いまや国際社会のなかでも“ひとり負け”の感が否めない日本経済だが、わずか30年前には未曾有のバブル景気に列島が沸き立っていた。当時、日本の地価の総額はアメリカ全体の4倍ともいわれ、土地・株・カネが飛び交う狂乱のなか、得体の知れないバブル紳士が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、数多のスキャンダルが世の中を賑わせた。令和の世とは何もかもがケタ違いな、バブル期を象徴する人々が関わった“事件”を振り返ってみたい。
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公称827万世帯を擁する創価学会は、年間2千億円や3千億円の財務(寄付)を集めていたという。33年前、池田大作名誉会長の側近が1億7500万円の入った金庫を捨てた事件で、学会はその金満体質を指弾されたのだ。(本記事は「週刊新潮 別冊〈昭和とバブルの影法師〉2017年8月30日号」に掲載された内容を転載したものです)
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1989年の東京都議選は、奇しくも今年の都議選と同じ6月23日告示・7月2日投票という日程で行われた。横浜市旭区のゴミ処分場で大量の「聖徳太子」が宙を舞うという“怪事件”が発生したのは、都議会選挙真っ只中の89年6月30日であった。
ゴミとして出された古金庫を解体するため、廃棄物処理会社の社員がパワーショベルで5メートルほど釣り上げた。すると、金庫の扉が開き、二つの紙袋と共に旧1万円札がバラバラと舞い落ちてきたのである。
金庫の中に入っていたのは合計1億7500万円。およそ半分は新札で、中には「1千万円」と印字された帯封がついた札束もあったという。
世はまさにバブル絶頂期である。同年4月には、川崎市の竹やぶで、計2億3500万円が入ったバッグと手提げ袋が発見された。金余りの世相だったとはいえ、億単位の現金が相次いで捨てられるという異常事態は、“金満ニッポン”を象徴するミステリーとして世間の関心を呼んだ。
横浜の金庫事件は、特に不可解なものだった。すぐに金庫は、ゴミ収集業者が、創価学会の外郭企業で、創価学会の機関紙・聖教新聞の輸送などを請け負っている日本図書輸送の埼玉県・戸田営業所で回収したものと判明。公明党の支持母体で日本最大の新興宗教教団である創価学会の関与が浮上したことで、マスコミも色めき立った。
公明党元副委員長の二見伸明氏がこう回想する。
「事件発生直後は、創価学会と無関係と思っていたので、川崎の事件の記憶もあり、またかという感じでした。が、すぐに日本図書輸送の関与が浮上し、びっくりしたのを覚えています。学会や公明党にも激震が走りました」
創価学会が緊急会見を開いたのは、都議選が終わった翌日の7月3日夜。学会総務で聖教新聞社元専務理事の中西治雄氏(60)=当時=が、「現金も金庫も私のもの」と名乗り出たのだ。
中西氏は、1億7500万円は、71年からの3年間に、創価学会が信徒団体として所属していた日蓮正宗の総本山・大石寺の売店で販売した記念品や土産物の利益で、脱税した金。金庫に入れたままにしていたが、聖教新聞の地下倉庫に置き忘れていたと説明した。もっとも、会見はシドロモドロで、集まった記者の失笑を買ったという。取材した記者によれば、
「なぜなら1億7500万円には市中に出回ることのない『官封券』が含まれていたからです。この官封券は需要が高いため、銀行が特別な顧客にのみ渡す特殊な紙幣です。毎年1千億円単位の『財務』(寄付)を集めるとされる大口取引先の創価学会なら入手可能だが、チマチマと売店で土産物を売って得た金に含まれる性質のものではありません。その点を指摘されると、中西さんは答えに窮していました」
◆陸軍幼年学校出身
その上中西氏は、池田大作名誉会長の腹心の部下であり、「池田大作の金庫番」「創価学会の大蔵大臣」「陰の会長」などと呼ばれる人物だった。
「中西氏が名乗り出たと聞いた際は、まず耳を疑いました。同時に、池田先生がらみの何かを背負っていると感じました」(二見氏)
1億7500万円は、池田名誉会長、もしくは創価学会の裏金ではないかと疑われたのだ。
さらに、その後、
「中西氏の自宅に350万円の根抵当権が設定されていることも明らかになり、中西氏個人の金ではないとの見方に拍車がかかった。つまり、1億7500万円の隠し金があるなら、たった350万円を借金するのは不自然ではないかというわけです」(先の記者)
小川頼宣・元学会広報部副部長が振り返る。
「中西さんは陸軍幼年学校出身で、謹厳実直を絵に描いたような真面目な人物。池田さんの忠臣でした。彼が勝手に大石寺の売店で儲けて、その利益を隠していたなど有り得ません。ウソをつくにしても、もう少し説得力がないと。事情があって、彼が泥を被ったと見るべきでしょう」
創価学会は、その後も金は中西氏個人のものであり、学会は関係ないとの姿勢を貫く。7月23日に行われた参議院議員選挙で、公明党は比例区で前回比134万票減という大敗を喫した。
「あの頃は日本中がバブルで浮かれていましたからね。本来、そういう風潮を抑制すべき宗教団体の金銭スキャンダルは、イメージが悪過ぎた。参院選は大逆風で、負けたのも間違いなく金庫事件の影響です」(二見氏)
10月になって警察は捜査を終了。1億7500万円は中西氏に返還された。彼は記者会見を開き、拾得者に報労金として2600万円、日本赤十字社に1億1千万円寄付することを明らかにした。
とはいえ、創価学会とすれば、組織としてのケジメを付けねばならない。中西氏の退会届を受理するとともに、「不当な利益追求であり、断じて許しがたい」として、聖教新聞社も彼を懲戒免職にしたのだ。
当局は、既に脱税の時効5年が過ぎていたこともあり、立件は見送った。カネの出所については疑問を残したまま、これで事件は終息したかに見えた。
ところが、国税庁は90年になって、突如創価学会への税務調査を行った。
創価学会への調査を担当したのは、通称「料調」と呼ばれる東京国税局直税部資料調査課だった。「料調」は事件化していない大口・悪質な案件を何年にもわたって執拗に調査することから、「マルサより怖い」と呼ばれる存在。以後3年間にわたって創価学会は、厳しい税務調査にさらされる。その発端となったのが、この「中西金庫事件」だったのである。
矢野絢也・元公明党委員長は、著書『乱脈経理』(2011年)で、この時の税務調査を、池田名誉会長や秋谷栄之助会長(当時)の指示・依頼に基づいて妨害したと暴露した。
池田氏の所得問題や創価学会財産の公私混同疑惑をはじめ、数多くの問題が残った。自公連立政権は、そうした税務調査のトラウマと、その後の調査を阻止するための選択だったと指摘している。二見氏もこう総括する。
「金庫事件から税務調査に至る動きは創価学会、なかんずく池田氏を震撼させた。また、それ以前から池田氏の証人喚問も恐れていましたからね。結局、学会や公明党は税務調査の阻止や池田氏を守るために、細川連立政権、自公連立政権と政権与党入りを選択することになったといえます」
バブル時代の徒花(あだばな)、「中西金庫事件」は、今日の政治状況を生むきっかけの一つといえる。日本の政治に与えた影響は、決して小さくないのだ。
なお、今年88歳になった中西氏は、事件以後、口を閉ざしたままだ。2011年には、創価学会が不倶戴天の敵とする日蓮正宗に帰依した。それは、関係者の間では学会への“無言の抵抗”だといわれている。 ■デイリー新潮編集部