た人が早くも登場です!
まひろは海岸に行った時その人がいて少し話した
夜に宴が催された
宋人の長が翌日には越前に向かう為時一行を
宋人の長らがもてなしてくれたのだ
まひろは海辺で会った宋人と庭で話す機会があった
再見
Zaichen
との言葉を残し宋人は館へ帰って行った
翌日為時御一行、越前国府に到着です
越前はたいへん豪華で贅沢だった
公の館からまひろの部屋までも贅沢な設えだった
館、文房具、和紙もすごいらしい
「越前和紙」
は、1500年の歴史があり
最高の技術で生まれる最高の品質
雁皮を原料にしているんですね
楮、三椏、雁皮
原料はこの3つが有名ですが
越前和紙は「雁皮」
これは「紙の王様」と呼ばれる
光沢・緻密・粘り・滑らかな感触・虫害がない
「雁皮」は「鳥の子」とも言う
それで思い出しました
うちの父は仕事上、紙は必ずいるもの
「鳥の子、鳥の子」
とよく言ってたのを思い出しました
何十年ぶりに思い出したのか? 懐かしい
はっきりとは覚えていませんが
年賀状やお香の店の使うもの
他にはやはりスペシャル感です
上質。と言ってた記憶があります
記憶って思わぬところから出てくるもんですね
びっくりしてます
まひろはその紙に和歌を書きましたね
30cmx25cm強の透け感のある
うすむらさき色の雲のたなびいているような地模様
そこにまひろは細筆で優しい文字を
ああ~全然読めません<m(__)m>
「かきくもり ゆうだつなみの あらければ
うきたるふねぞ しづこころなき」
新古今集 紫式部
(空が急に暗く夕立になって波も荒くなったら
湖水に浮かぶ舟に乗っている私は
気が気ではありません)
琵琶湖を舟で行く時夕立に会い
不安になってたのでしょうか
さていよいよ行政ですが
越前からわいろが早速来る
それを拒むと嫌がらせ、為時は頭を抱えています
なんと、通事の三国若麻呂が殺された
すると越前大掾(だいじょう)の大野国勝が
宋の長、朱仁聡(ジュレンツォン)が犯人だと
捕らえた
為時の考えは、朱はそんな人ではない
父は胃痛がするほど思い悩んでいる
まひろは道長に「報・連・相」
お得意の手紙を書いた
為時は、心痛は胃にも至り
宋の医者に針治療を受ける
その医者は、あの若者「周明/ヂョウミン」
まひろは「ヂョウミン シェシェ」
とにかく、国対国の問題で
間違いがあれば国の信用にかかわると
為時は動揺している
京で道長は道長で、
おれの決断は国の決断となると
つぎつぎ起こる難題に頭を抱えていた
そんなところに、越前のもめ事の文
「越前のことは越前でなんとかせよ」
という返事
はて、信頼されているのか
めんどくさがられているのか
明らかにしなければならないのは
三国さんがだれに、なぜ、殺されたのかです
京から遠く、穢れを知らないと思った国も
のぞいてみれば、どろどろ
越前の海のように澄んではいなかった
為時もまひろも、のほほんとはしていられない
宋の珍しい料理は食べたけれど、肝心の
越前の🦀 まだご賞味ないのでしょ
すまじきものは宮仕え
すまじき=するまじき、から来てるのかなあ~