【社説・05.03】:きょう憲法記念日 国民主権を取り戻す時だ
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・05.03】:きょう憲法記念日 国民主権を取り戻す時だ
日本国憲法の施行から77年がたった。自民党派閥の裏金問題を巡り、かつてない深刻な政治不信が渦巻く中で憲法記念日を迎えた。
政治とは誰のもので、誰のためにあるのか。民主政治の原理を根本から問わねばならない事態だ。
答えは憲法前文にある。主権は国民にあると宣言し、こう続く。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
厳粛な信託を受け憲法擁護義務を負う代表者、つまり国会議員が裏金をつくり、信頼を失墜した。憲政の危機だ。信を失った人たちに憲法改定を議論する資格はない。
国民主権を取り戻し、議会制民主主義を鍛え直す。それが今日、国の最高法規の憲法が私たちに課す最重要の命題ではないか。
■政治に緊張感与えよ
政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるよう政治資金の収支を公開し、政治活動の公明と公正を確保し「もって民主政治の健全な発達に寄与する」。政治資金規正法は目的をこう記す。
それと正反対に収支を監視から遮断する。政党が支給する政策活動費を、自民党は「政治活動の自由」を盾に使途の公開すら拒む。
第2次安倍晋三政権下の森友学園、桜を見る会の問題では、決裁文書改ざん、事実と異なる数々の首相答弁など、隠蔽(いんぺい)体質が真相究明を阻んだ。裏金問題と同根だ。
長く続いた1強多弱の政治が権力のおごりを生み、不正の土壌になってきたのではないか。
国民の側も問われている。
国政に強い関心を持ち続け、不正に毅然(きぜん)と抗議の声を上げる。信を託すに値しないと判断したら選挙で厳しい審判を下す。そうやって政治に常に緊張感を与えるのは、主権者の責務でもある。
■再び破局へ進まぬか
1946年11月の憲法公布に際し、衆院憲法改正特別委員会の委員長を務めた芦田均は次のような趣旨のことを書き残した。
明治期の自由民権思想は結実しなかった。自由思想の成熟すべき地盤が用意されていなかった。
古来わが社会生活は、個人が集団の内に埋没して、人格の自主自由に基づく個性の独立という現象は極めて希薄であった。
従って満州事変以降、政権が武門の手に移っても、議会、国民共に立憲政治を擁護する情熱に乏しく、面従腹背の日を重ねて今日の悲運を招いたのである。
吾等は改めて民主主義の真髄を体得する必要に迫られた。(「新憲法解釈」)
民主主義の基盤の弱さから、軍部の独走を許し破局に至った。過去の話と片付けられようか。
安倍政権は知る権利を脅かす特定秘密保護法制定や集団的自衛権の行使容認など、日本を「戦争ができる国」に導く道を進んだ。
岸田文雄政権は敵基地攻撃能力の保有を認め、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の輸出解禁を閣議決定した。
まともな国会論議がないまま、武力による国際紛争の解決を否定した憲法9条の空洞化が進んだ。
今国会では秘密保護法制の拡大を主眼とし、保護対象を経済安全保障分野にも広げる「重要経済安保情報保護・活用法案」が衆院を通過した。
憲法が国家権力を縛る立憲主義をないがしろにし、国家が国民を監視し統制を強める。立法府による行政府へのチェックが弱く、三権分立も十分に機能していない。
その結果、国が誤った方向に進んでいるとも気付かず、気付いても正すことができなくなる―。
私たちはいつか来た道を歩んでいるかもしれないとの認識を持ち、権力を監視する必要がある。
■「任期延長」の危うさ
衆院憲法審査会では大規模災害や武力攻撃など緊急事態時の国会議員の任期延長を中心に、自民、公明、日本維新の会、国民民主の4党が条文案作成を求めている。
だが憲法54条は、衆院解散後に緊急の必要があるときに備えた参院の緊急集会を規定している。
そこに屋上屋を架すような任期延長は、有権者が選挙権を行使できなくなり、国民主権が侵害される危険性に警戒が必要だ。政権の延命に利用される恐れがある。
大規模災害や感染症のまん延などの際、国が自治体に「指示権」を行使できる条項を盛り込んだ地方自治法改正案も提出された。
憲法の緊急事態条項新設へとつなげる狙いが透けて見える。
安倍政権では、憲法53条に基づいて野党が臨時国会の召集を求めても政府は無視し、大義の乏しい衆院解散を繰り返した。
立憲主義軽視の政権が、「緊急事態」を口実にさらに恣意(しい)的な権力の行使を可能とするような改憲は認められない。
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年05月03日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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