【社説】:最高裁の謝罪 少年記録の価値再認識を
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説】:最高裁の謝罪 少年記録の価値再認識を
最高裁が自らの認識の至らなさを認めて、国民に謝罪した。極めて異例のことではあるが、この問題の結末としては当然だろう。
神戸市の連続児童殺傷事件(1997年)など、社会の耳目を集めた少年事件の記録が廃棄された一連の事実が表面化して半年余りになる。当初は事実関係や原因を「調べない」としていた。
報告書をまとめた有識者の調査によって事の重大性に気付いたというのなら、法の番人としてはあまりにお粗末ではないだろうか。
例えば報告書によると、神戸の事件は「少年事件は非公開であり、記録を使うことはないと判断した」という。長崎県佐世保市小学6年同級生殺害事件(2004年)については「地域限定的な事件と考えた」とされる。
事件が世の中に与えた影響や私たちが考えるべき教訓という観点からも、にわかには信じ難い認識だ。
最高裁の内規は少年事件の記録保存期間を、少年が26歳になるまでと規定し、さらに史料的価値が高い事件の記録は「特別保存」として永久に保管するよう定める。
事件数の増加に伴い記録庫の狭さなどが問題になり、最高裁は1992年ごろに、保存記録の膨大化防止を強く求めた。これが「記録は原則廃棄」との認識を全国の裁判所組織全体に広めたという。
社会のデジタル化が進んでいない時代のことではある。それでも「記録は歴史的、社会的意義を有する国民共有の財産」という意識が欠如していたとの批判は免れないだろう。保管スペースの問題は工夫次第で解決が可能ではないだろうか。
過去には、重要な憲法判断が示された民事裁判記録の廃棄も明らかになっている。
裁判記録は、証拠に基づき司法判断が下された経緯と結果に関する貴重な1次史料である。将来の法研究や事件検証で大きな役割を果たす。
とりわけ非公開が原則の少年事件の捜査や審判の記録には再発防止などを考える多くの手掛かりがあるはずだ。将来は公開や活用できる制度になる可能性はある。記録廃棄に対し被害者家族には「いつか全ての記録を閲覧でき、事件の真相に近づけるかもしれないという淡い期待を奪い去った」との声もある。
報告書は再発防止に向けて最高裁に、具体的な保存法の検討と記録を保存する意義と理念を示すよう求めた。
最高裁には、とかく内向きになりがちな裁判所組織を社会に開くことを訴えたい。永久保存する事件の選別に限らず外部の専門家らの声に耳を傾けることが不可欠だ。最高裁に今後常設されるという第三者委員会には注目したい。
元稿:西日本新聞社 朝刊 主要ニュース オピニオン 【社説】 2023年05月27日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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