愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

国民の生活改善を応援できるかどうか、試されているメディアの「価値観」

2012-01-04 | 日記

元日の「信濃毎日」の社説に「新たな価値観を育む」「新しい共同体を形づくる」こんなことが書かれていた。
http://www.shinmai.co.jp/news/20120101/KT111231ETI090001000.html

>日々の暮らしで突き当たることや不安に思うことの原因がどこにあるのか。それぞれが考え、一つ一つの問題の結び目をほどいていかなければならない。 政治や経済が、新たな方向に向かうのか、かつての成長路線を続けようとするのか、見定めていくことが肝心だ。

そのためにメディアはどう論陣をはるか?たとえば、以下の指摘について、どこまで踏み込んでいくか、そこに注目したい。

>確かに成長は、暮らしに物質的な豊かさをもたらしてきた。産業の発展は、中間層の所得の伸びにつながった。が、その関係もいまは望めなくなりつつある。低所得者や非正規雇用の労働者が増え、日本の貧困率は過去最悪の水準にある。企業業績の伸びが雇用の創出や生活の支えに直結するとは言えなくなった。

中間層がいなくなった。「中流意識」という言葉が見えなくなった久しい。何故こういう現象が起こったか、「企業業績の伸びが雇用の創出や生活の支えに直結」しないのは何故か。この分析を大胆に行うことができるかどうか、それが日本のメディア、言論界に鋭く問われている。このことは「日経」社説の以下の指摘をみるといっそう思わざるをえない。
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g

>先進国でとりわけ問題なのは中間層の厚みがなくなっていることだ。野田佳彦首相が指摘する通りである。中間層から落ちこぼれると元には戻れない。経済的な不満は政治的な不安定につながる。

中間層の「落ちこぼれ」のように国民生活が不安定であれば、それを生んでいる政治が「不安定」になるのは、当然で、それを変えていこうとするのは民主主義が機能している証拠なのに、「日経」の場合は、違うようだ。以下のように展望を語ることができないでいる。

>高成長をつづける新興国では所得の格差が拡大し、インフレもあり社会の不満が鬱積する。欧州債務危機は金融収縮となり、新興国の経済にブレーキをかけて、体制の揺らぎにまで発展しかねない。民主主義、資本主義にかわる新たな理念は、今のところ見つからない。だとすると、民主主義、資本主義のあり方を改良しながら使っていくしかない。新年を、資本主義を進化させる年にしたい。

人類が営々と築いてきた思想と制度であるデモクラシーが発揮されようとしている時、それを応援するのではなく、これを「民主主義にかわる新たな理念」と表現して、探してしまうという「日経」の社説子に絶句してしまう。

その点「信濃毎日」の以下の指摘は、まだ前向きだ。

>「人は支え合って生きていることを、常に考えながら生きていきたい」「ひたすら利便性を追求する社会で、後回しにされてきたぬくもりのある人間関係の構築に目を向けたい」「物質的に恵まれ過ぎた今、最も大切な『人とのつながり』を見直す時が来たのかもしれません」 ここ数年、本紙の「建設標」に寄せられた読者の言葉である。 人と人とが連帯していくことの大切さを再認識していることに勇気づけられる。競争に勝ち抜くという意識から抜け出し、違いを認め合いながら共生していく価値観を育んでいきたい。 他者に向けるまなざしを変えることが、新しい共同体を形づくるきっかけになるに違いない。 これから先の社会に何を望むのか。どのように築いていけばいいのか。共に考え、模索していく年にしたい。

「違いを認め合いながら共生していく価値観」「他者に向けるまなざしを変えることが、新しい共同体を形づくるきっかけになる」との指摘だ。

共同体=コミュニティーだ。コンミューンだ。これを日本の各地で、或いは企業内において、そしてなにより東アジアでどう実現するか。メディアも国民も問われている。

そのためにも庶民の生活と歴史を掘り起こしていくことが大事だろう。教訓はたくさんあるだろう!

そしてどんな小さなことでも要求実現運動として取り組むことだろう。連帯と団結をひろげ、分断を排していくことだろう。

今一度違ふ立ち居を認め合ひ重なる価値をひろげつつ前に

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