【卓上四季・10.10】:政治屋ではなく政治家を
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【卓上四季・10.10】:政治屋ではなく政治家を
毎度ながら不思議な光景であった。いや、むしろ奇妙というべきか。きのう午後の衆院本会議場。紫のふくさに包まれ、しずしずと運ばれた解散詔書を議長が朗読する。そのとたん、議場の与党議員らが「万歳」と叫ぶ
▼前回の選挙を勝ち抜いた議員にとって、解散とは自らの失職を意味する。つまり失業だ。ちっともめでたくなかろうに。なぜかは諸説ある。選挙を前に気勢を上げている。首を切られ、やけくそになっている…。もっとも定説はないようだ
▼なんともドタバタした運びだった。新しい首相の就任からたったの8日後。解散から投開票まで20日足らずだ
▼党首討論は時間が延長されたものの、論議は一向に深まらなかった。一体なんのための解散なのか。裏金隠し、争点隠しだ―。渦巻く批判に与党はどう答えるのだろう
▼とはいえ、賽(さい)は投げられた。3年ぶりの総選挙だ。この期間の自公政権を採点する大切な機会にもなる。1票を初めて投じる人、何度も経験がある人、それぞれの立場で思案したい。ちいさな1票だとしても、その集合が民意として表れる
▼どう選択すればよいのだろうか。リンカーンと同時代を生きた米国の宗教家ジェームス・F・クラークの言葉を引こう。<政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の時代のことを考える>。じっくり見定めたい。
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【卓上四季】 2024年10月10日 04:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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